世界で一番すきなひと(6)
拒まれなかったのをいいことに、調子に乗って長々と舌を絡めていたら、さすがに肩を押された。
「苦し……しゅ、主任っ」
離れた唇の隙間から、絶え絶えの呼吸で藍子は呻く。
「窒息、しそうでした」
「そのくらいは手加減するって」
軽くあしらいながら彼女のルームウェアをまくってみる。フリースの生地の下に手を差し込んでみたら、そこにあったのは素肌ではなく、別の生地だった。もう少し下着っぽい、綿っぽい何か。
「……お前、随分キャミソール好きだな」
「え? いえ、好きで着てるってほどではないですけど……あああ待ってください主任! そっちはめくっちゃ駄目です!」
夏場の恨みが甦り、復讐を果たそうと言う気になった。俺は藍子の制止も聞かずにキャミソールの裾も跳ね除け、その下にある柔らかい腹を撫でる。
しゃっくりみたいな声が、彼女の口からは漏れた。
「駄目って、言ったのに」
「いいじゃん、こんなにすべすべなんだから。触り心地いいなー」
「く、くすぐったいですってば」
彼女は身を捩ったが、それが本当にくすぐったさなのかはこの機会にちゃんと考えてみるべきだ。今も可愛らしく目を閉じたから、俺は違うと踏んでいる。
それにしても彼女の肌はすこぶる触り心地がよくて、つい夢中になって撫で回したくなる。柔らかいだけじゃなくて吸いつくように瑞々しい。これが若さか。
「やめてください主任、そこ、ぷよぷよしてますから」
藍子は手を伸ばしてきて、こっちの手首を掴もうとする。その隙に耳を舐めたら一度びくりと引っ込められたが、諦めず地道な抵抗を繰り返す。
「なら、腹じゃないとこ触っていいか」
そう聞いたら、閉じた目を開けて激しく面食らわれた。
「え……ええ!? いえあの、他のとこならいいって話でもなくってですね!」
「胸ならいいのか?」
「よくないです! だって、ちっちゃいですから……」
「さっき言っただろ。揉めるだけあればいいって」
途端に藍子が黙ったから、とりあえずキャミソールごとがばっと大きくまくって、その下に控えたすべすべした肌を、
「わあ! ちょちょちょ、待ってくださいっ! 駄目です本当に駄目です!」
ものすごい勢いで、藍子がキャミソールの裾を俺の手から奪い取る。それを伸ばすみたいにして元に戻そうとする。もちろん俺も戻させたくはないから、しばらく大岡裁きみたいに布地の取り合い引っ張り合いになる。
「駄目とか言うなよ寂しいだろ!」
「だ、だって! 主任が急にめくったりするからです!」
二人で乗っかるベッドが、こんな他愛ないことでもぎしぎし言う。
「急じゃなかったら駄目じゃないんだな? 予告でもすりゃいいのか」
「そういうことでは……あ、ええと、そういう、ことなのかも……」
藍子が言葉に詰まった拍子、裾を掴んでいた手の力が緩んだ。お蔭で引っ張り合いの勝者は俺となったが、お上の裁きはきっと藍子を真の親だと評するだろう。
晴れてキャミソールの裾をまくり始めた俺を、藍子は仰向けのまま物問いたげに見ている。脱がされかかってる奴の表情にしちゃ不自然だから、手を止めてこっちから聞いてみた。
「どうした?」
彼女が恥ずかしそうに目を逸らす。
「あの、主任。質問があるんですけど」
「何だ」
「やっぱり、脱がなきゃいけないんでしょうか」
今更みたいな疑問を呈してくる。
「何て言うか、さ、最終的には、全部脱いでなくちゃいけない、ものなのかなって……」
恥じらいつつも彼女の口調は真剣だ。
が、そういうふうに聞かれると俺としては逆にいたずら心が芽生えちゃうと言うか、ついつい弄りたくもなってしまう。
「え、何だって。最終的にはってどういう意味だよ、どういう状況のことだ?」
「どうって、その……ふ、普通にこういう感じで、あの」
「だから『こういう感じ』って? どうなってたら全部脱いでそうだって言うんだよ」
「ええと、ですからそれは、察してください!」
「言ってくんないとわかんねーなあ……。ほら素直に答えろ藍子」
「……主任は、意地悪です」
からかいすぎたか、悔しそうな顔をした藍子はそこでくるりと身体を裏返し、俺の枕に顔を埋めてしまった。ノーガードの背中を眺めつつ、俺は仕方なく詫びに入る。
「悪かったよ。ちょっとふざけすぎた」
「私、結構真面目に聞いてたんです。主任なら教えてくださると思って!」
「わかったって。教えてやるからこっち向け」
