第44話:世界に愛されている
懐かしい音が聞こえる。
ザァーン、ザザーン……
もう顔も思い出せない母親と一緒に手を引かれながら、海岸を歩いていた時の波の音だ。
まだ、普通の子供だった時の時雨悠人。
海が綺麗で、打ち寄せる波に心を躍り、雄大な自然の音が非常に心地良かったことを覚えている。
勇者になった後も海を見ることはあったし、波の音を聞くこともあった。だが、単なる風景の一つであり、心に残ることはなかった。
時雨悠人にとって、綺麗に残っている数少ない記憶の1つ。
そんな記憶を思い出す波の音が時雨悠人を目を覚ます。
*
「あ、起きた!」
目を覚ますと視界一杯に満面の笑みを浮かべたセブンスの顔が広がっていた。
生まれて今まで生きてきた中で一番良い目覚めと言っていいだろう。
後頭部は柔らかい感触があり、非常に心地が良い。
(膝枕してもらっているのか……膝……枕!)
「うわ!?」
自分の状況を理解した時雨悠人は思わず顔を赤くしながら体を起こす。
後頭部に当たっていた柔らかい感触は非常に気落ち良かったが、恥ずかしさが上回ったのだ。
そんな勢いよく体を起こした時雨悠人に驚いた声を上げるセブンスに、謝ろうとするが。
「ご、ごめ…………ん?」
「あはは、いいよ。元気そうで良かった。」
「あ、ああ。それで、ここ……は?」
時雨悠人が辺りを見回すと、そこは砂浜であり、空を見上げれば日の光の代わりに夜の暗闇を照らすように満点の星空が光り輝いていた。
そして、時雨悠人に懐かし夢を見させた海が広がっている。
そんな時雨悠人の様子を見ながら、笑顔のままセブンスは答える。
「外だよ。ゼノ・グラウンドの外」
「そう……か……え、でもなんで?」
時雨悠人の最後の光景は、セブンスとマスターとなる契約を結んだ時だ。
つまりはキスを――
思わず顔を地面に叩きつける。
ボフンという音が響く。砂浜だったおかげで大して痛くはないが、突然の時雨悠人の行動にセブンスは心配と驚きの声を掛ける。
「だ、大丈夫!?」
「いや……大丈夫。それで、どうして外に?」
セブンスの顔から視線を逸らしつつ尋ねる。
「?」
時雨悠人の行動に疑問を感じるように首を傾げるセブンスだが、時雨悠人が眠った後のことの説明を始める。
*
「そうか……ルカの奴がね」
「ルカ?」
「ん? ああ、セブンスがゼノ・グラウンドで話した相手のこと。どういった相手かは教えてもらったりした?」
セブンスからしたら、突然ゼノ・グラウンドから聞いたことのない声が響き渡ったことになる。
よく素直に従ったと思うのだが。
「名前は教えて貰えなかったけど、ゼノ・グラウンドは星の体内のような場所と言っていたので……おそらく星そのものか、それに近いものかなと」
「まあ……合っているけど、信じている?」
普通は信じないだろう。昔世界を救った勇者ですと自己紹介する奴を信じる以上に難しい気がするのだが。
「マスターにゼノ・グラウンドの魔力が雪崩れ込んでいるのを見ていたから……星ではなくても、ゼノ・グラウンドそのものに近い存在ではあるのかとは思えたかな。それで、やっぱり星そのもの……なんだ……ハァ」
「俄かに信じられないですが……あの光景を見ると完全な嘘……とは言えませんね」
疲れ切った両者の声を聞きながら、なんだか申し訳ない気分になるが、何と言えばいいか分からない時雨悠人は、誤魔化すような笑みを浮かべることしかできない。
そんな時雨悠人にジト目で見つめるセブンスは、ふと気になったから聞いてみるか程度の口調で時雨悠人に尋ねる。
「そういえば、ルカって名付けた理由て何があるの?」
「それは……」
言いにくい。
当時、休憩時間に読んでいた好きな漫画のヒロインの名前です……とは。
ルカ本人にも言っていない――多分バレているが。
(流石に本当のことは言いたくないな。引かれる可能性もあるし)
弁明としては、当時の自分は10歳くらいのはずだ。好きなヒロインの名前を唯一の話し相手につけてもおかしくない……はずだ。
「それは?」
「好きな漫画の登場人物の名前から」
「へー……それじゃあ、今度漫画のタイトル教えてね」
にっこりと笑みを浮かべながら聞いてくるセブンス。
妙な迫力を感じるのは気のせいだろうか?
