表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

真夏の残響・起


僕の頭上でカモメが鳴いている。

船が心臓部エンジンを唸らせながら海を切り裂き、藍色のキャンパスに白波を立てて進んでゆく。


八月一日、夏真っ盛り。


僕は今、海の真っ只中で波に揺られていた。


「うっぷ…」

「おいおい情けねぇなぁあんちゃん!船は苦手かい?」

「ええ、まぁ……僕に海暮らしは無理ですね」

「そりゃ慣れてねぇからさぁ!毎日船に乗ってりゃそのうち陸にいる方が落ち着かなくなってくるぜ?」

「ハハハ…」


バシバシと背中を叩いてくる漁師のおじさん……げんさんって言ったか?に僕は愛想笑いを返した。

僕はわざわざこの厳さんに頼み込んで船に乗せてもらっている。


とある島に行くために___


「しっかし兄ちゃん、ウチみたいな辺鄙な島に今すぐ行きたいだなんて一体何の用だい?」


そんな僕の行動が厳さんには奇妙に映ったようだ。

そしてその疑問はごもっとも。

確かに今向かっているあの島は観光地というわけではないのだから。



大張島おおばりじま』は左右二つ、独特の形状をした陸地からなるシンメトリーな島だ。



勾玉にも見える二つの島はその先端をお互いに向け合っており、そこを結ぶように長い砂浜が伸びている。

その砂浜を頂点として左右の島が囲い込んだ内側には特徴的な浅瀬が広がっており、通常の船舶では島の外縁部からしか上陸することはできない。


この、人が歩けるほどの穏やかな浅瀬を抱くような陸地と砂浜が、まるで深い海から浅瀬を守るように大きく張られた防波堤のように見えることから大張島おおばりじまと名付けられたらしい。



「いえ、ちょっとした民俗学研究の一環でしてね。僕はそういう研究室に所属しているもので…」

「おーそんな若いなりして学者さんだったのか!人は見た目によらねぇなぁ!」


厳さんはガハハと豪快に笑った。

いや、一介の大学生にすぎないのだが……

説明するのもめんどくさいので僕は曖昧に笑っておいた。



結局、それは表向きの理由に過ぎないのだから。

僕の興味はもっと別のところにある。



その昔、『児島弦楽こじまげんがく』という人物がいた。



それが本名かどうかはわからない。

だが、彼は本土から断絶された離島の文化とそこで形成される独自の民俗風習の研究を己が道楽としており、『児島弦楽』の名で勢力的に活動をしていたようなのだ。


そんな彼が残した個人的文書の数々は、今日における民俗学研究の貴重な史料となっている。



その弦楽の手記の中に、この大張島の記述が出てくる。


 

彼は晩年、この大張島を熱心に研究していたようで、それは別に残された活動記録からも伺える。

だが、彼はその研究成果を後世に残す前に消息を絶った。


故に、彼が残した大張島についての記録はこのたった一文だけである。



『私は大張島の火口に神秘を見た___』



手記の最後のページに書き殴られた言葉。

大張島は火山島ではない。火口なんてあろうはずもない。

だが、弦楽はその存在しない"何か"を見つけ、そしてこの世から消えたのである。



弦楽は大張島に潜む謎に近づき過ぎたが故に神隠しにあった___



というのは、いわゆる都市伝説として僕らの界隈で囁かれていることである。

僕はそういう、ちょっと不思議オカルトな与太話が大好きなのだ。



貴重な夏休みを、その真偽の調査に捧げるぐらいには。




「兄ちゃん見えてきたぜ!大張島だ!」


僕は見つめていた海面から視線を上げる。

そこには豊かな緑を携えた美しい島が視界の向こうの方まですらりと伸びていた。


今から僕はこの島の神秘と相対することになる___


その確かな予感に、僕の背筋がぞくりと震えた。



僕は胸に手を当てる。

そこにあるはずの心臓は、僕の内なる高揚感とは裏腹にいつも通り一定のリズムで動いていた。



島の遥か上空、入道雲が立ち並ぶ青い空の中を、飛行機が音を立てて飛び抜けていった___






蝉がザワザワと鳴いている。

その万来の歓声を浴びながら、僕は手始めにこの島にある民泊へと足を運んだ。


「こんにちわ〜…」


ここがこの夏の間、僕が厄介になる『潮騒館しおさいかん』。

いわば調査の前線基地である。


一階はどう見ても開放的な民家のリビングにしか見えないが、二階に乗っかっている部屋の重みとその建物全体のバランスがどこかノスタルジーさを醸し出している。


宿泊施設というよりも、まさに一昔前の"壮"の雰囲気だ。

実に僕好みである。



「ハイハイ〜…あら、貴方が厳さんが言ってた人?」

「ええ。流石夏未ながれなつみです。一ヶ月間よろしくお願いしますね、女将さん」

「あらやだ女将さんだなんて!最近の子はうまいわねぇ!おほほほほ…」


恰幅の良い女主人は口に手を当てながら嬉しそうに笑った。

時期でも無いのに僕を受け入れてくれるなんて懐の深いことだ。都会じゃ考えらんないね。


やはり穏やかな島の環境が心に余裕を生むのだろうか?

