課題3 ミソニの大熊の妹③
ロイがどうすればいいか悩みながら歩いていた時、急に2人の前を歩いている人々が騒がしくなり、皆おしゃれな服など気にせず全速力でロイ達の方に走ってくる異様な光景を目にした。
時間にして数秒の出来事なのに、何故かスローモーションのようにゆっくり見えてしまうその光景に、ロイは一瞬動きを止めてしまい判断が遅れてしまっていた。
「何を立ち止まっている!走るんだ!!」
見知らぬ人が大声でロイに声をかけてきたことで我に返ると、ロイは今までの考え事を捨て去り、必死の形相で走ってくる人々に意識を集中させた。
ある男性は被っていた帽子を落としたことも気にせず走り、またある女性は恥じらいを捨ててスカートの裾を上げ走る。また別の女性は靴を落としても気にせず走り、小さな子供を連れた男性は我が子を抱き上げて必死に走っていた。誰にでも言えることは皆必死に何かから逃げているだけだ。
ロイは次に耳に集中し、人々の声を聞く。目から入る情報と耳から入る情報、これらの行動を僅か1秒で瞬時に判断して得た答えに、流石のロイも声を荒げた。
「キャロライン、熊だ!逃げるよ。」
ロイが逃げようとキャロラインの手を引くと、何故か抵抗を感じる。キャロラインはロイの言葉に気付いていないのか、熊が来る方を見据えて動かない。
ロイはキャロラインが恐怖で足がすくんで動けないのだと咄嗟に判断する。そうこうしているうちに、前から黒い塊がだんだん大きくなっているのが分かる。熊が近づいて来ているのだ。
熊はとんでもない速さで追いかける。人間が走っても敵わない速さだ。今から逃げても追いつかれるかもしれない。未だ動かないキャロラインを置いていくことなどロイには出来るわけもなく、例え追いつかれたとしても彼女だけは守ろうと決める。彼女に嫌がられても今は逃げるのが先決と判断し、ロイはキャロラインを抱き上げようとするが……抱き上げようとした瞬間、今まで動かなかったキャロラインが何故か逃げるのとは反対側、熊の方に向かって走り出した。
「キャロライン!何をしているんだ!危ない!戻るんだ!!!」
ロイは悲鳴にも近い叫び声をあげキャロラインを呼び止めるが、キャロラインはその声に反応することはなく、熊に向かって一目散に走っていく。
ロイも慌ててキャロラインを追いかけるが、思いの外早いキャロラインに追いつけない。目の前の黒い塊だった熊はいつしかはっきりと熊だと分かるほど近くまで来ている。脇目を振らず目の前の人を追いかける姿は獲物を狙う姿だ。
やがて熊は逃げ遅れて倒れてしまっている初老の老人に狙いを定め襲い掛かろうとする。そんな状況ですらキャロラインは動きを止めず熊に近づいていく。
ロイはキャロラインを守るため、小脇に隠していた短剣を取り出し思いっきり飛び掛かろうとして……動きを止めた。
「えっ?!」
ロイが飛ぶよりも少しだけ早く、目の前のキャロラインが高く飛び上がったのだ。そのままキャロラインは熊の頭目掛けて着地という名の蹴りを喰らわす。その動きがあまりに優雅と感じてしまったのは、降り立つキャロラインのスカートが風になびきフラフワしていること、着地の際両手でスカートの裾を持つ姿はとても熊を蹴り倒した姿とはかけ離れていた。
着地したキャロラインはそのまま腰に手を当てると仁王立ちの姿勢で伸びている熊に近づいていき、珍しく声を荒げた。
「こら、サブロー!!またあなたはこんなことをして!!」
「サブローとは?」ロイは目の前で繰り広げられている光景に理解が追いつかず、声をかけることすらできない。本来はキャロラインの身を案じたいところだが、大きな熊を蹴り倒し、熊に何故か仁王立ちしている姿は今まで知っているキャロラインとあまりにもかけ離れており、何と声をかけたらいいか戸惑っていた。
サブローと呼ばれた熊はキャロラインから名前を呼ばれると怯えたように起き上がり座る。大きな熊が小柄な女性に怯えているのはあまりにも異様な光景だった。
「サブロー!これで3回目ですか?あなたは前回のお兄様のお仕置きが足りなかったみたいですね。」
キャロラインの言葉を理解しているのか、サブローと呼ばれた熊は頭をブンブンと左右に振り出す。先程までの威勢はどこへ行ったのか、今は大きな熊のはずなのに子熊のように小さく見えるほど怯えと憔悴をしていた。