若干ゾクゾクとした感覚を受けながらも、セブンスに了承の返事をする。
「わ、わかった。それにしても、ルカと話すことができたのか」
該当する漫画が無くなっていて欲しいような、もう一度読んでみたいような気持ちを抱えつつ、時雨悠人は話題を変える。
「ん? 話すことが……できた? マジ?」
寝起きで頭がぼーとしていて聞き流していたが、あり得ないことだ。
ルカと話せるのは自分だけだ。
今まで自分以外がルカと話したことはないし、ルカも時雨悠人以外と話せたことはないと言っていた。
「う、うん。ゼノ・グラウンド全体に響き渡る感じで。だったよね」
「はい。私は会話したわけではないですが、セブンスとルカ? の会話を横で聞いてました」
「今も会話できる?」
時雨悠人の質問にセブンスは、首を横に振るう。
「外に出る時に準備ができたことを叫んでみたら、此処に転移してくれたけど、会話はしていないよ。どうすれば、こちらから話せば届くかも分からないし」
「そっか……」
ゼノ・グラウンドという場所が特別だったのか?
もしくは、セブンスが特別か。
(いや、ラプラスも聞いてるから、やっぱ場所の問題か……どっちか教えてくれたりする?)
駄目もとで、心の中でルカに話しかける。
緊急性のない時の時雨悠人から呼びかけに応じる可能性は、およそ1%あるかないか。
そもそも、ルカが時雨悠人を暇つぶしで見ていてくれることが前提となる。
つまり、ほぼ返答は期待できない。
だが――
『あの場所が特別だからです。以上』
(珍しい!)
即答だった。
(へー眠っているだけだったのに、見てくれていたんだー)
『……約束は、覚えていますね?』
(確認のためか……覚えていますよ)
ルカから魔力を提供してもらう条件として、世界の危機の芽があれば、事前に潰すこと。
面倒ではあるが、ルカとは世界の危機から救うことを条件にした約束を既にしてしまっている。
魔王みたいなのが生まれる可能性を事前に潰せるなら、それでもいいだろう。
『それなら、いいです。対処して欲しいことがあれば、伝えます。それ以外の時間は自由に生きなさい。あなたは、私を……世界を救ったのですから、自分が幸せになるために行動するべきです。多少の我儘は、許されるはずですし、私が許します』
何を言われたか分からず、呆ける時雨悠人だが、ルカに言われた言葉を反芻し、ジンワリと心が暖かくなる。
(……………………うん。ありがとう)
『礼は不要です。あなたの当然の権利です』
(それだげじゃないよ。俺を助けてくれてありがとう。俺を生かしてくれてありがとう)
『必要だから助けた。それだけです。ただ、そこまで礼を言うなら素直に受け取りましょう。そして…………私からも礼を。ありがとうございます』
(何のお礼?)
