102号室 小説家と天才少年 その3
その2の続きです。
やけに沈んだ気持ちで目が覚めた。
僕の睡眠を耳障りな電子音が邪魔するからだ。
立ち上がり、服の中にあった携帯電話を取り出し、画面を開くと見知らぬ番号が表示されていた。
誰だが予想がつきながら、裏切を期待して通話ボタンを押した。
「おはようございます、山本です」
通話終了ボタンを押さなかった僕を褒めてほしい。
昨日の今日でどうしてこの人と朝から話さなければいけないんだ。
感情を胸の奥にしまい、相手に答える。
「おはようございます。早いんですね」
言葉に少しの皮肉と怒りを交える。
千秋は気づかないかもしれないが、山本さんなら気づくはずだ。
「警察官なら遅いくらいですよ。仕事が立てこんでもっと早いこともあるくらいですね」
見下したような態度に思わず、暴言を吐きそうになる。
もう電話を切ってもいいだろうか?
いいはずだ。
よし、今すぐ切ろう。
「そうですか。それはお疲れ様です。貴重な時間を割いていただきありがとうございました。それでは失礼させていただきます」
「ちょっと待ってください!昨日のこと覚えてないんですか?」
少しだけ取り乱した声に驚きつつ、言葉の意味を探る。
昨日は捜査協力をする(強制的に)ことになって、山本さんの人格を疑った。
木之元さんは送ってくれた時に僕の身の安全の保障と無理に捜査協力させることに謝罪したくれたから僕の中で評価が高い。
僕の周りで珍しい常識人だ。
上司に振り回されてかわいそうだと思う。
今度、一緒に飲みに誘ったら来てくれるだろうか?
「なぜだか私の評価が著しく下がっているような気がするのですが?」
安心してほしい。
昨日の時点で底辺を突き抜けてマイナスだ。
「まあ、それはいいです。三神颯太くんのことです。本日の十時に退院の予定になっているので、九時三十分頃にあなたを迎えに伺いたいのですが、問題ありませんか?」
「ああ。そちらでしたか。でもなぜ僕が?」
「私達では怖がらせてしまいますからね。あなたがいてくださった方が警備の都合もいいんですよ」
前半はまだしも後半はそっちの都合だろう。
こっちは命がかかっているのに、面倒くさがるな。
本音がただ漏れだ。
「わかりました。準備をしておきます」
「ありがとうございます。それではまた後でお会いしましょう」
山本さんの弾んだ声に怒りメータが振り切れた。
即座に終了ボタンを押して、携帯電話を布団の上に叩きつけた。
大きなクレーターを作るが衝撃は分散され、携帯電話は無事だ。
できれば一生会いたくない。
僕はバイト先にしばらく休むことを伝えた。
色々聞けれたが、それらしい理由でごまかした。
山本さんは一秒も早くも遅くなく時間通りにやって来た。
何もおかしくないはずなのになぜか気持ち悪かった。
「それでは行きましょうか」
山本さんの後に続いて、止めてあった車(昨日と同じ)に乗りこんだ。
今日も木之元さんが運転してくれるようだ。
山本さんは今日も柔和な笑顔と穏やかな雰囲気を纏っていた。
そういやこの笑顔と雰囲気に騙されたんだった。
せっかくだから次の小説は悪徳警官に騙される高校生にしよう。
別に八つ当たりとか憂さ晴らしではない。
病院へ数分で着いた。
「三神颯太くんは病室で待っています」
車を指定の場所に止め、山本さん、僕、木之元さんの順で病室に向かう。
まるでRPGのような並び方だが、もし犯人が現れた時にすぐに対応できる。
ただし、行く先の人の好奇の視線が辛い。
僕は何も悪いことをしていませんよ。
面接のように長い時間が過ぎてようやく病室に着いた。
扉をノックして、中に入る。
室内には状態を起こした三神くんと中年の医者と看護師がいた。
