デブはたくさん寝て、横に育つ
「それは間が悪いわね。あの子らしいけど」
そう言って、リタはけらけらと笑った。
眩い日差しの下、彼女とシルビアは洗濯物を干していた。
地面に置かれた桶に絞った洗濯物が入っており、木と山荘のテラスの柱を結んだ紐に、シーツやシャツがはためいている。シルビアが洗濯物を桶から取り出し、リタが洗濯バサミで紐に留める分担のようだ。
「なんなら、たたき起こしてくれてもよかったのよ?」
「実は一応揺すってみたんですけど……マルコくんたら、ぐーぐー寝ちゃって、全然起きなくて」
「ああ、そういえばあの子はいったん寝付くと満足するまで起きないわね」
「眠たかったのはわかるけど、あとちょっとだけ頑張って欲しかったわ。せっかく、大事なことを伝えようとしたのに!」
シルビアはすっかりむくれているようだ。
彼女としては一大決心を台無しにされたのだから、怒るのも無理はないと言える。
「あら、せっかく、なにを伝えようとしたの?」
可笑しそうにリタが言う。
それはシルビアには想定外の質問だったらしい。
「え? あの……」
リタはシルビアが首にかけたペンダントに視線を向ける。
言葉に詰まっていたシルビアは何事か思いついたのか、ぽんと掌を合わせた。
「あっ、そう、御礼です。このペンダントをもらった御礼が伝わるかなぁ、って実験を」
「ぷっ……くっ、あははははは!」
大笑いするリタ。あまりに笑い過ぎたのか、目尻に涙まで浮かべていた。
シルビアは目を丸くし、ついで顔を真っ赤にした。身の置き所をなくして縮こまり、手にした洗濯物をぎゅうぎゅうと絞ってしまっている。
「お母さん、いじわるだわ……」消え入るような声であった。
「ごめん、ごめん。あーあ、やっぱり娘も産んでおくべきだったわ」
リタはぐりぐりとシルビアの頭を撫でて、洗濯物を取り上げる。
両手で勢いよく振り、ぱん、といい音をさせてしわを伸ばした。
「でも、シルビィがこんなにあの子と仲よくしてくれるなんて思わなかった。本当にありがたいわ」
「いいえ、そんな。だって、マルコくんの方がずっとわたしを思ってくれてます」
真摯な眼差しに、今度はリタが目を丸くした。
「マルコが?」
「はい。だから、わたしも……答えたいな、って、思っています」
シルビアの視線は小揺るぎもせずにリタを見つめている。彼女が本気なのは明らかだった。
こほん、と咳払いすると、リタは人差し指をぴんと立てて語り始めた。
「あのね、シルビア。まだ知らないようだけど、世の中にはいい男が一杯いるの」
「えっ?」
とっさに理解できず、戸惑うシルビアにリタはたたみかけた。
「おまけにあなたは美人でお金持ちの上、優しくてかしこい素敵な娘よ。見てなさい、今に求婚者が一個連隊をなしてやってくるわ。まぁ、マルコがどうとは言わないわよ、親として。でも、選びたい放題なんだから、今から決めることはないわ。世界にはまだ見ぬグッド・ルッキング・ガイが山ほどいるのよ!」
「え、あの、はい」
よくわからないまま、迫力に押されてうなずくシルビア。
説得の手ごたえが感じられなかったのか、リタはぽりぽりと頬を掻いた。
「うーん……シルビィはお嬢様で純真な分、染まりやすいのかしらね。こんな田舎の暮らしにも、すっかり馴染んでくれているようだし。あたしなんて、慣れるのに随分かかったのに」
「――あ、やっぱり。お母さん、出身はシティでしょう?」
嬉しそうにシルビアは笑った。
驚くリタに種明かしをする。
「わたし、学校に上がる前はけっこう下町に遊びに行ってたんです。お母さんの発音に少しだけシティのコクニーなまりが残っているから」
コクニーは移民や労働者がかたまって住んでおり、シティの中でも少しばかり治安が悪い区域だった。
リタは苦笑いした。
「おやまあ、バレちゃったか。実はそうなのよねー。コクニーも柄は悪いけど都会ではあるから、森の中とは相当違うでしょ。特に虫がねー」
「そうですね……虫は確かに」
顔を見合わせ、力なく笑い合う。
慣れたとは言っても、やはり二人とも虫は好きになれないようだった。
「まあ、それを差し引いてもきてよかったです。だって、ここは本当に素敵な所ですもの」
雨上がりの渓谷は、いつもにも増して美しかった。
水溜りがゆっくり動くはぐれ雲を映し出している。大気は澄み渡り、まだ濡れた樹木が森全体を輝かせていた。
それが、シルビアの記憶を刺激したらしい。
「あっ……! お母さん、ちょっと出かけていい? すぐ戻りますから」
「ええ、構わないけど……?」
許可を得るなり、シルビアは最後の洗濯物をリタに手渡し、桶をつかんで駆け出した。
元気よく走って行く小さな背に、「森には入っちゃ駄目よ!」とリタは声をかける。
聞こえたのかどうか、シルビアの姿は白樺林の中へ消えていった。
「――どうしたのかしら、あんなに慌てて」
後を追いかけようとして、ふと足元を見る。サンダル履きであった。
家の周囲ならともかく、これで山歩きは厳しい。
リタは急ぎ足で山荘に戻った。
白樺林を抜けて、シルビアは森へ上がる階段までやってきた。
弾む呼吸を整えて桶を持ち直すと、黒く湿った板を踏み締め、一歩一歩慎重に登る。
崖の上に到達し、汗を拭って下界を振り返ると、山道を荷馬車らしきものが走ってくるのが見えた。
「……フリッツ? 変ね、迎えの予定はまだ先なのに」
軽く眉をひそめて疑問を先送りにし、シルビアは脇道に入った。
数歩歩いただけで、甘い香りが鼻をくすぐった。
丈が伸びた草を掻き分けて進むと、すぐに果樹が姿を現した。
枝をしならせ、たわわに実った香蜜桃は、鮮やかな赤に染まっていた。
「わぁ、熟してる! ふふふっ、大喜びね、きっと」
少女が伸ばした手は、その実に届かなかった。
――誰かに、背後からつかまれている。
シルビアが振り向いた瞬間、鳩尾に剣の柄が叩き込まれていた。





