デブなりに、理解した
自分達から飛んだお陰か、滝壺には巻き込まれなかった。
しかし二人は上下もわからぬ水中で、木の葉のように滅茶苦茶に振り回された。
シルビアはマルコにしがみ付いていた。
ぐんにゃりと力を失ったマルコを離すまいと、必死の形相だった。
無慈悲で圧倒的な自然の力。
それはなんの感慨もなく、彼等にありきたりな死を与えようとしていた。
「……!」
少女の口が何事かを叫ぶように開き、最後の空気を吐き出した。
この状態から苦しさのあまり呼吸を試みれば、肺が水で満たされ、おぼれてしまう――が、そうはならなかった。
次の瞬間、シルビアは猛烈な勢いで水から叩き出された。
彼女の横にはゆっくり回転しながら、空中を飛んでゆくマルコの姿があった。
天地逆さまになったシルビアの瞳に、まさに水中へ没しようとする巨大な魚の尾が映った。
二人は水切り遊びの石のように、水面にぶつかっては数度跳ね上がり、最後はどぼん、と沈んだ。
沈降の勢いがなくなると、浮力が効果を発揮した。
シルビアは仰向けの格好で浮かび上がった。
そのまま、ぷかぷかと小さく浮き沈みしながら、流されていく。
やがて背中を水底が擦り、漂流は終わった。
岸辺に着いたのだ。
彼女の足元にマルコも漂着していた。
心も体も痺れて、動けない。いや、動きたくないのか。
淵はただ澄んだ水をたたえ、滝はただ白い飛沫を上げ続けていた。
「……マルコ。傷、大丈夫?」
「血は止まったみたいだから、取りあえずはね。シルビアは?」
「左手、痛いの。掌を握ると、ぴりっ、てくるわ。でも、取りあえず、大丈夫かな」
会話が途切れ、彼等はしばらくぼんやりと空を見上げていた。
マルコが呟いた。
「ペンダント……また、作ろうか?」
「ううん、いい。もうわかっていると思うけれど、わたしって結構しぶといのよ。それに、多分、わたし達はもう心を伝え合っているから」
「え?」不思議そうなマルコ。
「初めて滝にきた日。あのお魚に遭った時のこと、わたし、覚えているの」
ちゃぷり、と水音がした。シルビアが上体を起こしていた。
「わたしがいないのに気付いて、マルコは必死に探してくれた。だからあのお魚はわたしをすぐに解放して、岩場でキミを待つようにって言ってくれたの。でも、お魚と繋がっていたから、キミの心はわたしにも直接伝わったのよ。誰かがこんなに強くわたしを思ってくれているのが信じられなくて、あんまり嬉しくて、泣いちゃった。わたしがああなったのは、半分はマルコのせいなんだから」
マルコの頬が紅潮した。
シルビアを見失った時の驚きと焦燥感、狂ったように彼女を探し求めた気持ち。
それが全部伝わっていたとは思ってもいなかったのだ。
「キミはわたしを岸に連れ帰って、服を着せて、気持ちが落ち着くまでずっと話しかけてくれたよね。すごく恥ずかしかったから言わなかったけど、わたし全部覚えているのよ。だから、今度はわたしが伝えたいって思ってた。捕まっている間も、ずっとそう思っていたの」
「――うん。伝わったよ。ちゃんと、届いたから」
マルコも体を起こし、シルビアと視線を合わせた。
二人は恥ずかしそうに笑った。
全員が山荘で再会したのは、結局夜の帳が下りようとする頃だった。
翌日、リカルド達はフォアマンを連れて山荘から引き上げた。
アデレードは、父からさらに一日遅れでシティに戻ることになった。
理由は単純で、順番の問題だった。
まず、捕まえた誘拐犯達を警務局の出張所まで護送しなければならなかった。
次は主犯であり被害者でもあるフォアマンの番だった。リカルドの部下三人も荷台に乗り、フリッツとリカルドが御者台に座ると、荷馬車は満員になってしまう。
何度も山荘と麓を往復したので、結局その日はそれで時間切れとなった。
フリッツは麓で一泊し、朝になってから一人で山荘に引き返してきたのである。
荷馬車は山荘の前に停車し、アデレードが乗り込むのを待っていた。
マルコとリタは既に別れの挨拶を終え、玄関先から少女達を見守っていた。
「座り心地は悪いけど、借り物だから文句言わないでね」とシルビア。
アデレードは荷馬車にちらと目をやった。
「いささか粗野ですが、この際仕方ありませんわね。貴女はいつお戻りに?」
「休暇の間はここにいるわ。この有様だし、一応調書も取ったからって、リカルドさんが」
シルビアは吊った腕を軽く持ち上げた。
着水の衝撃で、彼女の左腕は折れていた。肋骨も痛めていて、まだ荷馬車の振動に耐えるのはつらいのだった。とは言え、健康な子供なのだから、回復までそう長引かないはずだ。
「――噂は、すぐ広まるでしょうね」と、アデレード。
今回の件は明確な事実だけでも充分以上に醜聞と言えた。
色々な意味でこれからのアデレードの生活は、一変してしまうだろう。
弱音を吐いた己を責めるように軽く唇を噛んで、瞼を伏せる。
「そろそろ失礼しますわ。御機嫌よう、ミス・ボック」
優雅に一礼すると、アデレードは荷馬車に乗り込み、峡谷に目を向ける。
前を見据え、もうシルビアのことは眼中にないかのようだった。
乗客が席に落ち着いたのを確認すると、フリッツはシルビアに出発を告げた。
「あの、ちょっと待って。――ミス・アデレード・フォアマン?」
アデレードはわずかに頭を動かしてシルビアを見た。
まだなにか用なの、と言いたげな表情だった。高い位置にいるせいで、一層尊大そうな態度に見える。
シルビアは右手を意味もなく動かした。
どういう言葉が適切なのか、わからない。しかし、ともかくなにか言った方がいい。
いや、言うべきだった。絶対に。
「ああ、えっと……そうね。また学校で会いましょう」
ようやく探し当てたらしい、その言葉になにを思ったのか。
アデレードはどう答えたものか、迷っているようだ。
結局、普段通りの態度に徹することにしたらしい。彼女はつんと顎を反らして言った。
「――ええ、シルビア。また学校で」
走り出した荷馬車が山ひだの影に消えるまで、シルビアはじっと見送っていた。
マルコは嬉しいような、寂しいような気持ちだった。
「シルビアはちゃんとできるんだね。本当にペンダントなんか必要なかったんだ」
「おや、まぁ。すねてるの?」リタはからかうように言った。
「違うよ。ただ、うらやましいだけだよ」
リタは息子の頭をぐりぐりと撫で、嬉しそうに笑った。
「馬鹿ね、お前にもできるわ、マルコ。やり方は、もうわかった筈でしょ?」





