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遥か彼方のadolescence  作者: 靴太郎
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六月のエゾギク(芽)

 どんよりとした雲から雨が降り始めたのは、まだ通学時間の只中の事であった。



 通学路では学生たちが傘を差し始める。

 ごく一部、傘を探しているのか、鞄の中をあさる女学生や、鞄を頭上まで上げて、雨に対し抵抗を試みている男子学生も見受けられた。

 ただ、そんな微々たる努力も空しく、アスファルトに打ちつける雨の勢いは増すばかりである。



 校門前では、生活指導を担当する教師が雨の中、ビニール傘を片手に髪を染めている生徒に対して指導を行っていた。


 指導を受けている生徒の態度に反省した様子はなく、傘を持っていない方の手を、下げたズボンのポケットに突っ込んでいる。

 かたわらに置かれた自転車が雨に濡れ、サドルの表面に水の膜が出来ていた。



 校門を抜けた左手に屋根の付いた通路がある。

 そこに一列で並んだ坊主頭の生徒たちが、朝の挨拶を行なっていた。


 彼らの、服の上からでもわかる発達した胸板とふともも、それに気持ちのよい挨拶は、指導を受けた罰として、無理やりに参加をさせられている生徒というわけではなさそうである。


 雨だろうか汗なのか、水気に濡らされた頭を輝かせながら元気よく挨拶をする彼らも、チャイムが鳴ると静かにその場を離れ始めた。



 先程、指導を受けていた生徒が二年二組の教室に入り、窓際の前から二番目の席に着くと、後ろから肩を叩く生徒のほうに顔を向けた。


「ずいぶん長かったな、拓也(たくや)

健二(けんじ)、俺は友達思いの親友が欲しいよ」

「悪く思うなよ。こんな雨の中で、友と一緒に濡れてやるなんて気概(きがい)、俺は持ち合わせてないからな」

 健二は、肘を机にのせて、手に頭を傾けていた。


「お前にそこまで期待してねえよ。それより、この雨の中で五分も立たせやがって。正気じゃねぇよ、ゴリケンのやつ」

「また今日は、なんで止められたんだ」

「それがわかんねえんだよな」


 拓也は、健二の顔から目を逸らし教室を見回すと、机に突っ伏している生徒のところで目を止めた。

「今日も大星(たいせい)は寝てるな」

「まぁ、朝練の後だろうし、眠くもなるだろ」

「まったくもって、起きてる俺が下から数えた方が早くて、寝てるあいつが上位三十人に入る学校のテストなんて、やる意味があるのかねぇ」


 健二はおもむろに、窓ガラス越しに映る灰色に染まった空を眺めた。

「そんなにひがむなよ。大星だって何も、寝てるだけで勉強をしてないわけじゃないんだし」

「そりゃ大星は努力してると思うけどよ、それにしたって不公平すぎないか」


 拓也は健二のほうに顔を戻した。

「もう決めた。今後一切神様なんて信じねぇ」

「なんでそういう方向に進むんだよ」


 二人がそんな些細なことを話していると、二回目のチャイムが教室内に響き渡った。



 チャイムが鳴り終えると同時に、教室の扉が開いて二年二組の担任の教師が入ってきた。


 まだ二十代後半だろうか、短く整えられた髪型が爽やかな印象を与える。


 保健体育でなければ、国語か地理歴史の授業を担当していそうなその教師が、教壇に上がり教卓に両手をつけると、生徒を見回してため息をついた。

「今日もお前は……」

 と小さくこぼす。


「森、阿土(あづち)を起こしてやれ」

 隣の席の森は、立ち上がると阿土の背中を揺すり始めた。

「大星起きろ。ホームルームだぞ」

 そう言いながら背中を揺するが、全く起きる気配がない。


 何度か揺すってようやく目を覚ました阿土大星(あづちたいせい)は、周りの気などお構いなしに大きな伸びをしてみせた。

「もうお昼か。今日はやけに早いな」

 と、あくびをしながら言い放った。


「そんなわけあるか! 四時限目どころか、ホームルームもまだ終わっていないんだぞ」

 まさに、魂の叫びとでも言うのだろうか。

 寝ぼけ眼であった大星を目覚めさせるのに、十分な力を発揮したようである。



「阿土も起きたところでホームルームを始めるが、その前に一つ、このクラスに転入生が入ることになった。今扉の向こうで待っているので、温かく迎えてあげてほしい」

 そう言うと、教師は扉に顔を向けた。


「入ってきて」

 二年二組の生徒四二人の視線が扉の一点に集中された。

 いや、つい数十秒前までの出来事であったはずの大星の眠気が、再び睡魔に襲われてウトウトしている大星を除いた四一人の視線が扉の一点に集中された。


 扉を開けて入って来たのは女子であった。

 まだ少女と言って差支えのない年齢であるはずだが、彼女は大人びていた。


 大きく鋭い瞳が一瞬(きら)めき、触れると凍りそうな白い肌が照明に照らされて光り輝く。

 妖艶(ようえん)な雰囲気の漂う口元の(うるお)いに、腰まで伸びた黒髪のなんと(あで)やかなこと。


 そんな彼女に男子が()入られないわけはなく、それのみか、女子さえも憧れの眼差しを向けている。

 男女から放たれる羨望(えんぼう)嫉妬(しっと)の渦が、二年二組の教室を飲み込んだ。



 彼女は、腰まで伸びた黒髪を揺らしながら、優雅(ゆうが)な足取りで教壇をあがると、教卓の手前で生徒に向き直る。


「じゃあ自己紹介をお願いします」

 教師がそう言うと、彼女は一つお辞儀をし、四二人に背を向けると、おもむろにチョークをつかんだ。


 十数秒間、チョークと黒板の(こす)れる音だけの空間で、大星の寝息が聞こえたものは少なくないだろう。


「みなさん初めまして。私は雲影真白(うんえいましろ)といいます」

 彼女の声はよく通った。

 まるで、流れる川のように。

 水が深きに潜るように、その声は耳に潜っていく。


「みなさんと仲良くできたらと想いますので、どうぞよろしくお願いします」


 話している間、彼女は笑顔を絶やさなかったが、話し終えると、彼女は不敵な笑みを浮かべて、小さく呟いた。

「阿土大星くん……」



 四一人の生徒は、彼女を惜しみない拍手で迎え入れた。

 教師が、拍手を止めるよう促すと、続けて彼女に向き直る。

「席は一番後ろの、空いているあの席でいいかな? 雲影さん」

「すみません。少し視力が悪いので、できれば真ん中の列の三番目、いえ、四番目までの中でのどこかの席であれば嬉しいのですけど」

「そういうことなら、一度聞いてみよう」


 教師は正面の列に座る生徒の顔色をうかがった。

「雲影さんは視力が悪いみたいなんだ。誰か変わってあげれないか」


 真ん中の列の生徒は(ことごと)く視線を落としていたが、その中で一人、手をあげている生徒がいた。

「であれば、僕が変わりましょうか。前から三番目なので雲影さんの希望にも沿えるかと思いますし」

 森である。


「森いいのか」

「僕の視力はいいほうなので、後ろの席でも大丈夫だと思います。その代わり、隣のこいつが授業中に寝てたら起こしてくれないか」

「もちろんよ。ありがとう、森君――」



 今日の雨は、まだまだ止む気配をみせない。




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