厳さんも僕が島に連れて行ってほしいと頼み込んだら快諾してくれたし。



「それじゃうちを案内するからついてきて!」



僕は女将さんに促されるままに潮騒館に足を踏み入れた。


「ここでみんな揃ってご飯を食べるのよ!」


最初に案内されたのは先ほどのリビング。

大きなテーブル、壁際にキッチン、そしてガラス引戸の向こう側にベランダが備わった長方形の部屋はそこそこ広く、開いた引戸の先には海が見える。



この島を象徴するあの美しい浅瀬が___



「朝と夜はここに来といてね!一緒にご飯を食べるからさ!あと昼も言ってくれればなんでも作ってあげるよ!」

「それはなんとも助かります。女将さんのご飯が楽しみですね」


やはり一階部分は共同スペースのようだ。

リビングに隣接した小上がりの先には和室が見える。

おそらくは女将さんの居住区画なのだろうが、それらが普通に連結しているのがまさしく民泊と行った感じだ。


「泊まる人の部屋は二階にあるんだよ。一番手前の部屋以外はどこも開いてるから好きなところを使っておくれ!」


はて、その一部屋は女将さんが使ってるんだろうか……

と、僕がそんなことを考えながら階段を上がっていると、ぎぃと扉を開けて一番手前の部屋から人が出てきた。



白いワンピースを着た黒髪の少女だ。



高校生くらいだろうか?短めの髪を右手側に分けていて、その細やかなサラサラ髪が印象的だ。



「あら響ちゃん!今日も浅瀬に行くのかい?」

「…弥美さん、その人は?」

「この人はお客人だよ!今日から一か月ここに泊まることになったから!」

「…どうやって来たんですか?船は出てないはずですよね」

「厳さんが連れて来たんだよ!なんでも学者さんだとかでね!大事な調査に来たらしいよ!」


おっと、どんどん話が大きくなっていくな。

ただの個人的な調査なんだけど…

まぁいいか、別に。



僕はどうみても不機嫌そうな少女、響とやらに気さくに挨拶をする。


「今日からここでお世話になる流石夏未です。よろしくね、響ちゃん」

「…」


そして華麗にスルーされた。

彼女はそのまま早足で何処かに去っていってしまう。

ふむ、恥ずかしがり屋なのだろうか?


「響ちゃんはねえ…外の人が嫌いなのよ。ごめんなさいねお兄さん」

「あぁ、なるほど」


どうやら僕は歓迎されていなかったようだ。


「島の皆さんは僕みたいな手合いになにか思うところがおありで?」

「いんや、あたしらは別に何とも思ってないわよ。たまにこうやって遊びに来てくれる人がいた方が新鮮味があって楽しいしね」


「ただまぁ、響ちゃんには色々思うところがあるみたいでねぇ…あたしも気にはなっているんだけども…」


女将さんは困ったわ、と言った風に頬に手を添えた。


「思春期、というやつですかね。僕にも覚えがありますよ。あれぐらいの年頃だと旦那さんも苦労されてることでしょう」


僕は子育ては大変ですね、ぐらいのニュアンスで言ったのだが、女将さんからは意外な答えが帰ってきた。


「あぁいや、あの子にゃ親ってのはいなくってね。あたしがここで預かってはいるけど、島の皆が家族みたいなものなのさ」

「ほぉ…」


それはまた集落にありがちな考え方だ。

血族単位ではなく集落単位の人間関係。

大張島は人となりが希薄な都会とは違う、人同士が密な村社会なのかもしれない。


しかし親がいないというのは…

いや、よそう。

よその家庭の事をむやみに詮索すべきではない。


「私たちの中じゃあの子が一番若いからね。あの子がどんな結論を出すのかみんなやきもきしてるのさ」

「ふぅむ…」


「だからあの子を落とすのはかなり難易度高いと思うよ!」

「ぶふぉ!?」


そして僕らの会話は明後日の方向に着陸した。

女将さんはいい笑顔でサムズアップしてくる。


「あー女将さん?僕ぁね、この島に嫁探しに来たわけじゃないんですよ?」

「あらやだ!わたしったら早とちりしちゃって!おほほほほ…」


全く、何をどう勘違いしたらそうなるんだ?

