「お前は妹みたいなもんだ」と言う幼馴染の両親に頼んで、本当に妹にしてもらいました
「こいつは妹みたいなもんだ」
大きな手が、わたしの頭をぽんぽんと二回叩いた。
百回目だった。数えていたので間違いない。
アーデル伯爵家の庭は、初夏の薔薇がちょうど見頃だった。白いテーブルにお茶と焼き菓子が並び、向かいには騎士団の制服を着た青年が座っている。ユリウス様の同僚で、ベルント様というらしい。
「へえ、妹さんか。でもホルト男爵家のご令嬢だろう?」
「隣の屋敷なんだ。ガキのころから入り浸ってる。だから妹みたいなもんだ」
百一回目。
記念すべき百回目の余韻を、本人がものの数秒で上書きしていった。
十年前、隣の屋敷の生け垣に頭から突っ込んで抜けなくなっていた八歳のわたしを、引っこ抜いてくれたのが十一歳のユリウス様だった。それからわたしは彼の後ろをついて回り、彼はわたしを「妹みたいなもん」と紹介し続けた。十二歳で後ろをついて歩くのが恥ずかしくなって、十五歳で好きだと気づいて、十八歳の今日まで一度も言えていない。言えないうちに、向こうの決まり文句のほうが百回に届いてしまった。
「ピア、口の端に菓子くずがついてるぞ」
「ついてません」
「ついてる。ほら」
親指で拭われた。妹扱いの総仕上げである。
ベルント様が気まずそうにお茶をすすった。いい人だ。この場で気まずくなれる感性がある。
「なあ、ピア嬢。こいつ、昔からこうなのかい」
「昔からこうです。十年前から、ずっとこうです」
「十年か。それは長いな」
「長いですね」
「何がだよ」
ユリウス様だけが、首をかしげていた。
「お前ら、いつの間に仲良くなったんだ」
「今です」
「今だな」
ベルント様と声がそろった。ユリウス様は「まあいいか」と言って、焼き菓子をもう一つ口に放り込んだ。いいらしい。
わたしは笑った。ちゃんと笑えた、と思う。
帰り道、生け垣の隙間を抜けながら考えた。
百回言われて、百回とも本気だった。この人の中で、わたしは妹という箱に入っている。蓋には釘まで打ってある。
だったら、もういい。
そんなに妹がいいなら、本当に妹になってしまえばいい。
「よし。妹になろう」
口に出したら、すとんと胸に落ちた。
——いや、我ながら発想が斜め上すぎる。
「おば様。わたしを、本当の娘にしてください」
翌朝、アーデル家の奥様の居間で、わたしは頭を下げた。
マルグリット様は紅茶のカップを持ったまま、一拍だけ止まった。
それから、カップを置いた。
「まあ!」
椅子が鳴るほどの勢いで立ち上がり、書き物机の引き出しを開ける。中から出てきたのは、くるくる巻かれた一枚の紙だった。
「見て、ピアちゃん。わたくし、ずっとこれを書き溜めていたの」
紙の一番上には、きれいな字でこう書いてあった。
『娘ができたらやりたかったことリスト』
一、お揃いの髪飾りをつける。
二、一緒に焼き菓子を焼く。
三、娘の縁談の面接をする。
四、娘と並んで夫の悪口を言う。
項目はずらりと続いて、最後の一行だけ紙の端が折り返してあった。のぞこうとしたら、マルグリット様にくるくると巻き戻された。
「四番目は、伯爵様の前で言っていいんですか」
「いいのよ。あの人、泣くだけだもの」
「……あの、おば様。理由は聞かないんですか」
「あら、聞いてほしいの?」
「いえ、その。急なお願いなので」
マルグリット様は、わたしの手を両手で包んだ。
「ピアちゃんがうちの子になりたいって言ってくれたのよ。理由なんて、あとでお茶を飲みながら聞けばいいわ。百年かけて聞いてもいいわ」
「百年は長いです」
「じゃあ九十年ね」
あまり縮んでいない。
この人は昔からこうだった。八歳のわたしが生け垣から泥だらけで現れても、「まあ、元気な子」と言ってお風呂を貸してくれた。わたしが娘になりたいと言ったら喜んでくれる人だと、どこかで分かっていた気がする。
その伯爵様は、話を聞きつけて飛んできた。そして縁組の書類に判を押しながら、ぼろぼろ泣いた。
「娘が……うちに娘が……」
「あなた、インクがにじむわ」
「にじんでもいい……」
