デブだけど、手先は器用
昼から降り始めた雨は、翌朝も降り続いていた。
ブラシで髪をとかし、シルビアは寝間着を脱いだ。下着姿でワードローブを開けたが、中の衣類を一瞥しただけで、ぱたんと扉を閉める。
「汚れてないし、きっと今日もお手伝いだけで……会わないだろうし」
自分に言い聞かせるように呟き、昨日着て洋服掛けに吊るしたままだったサマードレスを手に取る。もちろん洗濯もしているのだが、基本的に出先なので手持ちの服の種類には限りがあった。
マルコとは昨日の朝以来、会っていない。
彼は自分の部屋に篭り切りになり、食事の時さえ居間に姿を見せなかった。雨が降っていたこともあって、シルビアはリタの手伝いで一日を過ごしたのである。
間違ったことは言っていない。
マルコは夜中、一人で危険な場所へ出かけ、危うく生き埋めになるところだったのだ。怒られて当然なのである。
だけど――そう、少しばかり言いすぎたのかも知れない。
リタならともかく、自分は彼の友達に過ぎないのだから。
少しばかり憂鬱な気分で着替えを終えた時、扉がノックされた。
「はい?」
「シルビア、入っていい?」
マルコの声であった。
シルビアは慌てて扉とワードローブを交互に見た。
「ああ、もうっ。タイミング悪いったら!」
「え? 今、駄目なの? 後でこようか?」どこかのんびりした声が扉越しに響く。
考えてみれば昨日は顔を合わせてないのから、同じ服でも気付くわけがなかった。
それでもなんとなく新しい服で迎えたかったが、仕方ない。盛大にため息をつき、シルビアは扉を開けた。
「いいわよ、どうぞ……?」
シルビアは怪訝な顔で、マルコの眼の下にできた青黒いクマを見た。
「ああ、寝てないんだよ」
部屋に入ると、マルコはどっかりと椅子に腰を下ろした。普段の軽快さはまるでなかった。
「って、まさか……」ぴくりと眉をしかませるシルビア。
「うん、昨日帰ってから」
つまり、一昨日の夜からと言う意味であった。
シルビアは見る見る肩を怒らせ、腰に両手をあててマルコを睨んだ。
「キミね、どうしてそんな無理をするのよ。突然夜中に出かけたかと思えば、今度は立て続けに徹夜? 体を壊したら、どうするの!」
眠気が飛んだのか、マルコは瞼をぱっちり開けた。
数秒間、考え込む。
「ぼくを心配してくれて、それで怒っているんだよね?」
「えっ?」
「シルビアは、ぼくのことが心配なんだよね?」
身も蓋もない聞き方であった。
ぴたっと動きを止め、シルビアは顔を赤らめた。もごもごと口ごもる。
「それは、その……」
「あれ、違ってた?」
「違わない! けど……つまり、情緒がないのよ、キミは」
「ふうん? まぁ、ちょうどいいや」
「なにがちょうどいいのよ……?」
相手の返答をどう受け止めたのか、マルコはズボンのポケットからなにかを取り出すと「はい、あげる」とシルビアに手渡した。
「……ペンダント?」
「うん。ぼくが廃坑から採ってきた石で作ったんだよ」
確かに手製のようで、綺麗に磨き込まれた表面は変わった光沢を放っていた。
年輪のような模様があり、窓からの光に透かして見ると、中心から端に向かって徐々に透過率が高くなっている。まるで半透明の卵の殻を、幾つも重ねて造り上げたようであった。
「これはね、心を伝える石なんだ」
「心……? ええっ!?」
「ずっと前に……ふわああっ……廃坑から色々な石を拾ってきたことがあって、その時に見つけたんだ。ぎゅっと握ると、強く思ったことを周りに伝えるんだよ」
大欠伸を挟みながら、マルコは説明した。
シルビアは半信半疑の心持ちで、掌で転がる素朴なペンダントをしげしげと眺めた。
「これがあれば、本当に心が伝えられるの? わたしでも?」