どうしてこう、この年代の奥様がたは若い人間をくっつけたがるのか…ゴシップに飢えてるのか?さもありなん。


「おっと悪いね!そういや案内の途中だったか。それじゃあ続きを案内するよ!」

「あ、はい」


そして女将さんはすっぱりと会話を切り上げると案内を再開した。切り替え早……

僕は案内の道すがら、窓の外に見える独特の形をした木々を眺める。


(さて、果たしてどうなることやら…)


僕はこの島の『神秘』を探りにきた。

暴きに来たと言ってもいい。

この人の良さそうな島民たちと衝突することにならなければいいが…



彼らは僕にとっても必要な人材なのだから。



神秘の眠る島。

何かが起こるような、そんな曖昧な予感だけがある。

だが僕には一つだけ確信していることがある。



『神秘』に相対できたその時はきっと。

僕のココロが喜びにうち震えることだろうと。


その為になら僕は…

この心臓ココロを、喜んで捧げてもいいのだから。



僕の胸のざわめきと同じように、蝉たちの声が幾重にも重なって島全体に鳴り響いていた___






波が穏やかに揺れている。

大張島では何処にいても波音が聞こえてくるので、いつでもこの潮騒に耳を傾けることができるのだ。

夕方になると蝉も大人しくなるから尚更である。


ここの蝉は真夜中まで鳴きわめく本土のセミと違って分別があるようだ。もしかすると固有種なのかもしれない。



僕は手始めにこの島の全容を把握することにした。フィールドワークはあまり得意ではないが仕方ない。

外から見た情報と"なま"のそれとには大きな乖離がある。

まずはそこの擦り合わせをしていかなくてはならないのだが…


「まいったね。これは誤算だった」


僕の手には役立たずとなった機械の端末が握られていた。

つまり、何が言いたいのかといえばこの島ではインターネットに接続できないという事だ。

よもやこの現代において電波が届かない場所があるとは……



このせいで僕の計画は大幅な調整を余儀なくされる。



正直、調べ物がすぐできないのは不便だが、僕はこの島の持つどこか俗世から離れた雰囲気を楽しむことにした。


デジタルデトックス____

電波に支配された我々に必要なのはこういった時間と環境なのだ。

あるいはこういう風土だからこそ、神秘が存在できる"隙間"が生まれるのかもしれない。


調査の結果は手帳にしたためることにする。

これはこれで乙なものだ。



「…半日で片側の島半分ってところか」


僕は歩きながら島の地図を書いてゆく。

丁寧に、丁寧に。

もしかすると、僕の『計画』にこれを使う必要があるのかもしれないのだから___





この島は実に不思議だ。

不可解と言ってもいい。


その最たる例がこの"地面"である。

よくよく見てみると、この島の地面は全て『砂』で構成されている。

そして、その上に建物やら何やらが立っているのだ。

これ、一体基礎とかはどうなってるんだ?なんでこれで安定してる?


正直疑問は尽きないが…しかし、僕はその辺りには興味がない。

僕が求めるものはただ一つ。この島に潜む神秘の全容だけだ。


だが、いよいよをもって『火口』が何なのか、疑問が深まるばかりである。


火口があるかと思われた島の一番高い部分、外から見た分には山に思われたそれらもなんと砂、"砂山"だった。

そして、その上にマングローブを構成しているような、根が地表に出ているタイプの木々が森を形成している。


子どもが砂浜で作るようなものとはわけが違う、大自然が作り出した超規模の砂山は圧巻の一言である。

そして…


「『そして』…はぁ…『もう二度とは登りたくない』…ふぅ」


僕はその一文を手帳に書き記す。

沈み込む砂と山の急斜面の合わせ技で、僕の太腿は悲鳴をあげていた。

これをもう一個登らなくちゃならないのか…?


「流石に運動不足だな……ん?」


僕が砂山の頂上で一息ついていると、遠く、件の浅瀬に誰かが立っているのが見えた。



それは人間のように見える。



それは白い服を着ていて、しかし人間とは思えない動きでくねくねと踊り始め____



___ることもなく、それはよく見れば潮騒館の住人、響だった。


彼女は一人で浅瀬を歩いては時折腰を曲げている。

アレは一体何をやってるんだろうか?貝でも拾ってるのか?