よくはない。書類なので。
昼前には、うちの父も呼ばれてきた。ホルト男爵家は子どもが九人いる。わたしは七番目で、上に姉が二人と兄が四人いる。
父は書類を一読して、あっさり判を押した。
「九人いるから一人くらい構わん」
「お父様、もう少し惜しんでください」
「惜しんでいる。ただし、娘を泣かせたら許さんぞ」
父がにらんだ先では、伯爵様が泣いていた。
「お父様。泣いているのは、こちらの伯爵様のほうです」
「……うむ。これは許す」
許すんだ。
養子縁組は、届け出から一月で貴族院に登録されて確定する。それまでなら養子本人の同意で取り下げられる——と、書類を受け取りに来た書記官が早口で教えてくれた。
届け出は、その日のうちに済んだ。
——人生の一大事って、こんなに午前中で片づくものなんだろうか。
その夜、アーデル家の食卓に、わたしの席が増えた。
騎士団から戻ったユリウス様は、わたしを見て「お、来てたのか」と言っただけで、いつものように向かいに座った。いつものように、が今夜で終わるとも知らずに。
スープが運ばれてきたところで、マルグリット様が手を合わせた。
「ユリウス。今日からピアちゃんは、うちの子よ」
「ああ。昔からそんなもんだろ」
ユリウス様はスープをひと匙すくった。
「縁組の届けを出したの。正式に、娘になったのよ」
ユリウス様が、スープを噴き出した。
正面にいたわたしは、とっさにナプキンで顔を守った。十年の付き合いで、この人がむせる間合いだけは把握している。
「げほっ……妹って、本当の妹か!?」
「はい」
わたしはナプキンを膝に戻して、背筋を伸ばした。
「妹みたいなもん、の『みたい』を取っただけです」
食堂がしんとした。
ユリウス様は口を開けて、閉じて、また開けた。何か言おうとして、言葉が一つも見つからない顔だった。
伯爵様が、また泣き出した。
「ユリウス……今日からお前はお兄ちゃんだぞ……」
「父上は泣くな! いや待て、待ってくれ。母上、いつ決めたんだ」
「今朝よ」
「今朝!?」
「判はお昼前に押したわ。ホルト男爵も快く」
「男爵まで!?」
「九人いるから一人くらい、ですって」
ユリウス様は額を押さえた。それから、わたしを見た。
「ピア。お前、本気か」
「本気です。お兄様が百回も言うので、そうなのかなと思いまして」
「百回も言ってない」
「百一回です。数えていたので間違いありません」
「数えるな!」
数えていたものは仕方がない。
「これからよろしくお願いしますね、お兄様」
「お、おにい……」
ユリウス様の匙が、床に落ちた。
——十年かけて、初めてこの人の顔色を変えられた。きっかけがスープなのは、少し悔しい。
「娘ができたら、縁談の面接をするのが夢だったの」
リストの三番目である。マルグリット様の行動は早かった。翌日から毎日一人ずつ、居間に花婿候補がやってくるようになった。
「待ってくれ母上。縁談って、ピアのか」
「ほかに誰がいるの。うちの娘はピアちゃんだけよ」
「早すぎる。昨日娘になったばかりだろう」
「だから急ぐのよ。娘がお嫁に行くまでなんて、あっという間ですもの」
「兄として同席する」
ユリウス様は、面接の時刻になると毎日騎士団を抜けてきた。
「お兄様、お仕事は」
「抜けてきた。これも兄の仕事だ」
そんな職務はない。
一人目は、栗色の髪の穏やかな青年だった。王宮の文官で、話しぶりも丁寧だ。
ユリウス様は腕を組んで、相手の手元をじっと見ていた。
「剣の握りが甘いな」
「握っていません。それ、羽根ペンです」
「いや、気になったんだ。持ち方に迷いがある」
「書き損じが怖いだけです。羽根ペンは慣れていても緊張しますから」
「ほらな」
「何が『ほらな』ですか」
青年は困ったように笑って、ペンを胸ポケットに戻した。とてもいい人だった。
羽根ペンに握りの良し悪しがあるのかどうかは、結局わからないままだった。
二人目は、よく笑う人だった。わたしが窓の外の猫の話をしたら、はっはっはと朗らかに笑ってくれた。
「笑い方が軽い」
「明るいって言うんですよ、それは」
