疑惑
「アリス、どうかしたの?」
食事の手を休めたコリーナは、怪訝な表情でアリスの顔を覗き込んだ。
「う、ううん、何でもない」
「嘘、何か隠してる」
「鋭いなぁ……」
首を振って否定するアリスを、更に否定するコリーナ。アリスは、コリーナの勘の鋭さに改めて感心してしまった。
「わかった。でも食事が終わるまで待って。私も、もう少し頭の中で整理したいから」
「うん、絶対だよ」
その日も二人はコリーナの自室で夕食をとった。コリーナも、アリスが昼間に調査を行った事は知っている。当然、夕食の間に報告が聞けると思っていたのに、当のアリスは一向にその話題に触れようとしない。コリーナに限らず、不審に思うのは致し方ないだろう。
「ふぅ……」
デザートを終え、紅茶を口にした二人は同時に息を付いた。語る者と聞く者、それぞれが準備を整えた証であるかのように。
「コリーナ、騎士のエルサーと言う人は知っている?」
「ええ勿論。アルバニスでも最も歴史のある騎士の家系、カグマの当主でしょう。第一騎兵団の部隊長エルサー・カグマ。彼がどうかしたの?」
「今日ね、その人に話を聞いたんだ……先日の、魔王討伐隊について」
「そう……」
コリーナが瞳を伏せる。
先日の討伐隊に関しては、ただ失敗しただけではない。コリーナのたった一人の友人が戦死したのだ、思い出すのも辛いだろう。
「コリーナ……大丈夫?」
「えぇ、大丈夫。それで?」
「うん、そもそもの話だけど、呪術っていうのは『誰か』から『誰か』に向けられる物なの」
「そうね、今でも各国で研究がされている。術師一人でも他国の要人を殺せる、ある意味最も強力な術」
「そう、ただリスクもあってね。多くの場合、呪術は術を行使している間、その魔力と気力を全て対象者に向けなければならないの。この場合の行使者は魔王、対象者は王様になる訳」
「うんうん……」
「それでね、エルサーさんから聞いたんだけど、討伐隊からの通信で気になる報告があったんだって」
「気になる報告?」
二人の声が、更に小さくなる。
「……ラジアルに上陸した際、多くの魔力を感知したそうなの」
「……それは当然なのでは? そもそもラジアルは魔王の居城がある場所で、魔王を含め多くの魔物や魔族が居るのだから……」
「そうだね、ただ感知した魔力の中に呪いと同一の魔力がなかったらしいの」
「……どういう事?」
アリスの言っている意味が分からず、コリーナが反射的に聞き返す。
「少なくともラジアル領内に、王様に呪いをかけた者は居なかった……って事」
「そ、そんな……」
コリーナが唇を震わせる。
王の呪いを解くために派遣した部隊。直接関与していなくても、部隊派遣の許可にはコリーナの名も関わっているだろう。
自らの名で派遣した部隊、それが見当違いであり、また全滅したとあれば……。
「コリーナ……」
「ごめんなさい……大丈夫……大丈夫だから……」
動悸を押さえるかのように、コリーナは己の左胸に両手を添えた。
何度か深呼吸を繰り返し、己を落ち着かせる。
「……それは、本当なの?」
「ほぼ……だね。勿論、魔力感知の精度にもよるし、術師が魔力を隠している可能性もゼロじゃない。でも呪術師が魔王なら魔力を隠す意味が無いし、そもそももっと分かりやすく公言してると思う。人々に恐怖を与えるのが魔王なんだから」
アリスは、呪術師が魔王でない事を知っている。他の魔物達でも無いだろうと思っていた。彼女にとって、エルサーの話はただの裏付けに過ぎない。
しかしコリーナにとっては、仇敵を間違えていた処か、多くの兵と友人を無くした最悪の采配を振るっていた事になる。
「それじゃあ、いったい誰が……」
「それなんだよね、魔界には魔王に匹敵する存在も居るけど、彼等が表立ってこんな事するとは思えないし……例えば、この国を良く思っていない他国の術師とか……」
「それは、たぶん……」
「無いだろうね」
次期魔王のアリスでさえ容易には突破できない結界を、人間の術師如きが破っているとは考え辛い。
もし正面から破ろうとするならば、国中の術師を搔き集める必要があるだろう。
「正直、そこまでする価値があるとは思えな……」
心の声が漏れてしまい、アリスは慌てて口を塞ぐ。
「ご、ごめんなさい……」
「良いの、気にしないで」
コリーナはアリスに優しく微笑む。
「アルバニスは長年軍事国家として世界のバランスを支えてきたけれど、昨今はその威光も陰りが見えてきた……正直に言えば、何時他国から侵攻されてもおかしくない状況なの」
アリスも町で聞き込みをしているうちに、その噂は耳にしていた。
今まではアルバニスの一強状態だったが、最近は積極的に軍事強化をはかる国も現れ、緊張状態が続いていると。
「代々王家の人間は武芸に秀でていて、その存在自体が他国には脅威だった。でも、今王家の正当な血を引いているのは私だけ……」
「えっ……じゃあ王様は……」
「先代の血を引いていたのは母。お父様は当時の騎士団長だったの。剣士としても術師としても母の方が数段上だったって、お父様が教えてくれた」
コリーナが昔を懐かしむ様に目を細める。
「本当は、私がお母様の様に強くあれば良かったのだけど、私の力では……」
コリーナが両手を強く握り、瞳を潤ませた。
「私が国を支えられるほど強ければ、彼等を死なせる事もなかった……」
「コリーナ……」
アリスは椅子から立ち上がり、コリーナに寄り添う。支えた肩が、震えている。
「アリス……ありがとう……」
堰を切ったように、コリーナの瞳から大粒の涙が溢れる。
魔族に涙など存在しない。アリスにはコリーナがなぜ泣いているかも分からない。それでも、アリスはコリーナの傍を離れられなかった。