「っと、それよりも調査だな…」


僕は気を取り直して立ち上がった。

時間というものは長いようで短い。

この一ヶ月で、僕はなんとしてもこの島の神秘を白日の元に晒さなければならないのだから。



僕の願望のぞみのために。

僕の希望のぞみのままに。



…でも向こうの砂山を探索するのは明日にしよう。


震える脚でざらりと蹴り上げた砂が、よく通る海風に乗ってどこかへと飛んでいった。






ぎしり__

僕が靴を脱いで足をかけると、木の床はそうやって歓声を上げた。


潮騒館は五感を刺激してくれるいい場所だ。


遠く、耳をすませば葉の擦れる音や波が砂をさらう音まで聞こえてくる。

また、僕はここに足を踏み入れるたびに建物の放つ独特の香りによって歓迎され、それは窓から入ってくる潮風の匂いと相まって実にかぐわしい。


大張島に来て早一週間。


僕は当初の想定よりも遥かに穏やかな日々を送っている。



「塩撒さんもバツ…と」


僕は手帳に書いた大張島の地図にバツを付けた。


今のところ聞き取り調査の成果はいまいちである。


島民は懸念に反して人当たりはいいし、僕のようなよそ者が訪ねても快く迎え入れてくれた。

だが、皆が皆、口をそろえて火口の事は知らないのだと言う。それと、児島弦楽についても。


しかし、僕はその島民たちの言葉の中に隠しきれない違和感を感じ取った。


皆、どこかその話題については触れられたくはないような、そんな言外の態度がどこかにあったのだ。

実に怪しい。いよいよ"当たり"の雰囲気が出てきたじゃあないか。


僕は一人頷きながら潮騒館の階段を上がる。


「おっ」

「…」


階段を上がった先にある開けたスペース。

窓際に丸い木の机やパイプ椅子が置かれていて、ちょっとした休憩所のようになっているその空間に、女の子がぼんやりと座っていた。


僕はその少女、響に気さくな挨拶をする。


「やぁ響ちゃん!今日も良い天気だね!」

「…」


そして無視された。

彼女はふいと僕から視線をそらすと、そのまま開けた窓の外を眺めている。

うーむ、そういえば例外がいたか。


親しみのある島民の中で、彼女とだけは未だに打ち解けられていない。

毎日、ごはんの際には顔を合わせているので、単純接触回数だけはダントツなのだけれども…


正直、彼女からの情報にはあまり期待はしていない。だけど仲良くなるに越したことはないだろう。



僕がいなくなった時に、騒いでくれる人間は多い方がいいのだから。



「いやぁ、この島の人はみんな良い人だね。気候も穏やかだし、冬にしか来れないなんて勿体無いくらいだよ」

「…あなたは一体何を調べてるんですか?わざわざ時期でもないこの島に来て」



「この島にはあなたたちを喜ばせるようなものは何もありませんよ」



僕が話をしようと椅子に座ると同時に、響はするりと立ち上がりながらそう言った。

大人しそうな顔をしているのにその目は冷たく鋭い。


どうにも僕は彼女に嫌われているらしい。

もしかすると、前に来た訪問者にいい思い出がないのかも知れない。

勘違いを解いてもらわなければ。


「ああいや、僕は民俗学の調べ物をしてるんだけど、この島に来たのは個人的なアレであって……取材だとか調査だとか、そんな大層な理由で来たわけじゃないんだよ」

「…民俗学?」


立ち去ろうとしていた響は僕のその言葉にぴたりと止まった。

お、なんだなんだ?



「…つまり、あなたは大張島の"伝説"について調べに来たんですか?」



おぉ!この子ちゃんと民"俗"の方で理解してるじゃないか。珍しい。

普通、民"ぞく"学と聞けば民族エスニシティの方を思い浮かべるんだけど。


僕らがやっているのは民俗フォークロア、つまりは俗世の話だ。

民間伝承や習俗といった民俗資料をもとに『文化』の様式や形態を解明する。それが民俗学。


そして、僕はそこに神秘への憧憬ロマンを見出した。


得てして、そういうちょっと不思議オカルトな話は言い伝えや伝承から生じるのだから。



「伝説については初耳だけど、まぁそうなるかな」


「『伝説』の様な大きなものだけじゃなくって、ちょっとした言い伝えだとかこの島独自の文化だとか、そういうのに興味があってね」


「響ちゃんは知らないかな?僕はこの島には神秘的な"火口"があるって聞いたんだけど…」

「…ッ!」


僕は響が一瞬した表情を見逃さなかった。

様々な感情が交差した複雑な表情。

それはすぐにいつもの無表情に変わったが、どうやら彼女もまた何か情報を握っているらしい。



「私は何も知りません。それに…」



「もうこの島の研究はとっくの昔に終わってますよ」



そして彼女はそう言った。



「ちょ、響ちゃん!それって…」



響はそのまま僕には一瞥もくれず、自分の部屋へと戻っていった。


もう研究は終わっている?僕の前に誰かが来ていたのか?

