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ラントン家の花嫁②

結婚して三月もしないうちに、クライン伯爵夫人の懐妊が判明した。

公爵家は祝福ムードに包まれ、あれだけ夢中で愛されていればさもあろうと皆納得した。

さすがのアドニスも懐妊中の妻に手を出すことは出来なかったが、彼女はそんな夫に、娼館通いを勧めた。

潔癖なアドニスがそんな勧めに乗るはずもなく、また、突拍子もないことを言い出す妻に驚きもした。

「旦那様に我慢を強いて、愛人を作られるよりはいいですから」

そう儚げに言った妻に、アドニスは胸を躍らせた。

夫人はアドニスを誰かに取られるくらいなら商売女のところに行けと言っているのだ。

そのくらい、アドニスに夢中なのだ。

「何を言うんだ。私はそなた以外の女に興味はない」

アドニスが満足そうに微笑むと、夫人は「さようですか」と呟いた。


◇◇◇


妊娠がわかって半年ほど過ぎたある日、夫人がアドニスに相談があると言ってきた。

趣味で古本や古い文献の修理などしていたのを、商売として始めたいと言うのだ。

たしかに夫人の技術は玄人並みで、噂を聞いた貴族が依頼してきたりもしていた。

しかし、商売となると…。

「貧乏人の妻ならいざ知らず、名門ラントン家の次期公爵夫人が商売をするなどと。あくまで趣味として続けるというなら構わないが」

アドニスは冷たくそう言い放った。

妻に商売を許すなど、アドニスにとっては恥である。

しかし夫人はキッと顔を上げた。

「旦那様が結婚の条件としてあげた三つの中に、商売をしてはいけないとはありませんでした。それに、条件さえ守れば好きにしていいともおっしゃいましたわ」

「それはそうかもしれないが、そなたが商売を始めればラントン公爵家の名が全面に出るだろう?うちの名を使って夫人が金儲けをするなど、」

「公爵家の名は出しませんのでご迷惑はおかけしないかと。商会の名はベルトラン…、実家の名を使おうと思っています。それに、元手は全て婚姻時に旦那様が準備してくださった支度金を使いますので、公爵家のお金に手を付ける気は全くございません」

「しかし、そなたは身重なのだぞ?お腹の子に何かあったら、」

「無理はいたしませんから、許してくださいませ。絶対に、元気な子を生みますから」

「………」


結局、アドニスは夫人の願いを聞き入れた。

いつから準備していたのか知らないが、古文書や文献、古本の修理・復元を専門としたベルトラン製本社が立ち上がった。

社長は夫人だが身重であることから、当面は実家から呼び寄せた乳兄妹を代理社長として置くという。

約束通り元金は全て夫人の支度金で賄い、公爵家の金には一切手をつけていなかった。

アドニスがあらためて知ったことだが、婚約中も結婚してからも、夫人の身を飾っていたドレスや装飾品は、全て公爵夫人がプレゼントしたものだった。

婚約中に夜会に参加した時のドレスも。

王太子妃フィリアのお茶会に参加した時のドレスも。

夫人自身が自分のために買ったものなど、何一つなかったのだ。

そしてそれは、アドニス自身も同様であった。

アドニスが選んで用意したのは夫人が結婚式に着るドレスのみで、他に贈ったものなど何一つない。

ウェディングドレスを自ら選んで贈ったのは、自分の隣に立つに相応しいよう、美しいドレスで身を飾って欲しかったからだ。


◇◇◇


結婚して一年にも満たないうちに、夫人はアドニスの子を生んだ。

父親にも母親にも似た、美しい女の子だった。

アドニスは夫人を労い、喜んだが、だからといって今までの生活が変わるわけでもなかった。

娘を気まぐれに可愛がりはしたが、『家庭的』とか『子煩悩』という言葉からはかけ離れ、相変わらず彼にとっては王太子妃フィリアの騎士であることが一番であった。

もちろん、産褥期を過ぎた夫人の寝室に再びアドニスが通うようになったのは当然のことだ。


◇◇◇


そしてその翌年、夫人は二人目の子を出産した。

今度は、玉のような男の子だった。

ラントン公爵家は家中歓喜の渦に包まれ、アドニスは「よくやった」と狂喜した。

男子を生んだ夫人は次期公爵夫人として最大の務めを果たしたのだ。

その間、ベルトラン製本社はさらに大きく発展していた。

夫人は自分の技術を伝えるだけではなく、人を通じて優れた技術者を集めた。

彼女に協力してくれたのは、王宮図書館で知り合った教育者だったり、宮廷勤めの役人だったり、また、王太子妃フィリア自身であったりした。


◇◇◇


嫡子となる男子を生んで産褥期を過ぎたある日、アドニスは夫人の寝室を訪れた。

長女の時も今回も、彼女の希望で彼女自身が赤子に乳を与えている。

もちろん公爵家で用意した乳母はいるが、夫人はそれを拒むわけではなく、しかし自分も一緒に授乳したいと申し出たのだ。

特に拒む理由もないアドニスは、それを了承した。

そして今晩は赤子もぐっすり眠り、乳母が面倒を見ている。

(そろそろいいだろうか…)

アドニスはこの数ヶ月、かなり我慢したのだ。

二十代半ばという男盛りに、禁欲生活を強いられていたのだから。


しかし寝室を訪れると、夫人はしっかりと首元まで隠れるような部屋着を着て、机の前に座っていた。

「…何をしている?」

「まぁ旦那様。こんな夜中にどうされました?」

「その…、赤子も寝たようだし、そなたはどうしているかと、」

夫人はあからさまに大きなため息をつくと、椅子から立ち上がった。

そしてアドニスの前まで歩いてくると、キリリと顔を上げた。

久しぶりに間近で見る妻の顔は、やはり美しい。

アドニスが夫人の頬に手をやろうとすると、彼女はその手を振り払った。

(……っ⁈)

驚いて夫人の顔を見つめれば、彼女はすんっと表情をなくしてこう言った。


「旦那様、私、お褥下がりさせていただきます」


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