第57話:悪夢からの目覚めとフニャア
長い悪夢を見ていた。
だが、最後は救われた。
白い光に包まれながら、目を瞑り、死ぬことができると信じながら意識を手放した。
だから、再び目を覚ますことになるとは思わなかったし、思いたくもなかった。
目を覚ましたシルが最初に感じたのは恐怖だった。
悪夢が再び始まるのではないかという恐怖だ。
死んでも続く終わりのない悪夢は、結局継続しているのではないかと。
「い、いや! もう、殺して……」
思わず自分の死を訴える言葉が漏れる。
言葉が誰かに届くことはなく、再び地獄のような痛みや恐怖が始まると思っていたシルだが、期待していなかった第三者の声がシルの耳に届く。
「子供達はいいの?」
「へ?」
あり得ないはずの返事が来たことに、意味をなさない言葉が口から出る。
視線を上げると、すぐ側に自分を覗き込むように一人の青年の顔があった。
「へ? え?」
頭が真っ白になる。
誰?
年齢は、20歳くらいだろうか。少し癖毛のある黒髪に、同じ色の瞳。少しだけ、子供達の一人であるマコトに似ている気がしなくもない。だが、当然マコトは目の前の青年ではないし、会った記憶もない。
そもそも、状況が理解できない。
「えっと、シルさんであってます?」
「なんで……私の名前を」
「あなたの帰りを待っている女の子にお願いされたから。シル先生を助けて欲しいって。なんとか間に合った感じですね」
女の子?
助けて欲しい?
間に合った?
目の前の青年が言っていることを理解できない。
意味は分かるのに、脳が理解を拒む。
だって、自分は死んだはずだから。
でも――
「わた……し……生きてる?」
「うん。痛いところや、気になる箇所はない?」
改めて自分の体に意識を向ける。
(手足……は動く。怠さはあるけど痛みは……ない。でも……どうして)
青年の言葉にゆっくりと頷きながらも、自分がどうやって助かり、しかも体の痛みさえ感じないのかもわからない。
いや、青年の言葉からして青年がシルを助けてくれたと思うのだが、どうやって助けたのだろうか。
魔力毒中毒の末期のシルを助けるのは、シティの最新設備と一流の医師がいても不可能だろう。
可能性があるとしたら、噂で聞いたことのある、教国の聖女様くらいだろう。
だが、そんな疑問よりもシルが一番知りたいのは――
「私は死なないの?」
「うん」
「子供達に……また……会える……の?」
「うん」
「で、でも子供達も……うぅ……病気に……」
シルが最後に見たのは、クロエ以外のミア、ノルン、テオ、マコトは、既に寝たきりとなっていた。クロエに他の子達を任せてきたがクロエも限界が近かったはずだ。
期待と恐怖
自分と同じように助けてくれたのか、それとも――
縋るようにシルは、青年を見つめる。
そんなシルの額にゆっくりと青年の手が撫でるように優しく置かれる。
「大丈夫、俺の仲間が治療してるから。きっと大丈夫」
「ほ、本当に?」
「うん」
限界だった。
自分の命が助かったこと。子供達の命も助けてくれたという、あり得ない奇跡。
まるで地獄から助けて貰ったかのような状況だ。
喜びや安心といった感情がごちゃ混ぜになり、シルの目から堰を切ったように涙が溢れる。
「う、う、ウグ、ヒグ……ありが……とう。ありがとう……ございます」
シルは生まれて初めて、男性の胸の中で泣くのであった。
※
どれくらい泣いていたのか分からない。
少なくとも10分近く泣いていたかもしれない。
森の中で生きて帰れないと悟った時から……いや、子供達との自由都市への亡命への旅が頓挫し、死を待つだけの日々になってしまった時から感じていた絶望感と無力感、そして罪悪感の重圧から解放されたようにシルは泣き続けた。
もちろん、全て解決したわけではない。助かったからといって、これからどうなるかも分からない。
それでも、子供達が無事で、また会えると思えるだけでシルにとって泣き続けるだけの理由となっていた。
だが、ずっと泣き続けるわけにはいかないし、シル本人も少しずつ落ち着き始めていた。
そして、自分の状況を理解し始める。
自分が男性に膝枕されて介抱してもらっていて、その男性に縋り付くように泣き続けていたことにだ。
(は、恥ずかしい! それに、この人……そういえば名前教えてもらってないな。多分……私よりも年下)
シルの年齢は、今年で25歳だ。自分を助けてくれて、今も膝枕してもらっている男性は、20代前半か10代後半。少年ではないと思うが、顔が少し幼いので10代後半にも20代前半にも見えた。
恥ずかしくて、青年の胸から顔を離しにくい気持ちになるので、今の状況を継続するのは更に恥ずかしくなってくる。それに、ずっとのこのままではいられない。
だが――
(なんというか、すごく安心する魔力)
青年の体から伝わる暖かい魔力は、触れているだけで体がポカポカするような感覚を受ける。泣いている自分をあやすように撫で続けてくれている手の感覚が恥ずかしくも心地よい。
恥ずかしくても、もう少しだけ、あと5分だけ今のままで身を預けていたい――そんな羞恥心と、あと少しだけという気持ちに悶えているシルだが、青年はシルの泣き声が落ち着いたと判断したのか、撫でていた手を止めて声をかけてくる。
「少しは落ち着いた?」
「は……はい」
シルはゆっくりと青年の胸から身を離して、覗き込んでいる青年に顔を向ける。
(ち、近い!)