枕にぽすんと横向きになった顔を、上から覗き込んでみる。潤む瞳が薄暗がりに光って、揺れているように見えた。
「別に、どうしても脱がなきゃいけないってわけじゃない」
その彼女に、俺は何とも奇妙な新人指導を始める。
「でも全部脱がない方がかえって恥ずかしいもんだ」
「そ、そうなんですか? そう、かな……」
藍子は腑に落ちない顔をしている。でも実際やってみればわかるが、半脱ぎくらいだとむしろ全裸より興奮しちゃってまずい。俺はそういうのも好きだけど、最初くらいは普通にしといた方が彼女の為だ。
「ほら、靴下だけとかって余計やらしい感じがするだろ」
「……よく、わからないです」
「わかんないかなあ。じゃ、機会があったら試そうな、それも」
でも今回は最初ですから。せっかくの初回限定ですから。
「こうしなきゃいけないとかじゃなくて、ただ俺は、お前の全部が見たい」
ほっぺたにキスしながら、お願いしてみる。藍子の頬はやっぱりすごく柔らかくてぷくぷくで、あれこれ騒いだ後だからか、熱でもあるみたいに火照っていた。唇に熱ささえ感じた。
「あ……!」
息を吸ったのか吐いたのか、判別つかないような彼女の声。可愛い。
「お前がどうしても恥ずかしいなら、俺も一緒に脱ぐから」
そう続けると横向きの肩が震えて、ぎこちないながらもまたこっちを向いてくれた。
「しゅ、主任がですか……?」
「ああ。脱ぐよ俺、お前が見たいって言うならためらいもなく惜しげもなく脱いでやる」
「み、みみ……!? 言ってない、言ってないですそんなこと!」
藍子が思いっきり慌てふためている。可愛い。
「じゃあ何だよ、俺のは見たくないって?」
また意地悪なことを言ってしまって、もう一回拗ねられるかなと思いきや、そこで彼女は酷くうろたえてみせた。
「見たくないってわけじゃないんです、違うんです。それは確かに、見たいかって聞かれたらそうでもないって言うか、そうでもなくないって言うか、どっちかって言うとよくわからないくらいですけど、見たいとか見たくないとかそういうんじゃなくて、ただ、恥ずかしいですから……!」
今の発言の論旨はつまり、恥ずかしいだけで見たくないってほどではない、って解釈でいいんだろうか。
「二人で脱げば恥ずかしくないって」
俺は勧める。藍子はかぶりを振る。
「恥ずかしいですよ! 私よりもむしろ主任が脱いでしまわれる方が!」
「別に俺はどうってことないけどな」
「で、でも。だって、それって……」
再びずぶずぶと、枕に埋まっていこうとする彼女を追い込むように近づく。今までは体重をかけないようにしていたが、上に重なるようにして逃げたがる藍子を全身で捕まえてみる。
深い溜息が零れる。
「好きな人のとか……見たら、絶対、どきどきします」
その言葉はボディブロー並みに強烈に効いた。
俺は藍子の、何にもわかってない純粋無垢かつ天然系の物言いだって好きだが、でもこういう『わかってる』がゆえの可愛い物言いはより好きだし、非常にこう、何がしかの欲求が駆り立てられる感じがする。
論旨はつまり――むらっとする。
「だから見たいんだよ」
もう堪らなくなって、彼女を力ずくで枕から引き剥がした。唇に唇を押しつけながら、もう一回キャミソールの裾をまくり上げてみる。前面よりもガードの緩い背中に手を回して背骨沿いに指で引っかく。大きく身を捩った彼女が声を上げた。
「きゃっ……主任、それ、くすぐったい……!」
だから違うだろ。まだわからないのか。
首筋に軽く噛みついたら往生際悪くじたばたし始める。構わずそこらじゅうにキスしまくると、風呂上がりの石鹸の香りに混じって、彼女らしい匂いがした。
「しゅ、主任……っ! 待って、待ってください」
苦しそうに呼ばれると、それが自分の名前じゃなくても気が狂いそうになる。日常的に呼ばれ慣れてる名称だからか、仕事中の些細な光景がこんな時でさえ切り離せずに一層興奮した。
耐えられない様子で目を固くつむった藍子が、そうやって仕事中とはまるで違う、鼻にかかった声で俺を呼ぶ。
この顔も、この声も、確実に俺しか知らない。
「もう待てない」
本当に、駄目だった。
止めようがなかった。
「脱がせるからな、藍子」
そう告げたら彼女はうっすらと目を開き、こわごわ聞き返してくる。
「主任も、あの、一緒に……ですよね?」
「やっぱり見たかったのか」
「ち、違いますよもう! 一緒なら、怖くないかなって……」
