誘拐犯も、時には誘拐される
「よう、お嬢さん。お目覚めかい」
汚れた靴先で顔を上向きにさせられ、シルビアは薄目を開けた。
目前の男は濃い鬚を生やしていた。全身から立ち昇らせている暴力的威圧感は、彼がまともな世界の住民ではないことを如実に示している。恐らく――いや、間違いなく犯罪組織の人間だった。
「……!」
シルビアは目を見開き、周囲を見回した。
両手は胸の前でがっちり縛られている。幸い、ペンダントは首から下がっていた。
宝石ではなくただの石なので、奪われずに済んだのだろう。
彼女は大きな天幕の中におり、髭の男の他に出口付近にも見張りが一人いた。
外の様子からすると、今は昼間らしい。
幾らかの情報を得た安心感からか、シルビアはどうにか落ち着きを取り戻した。
「……ここは、どこ? まだお腹が痛むから、そう時間はたってない筈だけど」
「ほぉ。大したもんだな」
髭の男は、本気で感心したようだ。
瞳が残酷な光を帯びると、いきなりシルビアの腹を蹴った。まるで手加減していない。
「あぐっ!」
シルビアは体を丸め、咳き込みながら必死に痛みを堪える。
彼女の耳元に男は囁いた。
「どこだろうと関係ねぇ。それより、これからどうなるかを気にした方がいいぜ」
「おい、バフ」見張りが髭の男に呼びかけ、立てた親指で外を示す。
間もなく、数人の男達がやってきた。先導は若い男だった。
「アンディ、外は?」とバフがたずねる。
「はい、ビーンが」
「お前も行け。なにかあったら、すぐ知らせろ」
アンディと呼ばれた若い男は、軽くうなずくと外へ出て行った。
どうやらバフが彼等のリーダーらしい。
結局天幕の中に入ってきた男達は、五名であった。
中央の男性は他の連中とはまるで雰囲気が違っていた。
上等な服を着て、尊大に胸を張り、象牙のステッキを持っている。明らかに貴種だった。
シルビアの脳裏に閃くものがあった。
「まさか、フォアマン男爵……?」
「挨拶もまともにできんのかね? 成り上がりの娘など、所詮そんなものか」
フォアマンが体をずらすと、後に少女がいた。黒髪の間からのぞく耳の先は、わずかに尖っていた。
少女とシルビアは信じられぬモノを見るように、お互いを見詰めた。
それも無理はない。
こんな場所でクラスメイトと会うことなど、二人とも想像すらしなかったことだろう。
「アデレード・フォアマン……?」
「シルビア・ボック……? お父様、これは一体――」
アデレードは父の袖をぎゅっとつかんだ。整った容姿が青ざめている。
床にはいつくばっているシルビアを、フォアマンは蔑んだ目で見下ろしていた。
「お前も嬉しいだろう、アデレード? さもしい連中など、私が本気になればこんなものだ。身のほどをわきまえんから、罰を受ける羽目になる」
上体を起こして、シルビアはフォアマンをきっと睨んだ。
「罰ですって? こんな卑劣な真似をして、なにをそらぞらしい!」
「わきまえろ、俗種め! この私に向かってそんな口を利くとは、身の程を知れ!」
「ボック家はさもしい成り上がりかもしれないけど、あなたよりよほど勇気と礼節は心得ているわ。まともにお父様と対することもできないくせに、恥を知りなさい!」
「ぐっ……黙れ、黙れ! 黙らぬか!」
フォアマンは、たちまち激昂した。
ステッキを振りかざし、シルビアを強かに打つ。拘束されている彼女には避ける術がなかった。
「貴様等はすぐそうしてつけあがるのだ! お前と私では生まれが違う! 血が違う! 私は貴種だ、偉大な存在なのだぞ! わきまえろと命じただろうが、この下種が!」
散々に打ちのめし、肩で息をするようになって、フォアマンはやっと手を止めた。
喋っているうちに自分の言葉に興奮し、エスカレートするタイプらしい。