あるいは…

もしかすると、彼女は児島弦楽のことを言っているのかもしれない。


「…面白くなってきたね、全く」


この島に訪れる人間はそう多くはない。

いや、皆無と言ってもいい。


なぜなら、この島への連絡船は年に一度、冬にしかこないからだ。


というのも、冬の間以外は大張島の裏手の海が非常に荒れていて危険なのだとか。

故に、よその漁師の人は普段からあそこの海域には近づかないらしい。


いわば大張島海域の独占か…この島の生活が本土から隔絶していても成り立っているのはそのあたりの資源が豊富だからなのかもしれない。


相当特殊な環境だぞ、この島は。


僕はその気づきを手帳にメモしておく。

何が神秘に結びつくかわからないのだ。


そして、大事なのは僕がそれらをどう紡ぎ上げるかだ。


きっと、そうやって象られてきたんだろう。

不思議オカルトってやつが。

『神秘』ってやつは。



開いた窓から、潮風とはまた別の湿った風がどんよりと漂ってきていた___






ざぁざぁと雨が降っている。

その突然の悪天候に、僕は既に濡れ鼠と化していた。


「ひぃ〜!」


僕は慌てて自然の軒下へと駆け込んだ。

大張島に生えている独特の木々は林冠部で絡みつくように生い茂っており、絡み合った枝葉たちが雨露を凌いでくれる。

そのせいかは知らないが、地面には草一本も生えてやしないが。


しばらくはここで雨宿りでもしよう。



「やれやれ……おっ?」

「……」


しかして、そこには先客がいた。

響が髪の先から水を滴らせながら、木の根にポツンと座っているではないか。


「やぁ響ちゃん。君も雨宿りかい?」

「…貴方にちゃん付けされるほど親しくなった覚えはないです」


今日も響はつれない態度だ。

その敵対心を隠そうともしないところが実に子どもらしい。

こういうタイプは今まで僕の周囲にはいなかったので、正直新鮮だ。


喋りも態度も大人しいけれど、人を拒絶するような雰囲気があって、どこか影のある顔でこちらを伺っている不思議な少女…


実に僕と気が合いそうである。



「しかしだね響ちゃん。僕は君の名字を知らないわけで、そう呼ぶほかないんだよ」

「…貴方は親しくない人にも"ちゃん"をつけて呼ぶんですか?普通は"さん"とかじゃないんですか…」

「いやぁ?産まれてこの方、僕はもっぱら女の子には"ちゃん"づけ派でね。むしろ"さん"をつけて女性を呼ぶことに抵抗すらあるんだよ」 


無論そんなことはない。

と、僕がテキトーぶっこいているのを見抜いたであろう響がじとりと睨みつけてくる。


「…あなたみたいな軽薄な人は嫌いです」

「ハハハ、まさしくだね。それじゃあ軽薄ついでにこれも言っとこうかな」

「…?」


僕はリュックからタオルを取り出すとそれを響に差し出した。

視線をよそにやりながら。


「ほら、このタオルを使いなよ。今の君は正直言って煽情的だからね」


その言葉に響はキョトンとした後…自分の身体に服が張り付いているのに気がついて顔を赤くする。

彼女は僕からタオルを奪い取ると、それで胸の前を隠した。


「…最低ですね」

「最低な奴ならそもそも指摘しないと思うんだがね…まぁいいや。それはあげるよ。返さなくて良いからね」

「…別にいりません。それに雨はまだ降ってますよ。あなたはどうするつもりなんですか」

「僕がここにいると気まずいだろう?僕も見ての通りずぶ濡れでね。ずぶ濡れついでに走って帰ることにするよ」

「…なら私が走って帰ります。あなたがここで雨宿りすれば良いじゃないですか」

「じゃ、どっちが先につくか競争だ!」

「えっ…?!」


このまま話していても平行線になりそうだったので、僕はリュックを背負い直すと土砂降りの雨の中へと走り出した。

こういうのは先手必勝だ!


「ははははは!」


気分はショーシャンク。別に何かから解放されたわけでもないけれど、雨の中を走るのはなんだか気分がいい。


そんな僕の後ろから響が追いかけてくる。

お、競争に乗ってきたのか?