見上げるシルと青年との顔との距離は、わずかしかない。それこそ、少し近づけばキスができてしまうほどだ。
「ご、ごめんなさい! いつまでも! 重いですよね!!」
「あ、ストップ」
そう言って立ちあがろうとするシルだが、青年に押し留められて、再び膝枕するような姿勢となる。
「へ?」
慌てて押し留められたことに対して呆けたような声が思わず漏れるが、青年の表情は本気で焦っていた。
一体何が?
だが、その理由はすぐに青年の言葉で理解することとなる。
「えっと……シルさんの服がボロボロな上に、泥や魔物の血でドロドロになっていて不衛生だったり、血の匂いで魔物や獣が来ても面倒だったので。すみません!」
視線を逸らし、顔を赤らめている青年を見ながら、彼の発した言葉の意味を考える。
「それって……っつ!」
顔を起こして自分の体を見ると、白いワイシャツがシルの体を隠すようにかけられていた。そして、今自分が下着だけになっているであろうことも。
「い、一応脱がした服はあそこにあるんだけど」
そちらに視線を向けると、服と呼んでいいのか分からない紫色の液体と泥に塗れたぼろ布が置かれていた。
そりゃあ脱がしますねと思ってしまう。仮に自分が青年の立場だったとしたら、申し訳なく思いながらも脱がすだろう。
黒いシャツ姿になっている青年を見ると、自分のワイシャツを脱いでシルに被せてくれたのだろう。
顔どころか全身が熱くなってくるのが分かる。
「とりあえず、俺は目を瞑っておくから、ワイシャツだけでも着ていただけると……助かります」
「は、はい!」
下着姿にワイシャツだけという状況も危うい気もするが、下着姿のみになるよりは遥かにマシだろう。シルが先ほどまで着ていたであろう服を再び着るのも論外。着ているだけで病気になりかねない。
そんなことを思いながら青年が目を瞑っているのを確認して立ちあがろうとする。
シルは、そこでふと気づく。
「あの、その前に聞きたいことが」
「ん?」
ゆっくりと目を開き、まだ膝枕をされたままの自分に視線を向けてくれる。
「お名前はなんて……言うのでしょうか? 私はシル。シル・クラインと言います。子供達にはシル先生と呼ばれています」
「俺はシグレユウト。シグレと呼んでくれれば」
「シグレさんですね。改めてありがとうございます」
「…………うん。どういたしまして。シルさんが生きていてよかった。それに、戻ったらあなたのことを助けて欲しいと言ってくれた子供達にもお礼を言ってください」
「はい! 言います! 本当にありがとうございます」
まだ涙が出てきそうになる。
そんなシルに表情を崩して嬉しそうに笑顔を向けてくれるシグレだが、その視線が自分の顔ではなく、頭部、そして何故か足元の方へ向かう。
表情も笑顔から、少し思案するような表情になっていた。
どうしたのだろうか?
「シルさん、俺からも一つ質問していいですか?」
「は、はい。何でしょうか?」
「シルさんは…………その…………」
シグレはシルの顔ではなく、頭の方を見ながら質問しにくいことを口にしようとしているような言い方をする。
そんなシグレの様子に不安な気持ちになってくるシルなのだが、意を決したようにシグレは言葉を続ける。
「獣……人? もしくは亜人? なんて言えばいいのか分からないんですけど、猫とかを由来する種族だったりします?」
「はい?」
シルは、シグレの言った言葉の意味が理解できなかった。
獣人? 亜人? 猫?
彼は何を言っているのだろうか。
「いえ、私は人間で……獣人でも亜……人でもないですけど。それに猫でもないです。すみませんが、質問の意図が」
分からない。
シグレは自分を見て、何故そのようなことを言うのだろうか。
自分が人には見えないような容姿をしている?
こんなことを言ってはなんだが、シルはそれなりに美人な方だと思っている。獣人といったオークやゴブリンとは似ても似つかないはずだ。
それに猫とは?
そんな思考がまとまらないシルをよそにシグレも戸惑ったような表情のまま、シルの頭部に手を伸ばしてくる。
その手は先ほどのように撫でるような手付きではなく、危険物を触れるような恐る恐るといったように。
「ふえ?」
頭部に今まで感じたことのない感覚を受ける。思わず変な声が出る。
「な、何をしているのか!?」
「えっと、耳を」
「そこ、耳じゃないです! いや、どこですか!? そこ!? あ、やめて!!」
頭の上に何かある。そしてシグレの手が触る、いやフニフニと摘んだりしているような気がする。
その度に今まで感じたことのない刺激――くすぐられているような感覚を受けるのであった。しかも、なんだか気持ち良い。
「これは元々はなかったであっています?」
「これって……な、何これ!?」
シグレの言葉に慌てて頭部の確認をするために、自分の手で確認をする。
何かあった。フニフニする何かが二つ。
(もしかして、猫の耳?)
シグレの言っていたことを考えると、自分の頭部に猫の耳があるということになる。だが、自分は人間だ。生まれた時も、今までも猫耳があったことなんてない。
(いや、今はあるけど? なんで!?)
自分の猫耳をフニフニしながら確認するシルだが、シグレの視線が今度は自分の足の方に向けられていることに気づく。
すごく嫌な予感がした。
一度気づく分かってしまう。もう一箇所、今までの自分になかった感覚があることを。
恐る恐る、シグレの視線にシルも向けると、そこにはあった。
黒色のフサフサとした毛が生えた猫のような尻尾が。
そして、シグレの手がゆっくりと向かう。
「だ、駄目です。なんというか、絶対に駄目というか、フニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
耳を触られた以上の未知の衝撃に襲われたシルの叫び声が森に響き渡る。
その後、好奇心に負けたシグレは土下座することとなった。




