表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
デブだけど、エルフだからいいよね?  作者: EZOみん
第二章 滝の主
7/24

デブだから、誤解を招く

 目前には、澄んだ水をたたえた大きな淵があった。

 正面の絶壁をごうごうと駆け落ちる滝の音が、空間を隅々まで満たしている。落水地点は沸き立つ水煙に隠され、空気にも水の香りが漂っていた。


 マルコとシルビアは、ラオル河支流の滝にきていた。


「すっごい……お腹に音が響いてくるわ」


 岸辺に立ち、きらきらした瞳で滝を見上げるシルビア。

 彼女は髪を三つ編みにまとめ、野外用ベストとパンツの動きやすい出で立ちで、足元にも丈夫な靴を履いている。

 マルコはいつもの山慣れた格好だった。鞄をたすきがけにして腰に山刀を差している。

 岩の上に鞄を降ろすと、彼はいきなり服を脱ぎ始めた。


「な、なにをしているのよ!」慌てて顔を背けるシルビア。

「なにって、泳ぐんだけど。シルビア、泳げないの?」

「泳げるわよ! そうじゃなくて、その……」


 シルビアは珍しく口ごもった。

 どうやらマルコは、最初からここに泳ぎにきたらしい。ここに着くまで森の中の獣道を一時間以上歩いてきたせいで、たっぷり汗をかいていた。確かに水に入れば、気持ちがいいだろう。

 とは言え、これまでの生活で培った常識はそれなりに強固だった。


「滝とあっちの浅瀬には近付いちゃ駄目だよ、危ないから」


 もじもじしている彼女を尻目にすっかり裸になると、マルコは淵に飛び込んで泳ぎ始めてしまった。

 岸と滝の中間辺りまで泳ぐと、息を大きく吸って潜る。

 数十秒の後、少し離れた水面を割ってさぶりと飛び出す。

 体形に似合わない妙に軽快な動きは、水辺に棲むある種の哺乳類を思わせた。


「聞きなさいよ、人の話……」


 シルビアはまだ岸辺でどうすべきか迷っていた。

 シティで水泳と言えば、普通は水着を着てやるものだった。


「早くおいでよー!」


 大きな声で呼びかけ、マルコはまた水を蹴立てて泳ぎ出す。


「もう、わかったわよ、行くわよ! これだから、田舎の子は!」


 叫び返すとマルコに背を向けて、シルビアも服を脱ぎ始めた。

 おおざっぱに脱ぎ散らかしてるマルコとは対照的に、きちんと服を畳み、上に石を乗せて重しにする。


「ふわっ……つめたいっ……」


 裸になって、岸から沖に向かってゆっくり歩く。

 水嵩が膝丈を越えた所で、シルビアは前へ倒れるようにして、水中へ滑り込んだ。


 突き出した両手で大きく水をかいて推進力を得ると、そのまま惰性で進む。

 水はシルビアの体をぴったりと包み込み、体のほてりを拭い去りながら滑らかに流れていく。それはヒトを水底の世界へ馴染ませる、儀式のようだった。


 澄み切った水、折り重なった岩や石。水底を彩る光の揺らめき。

 水草が紡ぎ出す小さな泡が、連なりながら昇って行く。

 その間を大小様々な――


「ん……? んんっ! ……ぷはっ!」


 シルビアは慌てて水面に顔を突き出した。マルコが泳ぎ寄ってくる。


「どうしたの?」

「あの、マルコくん、なにか……ひゃうっ!」


 シルビアは文字通り飛び上がり、マルコの肩に身を寄せた。


「だから、どうしたの?」

「だ、だから……ひゃんっ! わうっ!」


 マルコはさっぱりわからない、という顔をする。

 だが次の瞬間、「あ」と言って下を向いた。何かに気付いたようだ。


「これか。ちょっと潜ってごらん、わかるから」


 思い切ってシルビアが潜ってみると、二人は魚の群れに取り囲まれていた。

 どうやら彼等はシルビアのたなびく三つ編みが気にかかるらしく、まとわりついては代わる代わるに突付いている。そのついでなのか、時折彼女の体まで突付く奴がいるのだった。シルビアは水面に戻った。


「見えたでしょ? ヤママスだよ。君の髪が気に入っているみたいだね」

「これって、大丈夫なの? 食べられたりしない?」


 不意打ちで動転してしまったせいか、結構本気で心配してしまう。

 マルコは笑った。ヤママスは成魚でも三十センチ前後だし、主食は水棲昆虫なのだ。


「大丈夫だってば。ぼくら、こいつらが食べるには大き過ぎるもの」

「そっか、そうよね。あんっ…! もう、馴れ馴れしいんだから!」


 ようやくシルビアも笑いを浮かべた。

 マルコは滝の手前に見える岩場を指さした。


「あそこまで競争しない? 僕、泳ぐの得意なんだ」

「あら、いいわよ。……じゃあ、スタート!」

「あ、ずるい!」


 マルコもすぐに後を追ってくる。

 だが、シルビアはぐんぐんとスピードを乗せていく。マルコは驚いたのか、最初懸命に、最後には必死の形相になって追いかけてきたが、彼女との差を詰めることはできなかった。