藍子はじっと俺を見上げて、こんな時ですら真摯に語る。
「他のことでも長く、お待たせしてましたから……主任に、悪いなって思ったんです。もうこれ以上は待ってもらうこともないように、したいんです」
話がめでたくついたので、俺はTシャツだけを脱ぎ、ついでに藍子のルームウェアの上と因縁のキャミソールとを手早く剥ぎ取ってしまった。
パジャマのズボンだけはまだきっちり身に着けた、とてもアンバランスな格好の彼女。案の定、俺は輪をかけてむらむらしてしまって、予想にたがわず小ぶりな彼女の胸に、最初は優しく触れてみた。
すると藍子は声を上げ、
「あ、あの主任! 手を……」
「退けろっつっても聞かないぞ」
「そうじゃなくて……その、動かさないでください、くすぐったいから」
結局まだまだ待たせる気じゃねーかと思って、俺はその頼みなんて聞いてやらなかった。
藍子は、そのすべすべした肌のどこに触れても『くすぐったい』と言った。
それどころか、俺と直に肌を重ねるだけで身をくねらせ、可愛い声を漏らした。次第に火照っていく身体は抱き締めるとしっとりしていて、舐めると汗の味がした。
「あっ」
彼女が鼻にかかった色っぽい声を上げる。
その声の甘さに自分で気づいたか、途端に酷くうろたえて、自分の口を片手で覆い始めた。
「こら、ちゃんと声聞かせろ」
俺が手首を掴んでその手を退けると、涙目になって俺を見上げる。
「や、駄目ですっ、声出ちゃう」
「出せよ。可愛い声だろ」
「だって主任、隣に聞こえるって、前に……」
確かにそんな話もしたが、夢中になってしまえばそんなものどうでもよくなる。初めて聞く彼女のそういう声も、せっかくだから漏らさず堪能したかった。どうしても気になるっていうなら、次回からは防音のしっかりしている施設にでも行こう。
「いいから声出せ。どうせ我慢できないだろ」
囁きながら耳を噛むと、彼女は唇を噛み締めて声を堪えたようだ。真面目ないい子で通ってる小坂藍子が、必死に声を我慢しながら耐えている。その姿が本当に可愛くて可愛くて仕方がなかった。
俺にあれこれされて目元に涙まで滲ませて、なんて健気なんだろう。こんないたいけな子を酷い目に遭わせる奴がいてはならんと思う一方で、乱暴な欲求が込み上げてきて、俺の手で更にめちゃくちゃにしてやりたくなる。全く矛盾している。
でもそういう矛盾した気持ちの両面で、俺は本当に心から彼女が好きだ。
「しょうがねえな、ほら」
「え……」
俺は柔らかい彼女の唇を指で開かせ、そのまま咥えさせた。小さな口は人差し指と中指が入るのが精一杯で、狭いが温かくて柔らかい。
指で口を塞がれた藍子が、怪訝そうな目で俺を見る。
「声出そうになったら指舐めてろ、少しは我慢できるだろ」
そう告げると、彼女は半信半疑の顔で俺の指を舐め始めた。ちろちろと控えめな動きで触れる舌先が指にこそばゆい。
「もうちょっと舌使え、さっきのキスみたいに」
俺は仕事を教えるみたいに、藍子に丁寧に指導をする。
「舌を絡めるようにするんだ、できるよな?」
「はい……」
藍子は言われるがまま、ぎこちなく舌を動かす。
どうしてこんなことをさせられているのかは理解してないだろうし、そうやってたっぷり濡らした指を何に使われるのかも知らないんだろう。そのくせ俺のことは心から信頼していて、俺が悪いことを企んでいるなんて考えもしない。
その信頼を裏切りたくないという気持ちと、何にも知らない彼女にもっといろんなことを教えてやりたいという気持ち。俺はその両方を抱えたまま彼女にのめり込んでいく。
「上手いじゃないか、藍子」
舌遣いが次第にこなれてきて、俺は彼女の胸に誉め言葉を囁く。
彼女はびくりと身体を跳ねさせ、その拍子に俺の指を噛んだ。
「あっ、ご、ごめんなさい」
「気にすんな、痛くないから」
俺は詫びる彼女の頭を、俺が持ち得る限りの愛情を込めて撫でてやる。
「主任……」
それで藍子は柔らかく目を細め、屈託なく微笑んだ。てらてらと濡れた唇の色っぽさとは裏腹なその表情も、ある意味大きな矛盾なのかもしれない。
俺は何にも知らない彼女も、今まさに知りつつある彼女も、どちらも本当に何もかも好きで好きで好きで――この時間をじっくり楽しみたくてしょうがないのに、早く、早くと焦れる衝動も込み上げてきて、それすらも幸せだと思う。
お前もこれから、世界で一番幸せにしてやるからな、藍子。




