デブだけど、貴族なの?
少年は母の横に並び、山荘の居間で二人のゲストと向かい合っていた。
一人は壮年の男で、フリッツ・ヨーゼフと名乗った。荷馬車の御者を務めていたが、本来の職業は執事であるらしい。
もっとも、少年には執事がどんなものか、まるで想像がつかなかった。
それよりも、フリッツの隣にいるもう一人――すらりとした少女のことが気になるのだった。
「シルビア・ボックです。よろしくお願い致します」少女はそう言って会釈した。
「あたしはリタ。リタ・トスタニアよ。こっちの丸いのが息子のマルコ」
リタにうながされ、少年――マルコもペコリと頭を下げた。
シルビアはすいっと歩み寄り、マルコの手をとって微笑んだ。
ひんやりした指先の感触にマルコはどぎまぎした。
まるまるした自分の指は勿論、細いけどしっかりした母の指とも違う。しなやかで、繊細で、綺麗な指だった。
「よろしくね、マルコくん」
「う、うん! えへへ」
マルコもにこにこ笑い、長い耳をぴょこぴょこ動かした。
「なに照れているのよ、このデブは。シルビアちゃんはお嬢様なんだからね。妙な真似、するんじゃないよ」
リタは息子の頭を遠慮なく叩いたが、彼は気付きもしなかった。
シルビアにすっかり目を奪われていたのだ。
「いえいえ、どうかお嬢様と仲よくして下さいませ」
フリッツが控えめに口を挟んだ。
「いいのよ、フリッツ。この子、すぐ調子に乗るんだから。ねぇ?」
リタはマルコの頬を摘んでむにーっと引っ張った。
さすがにマルコもじたばたと逃げようとするが、リタは背後から圧しかかるようにして息子をしっかり捕まえていた。
楽しげにマルコの頬で遊ぶリタの様子に、フリッツは苦笑した。
「変わりませんね、リタ」
「そっちもね。相変わらず苦労性だこと。まぁ、気持ちはわかるけどさ」
リタはマルコを解放すると、今度はシルビアに抱きついた。
「シルビアちゃん、とーっても可愛いものね! ね、ウチの娘にならない?」
「え? ええ、この夏の間はそういうつもりで、お世話になりますわ」
シルビアは終始微笑みをたたえていた。
夕食後、マルコは二階に上がると、無造作に客間の扉を開いた。
「え……?」シルビアはちょうど服を脱いだ所だった。
細密な刺繍がほどこされたスリップが、ささやかな胸の膨らみを覆っている。
わずかに丸みを帯びた腰周りから、滑らかに引き締まった太股がすらりと伸びていた。
一人前の女性への変貌を間近に控えた少女特有の、微妙なプロポーションだ。
「あ、着替えてたんだ」
言いながら、マルコは部屋の中に入ろうとした。
「きゃあああっ! ちょ、ちょっと、なに……っ!?」
シルビアは脱いだ服を体に押し当て、顔を真っ赤にして後退りした。
その様子を見て「あ」と、マルコは思い出した。ぽんと手を叩く。
そう言えば「客間は必ずノックして許可をもらってから入れ」と夕べ母から厳しく言われていたのだった。シルビアの態度からすると、どうやら是非とも守るべき言いつけだったようだ。
一旦外に出て、扉を閉める。
彼は改めて扉をノックした。
「……なに」扉越しにシルビアの声が聞こえる。
「入っていい?」
「……」
妙な沈黙が流れた。
しばらく待ったが、返事がない。
「シルビア? どうしたの?」
不思議に思い、マルコはもう一度ノックしながら、声をかける。
「……どうぞ」
ようやく許可を得て、マルコは客間に入った。
シルビアは着替えをやめたらしい。夕食の時に見た服のまま、部屋の真ん中で仁王立ちになっている。
「――で、なんの用なの」怒りを押し殺すような、低い声。
