日常生活2
目覚めは最悪。夢見も最悪。不安や恐怖を煽る様な夢ばかり見ていた気がする。
気分も最悪。体はだるい。
間違いなく、最悪のコンディションだった。
いつも聞いているはずの小鳥の声すら、鈍く響いて聞こえた。
「学校……行かなきゃ……」
普段は皆と仲良く遊び、騒ぎながら過ごすもう一つの生活の場所、学校。でも、今日向かう学校はまったく違う世界の学校のように思えて……。
ああ、そうだった。
ここは今までとは違う世界なんだって、澄香さんが言っていたじゃないか。俺が今まで楽しく遊んでいた世界とは、まったく違う。
だから、いつもと違うような不安を覚えてもおかしくはない……。
今日向かう学校と、今まで楽しく過ごした学校は別物。あの楽しい日々は、俺が元々居た世界だけでの出来事なのだ……。
「おいおい……。そんな考えはよせよ……。今日突然、何かがおかしくなるわけがないだろう……」
そう自分に言い聞かせる。
朝食のパンを牛乳で胃に流し込み、制服に急いで着替える。鞄を引っ掴み、表へ出る。
強すぎるくらいの日差しが、俺の全身を照らす。
何かに怯える心を必死で隠しながら、学校への道を辿っていった……。
俺は何が怖いんだろうか……?
「おっはよ。勇気、今日はだるそうだね。どしたの〜?」
魅喜の声が耳に響く。いつもは明るいこの声が、耳に不快感を与えたことなんて、初めてだった。
「……少し眠いんだ。放って置いてくれ……」
「あ〜れま。珍しいこともあるもんだね。んじゃ、私は離れてるよ」
そう言い残し、魅喜はどこかに行ってしまった。
……どうして俺は機嫌が悪いのだろうか。思えば、この世界に来て以来、体はだるいし気分はすぐれない。
いつもは楽しい学校が楽しくない。仲間達の明るい笑顔を直視したくない。
誰かと話すときも、心の中には薄暗いものがある。
おかしいなぁ……何でこんな思いをしなければならなくなったんだろう……。
『友人を裏切ったから。みんなの思いを振り払ったから。それが罪に感じるんだろ?どうせそんな思いをするんだったら、皆と仲良く過ごせる世界を選べばよかったのに。お前は救いようがない馬鹿だなぁ!はっはっは!!皆を守るためとかほざいておきながら、その仲間達を裏切っている!最低な奴だなぁ!!』
……………あぁぁぁぁ!!うるさいうるさいうるさい!!お前に言われなくてもわかってる!
でも、きっとこの先。絶対に仲間を助ける。だからお前に嘲笑われようとも俺はそんな物に屈したりはしない……。
『本当かよ。嘘をつくなよ。お前だってこう思ってるんじゃないか?』
何だって……?俺がどう思っているというんだよ?
『もう全員お前を嫌がっている。嫌っている。見下している。つまり。お前は、お前の言う仲間に見捨てられてしまったんじゃないかと。実は自分でそう思ってるんじゃないですかねぇ?伊藤勇気さんよぉ』
……あっはっは。もう一人の伊藤勇気も意外と面白いことを言うじゃないか。どうして皆を疑って、怪しんで、怯える様な心を持たなきゃいけないんだい?冗談も大概にしろ!
だが、もう一人の俺はそれ以上何も言わなくなった。
黙ってくれてありがたいと言う気持ちと同時に、何を伝えようとしていたのか分からなくて、それが更に不安を煽った。
くそ、どうすりゃいいんだよ!この世界で何をするべきかは分かっている。かつての世界を永遠のものにするために、ここでの世界で何かを変えなきゃいけないってこと位は。そして、かつての世界で繰り返し行われる血の惨劇を止めなければならないんだ。
だが、ここで一つの問題点が発生する。それは最も重要であり、なおかつそれがクリアできなければまったく話にならない。
「何をすればいいんだろうか……。本当に、ただ黙って見ているだけでいいのだろうか……」
何をすべきか分からない。あれだけ偉そうな大口を叩いておいても、結局何も出来ないのか。
いや、そんな事はないはずだ。今は分からなくても、いずれは分かる日が来るはず……。
そしてその日が来たとき、俺は行動を起こす。世界を変えるために。仲間達と笑いあうために。そのために、俺はこんな思いをしているのだから……。
「おい、勇気。今日も部活は休みか?」
先生の少し苛立ちの混じった声が耳に入る。無視して体育館の扉に手をかけたとき、もう少し強めに声をかけられた。
「……すいません。今日も体調が悪いので、早退します。また今度……」
そう言って今度こそ体育館の扉を開く。
だが、俺の耳にまた悪意に飾られたような声が飛び込んできた。
(またキャプテンは休みかよ。今まで散々怒鳴り散らしておいて、自分だけは楽する気なんだろうなぁ)
(大会も近いって言うのに。何を考えてんだか。馬鹿じゃねぇの?キャプテン!)
