デブじゃない人達の事情
シティの治安維持を受け持つ首都警務局は、癖のある人間が多い。
例によって上級職は貴族の子弟で占められており、最低でも士官学校卒(入学には血筋を含めた審査がある)、もしくは国家騎士団からの天下りだ。中級職以下の実働部隊は庶民にも門戸を開いているが、苦労する割に安月給であった。
だから、キャリアの最初から好き好んでここを志願する者は、なにか高邁な理想を抱えているか、この仕事に特有のなにか――犯罪者を追い詰める時のわくわくするような興奮とか――に心奪われてしまっているのだ。
リカルド・バーン警務准尉は、後者の典型だった。
急ぎ足で街路を渡ると、リカルドは一軒のカフェに入った。
シティによくある、ラウンジタイプのカフェだ。さっと店内を見渡し、奥の席に目的の人物を見つけて歩み寄る。
「よう、フリッツ」
フリッツは立ち上がってリカルドを出迎えた。
「悪いな、呼び出したりして」
「なに、どうせ休みの日なんざ、家にいても女房の手伝いをさせられるだけだからな」
握手を交わしてカフェの席に腰を下ろす。
ウエイターを呼んで注文を告げると、リカルドはフリッツの出で立ちをじろじろと検分した。
「また、えらくぱりっとした格好だな、おい。女と約束でもあるのか?」
上着の影からちらりと見える金鎖は懐中時計から伸びたものだろう。
高級かつ品よくまとまった装いには、フリッツの職業を思わせるような痕跡はどこにもない。
対してリカルドの服は安物の普段着で、警務局の制服の方がよほど見栄えがした。
「いや、貴族院に用があってね。知人の子供を学校に転入させる関係だよ」
フリッツの説明を聞いて、リカルドは片方の眉を器用に上げた。
「なんでまた? 学校なら教育省の管轄だろ?」
「転入先がバルトの学校だからね、特殊なんだ」
「へ? おいおい、そりゃ、隣の国だぞ。海の向こうじゃねぇか!」
驚くリカルドに、フリッツはあっさりと首肯した。
「越境入学、とでも言うのかな」
「しかし、異例だぜそれは。だから、貴族院か」
「うん、兄のルートを使った方が話は早い。そうする必要があった」
ウエイターが紅茶とココアを運んできた。
手を伸ばしてココアを受け取り、リカルドは一口飲んだ。ふう、と息を吐く。
「わけありか。ま、これ以上は聞かないぜ」
リカルドはだらしなく座席に背を預けた。
「しかし、まるで入学ブローカーだな、お前さん。シルビア嬢ちゃんは元気か?」
「ああ――しかし、なぜ君が当家のお嬢様をそう気にするんだ?」
フリッツの問いにはたしなめる響きがあったが、リカルドはまったく気にしていない様子だった。
「そりゃあ、嬢ちゃんは俺達俗種のお姫様だからな。もともと親父の見栄だってのに、お前のコネまで使って、ファーガスンのお城みてぇな学校に行かされてよ。それでも頑張って高慢ちきな餓鬼共と一人で渡り合っているって言うじゃねぇか。俺は断然、応援するね」
彼の中では、シルビアは強欲な父と鼻持ちならない貴族の間で、健気に頑張るヒロインであるらしい。
それは実態を反映している部分もあった。
だが、たかが子供同士のいさかいがシティに広まってしまったのは、父親の事業に絡めて、学校で発生した騒動を面白おかしく書き立てた新聞の影響が大きかった。リカルドにしても、実はシルビアの顔も知らないのだ。
「大衆紙の読み過ぎだよ、君は」眉をひそめるフリッツ。
「はっはっはっ、まあな。シティの治安を預かる身としては、色々知らなきゃならんのさ」
リカルドは悪びれなく笑うと、表情を改めた。本題はここから、と言う意思表示だった。
「なにか変わった動きでもあったのか?」フリッツはうながした。
「例の、ボルジアンギルドだ」
「犯罪ギルドの老舗だな」
「そう、頭目は先祖代々ろくでなし。中でも一番のろくでなしだったカルロ爺だが、ついに引退したぜ」
カルロはボルジアンギルドに君臨する帝王であった。
警務局はこれまでボルジアンギルドをターゲットに何度も捜査を行い、組織にダメージを与えていたものの、今日までカルロ本人を投獄することはできなかった。
