デブだけど、落ちる速さは変わらない
マルコの危機に、シルビアは後先考えぬ勢いで駆けた。
振り向いたバフの顔に至近距離から鞘に入ったままの山刀を投げ付ける。
バフは手で防いだが、そのために彼女への反応が遅れた。
思い切り甲板を蹴り、シルビアはバフの足に体当たりした。
「ぬわあっ!」
体勢を崩したバフは、船外へ転がり落ちた。
勢いあまってシルビアも一緒に落ちそうになる。
体が半回転し、仰向けの姿勢になった。
上半身に続いて、腰が舷側を越えかける。
踵が甲板をこすった。
だが、ぎりぎりのところで膝が曲がり、脛全体が船縁に引っかかった――と、物凄い力でシルビアの首が下に引かれた。ペンダントの紐が顎に食い込み、彼女をぐいぐいと水中に引き摺り込もうとする。
ペンダント本体を、バフの左手が握り締めていた。
マルコはとっさに彼女の足をつかんで支えたが、それ以上どうにもできなかった。
今やバフは、ペンダントでシルビアにぶら下がる形になっている。下手に引き上げようとすれば、彼女の首を折りかねない。
「マ、マル……コッ……!」
シルビアの顔はかろうじて水上にあったが、水をかぶり、首を絞められ、このままではあと何秒も持ちそうになかった。両手で紐を外そうとしているが、彼女の手の力だけでは到底無理だ。
バフは必死の形相で何度も右手を伸ばし、舷側をつかもうとする。
その度に左手が引かれ、シルビアの首がぎりっと締め上げられてしまう。
とうとう力尽きたように、シルビアの顔が水面下へ沈んでいく。
「シルビア!」マルコは絶叫した。
バフの指先が船に触れた。
同時に左手がペンダントをつかんだまま、すうっ、と後退する。
シルビアは上半身ごと顎をそらし、首からペンダントの紐を外したのであった。
舷側の木材の上を、バフの指先がするすると滑っていく――その数瞬、自分に伝わってきたものを、マルコは決して忘れられないだろう。
激流に巻かれ、バフは消えた。
マルコはシルビアを船上へ引き上げた。
激しく咳き込んだ後、ぱくぱくと口を開き、シルビアは声にならない声を上げる。
様々な感情がごちゃまぜになって、喋れないらしい。
髪はずぶ濡れで、首に赤黒い痣ができてしまっている。
船がまた大きく揺れた。
マルコは周囲を見回した。
かなり下流にきたというのに、川幅は離岸した場所よりもせまくなっていた。
そして、彼の耳は重苦しい音の連なりを捉えていたのだった。
「支流だ……」マルコは愕然としていた。
「ラオル河の支流に入っちゃったんだ! この先には……」
シルビアもその意味を理解した。
船は思い出深い場所へ彼等を連れて行こうとしている――但し、間違った方向から。
「滝……! あの滝があるのね!」
戦っている間、誰も船外のことを気にせず、舵も取っていなかった。
もう、それを後悔する暇はない。船が岩だらけの早瀬に入り込み、激しく暴れ始めたのだ。
船首が横を向いて転覆しかけ、危うく復元する。
段差を落ち、岩に激突する。木材が裂ける音が響く。
もはや、船体は半壊しつつあった。
マルコとシルビアはマストにしがみ付いて、振り落とされないようにするのが精一杯だった。
他になにをする余裕もなかった。
信じ難いほど長い数分間の後、船は早瀬を抜けた。
そして船首の少し先で河は終わっていた。
遥か下方から舞い上がった水煙で、前方は霞んでいる。
ごうごうと腹に響く重低音は、聞く者の体を痺れさせ、思考を停止させてしまう。
だからと言って、ただぼんやりしている場合ではなかった。
「マルコ……どうするの?」
彼女は縋り付くような目をしていた。
マルコはまず現実を伝えた。
「落ちるしかないよ。今からじゃ、どうにもできない」
恐怖にすくむシルビアの手を握って、ぐっと引き寄せる。
マルコの手も、彼女の手も震えていた。
「河の端までいったら、できるだけ早く走って、思い切り前へ飛び出すんだ。船と一緒に落ちると、滝の途中の突き出た岩や船の破片でやられるし、滝壺に巻き込まれちゃうから。いいね!」
「うん……! うん! わかったわ!」
気休めに過ぎない指示だったが、シルビアはぱっと表情を明るくする。
マルコは彼女のこうした部分が心底うらやましく、また好ましかった。
シルビアはマルコを支えて立たせると、中腰になって彼と肩を組んだ。足を怪我した彼を支えるつもりらしい。マルコは口を開きかけたが、結局なにも言わなかった。
待つほどもなく、その時はきた。
「行こう!」
二人は一緒に甲板を走り、船首から空中へ跳躍した。
なにもかも、ゆっくりと動いているように思えた。
眼下には真っ白い飛沫を噴き上げて、流れ落ちる滝の全容が見える。
水面までの距離がはっきりと認識され、絶望が胸を満たしそうになった。
落下し始めると、後はあっと言う間だった。
速度はすぐさま耐え難い領域へ到達し、マルコはシルビアをかばってしっかりと抱きかかえた。景色が溶け流れて後方へ消え去ったかと思うと、突然凄まじい轟音が響き渡った。
鼓膜が破れかねない大音響であった。
着水した、と微かに思いながら、マルコの意識は途切れかけた。
クライマックスにきららジャンプ!(違う