もしかすると旅行の疲れで気が立っているのかもしれない。
マルコはにっこり笑って言った。
「うん、なにか手伝うことはないかなって」
「ないわ。もう済んだから」つん、と顔を背ける。
彼女の言う通り、荷解きは終わっているようだ。
旅行鞄は壁際に並べられ、クローゼットの上には見慣れない鏡や櫛、香水の小瓶等が置かれている。
まるで知らない家の部屋みたいだ、とマルコは思った。
「せまくない? この部屋」
「いいえ、別に。わたし、普段は学校の寮にいるから」
シルビアは窓をぴしゃりと閉め下ろすような調子で返す。
だがマルコは気にするどころか、彼女の横顔を眺めて、改めて綺麗だと思った。
腰に届く艶やかな金髪。
しっかりした意思をたたえた、深いすみれ色の瞳。
色白のほっそりした体は手足が長く、マルコより優に頭一つ分は背が高い。
シルビアは彼の視線に気付いたようだ。
「キミね、そんな風にじろじろ見るのは、少し無礼じゃ――」
「シルビアって、妖精みたいだね」
マルコが賞賛をこめて言うと、彼女は怪訝そうに彼の顔――いや、耳に視線を走らせた。
「なにを言っているの? 妖精はキミの方でしょう?」
「ぼくはハーフエルフだよ。母さんはヒトだもの」
「それは知っているわ。でもハーフエルフは法律上、ヒトに帰化したエルフとして扱われるのよ。つまりキミはエルフ、貴種そのものじゃないの」
マルコにはシルビアの言っている意味がよくわからなかった。
「貴種? 貴種ってなに?」
シルビアはまじまじとマルコを見詰めた。彼が本気で聞いているのか、疑っているらしい。
ため息をつくと、淡々とした口調で説明する。
「貴種は、妖精族の中でも特にエルフを指す言葉よ。不思議な力と長く尖った耳を持つ、美しい種族。大昔、エルフは人間とあまねく大地を支配していたの。でも、何百年か前から人間の代表――貴族達に統治を譲り渡し始めて、徐々に人前から姿を隠すようになった。今では滅多に見かけることはないわ」
彼女の話は、マルコには初耳だった。
「でも、やっぱりシルビアは妖精みたいだよ。すごく綺麗だもの」
「それはどうも。でも、見た目は関係ないわ。血だけが問題なのよ。わたしみたいに、貴種の血をまったく引いていない人間はね、俗種って言うのよ」
シルビアは苛々しているようだ。
「ふうん。血なんか、どうでもいいけどなぁ」
マルコの態度をとがめるように、シルビアは言った。
「キミ、自分のことがわかってないのね?」
「なにが?」マルコはきょとんとした。
「貴族の条件は、その地を治めるエルフから統治の譲渡を受けていることよ。エルフは譲渡の証として、自らの血を引く子供をその家に与える。貴族っていうのは、貴種の血を引く者、貴種の一族って意味もあるの。だから、貴族を「尖り耳」って呼んだりもするわ」
「へぇ! ぼくと同じような人が大勢いるんだ!」
嬉しそうなマルコに比べ、シルビアはあくまで冷淡だった。
「キミの馬鹿力も、貴種の血の影響だと思うけど、どんな影響があるかは人それぞれよ。まぁ、もう血は薄れているから、貴族でもたまに耳の先が少し尖っている人がいる程度で、特別な能力はほとんどない。――話を戻すけど、この辺り一帯はキミの家が所有してるって聞いたわ。誰から譲られた土地か、言わないでもわかるでしょう? つまり、キミは」
シルビアは言葉を切って、マルコをじろりと見た。
「ほぼ百年ぶりに誕生した、最も新しい貴族なのよ。おわかりかしら、若様」
主人公の少年はヒロインより背が低くて、かわりに力が強い。
なんとなく、そうであって欲しい願望があったりします。