デブだって、たまには怒る
「あっははははは! あんたが若様って顔?」
朝食の席でリタは爆笑した。
背中をばんばん叩かれて、マルコは糖蜜パンを落としそうになった。シルビアはすまし顔でミルクを飲んでいる。
「確かにそんな決まりはあるわね。でも、正式にはシティの貴族院で爵位申請だの審査だのと、色々面倒な手続きがあるの。だから申請資格はあるにせよ、ウチは貴族じゃないのよ。ろくな収入もないのに、爵位なんてもらった日には税金だけバカ高くなっちまうし」
リタは隣席のフリッツに目を向けた。
「しかし、あんたもすっかり執事が板についたわね」
フリッツは控えめにうなずいた。
「犯罪ギルドを相手にするよりは、いささか向いていたようですな」
「警務局一の切れ者って言われてたフリッツ・ヨーゼフがねー。わからないものだわ」
フリッツは昨夜も今朝も給仕に徹したがっていたが、リタに押し切られて、皆とテーブルを共にしているのだった。食事は味も良く、量もたっぷりだったが、確かに給仕するようなものではない。
「母さん、犯罪ギルドって?」と、マルコ。
「悪い奴が悪いことをする時に、失敗したり、捕まったりしないようにバックアップする組織よ。情報を集めるとか、必要なメンバーを手配するとかね」
リタはパンにバターを塗り始めた。
「その代わり、手に入れたお金の一部をギルドに渡すの。だからギルドの名前だけを勝手に使おうとすれば、処罰されたりする。他にも掟とかあるけど、つまりは悪い連中の集まりって覚えておけばいいわ」
リタは適当に説明を切り上げてしまった。
朝食の席にはふさわしくない話題だ、と判断したのだろう。
「ごちそうさまでした」
ミルクのグラスを置いて、シルビアは席を立った。
パンを一つ食べただけで、他の料理にはほぼ手を付けていない。
マルコはベーコンエッグを素早く平らげ、糖蜜パンをもう一つ口に放り込み、マスタフ豆のコールドスープを一気に飲み干すと、彼女の後を追った。
「シルビア!」
マルコが声をかけると、丁度客間に入りかけていたシルビアが振り返った。
「なにか用? マルコくん」
ひどく儀礼的な笑顔。
駆け寄ろうとしたマルコの足は、彼女から少し離れた位置で止まってしまった。
「食事、あれだけでいいの? 昨夜もほとんど食べてなかったよね?」
「ちょっと疲れてて、食欲がないの」そっけなく返答するシルビア。
「顔色も悪いみたいだから、お薬もらってこようか? 母さんの薬はよく効くんだって。ぼくは病気したことないからわからないけど」
「わたしも病気じゃないわ。食欲がないだけで、別に元気だから構わないで」
彼女の声は徐々に険しさをはらんでいく。
それでもマルコはめげなかった。
「じゃあ、外で遊ぼうよ。身体を動かすとお腹が減るしさ」
「悪いけど、わたしは貴種の方々と違って、崖から飛び降りたりできないから」
マルコは一瞬意味をつかみかねたが、昨日の一件に思い当たり、破顔した。
「いつもはあんなことしないよ。ツチブタは普段もっと大人しいんだ」
マルコはそこまで喋ってから、妙な顔をした。
「でも変だな。繁殖期でもないのに、あんなに暴れ回ってたなんて。巣穴近くのテリトリーには入らないように気を付けていた筈だけど……」
「へぇ。キミ、あのブタと友達なの」シルビアは目を細め、口元を吊り上げた。
表情に込められた意味にマルコは気付かなかった。
「まさか。動物だもの、ぼくが勝手に遊んでいるだけだよ」
「――そう。それじゃ今日もそうして下さる?」
鬱陶しげに手を振って、シルビアは客間に入ろうとする。
マルコは思わず彼女の手をつかんで引き止めた。
「え?」
虚を突かれ、目を見開くシルビア。
マルコも己の行動に驚き、ぱっと手を離した。
「キミね、構わないでって言っているのがわからないの?」
怒りを露にし、シルビアは両手を腰にあてて、マルコをきっと睨みつけた。
相対的に背が高く、容姿が整っているだけに、結構な迫力があった。
「ううん、わかるよ。わかっているんだけど、どうも」
「どうも、なんなのよ?」
シルビアは逆に追及してくる。
マルコはむにむにと頬を掻いた。
「その――シルビアが本当はすごくお腹空いているみたいに思えるんだよ。だからだよ。ぼく食べるの好きだし、そんなの辛そうだなって」
マルコの言葉をどうとったのか。
シルビアは唇を強く引き結んだ。客間の扉をそっと閉め、回れ右をするとマルコの横を通り過ぎる。
「外で遊んでくるわ。一人でね」
独白のように、彼女は言った。
山荘の裏手は丘になっている。
丘は柵に覆われ、ヤギ達が放し飼いにされていた。マルコが周囲を見回すと、柵の向こうにある白樺林の間にシルビアのサマードレスがちらりと見えた。
このまま追いかけたものかどうか、マルコは迷った。
なぜ彼女に嫌われてしまったのか、わからないのだ。
妖精みたいだね、と言ったのは、母から聞いた可憐な妖精のイメージにシルビアがぴったりだったからだ。他意はなかったが、それが気に入らないのだろうか。彼女は貴種とか俗種とかの違いに、大層こだわっていたようだ。
「男の子が女の子に間違われた……みたいなものかな?」
つぶやいて、マルコは自分が女の子に間違われたら、と考えてみる。
上手く想像できない。
「もしかして、ぼくが太っているのが嫌とか?」
シルビアほどではないにせよ、母もフリッツもほっそりしており、マルコのようには嫌われていないではないか。
しかし、どうして太っていると嫌なのか、わからない。