 岩場にタッチして、シルビアは立ち泳ぎになった。

 この辺りはかなり深い。大人でも足が届かないだろう。


「あははは、どう? わたしの勝ちね!」


 弾けるような笑顔に出迎えられ、マルコは文句を言う気が失せたようだ。

 実際、ほんの一瞬遅れただけだし、そのハンデ以上に引き離されていた。


「シルビア、すごく速いね」

「泳ぎは大好きなの。川で泳いだのは初めてだけどね」


 うきうきとシルビアは答える。

 つられたのか、マルコも嬉しそうに笑った。


「それにすごく綺麗だったよ。ぼく、後ろからずっと見てたから」


 滑るように蒼の世界を進んでいく、白い裸体。

 意外な力を秘めていた、ほっそりした美しい手足。

 背で揺れる金の髪には、ヤママスでなくとも幻惑されてしまうだろう。


 やはり彼女こそが美しく気高い妖精に見える――とマルコは語った。


 だが、彼の賛美はまたしても逆効果だった。

 シルビアはたちまち顔を真っ赤にすると、柳眉を吊り上げた。


「いやらしい! キミ、わざと遅れて泳いだでしょう!」

「ええっ? しないよ、そんなこと」


 マルコは驚いたようだ。

 そもそも、フライングスタートしたのは彼女の方である。


「嘘。もう、男の子っていやらしいんだから!」

「本当にしてないってば」

「あら、そう。もういいから、ちょっとしばらくわたしから離れてくださる?」


 シルビアはつんと顎を反らす。


「ねぇ、だから、本当に……」

「いいから、離れて頂戴!」取り付く島もない態度になってしまう。

「……じゃあ行くけど、滝に近付いちゃ駄目だよ」

「わかっているわ」


 ふん、と鼻を鳴らして、シルビアは滝の方に向き直った。

 この距離だと滝の音はおんおんと体に響き、骨まで震わせる。


 不意に風が吹き、水面にさざなみが走った。滝の上げる水煙がふわりと巻き上がる。

 すると、小さな虹が現れた。


「あっ! マル……」


 振り返ったものの、彼女が追い払った男の子は、既に遠くにいた。

 ここからでは声をかけても届かないだろう。


 虹は瞬く間に消えてしまい、彼女だけが取り残された。


「……ああ、もう! タイミング悪いったら!」


 シルビアは岩を蹴ってざぶん、と勢いよく水中に潜った。

 両手を体の横に沿わせ、足だけを動かして潜っていく。


 底に降りるにつれて日光は弱まり、薄暗くなった。


 岩の他に倒木も転がっており、その上を長い髭を持った川エビがちょこちょこと歩いている。

 水温は上層より低く、魚影も薄い。


 滝の方向には、なにか黒っぽい影があった。

 光の屈折のせいか、影が移動しているように見える。シルビアは眉をひそめた。

 息継ぎをすると、また潜って滝の方へ泳ぎ出した。


 十五メートルほど進んで止まる。髪がふわりと前に流れた。

 影はまだはっきりしない。


 また水面に戻って、一息つく。

 遠くから見た滝は荘厳で美しいばかりだったが、今は身に迫る脅威となりつつあった。


「これ以上は危ないわね……」


 呟いて引き返しかけた時、あの影は彼女の足元へ忍び寄っていた。

 恐怖に襲われる間もなく、影は急速に浮上した。湧き上がる水流に押され、シルビアは背中から引っ繰り返って水中に没した。体がくるくると回る。

 手足をばたつかせて、必死に体勢を立て直す。


「――!」


 恐ろしく巨大な魚が、彼女の真正面にいた。

 側面の斑点模様はヤママスのものだったが、鱗は一枚一枚が小皿ほどもある。

 傷だらけの魚体は、少なくとも三メートル以上はありそうだ。

 規則正しく動いているエラの前には、半開きになった口があり、ぎょろりとした目は左側が白く濁っていた。


 ごおおおおっ、と滝の音が絶え間なく鳴っている。

 地鳴りのように低くこもったその響きが、彼等を制したのか。


 ヤママスはそれ以上動かなかった。

 シルビアも水に身を任せるばかりだった。


 互いの存在を、ありのまま認識している――ただ、それだけのようであった。


 どれほど、そうしていたのか。

 ゆっくりと反転し、ヤママスは滝壺の向こうへ姿を消した。


 それを見届けて、シルビアも浮上した。

 水面に出ると、長く息を止めていた筈なのに、呼吸は穏やかだった。


 マルコと競争した岩場に戻り、彼女は岩に上がって腰かけた。

 岩を覆う柔らかな苔は、日差しの温もりに満ちていた。


 背後の岩肌に背を預け、シルビアは静かに泣いた。

水辺の苔むした岩に背を預け、静かに泣いている少女。

このシーンが頭に思い浮かんだのがきっかけで、本作を書き始めました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろうSNSシェアツール
― 新着の感想 ―
お母ちゃん。 マルコ君にちゃんといろいろと教えたのかすんごい心配……あ、いや教えてませんよね分かってます(;゜Д゜) にしても……青春の一ページやわぁ。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