「すると、後継者は? 息子は病死した筈だな」
フリッツが聞くと、リカルドは肩をすくめた。
「奴の孫さ。残酷で、二枚目で、素敵な体をした、シティ一のド阿呆だよ。噂じゃ、ギルドの構造改革を宣言したそうだ」
ココアをすすって喉を潤し、リカルドは話を続けた。
「構造改革だとよ。信じられるか? あの小僧、手前の靴紐も結べないような、甘ったれの間抜けなんだぞ。賭けてもいいが、多分自分がなに言っているかもわかっちゃいねぇだろうな」
フリッツは顎をさすり、考え深げに言った。
「ギルドの幹部連中に担がれているんだな。飾りものの頭目か」
「ああ、カルロは健康を損ねて、今じゃ幽閉状態らしい。実質、反乱さ。ま、どっちもろくでなしだが、俺としちゃ幾らかマシになったと見てる」
軽くうなずき、フリッツは同意を示した。
幹部の合意で運営されるとなれば、ギルドの動きを予想し易いし、そう無茶はしなくなるはずだ。
「まったくあの爺ときたら、自分がハナ垂れの頃に足を踏んだ相手まで、探し出して殺しかねない奴だったからな。あいつより執念深い人間はまずいねぇよ」
「確かにな。すると、暗殺命令も無効になったのか?」
カルロの暗殺命令は有名だった。
商売敵や裏切り者に殺し屋を差し向けるのは、別に彼の専売特許ではないが、成功するまで絶対に諦めない点が違っていた。専門の殺し屋集団まで抱えていたのだ。
「建前上はまだ有効だ。さすがにギルドの面子がある。だけど、暗殺命令を承った「執行者」の大半は呼び戻したらしい」
「命令を果たせずに、何年も相手を探し回っている執行者もいたらしいな。そんな大昔の遺恨を晴らすより、金を稼げということか」と、フリッツ。
リカルドは皮肉な笑みを浮かべた。
「そう、つまりそれが構造改革ってわけだ」
「その話が確かなら、的にされて逃げ回ってた連中は、今頃胸を撫で下ろしているだろうね」
条件付の言い回しが不満らしく、リカルドは唇を尖らせた。
「ちぇっ、よく言うぜ。お前さんのことだから、今の話はとっくに耳に入ってた筈だろ?」
フリッツはあっさり肯定した。
「そういう動きがあるらしい、と言う程度はね。裏付けが取れてよかった」
「やれやれ、隊にいた頃と変わらんなぁ。お前さんが残っていてくれりゃ、俺も楽だったのに。まさか貴族の息子が、商家の執事に転職とはね」
ぼやきつつ、手を上げてウエイターを呼ぶ。
リカルドは野苺のタルトを注文した。
「君こそ変わらないな」
「俺はポリシーある甘党なんだ。――それから、これは裏付けなしの情報なんだが」
さっと周囲に視線を走らせ、リカルドは声をひそめた。
「フォアマン男爵がボルジアンギルドの人間と接触した、って話は?」
「初耳だ」フリッツは眼光を鋭くする。
「俺の飼っている情報屋の話だからな。ギルドの中でも、下っ端クラスの奴が御屋敷へこっそり出入りしていたそうだ。それだけだから、男爵本人と会ったかどうかはわからんし、目的も不明だ。だが、ボックの旦那との確執は俺も聞いてる。商売の失敗で、フォアマン男爵は大損をしたそうじゃないか。それで……」
わかるだろ、と言うようにリカルドは両手を広げる。
フリッツは反論した。
「いや、順番が逆だよ。フォアマン男爵は勝手に失敗したのだよ。旦那様とやり取りがあったのはその後だ。もしボック家に非ありと思うなら、大法院に訴え出るだろう。なによりも犯罪ギルドと関係をもち、それが明るみに出れば、この国から追放されてしまう。貴族にとっては、リスクが高過ぎる」
「おいおい、鈍ったか? 俺はお前さんを知っているから、貴族も人間だってわかってる。人間なら」
リカルドは椅子に座り直し、かつての上官を正面から見詰めた。
「ヤケクソにもなるし、逆恨みだってする。だろ?」
なんかマフィアとかよりも、ギルドって響きにあこがれます。
いや、ギルドという言葉自体には、別段アンダーグラウンド的な要素はないのですが。
リカルドは一般人のため、士官学校を出ていません。
二等警務兵からスタートしてすでに准尉なので、実は同期の出世頭である…という設定です。