「それとも、この耳のせいかな?」
今までにマルコが会った人達は、皆例外なく丸くて短い耳をしていた。
マルコに父の記憶はないが、自分の長く尖った耳が父譲りのものであることは知っていた。
彼自身にどうこうできるものではないので、耳を嫌われても困ってしまう。
「うーん、あとはノックしないで扉を開けたから、とか……」
色々考えてみたが、どの理由も近いようで違う気がする。
あまり考えたくないが、彼女は最初から――いや、もしかすると会う前からマルコを嫌っていたようだった。
しかし、それではあまりに理不尽ではないか。
「女の子ってやっかいだなぁ……」
「悪かったわね。聞こえよがしに言わないでよ」
後ろから声をかけられて、マルコは立ち止まった。
振り向くと、腕組みをしたシルビアが睨んでいる。どうやら、考え事をしながら林の中まで歩いてきてしまったらしい。
「ああ、ちょうどいいや」
「なにがちょうどいいのよ?」
のほほんとしたマルコの態度に、シルビアは不機嫌さをつのらせていく。
「だから、それだよ。シルビアはなんでぼくが嫌いなの?」
シルビアは開きかけた口を閉じた。
まさかここまでストレートに聞かれるとは思わなかったのだろう。
答えを探すように、落ち着きなく辺りを見回す。
マルコは辛抱強く返事を待った。
根負けしたのか、シルビアは言いにくそうに答える。
「別にキミを嫌っているんじゃないわ」
マルコは心から驚いた。
彼女は、本当のことを言っているように思える。
「だったら、仲よくしようよ。その方が楽しいよ」
「キミこそ、どうしてわたしに構うの?」
「どうしてって……ただ、仲よくしたいだけだけど」
「だからどうしてよ? キミはわたしのことなんか、なに一つ知らない筈でしょう。それとも、リタおば様からなにか言われたの?」
シルビアの口調は詰問じみていた。
おまけに、なぜここで母の話が出るのか。
マルコは当惑よりも怒りを覚えた。
「母さんは関係ないじゃないか! シティの子が、夏のお休みに遊びにくるって聞いただけだよ!」
彼がこんな風に怒鳴ったのは、恐らく初めてだった。
シルビアも怒鳴り返した。
「それでなにかおかしいって思わないの、キミは!」
「なにがおかしいのさ! おかしいのはシルビアだろ!」
「わたしはおかしくないわ。おかしいのはキミよ!」
「シルビアだよ!」
マルコは真っ向から彼女に視線をぶつけた。
彼は何日も前からシルビアがくるのを楽しみにしていたのだった。それがなぜこうなってしまうのか。ひどく悔しかった。
だが、睨み合いは唐突に終わりを告げた。
シルビアの瞳がふっと揺らぐ。
彼女は糸が切れた人形のように、腰から崩れ落ちて草の上に手をついた。額に汗を浮かべて、顔色が蒼白になっている。
「えっ……シルビア! どうしたの、大丈夫?」
マルコは慌てて手を差し出そうとしたが、シルビアは首を振った。
手助けはいらない、という意思表示だった。
「……大丈夫。ちょっと、立ちくらみ。最近多い、のよ……」
瞼を閉じてゆっくりと深呼吸を繰り返す。
その間、マルコはただ見守っているしかなかった。
対処には慣れているらしく、徐々に頬に血の気が戻ってきた。
彼女は数分で回復した。座り込んだまま、申しわけなさそうに苦笑いを浮かべる。
「ごめんね。――きっと本当は、わたしの方の問題なのよね」
ぽつりとシルビアは言った。
「わたしの家、貿易商なの。お父様が一代で築き上げて、今じゃ『ボック商会』って言えばシティでも名が通っているのよ。だからお金はあるの。で、次にお父様が欲しくなったのが家柄。要するに貴族の仲間入りをしたいのね。それでキミに目をつけたんだわ」
「ぼく? ぼくは貴族じゃないよ。母さんも言ってたじゃない」
できの悪い弟に言い聞かせるように、シルビアは身を乗り出した。
徐々に普段の調子に戻ってきているようだ。
「申請資格があれば一緒よ。キミくらい血が濃ければ、貴族院だって拒みようがないし、お父様の財力なら、爵位授与に関する費用とか税金なんて問題じゃないもの。その、つまり、わたしとキミが結婚すれば、ボック家も貴族の一員になれるでしょう? お父様はそれを狙って、わたしをここに来させたのよ」
彼女の言い分が正しいなら、つまりは政略結婚の下準備ということになる。
マルコは釈然としなかった。
貴族や結婚などという単語は彼からひどく縁遠く、およそ実感がない。
さらに母の性格からしても、そのような企みに乗るとは思えないのだ。
しかし、シルビアは自説を主張した。
「そうじゃないなら、どうして急に夏の休暇をここで過ごすことになったのか、わからないもの。ぼんやりしていると、いつの間にか婚約させられてた、なんてことになりかねないわ。わたしなんか、ファーガスンの寄宿学校に行かされているのよ。シティから遠いし、本当は貴族の子供しか入学できないのに、無理矢理ね! その位、お父様は貴族に――」
「嫌なの? その学校」マルコが口を挟んだ。
「え? えっと……そうね……」
シルビアは勢いを削がれたようだ。
「勉強は面白いわ。たまに寂しいけど、家から離れて暮らすのもそう悪くない。でも」
彼女はぱたりと後ろに倒れ、草地に仰向けになった。
まぶしいのか、曲げた腕で目隠しをすると「周りが最悪なのよ」とつぶやく。
話はそこで途切れてしまった。
どう答えればいいのか、マルコにはわからなかったから。
某大英帝国メイドまんがから、色々と影響を受けた形跡が…