お褥下がりさせてください
「………は?」
アドニスは口をぽかんと開けて妻の顔を凝視した。
「…どういう、意味だ?」
やっとのことでその言葉の意味を頭に巡らせ、問い返す。
「当初のお約束通り、私は男子をお生みしました。だからもう、お褥下がりさせてくださいませ」
「な、何を言う!これは夫婦の当然の営みだ。何も、子を成すためだけの行為ではないだろう?」
「いいえ、子を成すためだけの行為だったはず。それならば、もう必要ないでしょう?条件通り、男子をお生みしたのですから」
「違う、違う!子を成すためだけではない!」
たしかに、最初は嫡子を生んでくれさえすればいいと思っていた。
だが、初めて夫人と触れ合ったあの夜、アドニスは開花したのだ。
こんな世界があったのだと。
あれ以来、彼女に触れるのは決して子を成すためだけではない。
「では…、なんのためですか?」
夫人がアドニスを見上げ、そう問うた。
相変わらず、その顔に表情はない。
「だから、それは夫婦の…、」
「夫婦だからといって無理に体を重ねることはございません。貴方と私には可愛い二人の子供もいて、家族としての絆も出来ました」
「それは、家族としてであろう?妻として、夫の体を鎮めるのも、」
「結局は、私の存在意義は貴方の性欲処理でございましょう?」
夫人は蔑むような目でアドニスを見上げた。
こんな妻の目は初めて見るし、何より美しい妻の口からこんな下品な言葉が出るなど信じられなくて、アドニスは目を見開いた。
「…なんということを…」
「私は性欲処理の道具ではございません。処理だけなら、どうぞ娼館でもお行きなさいませ。愛人を作られても文句は申しません」
「ニケ!」
妻のあまりの言い種に頭に血ののぼったアドニスは、妻の…クライン伯爵夫人ニケの細い手首を掴んだ。
「…お放しください」
騎士であるアドニスに掴まれ、華奢なニケの腕などびくともしない。
アドニスは妻の手首を引き、そのままベッドに押し倒した。
「嫌!やめて!」
「言うことを聞け!そなたは私の妻だろう⁈」
「嫌よ!ずっと我慢してたんだもの!こんなの痛いだけで全然気持ち良くないし、もう本当に嫌なの‼︎」
「………え?」
衝撃的な言葉に押さえる手を緩めれば、ニケは涙を流し、その顔はぐしゃぐしゃになっていた。
「…ニケ…」
思えば、彼女の涙を見るのは初めてだった。
そう言えば、アドニスに対してこんなに感情を露わにするのも初めて見る。
そう、笑うことでさえ…。
婚約してからのニケは、いつも口元に笑みをたたえ、しかし、
(…目は笑っていなかった…)
彼女が声を上げて笑っているのを見かけるのは、子供や親しい侍女といる時だけ。
アドニスはニケの手を引き、体を起こしてやった。
「ニケ…、そなたは、私との行為が苦痛だったのか?」
ニケは俯いたまま、顔を上げようとはしない。
「ニケ…」
アドニスの手がニケの頬に触れようとすると、彼女の肩がビクッと震える。
(怯えている…?)
その事実に、アドニスは愕然とした。
「旦那様…」
ニケがポツリと呟く。
「なんだニケ。この際だ。思っていることを言ってくれ」
「私を…、離縁してくださいませ…」
「……なんだと?」
アドニスは再び愕然とした。