「先についた方が相手のお願いを一個聞くってのはどうだい?!」

「…!」


どうせやるなら何か目的があった方がいい。

僕は響にそう叫んで、一段ギアを上げ____



そして僕は響にあっけなく追い抜かれた。



響、結構足早いな…

僕らはそのまま二人して潮騒館に駆け込んだ。


「あら!どうしたの二人とも!びしょびしょじゃない!」


そんな僕らを見た弥美さんが慌ててタオルを取りに行くのを横目に、僕は息一つ上がっていない響に声をかける。


「はぁ…ぜぇ…勝負は、君の勝ちだ。報酬も君のものだよ…」

「私は別に勝負なんか……私はあなたにタオルを返しにきただけです」

「…ふはは、返すってもしかしてそれのこと?」

「え?」


僕は笑いながら響が握りしめているものを指差す。

僕が渡したタオルからはぽたぽたと止め処なく雫が滴っていた。


「随分と本気だったみたいだね。また今度追いかけっこでもする?」

「〜ッ!」


それに気づいた響は照れ隠しをするようにそのタオルをきつく絞り上げた。

びしゃりと玄関の床に水が溢れ落ちる。


「はいどうぞ!タオルありがとうございます!」


響はそう言い捨てながら、ぎちぎちに絞られて固くなったタオルを僕に差し出してくる。


「あげるって言ったのに…」

「いりません!」


響はタオルを僕に押し付けると、そのまま立ち去ろうと足を上げて………

自分もビチャビチャなことに気がつき、おずおずとその足を下げた。


「…」

「タオル、使う?」

「…別にいいです」


この場から動けないことに気がついた響はどこか気まずそうだ。

バツが悪そうに明後日の方向を向いて、僕と目線を合わせないようにしている。

彼女の耳は先端まで赤くなっていた。


…なんというかこの子、結構抜けてるんじゃないのか?見てて面白いかも。


結局、最初の雨宿りの時と寸分変わらぬ状況になりながら、僕らは弥美さんの戻りを待つのだった。



屋根を打ち付けている雨の、ぱたぱたという音だけが静かな潮騒館に鳴り響いていた____






夜風がさわさわと木々を優しく撫でている。

大張島では夜になると、都会の喧騒とは真逆の自然の音楽が島を包み込む。


夜の静けさの中で木の葉の擦れる音と砂が波にさらわれる音が織りなされ、それは確かなメロディーとなって星々を煌めかせるのだ。


島の夜はじわりと暑いのに、どこかカラッと乾いていて心地がいい。


この島はもしかするとリゾート地として流行るんじゃあないか___

などとどうでもいいことを考えながら、僕は木組みの手すりに腕をかけて海を眺めた。



潮騒館の正面からはこの島を象徴する美しい浅瀬を一望できる。

浅瀬の白い砂が月の光に照らされ、宙を写し込んだ海面がぼんやりと緑に煌めくその様はなんとも幻想的だ。

これを見れただけでこの島に来たかいがあるってものである。


僕がそんな神秘的な光景に浸っていると、向こうから歩いてくる人影が一つ。


「う…」

「おや、ご挨拶だね響ちゃん。夜の挨拶は"今晩は"だよ?」


それは響だった。

この前の競争以来、僕が会うたんびに軽口を放り投げるせいか響は僕を見るや否や無表情がぎこちなくなる。

うんうん。順調に仲良くなってきたな。


「…こんばんは、お兄さん」


実際、響は最近では僕のことを女将さんとかと同じように"お兄さん"と呼んでくれるようになったのだ。

"あなた"呼びからの大躍進である。


ちなみにさっきのも僕的にはちょっとした軽口だったのだけれど、響は意外にもちゃんと挨拶を返してくれる。


案外、素直な子なのかもしれない。