『阿呆ですか。契約とはいえ、魔王から私を救った礼ですよ。だいぶ遅くなりましたがね』
(礼を……いや、どうしたしまして)
ルカを、世界を救わなければ、時雨悠人も死ぬし、全人類死ぬのだから、お礼など不要な気もするが、素直に受け取ることにする。
深い理由はないが、その方が良いと思ったからだ。
「マスター?」
急に黙り込んだ時雨悠人が気になったのかセブンスが声をかけてくる。だが、セブンスとラプラスもタイミング的に時雨悠人が何をしていたのか薄々予想できていたのだろう。
「もしかして? 話していたりした?」
「うん……まあ……ね。セブンスやラプラスと話せたのは、ゼノ・グラウンドだからだと」
「そっか……残念なような、ホッとしたような」
アハハと苦笑いをするセブンス。ルカと話すのは、実質この星と話すようなものだ。
緊張するなという方が難しいだろう。
(俺は、付き合いが長すぎるせいで今一実感が沸かなくなっているというか……)
『……』
(返答はない……か……)
返答はしていないが、実は見ていたり、時雨悠人の考えていることを覗き見ている可能性はあるのだが、どちらなのか知る手段はない。念話のように魔力を媒介としているなら分かるのだが、ルカとの脳内会話は魔力とは違うものだ。
「ユウトは普段から話すことができるのですか?」
「向こうの気分次第かな。もう返答は来なくなったから、飽きたのかも」
「やはり、私は信じられないですね……」
「まあ、ゼノ・グラウンドからも出てきたんだし、セブンスやラプラスが直接関わることもないから、信じても、信じなくても何か変わることはないよ」
「……そうだね。それじゃあ、一旦この話は終わりにして、これからのことを考えない?」
パンと手を叩いて、気持ちを切り替えるように、今後のことを尋ねてくるセブンス。
「これから……か……」
改めて問われると難しい質問だ。
自由ではあるが、具体的に何をしたいのかを考えたことはない。
(いや、ないわけではないか。勇者として生きてきた時は、普通に学校に行きたいとか、友達を作りたいとか昔はあった気がするけど……)
今、どうだろうか?
ゼノ・グラウンドでセブンスやラプラスと過ごす中で、そのような思いになったことはない。
外に出たいとは思ったが、外の状況がどうなっているのか気になったのと、後はなんとなく。
(セブンスやラプラスと外で一緒に楽しく過ごせるのが、一番やりたいこと……なんだろうな)
だが、それを口にするのは流石に恥ずかしい。それに、これからやりたいことに対する具体的な案でもない。
そんな風に考え込んでしまっている時雨悠人に向けて、セブンスは自身のやりたいことを口にする。
「マスターは色々と考えているみたいけど、私は今一番やりたいことがあるよ!」
「えっと、それは?」
「決まっているよ! せっかく初めて外に出て、しかも目の前に初めて見る海があるんだよ! とりあえず海に入りたい!」
堂々とした宣言。
そんなセブンスを目をパチクリさせて見つめる時雨悠人が、すぐに二人の境遇を思い出して、セブンスの言葉に納得する。
二人はずっとゼノ・グラウンドという場所に閉じ込められていたのだ。
そして、二人は今初めて外の光景を見ているのだ。
ワクワクするなというのが無理な話だろう。むしろ、今までよく眠り続ける時雨悠人を大人しく膝枕で起きるのを待ち続けることができたものだ。
「俺のこと何て気にせずに、海を満喫していても良かったのに」
水着はないが、裸足で海辺を歩くだけでも十分楽しいだろう。夜で足元が危険とも言えるが、セブンスなら問題ないだろうし。
だが、セブンスは首を横に振るう。
「マスターと……シグレと一緒に遊びたい。シグレと一緒じゃなきゃヤダ」
「……」
「後は、せっかく外に出たんだから、色々場所に訪れたいかな! もちろん、シグレと一緒に!」
「…………うん。行こう。俺も、セブンスと一緒に色んな場所に行ってみたい」
「うん!」
「私がいることも忘れないでくださいね」
少し拗ねたような声でラプラスが割り込んでくる。
「ああ、もちろん。ラプラスもよろしくな」
「ごめんね、ラプラス。忘れいたわけじゃないから」
「まさか、二人に揶揄われるとは……」
万点の星空の下、穏やかな波音の中で、再び眠気が来るまで、これからのことを3人は話し続けるのであった。