「今回のことはお兄様にきちんと報告しておきます。あなたにはもう少し、この国の決まりを叩き直さないといけませんわね。」
キャロラインの言葉にサブローが震えているのは見間違いではないはずだ。ロイの目にはサブローが小刻みに震えていることがわかっていた。
「とりあえず今日は帰りなさい。今日のことはお兄様からレットに伝えてもらいます。それまで大人しくしていなさい!」
キャロラインの言葉を理解したのかサブローはそのままゆっくりと来た道を帰って行った。心なしか一回り小さくなった姿から、かなり落ち込んでいることだけは伝わってきた。熊でも人間と同じような反応をするのだなとどこか俯瞰して見ていたロイではあったが、サブローの姿が見えなくなると、何故か逞しく見えるキャロラインの背中に声をかけた。
「キャロライン……君は無事かな?」
ロイから声をかけられたキャロラインの背中は、先程のサブローと同じように小さくなっていく。ゆっくり振り返ったその顔は先程の威勢はどこにもなく、血の気が引き青ざめていた。
「見てしまいましたよね……。」
顔色の悪さは怪我をしたのではなく、ロイに見られてしまったことに対する後悔のようであった。
「ごめん……。しっかり見てしまったよ。」
ロイは素直に伝えるしかなかった。自分の顔は見えないが、唖然とした顔でキャロラインを見つめていることは分かる。キャロラインのことは沢山調べた。彼女が幼少期鍛えていたことも、今でも少しだけ運動していることも知っている。だがこれほど強く、熊に対しても恐れないとは知らなかった。
今目の前で起きたことが果たして現実だったのかすら疑いたくなる。熊に盛大な蹴りを喰らわせた女性はキャロラインと別人かもしれない。だがロイの言葉を受けて今まさに手で顔を覆い項垂れている女性は間違いなくキャロラインだ。ロイの目の前で繰り広げられていたことは間違いなく現実であったと理解するしかなかった。
「見ましたよね……。すみません、隠していて……。あのこれはその……昔少し鍛えていまして……その……襲われそうな人を見たらつい身体が反応してしまって……。ごめんなさい、こんなつもりはなくて……。私普段はこんなに凶暴ではなくてですね……。」
必死に言い訳の言葉を紡ぐキャロラインをロイはただ見つめることしかできない。言葉を掛けたいが何と声をかけたらいいか、本当にキャロラインがやったのか、理解できても未だに目の前の光景を疑うロイは久しぶりに動揺していた。
「ロイ様、幻滅しましたよね。こんな凶暴な女……。」
今にも泣きそうなキャロラインの声にロイはようやく頭と身体が動く感覚が戻ってくる。聞きたいことは山程あるが、まずはこの状況を落ち着かせることが先決だ。そう考えると次第に思考も正常に戻ってくる。
「とりあえずまずはこの場をなんとかしようか。きっと先程逃げた人達が騎士を連れて戻ってくる。騎士に僕達が2人でいる姿を見られたくないよね?」
「はい……。」
「だがこの人を残して逃げるわけにもいかない……。キャロライン、僕達はここに偶然居合わせたにしよう。」
「居合わせた?」
「そう、君は友人とここに来ていた。僕もたまたまここにいた。そしてこの人を守るために協力して熊を撃退した。どうかな?」
「偶然居合わせて協力したということですね?」
「そういうこと。そうでも言わないと騎士達からお兄さんに僕達がデートしていたと伝わってしまうよ。」
「それはよくないです……。」
「だからお互い名前も知らず協力したことにしよう。あくまで偶然だ。」
「分かりました……。」
「ほら……噂をすれば騎士達が走って来ているよ。キャロライン君はこの人の側に。僕が説明するから。」
「お願いします。」
キャロラインは言われた通り未だ気を失っている男性の側へ行く。怪我などは擦り傷以外見当たらず、規則正しい呼吸をしているためただ気を失っているだけだと分かりホッとしているとほどなくして騎士達が駆けつけてくるのであった。
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