決着
「お、お父様……」
コリーナが震える体を懸命に抑え、異形となった王を見上げる。
「まさか……まさか……」
「そやつの言う通りよ」
コリーナが言葉を失う。もう頭の中は真面に思考出来ないほど混乱していた。
「お前達母娘がいる限り、民は誰も我を見ようとはせん! 我には力がある! アルバニスの血にも負けぬ力が! なのに……あ奴は…お前の母は言った! 内政に尽力せよと! 戦いは自分に任せろと! 有り得ぬ! 有り得ぬ侮辱だ!」
トレル王が感情を露わにすると、その体が更に膨張を始める。
「だから言ってやったのよ! もうすぐ魔王軍の侵攻が始まると! このままではアルバニスは陥落すると! フェイガルと口裏を合わせたらスグに信用しおった! そして彼の地ラジアルに向かい、奴は死んだ! 最後まで……最後まで奴は我の武を頼ろうとはしなかった!」
最早その姿は人の原型を留めていなかった。トレル王は一体の魔人となって、激しく咆哮する。
「見るが良い! 我とフェイガル、そしてピューターの研究により更に強大となったこの力を! 木っ端な魔族など、我の一撃で……」
「興味無い」
アリスが手にした魔剣を一閃する。
魔剣はトレルの持つ巨大剣と共に、その巨木の様な腕を同時に切断した。
「グォオオオオオオ!!!」
剣先と片腕が同時に宙を舞い、トレルが苦悶の表情で叫ぶ。
「アナタがどれだけ強くなろうが、私達には遠く及ばない」
「き、貴様……貴様は何者だぁ!」
「しつこいなぁ……良いよ、教えてあげる」
アリスが宙に浮かび魔剣を掲げる。その背後には、闇に隠れていたはずの満月が浮かんでいた。
「私はアリス、次期魔王としてヴェルナスを継ぐ者」
「次期魔王だと……」
「そ、もう諦めはついた?」
トレルは漸く気付く。己の相対していた存在が、どれほど強大だったのかを。
「アナタなら良いアンデッドになれるかもしれないけど、私に殺された者は未来永劫地獄で苦しみ、輪廻転生の流れからも外される。安心して罪を償い続けると良いわ」
「う……うぅ……」
「さよなら」
アリスは掲げた魔剣に力を込め、垂直に振り下ろす。
「止めて!」
その甲高い声が、アリスの腕を止めた。
「お願いアリス! もう止めて!」
瞼を泣き腫らしたコリーナが、アリスの前に立ち塞がった。
「コリーナ……」
「お願い! お父様の罪は私も一緒に背負います! だから……だから許してください!」
まただ……。
それはピューターの時と同じ。泣きながら他者の命を懇願するコリーナの姿が、アリスには理解できなかった。
自分を殺そうとしている相手なのに……。
「おぉ……コリーナ……我が娘よ……」
トレルが震える手でコリーナの肩を掴む。
「お父様……」
「ありがとうコリーナ……よくぞ……よくぞ……」
トレルの巨大な手が、コリーナを鷲掴みにした。
「よくぞその身を差し出しに来てくれたなぁ!」
トレルが掴んだ愛娘を、アリスに向かい投げつけた。
「きゃぁ!」
アリスは魔剣を手放し、飛んできたコリーナを受け止める。
「死ね! 諸共に!」
トレルが折れた巨大剣を振りかざした。
「さらばだ魔王よ! アルバニスの血よ!」
「くだらない……」
瞬間、トレルが巨大剣を振りかざしたまま硬直する。
トレルは、自身に向けられたその赤黒い瞳から目を逸らせなかった。
「そんな矮小な力を得るために、何とも無駄な努力をしてきたものね」
アリスが片手をトレルに向ける。
「が……がぁ……」
アリスが突き出した手を捻ると、トレルの巨体が不自然に捩じれていく。
「大人しくしていれば、まだ楽に死ねたのにね」
「がぁあ……ぐがぁああああ!」
トレルの体が雑巾を絞る様に捩じれ、絶叫が木霊する。
「お父様!」
アリスに抱かれたコリーナが後ろを振り向こうとする。アリスはそれを遮る様に、片手でコリーナの目を覆い、自らの胸に圧しつけた。
「アリス! 何を!」
「コリーナ、ココから先は見なくて良い。けど受け入れなさい。それが王を継ぐ者の使命よ……」
「アリス……」
「ぐがぁあああああああ!」
体の捩じれが一周する頃、全身の骨が砕ける音と共に皮膚が裂け、噴水の様に鮮血を撒き散らし始めた。
「ぎゃぁがぁああああああ!」
「お……父様……お父様ぁ……」
「今度こそ、本当にさようなら」
アリスが全身の魔力を突き出した手に集中させる。
「……ま、魔の者よ……貴様は我を……人間らしくないと……言ったな」
「……それが何?」
トレルは原型を留めていない顔面で、それでも口角を上げた。
「お、覚えておくが良い……我こそ……我の姿こそ……人間そのものだとなぁ!」
「……あっそ」
アリスが突き出した手を握り込む。
トレルの捩じれた体が一瞬で元に戻り、瞬時に逆方向へと捩じれた。
急激な変化に耐えられず、トレルの全身から鈍い音が響く。
「ぐがふっ!!!」
トレルの体が一本の肉柱と化す。やがて肉柱となったトレルはその鼓動を止め、ただの肉塊へと成り果てた。
「魔族に生まれていたら、結構優秀だったかもね」
アリスはトレルの体が崩れ落ちる様を見送った後、コリーナを離す。
コリーナは振り返らない。自分の父親が、どうなっているかは分かっている。
それを目の前の魔族がした事も、父親自身がしてきた事も。
コリーナは言い様の無い感情で、全身を震わせていた。
「コリーナ……」
「何で……何でこんな事に……」
コリーナが、両の拳でアリスの胸を叩く。
「何で! 何で! どうして! なんでぇえええ!」
それが父親の仇である事も忘れ、コリーナはアリスの胸の中で泣いた。
アリスは空を見上げる。
何時しか漆黒だった夜空が僅かに赤らみ、満月が地平線に近付いていた。
もう少しだけ、コリーナが泣き止むまでは夜でいて欲しい。
アリスは、生まれて初めて月と太陽の神に祈り、そう願った。




