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黒猫と考察

「疲れた~……」


 月明かりに照らされたテラスで、アリスは大きく溜息を付いた。


 慣れない言葉遣いに、苦手な呪術の勉強会。今日一日で溜まった疲労は、ここ数年の退屈な日々とは比べ物にならない。


「諜報部隊は何時もこんな苦労をしてるのか……私が後を継いだら査定は少しサービスしてあげようかな……」


 実際の苦労を知って、配下の評価を改めるアリス。


 アリスはもう一度だけ溜息を付くと、気合を入れなおすように両手で頬を打ち、踵を返した。


「物思いに耽ってる場合じゃない。ゼリムに感付かれる前にやる事をやっとかないと」


 アリスはコリーナに用意された部屋へと戻り、立派な樫の木で出来たテーブルにつくと、持ち込んだカバン中から一枚の羊皮紙を取り出した。


 紙には幾つかの魔法陣が描かれている。アリスは羊皮紙をテーブルに広げ、その内の一つを選び片手を添える。


「黒き影に潜む闇の狩人よ……己が主の下へと馳せ参じ……その力をもって我を導きたまえ……」


 アリスが呪言を紡ぐと、魔法陣から漆黒の煙が立ち上る。


 煙は天井近くで一塊になり、その形を少しずつ変えて行く。やがて煙は、コウモリの翼を持った一匹の黒猫へと変貌を遂げた。


「お久しぶりでございます。アリス様には、ご機嫌麗しゅう存じます……」


 黒猫はテーブルの上に着地すると、アリスの前で平伏した。


「アナタもね、キューイル」


 キューイルと呼ばれた黒猫は、ユックリと頭を上げる。


「おや? 何時の間にか、お部屋を模様替えされましたね」


 キューイルが部屋の中をキョロキョロと見渡す、明らかに見慣れぬ風景だ。


「ここは私の部屋じゃないよ、アルバニスって言う人間のお城」


「なんと! ついに人間殲滅に打って出られましたか!」


「まさか。私はまだ王位さえ継いで無いんだから」


「それでは……なぜ?」


「それを之から説明する。アナタにやって欲しい事も合わせてね」


 アリスは、これまでの経緯をキューイルに説明をした。


 説明を受けたキューイルは、つぶらな瞳を更に真ん丸にして驚いた。


「そのような無茶を! ゼリム様に知られたら、お尻を叩かれるだけでは済みませんよ!」


「声が大きい! 分かってるって! だから、さっさと調べて帰らなきゃ行けないの!」


 アリスは小声でキューイルを嗜めると、キューイルに顔を近づける。


「良い? 今居るのは城の四階。この上がアルバニス城の最上階になる。アナタには最上階の事を調べて欲しいの。どんな事でも良いから、出来るだけ多くの事を」


「はぁ、その程度なら構いませんが……」


「そうね、アナタの力なら問題ないはず。あ、結界が張ってあるらしいから、それだけ気を付けて」


「承知致しました」


 キューイルはコウモリの翼を広げると、早速テラスから城の外へと飛び立って行った。


「さて、後はアノ子に任せて……」


 キューイルを見送ったアリスは両の瞼を閉じ、コリーナの話を思い返した。


 城の最上階は現在立ち入り禁止となっており、主に王の治療と保護に宛がわれている。治療とは勿論、呪術の解除。そして呪いにより体力の低下した王の生命維持の事を指す。


 最上階に立ち入る事が許されているのは、王と騎士団長、そして王の主治医の3名。それ以外は、王か騎士団長の許可がなくば近付く事も許されない。


 王の唯一人の肉親であるコリーナでさえ、呪いの影響を受けてはならないと、王が倒れて以降、数度しか最上階に足を踏み入れていないと言う。


 警備は一つだけある階段に、城の中でも最高位の騎士が2名以上常駐。更に、最上階全てを覆うように魔力の防壁が設けられている。魔力による介入を全て防ごうと言う物だ。


 問題はこの魔力の防壁。この結界は王が倒れる前から備わっていた。つまり、王を苦しめている呪いは、この結界を乗り越えた事になる。


 一国の王城に使う物だ。国中の呪術師を総動員しても、この魔力の壁を超える事は困難だろう。


 ゆえに、呪術を施したのは人間ではなく魔族。それも、最強の力を持つ魔王の仕業である……そうコリーナ達は理解しているようだ。


 強引な結論だとも思えるが、アリスは何となく納得できた。城に入ってから感じる、肌がひり付く感覚。最上階に張られた結界は、かなり強力なようだ。強引に破ろうとすれば、アリスですら唯では済まないだろう。


「だからと言って魔王の仕業ってのは短絡的な気もするなぁ」


 アリスには分かっている。


 コリーナの話によれば、王が倒れたのは半年前だと言う。魔王ヴェルナスがこの世から去った後の話だ。


「父様の仕業じゃない」


 だが、目の前の結界を破る事のできる配下の存在も思い浮かばない。強いて上げればゼリムなのだが、あの堅物なゼリムが自分に何の相談も無く、このような事をするとは思えなかった。


「まさか……私達以外の魔族が地上に?」


 魔王ヴェルナスは、広大な魔界に住まう権力者の一人に過ぎない。その力は魔界でも屈指だが、同等の実力者も僅かながらに存在する。もし、その中の何者かが今回の呪術を施したのだとしたら……。


「大問題ね。下手したら父様の事を知られてる可能性もある」


 魔界は一枚岩ではない。だが紳士協定とも取れる、見えないルールは存在する。その最たる物が、エリアの不可侵だ。


 地上は魔王ヴェルナスと、その配下により侵攻が行われている。ヴェルナスが手を引かぬ限り、他の魔族は地上に手を出してはならない。それは魔界の住人であれば誰でも知っている事。


 もし手を出せば、魔族同士の戦争に発展してもおかしくは無い。


 しかし、魔王ヴェルナスの死を知った者が居たとすれば、戦を前提に地上を横取りしようとしている可能性も否定は出来なかった。地上とは、魔界の住人にとってそれだけ魅力的なのだ。

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