貴公子アドニス
ラントン公爵家の嫡男アドニスは、その名のあらわす通り、神話の中の美少年に例えられるほど見目麗しい。
絹糸のような銀髪に憂いを帯びた碧色の瞳。
やや低音の声は心地よく響き、スラリと伸びた指は繊細で美しい。
また幼い頃から神童と呼ばれるほど優秀で剣の才もあり、現在は王太子妃の護衛騎士であり、将来は近衛隊長と目されている。
見目麗しく将来有望な貴公子には、当然のように山のような縁談が舞い込んできたが、しかし二十四になった今でも、彼は独身であった。
見合いは十数回、そのうち婚約にこぎつけたのは二回ありながら、成婚に至ったものは皆無だったのである。
それは全て、ラントン公爵家の家風と、彼自身の苛烈な性格によるものである。
実はこの国の王家は相当愛の重い家系で、そのせいで国政を傾けた事例もあったほど。
それ故王家を支えるラントン家は逆に愛を嫌悪する雰囲気があって、夫婦愛も家族愛も酷薄な当主が多かった。
ラントン家にとって妻とは家の高貴な血を繋ぐ道具であって、それ以上でもそれ以下でもない。
下賎な血が入らないよう名門貴族令嬢と政略的な結婚はするが、公爵夫人という名誉職を宛てがって毒にも薬にもならない社交のみやらせ、あとはただ後継を生ませるばかりであった。
そんなラントン家の血を引く嫡男アドニスは、正に申し子のように育った。
高貴な生まれに輪をかけて、下手に見目麗しく育ってしまったため言い寄る女性は数知れない。
夜会などに出れば囲まれ、誘われ、断れば泣かれ、喚かれ、本当にうんざりしていた。
そのため彼は女嫌いになり、女性への蔑視は余計に酷くなった。
そして、笑顔を全く見せない『氷の貴公子』と呼ばれるようになったのだ。
見合いの席で、アドニスは自分の要求だけを相手に伝えていた。
まず、愛は求めないこと。
公爵家の家政に口をはさまないこと。
そして男子を生むこと。
その三つさえ守ってくれれば好きにしていていいし、金はいくらでもあるから湯水のように使ってくれてもいい。
なんとも簡単な条件である。
それなのに令嬢たちは、見合いをすればほぼ一回の顔合わせで断ってくる。
なんとか婚約までこぎつけた二人も、結局成婚まで至らずに解消した。
何故か。
時代は、変わりつつあったのだ。
今やこの国でも、多くの女性が男性と肩を並べ、学び、働いていた。
家の中に押し込められてただ夫のため子どものため家のために生きる時代は終わろうとしていたのだ。
女性たちはたとえ政略結婚であったとしても、夫婦関係に愛と信頼を求めた。
一人の人間として扱われることを、当然のことと考え始めたのだ。
そんな世の女性たちの変化に、男尊女卑の考え方で凝り固まったラントン家はまだ気づいていなかった。
アドニスのような男が受け入れられる世の中ではなくなったということを。