「お前の父など、金のことしかわからん俗物だ。金、金、金、金! まったく、俗種の極みだ。私の事業に参加するチャンスをくれてやったのに、それを足蹴にしおって」
ぐったりと横たわるシルビアからは、なんの反論もない。
ここまでやってようやく溜飲が下がったらしく、フォアマンは満足そうに笑った。
「ふん、まぁ、これで奴も少しは、己の分と言うものを思い知るだろう」
父の狂乱ぶりにアデレードは愕然としているようだ。もはや顔色は蒼白になっていた。
フォアマンは娘にステッキを渡した。
「学校ではずいぶん恥をかかされたのだろう? お前も少し、躾けてやりなさい」
アデレードは完全に怯え、硬直してしまったらしい。
ステッキを強く握り過ぎているのか、白くなった指先がぶるぶると震えている。
一方バフはフォアマンの演説にうんざりしたらしい。
当然ながら、彼も俗種なのである。
「男爵様よ。お楽しみも結構だが、そろそろ支払いの方を頼むぜ」
「――支払いだと?」
「そうさ。この通り、商品はきっちり受け渡したんだからな」
バフはシルビアを顎で指すと、ここに乗せろとばかりに掌をフォアマンに差し出した。
「えらく勘のいい餓鬼が小娘の傍にいてな、苦労したぜ。ついでにチップを弾んでもらいたいね」
「それはお前の腕が悪いからだろう。子供一人に手間取る方がおかしいのだ!」
「ああ、そうかい。ま、あんたの御託はどうでもいいさ。おら、さっさと金を払いな」
汚物を見るように表情を歪め、フォアマンはステッキでバフの手を払いのけた。
「ふん、金か。金は、ない」
一瞬の間があった。ざわっと殺気立つ男達。
バフも凶相に怒りをみなぎらせた。
「おい、どういうことだ? まだ前金しか受け取ってねぇんだぞ?」
フォアマンはどこまでも尊大だった。
馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「この娘を使って、ボックから身代金を取る計画だと言っただろう。お前達への支払いもその金から出す。問題あるまい」
大ありだった。
人質をさらうことよりも、身代金を受け取ることの方がずっと難しいのだ。
俗種とは言え、有力者の子女が行方不明になったのだから、すぐに警務局が動き出すはずだ。
ここで残金を受け取り、さっさと逃走しなければリスクは激増してしまう。
どうやらフォアマンは支払いを盾に、バフ達をこの先も付き合わせる算段らしい。
「ふざけるな! 俺達が請け負ったのは、娘をさらう所までだ!」怒鳴るバフ。
「ないものはない。情報屋だの船だので事前の準備にも金を使った。そうだ、私が破産したのはそのせいでもあるのだ。感謝してもらいたいくらいだぞ」
「破産だと……? 聞いてねぇぞ、男爵様よ」
バフは目を細め、口の端を吊り上げた。ぱきっ、と指を鳴らして一歩踏み出す。
ここに至って、やっとフォアマンは身の危険を感じたらしい。表情に怯えが走った。
「き、貴様、なんだ。近寄るな、下種め!」
時には貴種の命令も通じないことがある。
岩のような拳で殴り飛ばされ、フォアマンは地に伏した。完全に気絶している。
バフの部下が男爵の両手を縄で縛り、手荒に拘束した。
「お父様! あっ……!」
抵抗はあっさりねじ伏せられた。
アデレードも両手を縛られ、シルビアの傍らに突き飛ばされる。
目前の急展開を、シルビアはただ見ているしかなかった。
先ほどまで主犯だった筈の男は虜囚となり、彼女はクラスメートと一緒に誘拐された形になってしまったのだ。
バフ達は計画が狂い、ひどく苛立っている。
そして見渡す限り、味方になってくれそうな者は誰もいなかった。
事態は悪化の一途をたどっていた。





