課題5 熊の襲来を回避せよ②
次第に走り出していたロイは、荒い息のまま第2会議室の扉の前にいた。2、3回深呼吸をして呼吸を整えると、意を決して扉を2回ノックした。
すぐに中へ入るようにというフランの声が聞こえてきたため、ゆっくり扉を開ければ、そこには予想に反してお互い椅子に座り冷静な状態の2人がいた。
「遅くなり申し訳ありません。」
「いや……急がせて悪かったな。ロイお前に用があると第一師団長殿がお見えになった。」
「忙しい時間にすまない。」
「いえ……。」
「では私はこれで。すみませんが彼は忙しい身ですのでなるべく手短にお願いいたします。」
「フラン殿、お忙しいところありがとうございました。」
フランは立ち上がるとロイの肩に手を置き、耳元で「廊下でしばらく控えている。人手が必要な状況になりそうならすぐに呼ぶから……頑張れ。」と告げると、そのまま部屋を出て行ってしまった。
ロイは深呼吸をすると先程までフランが座っていた椅子に腰を下ろす。アルフレッドといつかこうなることは想定していたし、いくつものパターンを考えそれに対して対策も考えてきた。準備は万端なはずなのにやはりミソニの大熊と呼ばれ恐れられている大柄なアルフレッドを前にすると、ロイでも少しは身構えてしまった。
だがロイはこの場で怯むことも、弱気を見せるわけにはいかない。相手に足元を見せてはいけないと外交の場で何度も経験し学んできた。ロイの整った顔立ちを前に舐めた態度をとってきた外交官と何度も対峙したことはある。他国の王族とも交流したり、外交パーティーなどで顔をうるのも仕事の一つの外交官にとって、見目がいいのは顔も覚えてもらいやすく有利となることがある。
ロイの見た目で、その顔の良さで採用されたと勘違いする外交官は、ロイを顔だけで仕事をすると勘違いし態度に出すため、ロイはそんな奴らをことごとく外交上で蹴散らしていた。
何度となく経験した社会で生きる術で学んだことは、目の前のアルフレッドにも通じる。ロイはそう確信し、また何年もかけて準備をしてきたため不安はないと自身を奮い立たせると、真っ直ぐアルフレッドを見つめた。
アルフレッドの目は獲物に狙いを定める獣のように鋭かった。ロイの心まで見透かそうとする意志をその瞳から感じる。幸いなのはフランが宥めてくれたお陰なのか、今すぐにも飛びかかってきたり、胸ぐらを捕まえられていないことだ。
冷静に保とうと己を抑えているのか、机の上で両手を握りしめている力がとても強く、手が震えていることで、ロイに対してあまりいい感情を持ち合わせていないことだけはよくわかった。
「大変お待たせいたしました。私に用とはいかがなさいましたか?」
アルフレッドの目力にやられて震えそうな声を必死に抑え、いつもより少しだけ低い声で問いかけてみる。努めて冷静に対応することで、ロイは気持ちを誤魔化した。
アルフレッドはロイからの言葉に、繋がれていた手にさらに力が加わり、爪が手に食い込んでいる。
「突然すまない。どうしても確認後しておきたいことがあった故、連絡もなく訪れてすまない。」
「確認ですか……」
「私がここに来たということは少なからず心当たりがあるのではないか?」
「……妹君と一緒になった国立公園の件でしょうか?」
ロイの妹君という発言にアルフレッドの眉がピクッと上に上がった。
「よくわかっているではないか。ならば遠慮なく聞く。妹は君とは偶然一緒になったと言った。嘘ではないか?」
「……逆にお聞きしますが、妹君の答えを疑っておいでなのですか?」
「なっ……そんなこと……。可愛い妹を信じるに決まっている!!」
「そうですよね。妹君の言葉を信じず、ほとんど面識のない私の言葉を信じるなんて、師団長殿らしくないと思ってしまいまして。」
「とっ当然のことだ!!可愛い妹を疑うなどあるものか!!」
「そうですよね!でしたら今日はどうしてお忙しいのに来られたのですか?」
「それはあれだ!!妹と共に熊に会って……怖かったのではないかと……。私は熊を管理している身でもある。その熊が迷惑をかけたからそのお詫びをしようと思ってだな!」