「伝えるのはたぶん誰でもできると思う。でも、聞くのは難しいみたい。母さんと試した時には、ぼくは母さんの心を聞けたけど、母さんはぼくの心を聞けなかった。聞くって言っても音じゃなくて、自分のものとは違う感情が響いてくるって感じかな」
石は心を増幅して放射する特性があるらしかった。
ただ、放射された心を捉えるのは、ヒトには無理なのだろう。
つまり、誰かからエルフ――この場合はマルコへ向けた一方通行の伝声管のようなものらしい。
変わったアイテムではあるが、あまりに用途が限られる。
結局のところ、さほど有用な代物ではなさそうだった。
「――ちょっと待って。じゃあ、キミが廃坑に行ったのも、徹夜したのも、このペンダントを作るためだったのね?」
シルビアはペンダントの首紐をつかみ、ぐいっと突き付けた。
マルコの鼻先で、石がぶらぶらと揺れた。
「うん。紐は母さんからもらったんだけどね。細いけど、煮しめたシェロリで編みこんだ紐だから、すごく丈夫だよ。ああ、シェロリって言うのは……」
多年生のつる草とその繊維の利用方法について、マルコはとうとうと語り始めた。
徹夜のせいか、妙に饒舌になっている。眠さのあまり、判断力が怪しくなっているようだ。
シルビアは彼の長口舌をさえぎった。
「あのね、マルコくん。わたしの話、ちゃんと聞いている?」
マルコは嬉しそうに答えた。
「あ、怒っているね? ふわああっ……」
「怒っているわよ、当たり前でしょ! 寝惚けているの!?」
肉食獣のように大口を開けて叫ぶシルビア。
確かに、石があろうとなかろうと、今の彼女の心情を取り違える者はいないだろう。
「あはは、今回は当たったね。でも、ぼく、時々シルビアのことがわからない時があるんだ。考えても本当にわからない時があるんだよ」
マルコの言葉にシルビアは、はっとした。
口をつぐみ、黙って耳をかたむける。
「だから、ぼくにどうしても伝えたいことがあったら、そのペンダントを使って。言葉ではわからなくても、心で伝えてくれれば――怒ったり、悲しんだりしている、君の心を直接感じられれば、ぼくにもわかるかもしれないから」
それはマルコなりの、精一杯のアピールだった。
ぽつりと、彼女は答えた。
「……馬鹿。キミ、馬鹿だわ」
「どうしてそう思うの?」
「わたしは世界にたった一人の他人じゃないのよ。わたしのことなんか、そんな……」
「そう言われても困るよ。他の人のことは知らないし、ぼくはシルビアの友達になるって決めたんだから」
マルコは、にこやかに笑っていた。
丸く穏やかな顔に開けっ広げな表情を浮かべ、底意の欠片も見当たらない。ただ一人の少女と向かい合う、ただ一人の少年。こんな風に自然体でシルビアを見てくれる人は、たぶん彼が初めてだった。
ああ――わたしの世界は、変わったのだ。
己の一番深い場所からやってきたその実感に、シルビアは全身がじわりと震えるような気がした。
突然ペンダントを首にかけると、彼女はくるりと後を向いて「実験!」と言った。
「え?」マルコは唐突な展開についていけないようだ。
「実験、するの。今からわたしが思うこと、ちゃんと伝わるか確かめて。顔見るとか、ずるしないように、マルコくんも眼をつむって!」
「あ、うん」
ペンダントに触れないようにしながら、シルビアは深呼吸を繰り返した。
それでも感情を自覚するほどに、胸の鼓動は高まっていく。頬どころか、首筋まで赤くなっていた。
こくん、と唾を飲み込む。
瞼を閉じ、祈るような姿勢でペンダントを強く握り締めた。
そのまま十数秒間、シルビアは息をひそめていた。不意に、がたん、と音がした。
「マルコくん……?」
彼女がおずおず振り返ると、マルコは椅子にもたれて眠り込んでいた。
昔からマルコはリタに教えてもらい、石の扱いを覚えました。