「ピアの話は、もっと腹の底から笑うべきだ」
「猫があくびをした話ですよ?」
「あくびの後に前足を伸ばしたところが山場だった。そこで笑え」
「お兄様、ちゃんと聞いてたんですね」
「当たり前だ」
二人目の方は、前足のところでもう一度笑ってくれた。
——笑う場所を指定されて、律儀に笑う人を初めて見た。
三人目は、東の領地の跡取りだった。
「うちの領地は日の出が早くて、朝の景色がそれは見事なんです」
「ピアは朝が弱い」
ユリウス様が即答した。
「起こしても二回は寝直す。三回目でやっと目を開けるが、まだ寝てる。無理だ」
「お兄様。人の寝起きを初対面の方に説明しないでください」
三人目の方は、気の毒そうにうなずいて帰っていった。
三回目でまだ寝ているのは、たまにだ。たまに。
四人目は、見上げるほど背の高い人だった。
「背が高すぎる。ピアの首が疲れる」
「お兄様のほうが高いです」
「俺は慣れてる」
「首が疲れるのは、わたしのほうですよね?」
「……俺は屈む」
屈んでいるところは見たことがない。いつも上から頭をぽんぽん叩かれている。
——屈む気があるなら、十年前から屈んでほしかった。
五人目は、物腰の柔らかい人だった。マルグリット様のご友人の息子さんらしい。
「ピア嬢の好きなお菓子は、何でしょう」
わたしが答えるより先に、隣から声がした。
「胡桃の焼き菓子だ。焦げる寸前のやつ。端から食べる」
五人目の方が目を丸くした。わたしも丸くした。
「それを知らないやつには任せられない」
「初対面ですよ、この方」
口ではそう返しながら、わたしは膝の上で手を握った。
端から食べるのは、誰にも言ったことがない。焦げたところがいちばん好きだから、そこから食べる。それだけの、どうでもいい癖だ。
どうしてこの人が知っているんだろう。
五人目が帰った。
——お兄様。それはもう、兄の仕事ではないと思います。
五人目が帰った翌日の昼、居間に来たのは花婿候補ではなかった。
「やあ、ピア嬢。突然すまない」
ベルント様だった。お茶会のとき、気まずそうにしていたいい人である。
「ベルント様。もしかして、六人目の候補ですか」
「いや違う、違うよ。そんな度胸はない。あいつに斬られる」
「斬りはしないと思います。たぶん握りの話をされるだけです」
「何の話だい、それ」
「お兄様なら、今日は詰所では?」
「そう、そのユリウスの話をしに来たんだ」
ベルント様は椅子に座ると、こらえきれないように口元をゆるめた。
「あいつ、昨日詰所で自慢してきたんだよ。妹の縁談を五つ潰してやったって。胸まで張ってた」
「潰した自覚はあったんですね」
「だから俺は言ったんだ。『いい兄貴だな。まあ、妹とは結婚できないけどな』って」
「……それで?」
「固まった。で、そのまま床を転がり始めた。天井を見ながら『妹……妹とは……』ってぶつぶつ言ってた。今もたぶん転がってる」
わたしは両手で口を押さえた。
笑いが喉まで来ている。王都騎士団の詰所の床を、背の高い騎士がごろごろ転がっている。想像したら、肩が勝手に揺れた。
それから、胸の奥がほんの少しだけ跳ねた。
妹とは結婚できない。そう言われて転がる理由なんて、一つしか思いつかない。
——待って。期待するのはまだ早い。
十年分の「妹みたいなもん」が、一晩で裏返るはずがない。あの人は単純だから、「妹の結婚相手を俺が決められなくなる」とか、そういうずれた理由で転がっているのかもしれない。
「ピア嬢。一つ聞いてもいいかい」
「はい」
「庭のお茶会のとき、あいつが百回目を言っただろう。君、笑ってたけど」
ベルント様は、少しだけ声を落とした。
「あれは、笑うところじゃなかったんじゃないか」
わたしは返事に困った。困ったので、お茶を飲んだ。
「……ベルント様は、いい人ですね」
「よく言われる。だいたい、損な役回りのときにね」
「伝えに来てくださって、ありがとうございます」
「いや。あいつがあんまり面白いから、誰かに言いたかっただけだよ」
ベルント様は笑って帰っていった。やっぱり、いい人だ。