「いやしかし、ここは素敵な島だねぇ。豊かな自然と美しい海。とくにこの浅瀬は素晴らしいよ」


僕は開口一番、この島を褒めそやす。

人間、自分にまつわるものを褒められて悪い気がするやつは少ないのだ。

だが、響は相変わらず冷ややかな目をしながらこちらを見ていた。


「…お兄さんにはここがそんな風に見えているんですか?」

「え?いやまぁ、そうだけれど…?」

「じゃあ、あなたにはあれが見えないんですね」


響はやおら浅瀬を指差した。

僕はその場所に目を凝らして…"それら”を見た。

空き缶、ビン、ビニールのカスにタイヤ…

果ては小さめの冷蔵庫なんかが浅瀬に埋まっているではないか。


「海の向こうの人たちが捨てたゴミがここに流れ着くんです。そうやって、私たちの産砂うぶすなを汚していく」


海の向こうの人___

僕は彼女の言葉でようやく得心する。彼女が僕を嫌うその理由を。

響にとって僕は…

僕らは、どこまで行っても"別の世界の人"なのだ。


僕たちが海の向こうで争っている別の国々を眺める時のように……



「この島に来た人も平気でゴミを捨てていきます」


「どうしてそんなことができるの?」


「船なんか来なければいいのに。誰もこの島に来なければいい」


「それでも私達は、ここで生きていけるのに…」




「繋がったから、苦しむんだ」




響は絞り出すように、語りをそうしめた。


あるいはそれは真実なのだろう。

それを一番に実感しているのはこの島の調査をしているこの僕だ。

大張島の環境は凡そ現代文明とはかけ離れているのに、その全てが島の中で完結している。


『完成』していると言ってもいい。


たしかに不便ではあるのだろう。本土と比べれば。

だが比べなければ、知らなければそんなオモイも存在しない。

事実、島の人々は毎日楽しそうだ。



僕はそれが羨ましい。



…なんだか無性に腹が立ってきたな。



「よいしょっと」


僕は手すりを乗り越えて浅瀬に飛び降りた。

べしゃりとサンダルが浸水し、横から砂が入り込んで来るが慣れたものだ。

僕は近くにあるゴミどもを拾い上げてゆく。


「…何してるんですか」

「何ってゴミ拾いだよ。ゴミはゴミ箱、だろ?」


目に付くゴミを持てるだけ拾いながら、僕はそう答えた。


この島の人々はこの浅瀬を大切にしている。

そして、それらの取り巻く関係の全てがこの島の"神秘性"を創り上げているのだ。 


文化、風習、信仰、それらにまつわる大切なオモイ…

それが踏みにじられるのはそりゃ嫌だろう。


部外者の僕でさえ腹立たしいのだから____


「僕もこの島には調査に来た身だからね。確かにこのゴミを捨てた奴らと…このゴミと同類だろうさ」

「いや、私はそこまでは…」

「いいや同じだよ。ずけずけと人様の領分に押し入ってそれを荒らしてるんだから」

「…」

「でも、僕はこの島が好きだよ。だからこの行為はその最低限の礼儀を示しているだけだ」


「僕もここを荒されたくはない……それだけだよ」


僕は浅瀬から響を見上げる。

その時、初めて彼女の瞳と目が合った。

まるでこの浅瀬のように、宙色に煌めく美しい瞳と…


響が僕に手を差し出す。


「…そのままじゃ上がってこれないでしょう。ゴミを渡してください」

「お、おぉ…!ありがとう…」


なんと響がゴミを預かってくれるというではないか。


僕を見やる彼女の表情は今までにないくらい柔らかだ。

見た目にはほぼ変わってないように思えるが、なんとなくトゲがなくなった気がする。


どうやら僕は彼女との関係を一歩前に進めれたようである。グッドコミュニケーション!


