デブだけど、びんかんです
森を歩くにつれ、シルビアはいつもの調子を取り戻した。
深い森はそれに見合った豊かな生態系を抱えているものだ。
後足で飛び跳ね、昆虫を捕食するナガアシトビネズミ。
美しい羽毛が特徴のキンイロカケスが、ふくれたナコムの実を突付く。
草むらの向こうから揃って顔をのぞかせたのは、子連れの黒狐だ。
いずれもシティでは目にすることができない鳥や動物達である。
シルビアは次々と興味を示しては、マルコを質問攻めにした。
「あれ! あれはなに? ほら、向こうの木の根元にいる子!」
「ええと、あれは――」
答えかけて、彼は前触れなく足を止めた。
シルビアは追突しそうになって、たたらを踏んだ。
「わっ? ちょっと、どうしたのマルコくん?」
「……」
マルコは黙って森の一点を見詰めている。
浅く膝を曲げて前かがみになり、体のバネを溜めていた。腰の山刀にも手をかけている。
張り詰めた気配が、シルビアの口をつぐませたようだ。
森は奇妙な静寂に満ちていた。動物達が姿を消している。
そのまま、さらに数十秒。
どこかで鳥の鳴き声がした――と、様々な音が森に帰ってくる。
マルコは体から力を抜いて、緊張を解いた。
「……いなくなった」
「ね、どうしたの? なにがいたの?」
シルビアは小声でたずねた。
まだ緊張しているのか、マルコの肩に隠れるようにして辺りをうかがっている。
「うーん……よくわからない。多分、なにか獣だと思うんだけど……ずいぶん慎重な奴だなぁ」
ほぼ聴覚のみで捉えた情報なので、今一つはっきりしない。
しかし、先ほどの気配はマルコの知る獣達の行動パターンとは、一致しないように思われるのだった。
「忍び寄ってきたから、肉食獣かと思ったんだ。昼でもたまに出ることはあるからね。でも、ぼくが気付いたら気配が消えちゃった」
「それって何かおかしいの?」と、シルビア。
こうした実践的な知識は、書物には載っていない。
「別におかしくはないよ。でも、もし肉食獣だったら、あそこまで接近したんだから、襲いかかってくると思う。逆に襲うつもりがないなら、最初から忍び寄ってきたりしないんだ。どうも、動き方も妙だったし……」
マルコは困り顔で頬を掻いた。彼が知らない獣は、この森にはいない筈であった。
どこからか新しい獣がやってきたのか。なんらかの理由があって、変わった行動を取ったのか。
念のため、マルコは普段よりも周囲に気を配りながら歩くことにした。
「ふわああっ、着いたぁ! って、もうちょっとあるわね」
シルビアの表情は明るかったが、声には疲労がありありと窺えた。さすがにくたびれたらしい。
二人は森と白樺林を繋ぐ階段までたどり着いていた。
眼下にはミニチュアサイズの山荘が見えている。ここまでくれば、獣の心配はまずない。
「シルビア、ちょっとここで待ってて。すぐ戻るから」
「どうしたの?」
「えへへへ、果物の熟れ具合を見に行くだけだよ。まだだと思うけど」
マルコはシルビアの好奇心を甘く見ていたようだ。
話を聞いて、もう一頑張りする気力がわいたらしく、結局彼女も着いてきてしまった。
と言っても、階段横の脇道をほんの少し歩くだけで、目的の果樹が見えた。
果樹は二メートル少々の高さで、節くれだった固い樹皮に覆われている。伸びた枝葉の所々に、ボール状の果実を実らせていた。
シルビアは鼻をひくつかせた。
「これ? なにか……妙な匂いがしてない?」
「香蜜桃だよ。まだ熟す前だからね」
マルコは薄いピンク色の果実を指差した。
葉陰の実は、まだ緑色のものが多かった。
「これが綺麗な赤になったら、食べ頃さ。その時にはいい匂いになるよ。でも、ほんの一日か、精々二日しか保たないんだ」
「腐っちゃうの?」
マルコは首を振った。
「すっごく、渋くなる」
今まさにそれを咀嚼しているかのように、マルコは口を思い切りへの字に曲げた。
「ああ。――食べたのね?」わけ知り顔でうなずくシルビア。
「去年ね。もしかしたらまだ大丈夫かも、って思ったんだよ」
マルコは悲しそうだった。
その顔が可笑しかったのか、シルビアはからかうように言った。
「やーね、もう。キミって本当に食いしん坊なんだから。そんな無理に食べなくても、他の樹を探せばいいじゃない」
マルコは首を振った。
「この果樹は成長が遅くて、この辺で実をつける樹はこれしかないんだよ。だから、まめに確認しているんだ。雨が降った後に晴れると、急に熟したりするからね」
「ふうん。そんなに美味しいの?」
「美味しいよ。もう、すっごくね」
うっとりした口調だった。彼はこの実が熟すのを心待ちにしているのだった。
シルビアはくすくすと笑った。
「ね、わたしのいる間に食べ頃になるかな?」
「うん、今の感じだと、後一週間くらいだと思うから。食べたら驚くよ。本当に美味しいからね!」
「ふふっ、そうなんだ。わたしも楽しみになってきたわ」
気がつくと日は西に傾きかけ、木々の影が長さを増していた。
二人は連れ立って、家路をたどった。
推敲してたら、なんか桃が食べたくなってきました…買ってこようかな。