翌朝、ユリウス様が走ってきた。
——床を転がるのには、もう飽きたらしい。
「ピア」
玄関から居間まで、ユリウス様は一度も歩かなかった。肩で息をしている。
「おはようございます、お兄様。朝からどうしたんですか」
「貴族院に行ってきた」
「こんな朝早くに?」
「門が開くのを待ってた」
門番の方が気の毒になった。
「それで、何をしに?」
「書記官に会った。縁組の届けを出した日に、ここへ来た人だ」
「早口の方ですね」
「ああ。今朝も早口だった。『取り下げですかご本人の同意書はお持ちですかお持ちでないではお引き取りください次の方』」
「一息で言われたんですか」
「一息だった」
ユリウス様の物まねは、妙にうまかった。
「縁組を取り下げたいと言った。そしたら、お前の同意がいると言われた」
ユリウス様は、くしゃくしゃになった書類を差し出した。取り下げの届けだった。わたしが名前を書く欄だけが、空いている。
「同意してくれ」
わたしは書類を受け取らなかった。
「どうしてです?」
「どうしてって……」
「妹みたいなもんなんでしょう?」
ユリウス様の口が、開いたまま止まった。
「それは……その……」
言葉が出てこない。大きな手が、行き場をなくして宙をさまよった。いつもならここで、わたしの頭をぽんぽん叩く手だ。
意地悪だと、自分でも思う。
でも、ここで「冗談だ」と笑われたら、わたしはたぶん百回目のときのようには笑えない。それが怖かった。膝の上で握った手のひらが、じっとり湿っていた。
「同意しません」
「ピア」
「理由がないなら、同意しません」
ユリウス様が何か言いかけたとき、戸口から声がした。
「最後の候補は明後日よ」
マルグリット様が、にこにこして立っていた。
「二人とも、楽しみにしていてね」
——お母様。さっきから、どこで聞いていたんですか。
明後日。最後の面接の日。
わたしは居間のソファで、紅茶が冷めていくのを眺めていた。ユリウス様は来なかった。兄として同席すると言い張っていた人が、今日に限って朝から姿を見せない。
廊下を誰かが通るたびに顔を上げて、そのたびに女中さんと目が合った。三回目には会釈された。
やりすぎたのかもしれない、と思った。
戸を叩く音がした。
「どうぞ」
マルグリット様が答えると、扉が開いた。
入ってきたのは、騎士団の礼装を着た背の高い男の人だった。金の飾り紐、磨き上げた長靴、両腕に抱えた白い花束。髪はきっちりなでつけてある。
ユリウス様だった。
わたしは紅茶をこぼしかけた。
「あら」
マルグリット様は、頬に手を当てて首をかしげた。
「どちら様かしら?」
乗るんですか、お母様。
ユリウス様は真っ赤な顔で、気をつけの姿勢をとった。
「……ユリウス・アーデル。王都騎士団所属。二十一歳」
五人の候補が言っていた口上と、まったく同じ型だった。たぶん、全部横で聞いて覚えたのだ。
「本日は、ピア嬢の花婿候補として参りました」
花束が、ずいと差し出された。わたしはカップを置いて、受け取った。受け取るしかなかった。
「まあ、ご丁寧に」
マルグリット様は、五人の候補にしたのとまったく同じ笑顔でうなずいた。
「では、決まりの質問をいたしますわね。うちの娘の、どこがお気に召したのかしら」
「ど、どこって」
「ほかの方は、皆さんすらすら答えてくださったわよ」
ユリウス様の目が泳いだ。泳いだ先にわたしがいて、慌てて天井へ逃げていった。
「け、剣の握りは甘くない。毎朝千回振っている」
「お兄様。聞かれていないことを答えています」
自分で出した条件を、自分で一つずつ潰しに来ている。
「笑い方は……軽くない、と思う。たぶん。うちの屋敷の西の部屋は朝日が入らない。北向きの部屋もある。朝はいくらでも寝ていていい」
「それは助かります」
「背は高い。だが屈む」
ユリウス様は本当に屈んだ。目の高さが、生まれて初めてわたしと同じになった。
「好きな菓子は、胡桃の焼き菓子。焦げる寸前の。端から食べる」
「それ、どうして知ってるんですか」
「十年見てたら分かる」
「それで、どこがお気に召したのかしら」