やはり愛国心は皆を団結させるらしい。この場合は愛"島"心だが。


「ふぅ…」


響の少しだけ角の取れた視線を受けながら、僕は懐から旅のお供を取り出して口にくわえた。

響はそれを見るやいなや、少し眉を顰めた。


「私、タバコは嫌いです。匂いも、それを吸う人も。この島は禁煙ですよ」

「おや、それは知らなかったな。しかしだね響ちゃん。これはただのココアシガレットなんだが。タバコじゃないよ?」

「…ここあしがれっと?」


不愉快そうな顔が一転して響の顔は疑問に包まれた。

こうしてよくよくみると、彼女は年相応にころころと表情を変えるので実に面白い。

僕はココアシガレットを一本、響に差し出す。


「まぁ、いわゆるタバコの形をしたお菓子だよ。知らない?おひとついかがかな?」

「おかし…」


響はココアシガレットを受け取ると、まじまじとそれを眺めている。

そういやこの島には駄菓子屋とかその類の店がないな。まぁ商品の補給が年に一回しかできないから無理もないが。


僕らはカリリとそれを噛んだ。


「…甘い」

「僕は今、ちょいと禁煙中でね。こいつで口さみしさを慰めてるんだよ」

「へぇ………禁煙中?お兄さん一体幾つ何ですか?」


何かに気付いたような響がこちらを訝しそうに見てくる。

全く、逆に聞きたいね。君は僕を一体なんだと思っているのか。


「ハハハ、心配しなくともちゃんと成人はしてるよ。こう見えてぴちぴちのハタチなのさ」

「なんでピチピチの二十歳なのに禁煙しなくちゃいけないくらい煙草を吸ってるんですか?」

「…」


僕はそっと目をそらした。


「いやぁ!それにしてもここの海は綺麗だね!」

「…」

「どこまでも海の中を歩いて行けるなんて素敵だよ!今度は昼とかにちゃんと体験してみたいものだなぁ!」

「…」


空々しい言葉が波音に飲み込まれた後、僕らの間を沈黙が支配した。

どうやら話題を変える作戦は失敗したようだ。


「お兄さんって、結構悪い人なんですね」

「……まぁ、否定はしないよ」


僕は響からの視線をごまかすようにココアシガレットをもう一本噛み砕いた。



ぽりぽりという小気味のいい音だけが、夜風に乗ってどこまでも遠くに流れていくようだった____






「____♪」

唄が聞こえる。


「ん?」


僕が火口を探すためにあてどもなく夜の島を徘徊していると、どこからともなく歌のようなものが聞こえてきた。


僕は音源のする方角へ振り向く。


「____♪」


浅瀬の方で誰かが唄を歌っている。聞いたことのない、美しいメロディーだ。

それは物悲しい、目の前の暗い海を思わせるようなそんな歌声だった。

例えるならば…そう、人魚が陸に恋焦がれている思いを吐露しているような、そんな唄だ。


僕はふらふらとその音がする方へと近づいてゆく。

そして、木の上で歌っている響を見つけた。


響はまるで浅瀬に歌いかけているようだった。



「__♪……あぁ、お兄さんですか。こんばんは」

「やぁ、今晩は響ちゃん」



こんな夜中だと言うのに、響は突然現れた僕に驚くこともなくすらりと挨拶をしてくる。

僕らは今や、すっかりと顔見知りになった。


これはもはや友人になれたと言っても過言では無いだろう。


大張島に来てはや二週間を過ぎた。

彼女や島民たちとの関係は、僕がこの島で得た唯一の成果だ。



「音楽はいいね。色んな文化の中でも、一番直接的に心を震わせてくれる」


「ここにギターでもあれば一曲ご一緒したんだけどね。実に残念だよ」

「…ギター、弾けるんですか?」

「手慰み程度にはね。大事なのは技巧の如何よりも音にどんな感情を乗せるかだろう?」

「ふぅん…」

「そして君の歌はなんだか……哀しそうに感じた」

「ふふ、お兄さんって詩人か何かだったんですか?」

「ハハハ、ポエミーな自覚はあるよ」


響は案外僕の軽口に反応してくれるので、僕もつられてついつい口が軽くなる。

…いや?最初から僕の口は軽かったか。まぁいいや。


彼女とのやり取りは一向に進捗を見せない調査の中でのいい息抜きなのだ。



「ここで君の唄を聞いていてもいいかな?」

「どうして?外の人にはこんなもの…つまらないでしょう」

「いいや?僕はこういった民謡が好きでねぇ。特に君の歌声は好みの音色だよ」

「…黙ってるならいいですよ」


僕が口説き落とすと、響は少し照れながら再び歌いだしてくれる。


僕はしばらくその歌に身をゆだねて大人しく聞いていたのだが……僕はたまらず口笛を吹いた。

夜風に乗せるように、彼女の唄に合わせるように。


響はちらりとこちらを見るが、そのまま歌い続けている。

…いいね、楽しくなってきた。


僕は傍に会った洞のある木をこんこんと叩きだす。そして自慢の口笛を高らかに吹き抜いてからのボイスパーカッションだ!


小気味のよいリズムに星が煌めく。


楽器がなくとも音楽は奏でられる。大事なのはグルーヴ感。音の良し悪しではない。


同じ歌でもミュージックによってその雰囲気はがらりと変わるものだ。

今や物悲しき人魚の唄が、陽気な南国民謡へと早変わりしていた。


「ピュィ!」

唄のシメに合わせて口笛を一つ。

ここに、一夜限りの即興コンサートは終わりをつげたのであった。


「くっ…ふふふ…」


響がクスクスと笑っている。

僕もそれにつられてニヤリと笑った。


「ちょっともう…!お兄さんにつられちゃって雰囲気が変わっちゃったじゃないですか…!」

「いやぁ参ったね。黙って粛々と聞くつもりだったんだけど、内なる衝動を抑えきれなかったよ」

「お兄さんは詩人じゃなくて音楽家だったんですね」

「人は皆、心に音楽を持っているものさ」


お、大分好感触だな。やってみるもんだ。


響はぴょいと木から飛び降りると、そのまま潮騒館に帰ってゆく。


「おやすみなさい。あんまり夜に出歩くと危ないですよ」

「ああ、ありがとう。僕ももう少ししたら帰るよ」


「おやすみ、響ちゃん」


僕は星の写った暗い海を観ながら、鼻唄混じりに木の根に腰掛ける。

彼女の唄の、余韻に浸りながら____






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