花嫁教育
アドニスの婚約者になったベルトラン子爵令嬢は花嫁修行のためにラントン家の邸宅にやってきた。
一年間の婚約期間中、同居することになったのだ。
アドニスは興味も示さなかったが、義母になる公爵夫人はやっと決まった
息子の婚約者を歓迎した。
彼女を買い物に連れ出してドレスにアクセサリーにと買い与えると、侍女に命じて髪と肌を念入りに磨き上げた。
優秀な家庭教師もつけてやると、素直で従順な彼女は水が染み込むように吸収した。
賢く美しく成長していく彼女を、公爵夫人は『原石』と称して褒め称えた。
冷たい夫や嫡男に失望して無気力になっていたところに、可愛い娘が出来たと喜んでいたのだ。
婚約者が同居しても、アドニスは彼女を放置していた。
公爵夫人は買い物につきあうようにとかダンスのレッスンにつきあうようにと息子を誘ったが、アドニスは興味を示さない。
それどころか食事の席にさえ顔を出さず、さすがに父親も苦言を呈したが、彼の態度は変わらなかった。
彼にとってみれば、未だに彼女は公爵夫人の座狙いの貧乏貴族令嬢でしかなかったから。
日に日に美しくなっていく彼女を時々見かけても、(少しは垢抜けたか?)と思う程度だった。
アドニスにとって自分より美しい女性はフィリア王太子妃だけなのだから。
◇◇◇
婚約期間中、隣国から訪問した王族をもてなすために、王宮主催の晩餐会が開かれた。
ベルトラン子爵令嬢も次期公爵の婚約者として参加したが、義父母と一緒に入場した。
本来エスコートするべきアドニスは護衛騎士の任務を優先し、フィリア王太子妃の側を離れなかったのだ。
もちろん王太子妃は勤務を代わって婚約者をエスコートするよう勧めたし、両親も散々叱責したが、アドニスの選択は変わらなかった。
そんな義娘を不憫に思った義父は、彼女をダンスに誘った。
今こそ、レッスンの成果を披露する時だと。
ベルトラン子爵令嬢は義父の思いに応え、可憐で優雅なダンスを披露した。
会場は、初めて見る公爵家の婚約者に釘付けになった。
仕立ての良い豪奢なドレスに身を包み、洗練されたダンスを披露しているあの令嬢が、つい先日まで貧乏子爵家の娘と蔑まれていた娘と同一人物だなんて。
ここまでになるのに、どれだけの努力を重ねてきたのだろう。
彼女に興味を持った紳士たちは挙ってダンスを申し込み、夫人たちは我先にと話しかけた。
そしてとうとう、王太子妃フィリアまでが彼女に声をかけ、後日お茶会に招待するとまで言ったのだ。
公爵夫人はそんなベルトラン子爵令嬢を自慢げに見守っていた。
◇◇◇
王太子妃のお茶会は、王宮の庭のガゼボで催された。
美しい花に囲まれたガゼボの中に、これまた花より美しい貴婦人たち。
その中でも淡いクリーム色のドレスを着たベルトラン子爵令嬢は匂い立つように初々しく、可愛らしい。
当然のように王太子妃の護衛としてガゼボの側に立っているアドニスは、そんな婚約者に思わず見入った。
「ベルトラン子爵令嬢は、花嫁教育の時間以外は何をなさっているの?何かご趣味はあるのかしら」
彼女がフィリアにたずねられているのを目にして、アドニスはつい聞き耳を立てた。
そう言えば、彼女の趣味など聞いたこともなかった。
「私は本が好きで、暇さえあれば読書をしておりますの。また、本を修理するのも好きですのよ」
ベルトラン子爵令嬢が恥ずかしそうにそう答える。
「まぁ、修理ですって?貴女が?」
そう反応したのはフィリアではなく、招かれていた伯爵夫人だ。
「ええ。古く傷んだ本でも、綴り直したり、貼り直したりすればまた読めますもの」
本好きなベルトラン子爵令嬢ではあるが、本は高価な物であり、貧しいベルトラン子爵家では新しい本を買う余裕などなかった。
だから、彼女は友人から捨てるような古本を譲り受け、自分で修理しながら読んでいたのだ。
「まぁ、奇特なご趣味ですこと。でも、もうすぐラントン公爵夫人になる貴女に、もうそんな技術は必要ないでしょう?古い物は捨てて、新しく買っていただけばいいのだから」
嘲笑うように扇子を口に当てながらそう言ったのは、やはり茶会に参加している侯爵令嬢だ。
しかし彼女はきょとんと首を傾げ、侯爵令嬢を見た。
「いいえ、公爵家に必要な物ならともかく、私の趣味の物を公爵家に買っていただくことはありませんわ。それに、古い文献には大層貴重な物もあるのです。恐れながら、王宮の図書館にもそういった古く貴重な文献がたくさんおありでしょう?」
「そうね、貴女の言うとおりだわ。素敵なご趣味ね」
フィリアは微笑んでベルトラン子爵令嬢を誉め、伯爵夫人と侯爵令嬢は唇を噛んだ。
ベルトラン子爵令嬢を気に入った王太子妃フィリアは、その日からちょくちょく彼女を誘うようになった。
本好きな彼女のために、王宮図書館も出入り出来るようにしてやった。
そして、アドニスに言うのだ。
「後悔する前に、彼女にしっかり目を向けなさい」と。