マルグリット様が、二度目を聞いた。容赦がない。
ユリウス様の口上は、そこで止まった。用意してきた言葉が、ここで尽きたらしい。
沈黙が落ちた。マルグリット様が、そっと紅茶をすする音だけがした。
「……妹だと、思い込もうとしてた」
低い声だった。
「妹なら、ずっと隣にいられると思った。妹なら、誰にも取られないと思ってた。お前のところに別の男が来て、ベルントに言われて、ようやく分かった。俺は、お前を妹だと思ったことなんか一度もない」
大きな手が、いつもの癖で持ち上がった。わたしの頭の上で止まって、少し迷って、そのまま下りてきた。
そして、わたしの手を握った。
「好きだ、ピア」
ずっと待っていた告白は、思っていたよりずっと不器用な声だった。
百一回、頭の上で弾んでいた手が、今はわたしの指を包んでいる。意外なほど熱くて、少し湿っていた。この人も緊張するのだと、十年目にして初めて知った。
鼻の奥がつんとした。わたしは息を吸った。泣くのは、性に合わない。
「一つだけ、お願いがあります」
「何でも聞く」
「妹みたいなもん、はもう言わないでくださいね」
「二度と言わない」
即答だった。
「じゃあ、わたしもお兄様はやめますね。ユリウス様」
「……ああ。そっちのほうがいい。ずっといい」
「数えていいですか」
「何を」
「今の、好きだ、っていうの。一回目です」
ユリウス様は、耳まで赤くなった。
わたしは花束をソファに置いて、マルグリット様が差し出した羽根ペンを受け取った。くしゃくしゃの取り下げの届けを膝の上で伸ばして、空いている欄に名前を書く。
ピア・アーデル。
九日しか使わなかった名前だ。たぶんもう少ししたら、別の書類でもう一度書くことになる。そう思ったら、少しだけ字が震えた。
マルグリット様が、ぱんと手を叩いた。
——百一回分、ちゃんと元は取れた気がする。
「どっちにしても、娘になるのね!」
マルグリット様は、わたしとユリウス様をまとめて抱きしめた。
カーテンの陰から、伯爵様が転がり出てきた。いつからそこにいたのかは聞かないでおく。
「娘が……今度はお嫁さんとして……」
「父上、泣くのは式の日まで取っておいてくれ」
「無理だ……」
無理らしい。
廊下から、どすどすと足音が近づいてきた。顔を出したのは、うちの父だった。マルグリット様が、朝のうちに呼んでおいたらしい。
「話は聞いた。ユリウス」
「はい、男爵」
ユリウス様が気をつけの姿勢になった。父は腕を組んで、じろりと見上げた。
「娘を泣かせたら許さんと言ったな」
「聞いています」
「泣かせたか」
父の視線が、わたしに来た。わたしは首を横に振った。
「泣いているのは、伯爵様のほうです」
「……うむ。これは許す」
二回目も許された。
それから、マルグリット様はさらりと教えてくれた。五人の花婿候補は、全員マルグリット様の甥か、仲のいい友人の息子だった。猫のあくびで二回笑ってくれた人は、いちばん下の甥だそうだ。
「全員、お芝居だったんですか」
「だって、うちの子ったら鈍いんですもの」
ユリウス様が、うめいて天井を仰いだ。
マルグリット様は書き物机から、あのリストを取り出した。そして、ずっと折り返してあった最後の一行を、ゆっくり開いて見せてくれた。
そこだけ、字が違った。大きくて、斜めに傾いていて、インクがところどころ跳ねている。子どもの字だった。
『ピアを およめさんにする ユリウス』
「……母上」
ユリウス様の声が裏返った。
「なんでそれがまだあるんだ」
「あなたが十一のとき、勝手に書き足したんじゃない。隣の子を生け垣から引っこ抜いた日の夜よ」
「覚えてない!」
「わたくしは覚えているわ。だから娘にしてって言われたとき、すぐにうなずいたの。どちらの道でも、このリストは埋まるもの」
ユリウス様は両手で顔を覆って、ソファに沈んだ。耳が、さっきより赤い。
わたしはリストの最後の一行を、もう一度見た。十一歳の男の子が、十年前に書いた字だった。
百一回の「妹みたいなもん」より前に、一回目があったらしい。
——数え直しだ。