(上級生の癖に。下級生には威張って無理やらせて、自分だけは嫌な事からとんずらかよ。卑怯者だぜ。最低だ)
心がどんどん痛めつけられていく。ナイフでスパッと行くような痛みじゃない。思いっきり握り締められたり、強く殴られたような痛みだ。
一瞬、その痛みにめまいが起こり、壁に吸い付けられるように倒れこんでしまった。
「おい、大丈夫か!?勇気!」
体育館に入ろうとしていた大樹が慌てて俺に駆け寄ってくる。その表情は困惑していた。
「何でもない。少し休めば気分も良くなってくるはずさ」
「そうか……。今日の部活には出られそうなのか?最近休みがちだったけど、今日は、」
「すまん。今日も休む」
きっぱりと言い切った。もう煙に巻くようにして逃げ出そうとするより、はっきりと言う方が俺にとって気が楽だった。
「……そうか」
大樹の表情が一瞬変わったのを俺は見逃さなかった。そして、その表情は俺が始めて見る表情だった。
俺に対する怒りと、憎み。でも、友人である俺に憎みなんて感情を一瞬でも持ってしまったことを後悔した悲しい感情。
本当に友達であるからこそ、そういう複雑な気持ちを持ってしまったのだろう。
「悪いな。ああ……今後しばらくは部活には出ない。その間、俺の変わりに頑張ってくれ」
「そ、そんな……!キャプテンが何を言ってんだよ!?もう大会も近いんだぜ?だったら今すぐにでも体調を整えて部活に出られるように励んでくれよ!」
「これ以上言わないでくれ。お前の声は頭に響く。俺はもう部活に出ない」
大樹の顔があっという間に真っ赤になる。元々こういう性格の奴だ。表情や仕草に出やすい。だから何を考えているのかがすぐに分かる。
とにかく、大樹の全身には、腑抜けたことを抜かす俺に対する怒りがみなぎっている事がわかった。
「いい加減にしろよ!てめぇ、今まで皆を引っ張ってきたじゃねぇか!それなのに最近は自分から逃げるようなことばかりしやがって。冗談も大概にしろ!」
冗談も大概にしろ、か。俺も、そしてもう一人の俺も、余程冗談が好きらしいな……。
「やかましい。もう俺は部活に出ない。しばらくは俺を一人にしてくれ。…………俺だってな、辛いんだよ!!どうすればいいのかわかんねぇんだよ!」
そう怒鳴ってやると、大樹は少し驚き、黙りこくってしまった。
少しは血の気も引いたようだ。先ほどまで荒らげていた鼻息も、収まってきている。
大樹はそれ以上言おうとせず、俺の顔をただ見ている。俺もまた、何も言わずに黙っている。
先ほどまで怒声を上げていた二人の間に流れる、静寂。それが珍しいものに感じられた。
どうして俺は……なんで親友と怒鳴りあわなければならないんだろうか。こんな下らない事で、お互いを嫌いあわなければならなくなったのだろうか。
大樹は何も悪くないのに。これは喧嘩じゃない。そう、憎みあったもの同士の間に流れるような、嫌な雰囲気だった。
「……もう行くぜ。じゃぁな」
捨て台詞を吐き、体育館から走り去った。
廊下を走るとき、先生の注意の声が何回か聞こえたが、そんなものに返事をする気などない。
こう一人の自分は何やら喚いているが、それに耳を貸すつもりもない。とにかく走った。
途中で魅喜とすれ違い、今日は部活はどうしたの、と聞かれた。
適当に返事をして、有無を言わさずに駐輪場へと駆け出す。
……なんで俺は。親しい友人との距離を自分から開いてしまっているのだろうか。
「……気!……どう……何か……困って……!!」
魅喜が心配そうな声で何かを叫んでいるが、それもまったく耳に届かない。
……やめてくれやめてくれやめてくれ!!俺に気をかけないでくれ!
あぁ、イライラする!何故こんな世界に来てしまったんだ!?
この世界に来て、数日しか過ごしていないのに、友人達が煩わしく、学校がうざったらしく、そして……皆が疑わしく感じられてしまうのだ。
頼むよ……とっととこんな世界を終わらせてくれ!そして、大樹や魅喜と、他の皆ともう一度楽しく遊ばせてくれよ……。あの楽しかった日々を……。
それだけしか望んでいないのに。本当にそれだけなのに。
どうして……
『お前がこういう風に望んだ世界だからだよ。こんな世界もまた、お前が作り上げた世界なんだ』
え……?