「そうでしたか!それはわざわざありがとうございます。確かに熊は驚きました。私は初めてあんなに近くで熊を見ましたので……。師団長殿はあのように大きな熊を管理され、そして熊からも信頼されているなど、とても素晴らしいことですね!」
「わかってくれるのか!!もう皆私が熊を管理するのは当たり前と思っている節があって、誰もそのように言ってくれないのだ!!そうかそうか……君はいい奴だな!!」
「いい奴だなんて……恐れ多いことです。私は純粋に師団長殿のお仕事を凄いと尊敬しております。私は外交官……師団長殿のような力で守ることはできませんが……いつか師団長殿のお役に立てるよう精進いたします。」
「なんという心意気!こんな忙しい時間に来てしまったのに嫌な顔をせず対応していただき感謝する。私もいつかクレマチスと名高い君と仕事を一緒にしてみたいよ。」
「私なんかをご存知で?!」
「もちろん存じ上げている。若いのに優秀だと特にウィリアム殿下が誉めているのをよく聞くのでね。」
「名前を覚えていてくださり光栄です。」
「その若さで誉められるのは大したものだ。初めて話をさせてもらったが、人柄も素晴らしい!そういえば国立公園を警護していた騎士が、熊対策を君が一緒に考えてくれると言っていた。畑違いかもしれないが、騎士ではない観点からの意見、私も楽しみにしているよ。」
「あまり期待しないでいただきたいのですが……少しでもお力になれるよう頑張ります。」
「その心意気だ!いや――充実した時間を過ごせた。では私はこれで失礼する。」
「わざわざお越しいただきありがとうございました。」
話し合いの前までは不機嫌オーラを撒き知らし、もの凄い圧をかけていたアルフレッドが、今では上機嫌になっていた。ロイはそんなアルフレッドを笑顔で見送り、彼の靴音が遠ざかるのを確認した後、大きなため息を吐いた。
「想定以上にうまくいった……。」
ロイは再び椅子に座ると誰にも聞こえないほど小さな声でそう漏らした。アルフレッドのことはキャロライン以上に調べ上げた。彼は仕事に誇りを持っていることは当然のこと、熊の管理に関しては初めは有り難がられていたのに、今では彼が熊の管理をやるのは当たり前と思われており、熊の管理の大変さを誰も気付いてくれないことをお酒の席で一回嘆いたことも知っていた。
だからこそその部分に触れたことで彼の機嫌を取り戻し、話を逸らすことに成功し、最終的には存在を仕事の上では認められ、人柄も好印象を与えることができた。
外交官という曲者を扱う仕事のお陰で、話術も起点も効くようになった。すぐに決闘に持ち込まず、話し合いで穏便に今日を乗り越えれたのは大きい。
ロイは外交官という仕事に就いたことを今日ほど有り難いと思った日はなかった。
今日の件はなんとかやり過ごせたが、キャロラインとこれからも関わっていく以上また今日のように予想外の方法で気づかれるかもしれないし、アルフレッドの周りにいる頭が切れる人物がアルフレッドに助言をするかもしれない。はたまたキャロラインの父親であるロバートが勘付くかもしれない。
もしもがあるならその可能性を想定して考えるのが駆け引きには重要なことであり、ロイにとっては得意分野だ。
本来ならば誰もが逃げ出したい状況であるのにロイは自然と口が緩む。
「面白くなってきた……」
あろうことかロイはこの状況を楽しみつつあり、無意識に言葉が出てきてしまった。難しい案件や隙がない人物のわずかな隙を見つけた時、ロイはいつも以上にやりがいを感じる。今回も長年温めてきた計画がついに動き出すということで、ロイはやる気に満ち溢れていたのだ。
ロイは今後の計画を考えながら仕事場へ戻る。ロイを心配していた同僚やフランは、ロイが口元に笑みを湛えているのを見て、とんでもないことが起こると嫌な予感を感じ、誰も今日の出来事について触れることはなくなったのであった。
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