第六章 春の足音
第六章 二度目の朝
— ナナセ —
店を出たところで、立ち尽くした。
視界に入るものすべてが真っ白に覆われていた。しばらく見ないうちに、まるで純白のメレンゲに飲み込まれたようだ。
空は明るくなり始めていた。遠くに見える建物の向こうから、朝陽が顔を出した。溢れるように降り注ぐ陽光を反射して細やかに煌めく街の光景に、さらに釘付けになる。
たった一日で、まるで何もかもが変わってしまったみたいだ。
— ハ ル —
店を出たところで、立ち尽くした。
鼻からたっぷり息を吸い込む。今まで、雪の匂いなど感じたことがなかったかもしれない。凛とした空気で身体が満たされて、まっさらになった気分だ。
空の端にわずかにオレンジ色が残っている。
そうだ、食パンを買って帰らなきゃ。焼き上がったパンの香りを思い浮かべただけでお腹が鳴りそうだった。
街をひとりで歩くのも悪くないかもしれないな。
— レ イ —
店を出たところで、立ち尽くした。
そうか、風がないんだ。なぜか震えるような寒さは感じなかった。まるで空気がそこに存在していないようで、薄い膜がピンと張ったような、初めての感覚だった。
昨日凍り付いたように空を覆いつくしていた雲は、今朝はひとつも浮かんでいない。
あの二匹の猫は、今朝もあの段ボールの中で寄り添っているだろうか。
昨日買ったブランケット、気に入ってくれるといいのだけれど。
— ジュン —
店を出たところで、立ち尽くした。
朝を迎えたはずの街はまだ眠り足りないようで、しんと静まり返っている。鳥の囀りも、車が走る音も、自分の呼吸音さえも、一切の音が消えてしまったようで、まるで音のない世界に迷い込んだみたいだ。
すべての音が吸い込まれていくように、空は高く澄み渡っている。
誰も言葉を発しなかった。それがとても穏やかで、なんだか心地良かった。
— ユ キ —
店を出たところで、立ち尽くした。
吐く息の温もりが、陽を浴び始めたばかりの真っ白な街に一瞬で奪われ、たちどころに消えていく。
「ユキが生まれたときはね、もっと真っ白だったんだ」
遠い昔、まだ幼い頃、雪が積もって危ないからと父に手を引かれて歩いている光景が浮かんだ。
あの時も、今朝のようなすっきりと晴れ上がった空が広がっていた気がする。
そういえばしばらく帰っていなかった。久しぶりに、顔を見せに行こうかな。
— マコト —
店を出たところで、立ち尽くした。
フロントガラスが真っ白な泡で覆われる、あの光景が蘇ってくる。まるで街全体が洗い流されたように澄み切っている。
暖かな陽射しが届いたフロントガラスの雪が、少しずつ溶けていく。どのくらいの時間が経っただろう。ふと我に返り、周りを見渡した。皆、身動きひとつせず立ち尽くしたままだ。ついさっきまでの喧騒との対比が可笑しくて、思わずふっと息が零れた。皆の視線が集まって、重なった笑い声が青空へと抜けていく。
「よっと」
ハルが弾むように飛び出した。真っ白な雪に反射した光を集め煌めく金色の髪がなびいて、瞬時にさらりと元通りになる。
しゃりっ、と新雪を踏みしめる音が耳に届いた直後、他の皆も一斉に飛び出した。
昨日とは確かに違う、真っ白な世界へ。