デブだけに、力持ち
拙作「封神鬼ガウリ」とほぼ同時期に書いた小説の再構成版です。
作品のテーマやシーン、幾つかの要素が「ガウリ」とかぶっておりますが、その点はご容赦ください。
荷馬車は、緑のドームに覆われた山道を走っていた。
幾つもの旅行鞄と一緒に、まだ幼さを残す少女が荷台に座っている。道が悪く、山高帽をかぶった御者の男は、努めてゆっくり馬を走らせているようだ。
下草で隠された落石を車輪が踏みつけ、荷馬車が大きく揺れた。
「ああもう、ひどい揺れね! シャックリでもしているみたい」
少女はそう呟くと、旅行鞄に恨めしげな視線を送った。
革張りの鞄は頑丈が売りで、彼女と違って板張りの床に打ち付けるお尻もない。普段乗っている馬車であればもっと乗り心地がいいのだが、こんな荒れた道は走れないだろう。
御者は耳ざとく反応し、少女に向かって肩越しに頭を下げた。
「申し訳ございません、お嬢様。もうしばらくご辛抱下さい。何分――」
「別にあなたのせいじゃないわ。こういう道なんですもの」
少女はいささか慌てた様子で御者の言葉をさえぎると、背中をしゃんと伸ばした。
やがて大きなカーブを抜けると緑陰は左右に退き、視界が開けた。
「うわぁ……!」
左手に広がる峡谷は、思わずもらした感嘆に足るだけの見事な景観であった。
谷間は滴るような緑で彩られ、侵食から取り残された岩の柱が、巨大な植物の芽のように木々を割ってそびえ立っている。青く霞む対岸の背後には、白い冠を頂いた山々が控えていた。
「すごい……素敵……! シティにはない眺めね」
少女が振り返ると、遠くに朝方通り過ぎてきた廃坑跡がちらりと見えた。
荷馬車は峡谷の右岸に掘り込まれた回廊上を、谷の奥へと向かっている。
膝立ちになって荷台の左側へ移動すると、少女は身を乗り出して崖下をのぞき込んだ。吹き上げる風に帽子を飛ばされそうになり、両手で抑える。
突然、数匹のウィングキャットが目前に躍り出てきた。
小さな悲鳴を上げて、少女は尻餅をつく。
ウィングキャットは広げた翼一杯に風をはらんで、さらに上空まで舞い上がった。
見上げれば、お互いにミーミーと鳴きかわしながら、軽やかに遊弋する沢山のウィングキャットの姿があった。
少女はくすくすと笑い出した。
この愛らしい翼付きの猫は、シティでもペットとして人気があった。羽根自体は小さく、一見飛ぶことなどできそうにないのだが、翼端から霊気を伸ばしており、実質的な翼長は見掛けの数倍に及ぶらしい。
「お嬢様、見えてまいりましたよ」
御者が指さす。山ひだの影から、二階建ての山荘が顔を出し始めていた。
遠目にも太い木を組み合わせた素朴な造りがわかる。道は山荘の前庭で行き止まりになっていた。
少女はそっけなくうなずいた。
「――そう」
年齢と不釣合いな、感情に乏しい声。
表情からも先ほどまでの朗らかさが、かき消されていた。
「あなたも直接会ったことはないのよね? その、エルフの子に」
「はい。ですが、お嬢様の学校にも血筋を引く方は大勢いらっしゃるでしょう」
御者は、少女が先行きについての不安を持っているのだ、と解釈したらしい。
顎を反らし、少女は冷ややかに答えた。
「そうね、わたし以外はみんなそう。ひいひい御爺様がエルフとか、ひいひいひい御婆様がエルフの孫だとか、馬鹿馬鹿しいったらないわ。あなたを悪く言うつもりはないけれど、あの連中には、ときどき我慢が――」
「お嬢様、おつかまり下さい!」と叫ぶと、御者はいきなり手綱を引絞った。
とっさに荷台の柵にしがみ付き、少女はなんとか急減速に耐えた。
停止した荷馬車の前方に、右手の崖から握り拳大の石が降り注いだ。ついで、地響きを立てて大きな獣が転がり落ちてくる。
獣は雄牛ほどもあるツチブタであった。
身をよじって立ち上がると、ツチブタは鼻面を荷馬車に向けていなないた。
長く伸びた槌状の鼻は極めて頑丈で、たくましい四肢が生み出す突進力と合わせて、恐るべき武器になる。
怯えた馬が暴れ出し、御者は手綱を抑えるのに懸命となった。道はせまく、馬を落ち着かせなければ逃げることすらままならない。
少女は御者台に乗り移り、御者の懐に潜り込むと手綱に飛びついた。
「剣を!」
精一杯の力で手綱をさばく少女にそれ以上話す余裕はなかった。
だが、御者はその意を解した。
一瞬ためらった後、手綱を離して御者台の横に据えつけた剣に手を伸ばす。
応じるように、ツチブタは猛々しく鼻を振り上げた。
その刹那――なぜか、さらに子供のツチブタまで崖から降ってきた。
子ブタは空中でくるくると回転し、親ブタと荷馬車の間にどん、と着地する。
「え……?」
少女は目前の危機も忘れて、ぽかんと口を開けてしまった。
よく見ると、それは子ブタではなかった。
しかし、同じくらいの幅があった。と言うより、丸かった。
ありていに言って、肥えていた。まんまるだった。
それは少女と同じ年頃の少年だった。
ツチブタは一際高くいななくと、地を蹴って突進した。
「いかん!」抜刀した御者は荷馬車から飛び降りて「君、早くこっちへ!」と叫んだ。
御者の声に少年は即反応して、駆け出した。
真っ直ぐ、前方のイノブタへ向かって。
「ば、馬鹿! そっちじゃないわ!」
少女が言い終わる前に、少年とツチブタは正面衝突した。
土煙が舞い上がり、少年は跳ね飛ばされ――なかった。
「駄目だよ、暴れまわっちゃ。おとなしくしてよ」
およそ場違いな、のんびりした声。
ツチブタの突進は少年に食い止められていた。自慢の鼻は両手でがっちり押さえられ、先端が少年の腹部に軽くめり込んでいるだけであった。敗北を認められないのか、ツチブタは尚もじたばたと暴れた。
少年はため息をついた。
「もう、しょうがないなぁ……。痛くても知らないよ?」
つかんでいる鼻を脇に抱えると、ツチブタの足の動きに合わせて、上体を右にひねる。
がくんと前足を折りかけ、ツチブタがたたらを踏む。
少年は素早く左側へ切り返し、ツチブタの体勢を崩す。
そのまま回転を始め、ツチブタも彼を中心にして、ぐるぐる回る羽目になった。
どんどん勢いが増し、追従し切れなくなった獣の蹄が空を切り出す。
「よおおおおい、しょ、っと!」
かけ声と共に杭を引き抜くようにツチブタを持ち上げ、一気に放り上げる。
かわいそうな獣は抗議の鳴き声をあげながら、崖の上へ消えていった。
「ぼくの勝ち!」
丸顔をさらに丸くして、屈託なく笑っている少年。
その顔の両側には、見事な尖り耳が生えていた。
かーみーかーぜーの、じゅつーっ! は使えません。
故にスカートはめくれず、残念です。