「さとーさん、おはようございます。本当に来てくれたんですね」
三神くんが驚きつつも、嬉しそうにはにかんでいた。
僕にはできない純粋な笑顔がすごく眩しい。
僕にもこんな時期が……なかったな。
うん。昔から今とあまり変わらない冷めた子どもだった。
「おはよう、三神くん。約束したからね。体調はどうかな?」
「はい!もうばっちりです!」
小さな両手を握って、颯太くんは元気をアピールする。
こんな素直な子が現代にも存在するんだ。
あの四つ子にも見習ってほしい。
「ならよかった。でもまだ無茶したらだめだよ」
三神くんの頭を優しく撫でた。
それだけでとろけるような笑顔を浮かべる。
「三神颯太くんの容態はどうですか?」
「まだ激しい運動は避けた方がよろしいですが、予定通り今日退院しても大丈夫ですよ」
「わかりました。お世話になりました」
「ぼく退院するんですか?」
「そうだよ。退院してしばらく一緒に僕の家で暮らすんだよ。いやかな?」
「いやじゃないです。わかりました」
三神くんは医師と看護師に向き直り、小さな頭を下げた。
「短い間ですが、お世話になりました」
にこっと控えめな笑顔にその場が和む。
「ちゃんと挨拶できてえらいね」
ご褒美にもう一度、頭を撫でる。
三神くんは照れながら、えへへと嬉しそうに笑った。
「それでは行きましょうか」
和やかな雰囲気も山本さんの一言でかき消される。
もう少しこの雰囲気を堪能したかった。
くいっと袖を引かれた。
視線を下げると、靴を履いた三神くんが僕を見上げていた。
「さとーさん、いきましょう」
大きな瞳は髪型と合わさって、女の子みたいに可憐だ。
いつか時間ができたら髪の毛を切ってあげたいなぁ。
三神くんに袖を惹かれながら、山本さんの後についていく。
病院を出て、先ほど止めた車に再び乗りこむ。
行きと違って、後部座席は僕と三神くん、助席が山本さん、運転席が木之元さんだった。
この席順なら三神くんを心ゆくまで可愛がれて幸せだ。
山本さんが生暖かい目で見てきたが、無視した。
アパートに到着し、木之元さんから三神くんの少ない荷物を受け取った。
重さからして多分、三日分くらいの服だ。
「ありがとうございました」
そういって二人と別れた。
僕と三神くんは家に入り、簡単な部屋の説明をした。
狭い部屋なので説明することもないが、三神くんは真剣に聞いてくれた。
お風呂が共同だと聞くと驚いていた。
三神くんはまだ体が本調子ではないようで、しばらくして眠そうに立ちながら、器用に船を漕いでいた。
見ていて危なっかしいから、二人でお昼寝をすることにした。
三神くんはすぐに寝息をたてていた。
久しぶりに自分のではない暖かさを感じながら、意識を飛ばした。
何か揺れている。
そういえば昔よくこうして、母に起こされていたな。
目を開けると颯太くんが目の前にいた。
そして、なぜか怯えているように見えた。
玄関からチャイムと誰かの声が聞こえる。
颯太くんが何もいわなくてもいいたいことはわかった。
なぜこの時間に家の前にいる。
「心配しなくても大丈夫だよ。友達だから」
僕は颯太くんを寝かせてから、玄関に向かった。
玄関の扉を開けると、千秋と新が立っていた。
千秋は口元を吊り上げ、いや新しい玩具を見つけたように歪ませていた。
しかし、よく見るとこめかみに青筋が浮かんでいた。
相当、怒っているようだ。
「よう。インフルエンザだって?こんな時間まで寝込むほど重症だなんて大変だな」
「……ごめん、アキ。何時間待った?」
「いやあ、ニ時間だ。俺をこんな寒い中待たせるとはいい度胸じゃねえか?どうせ一緒にレポートやるって約束を忘れて寝てたんだろ?」
千秋は嬉々として声音で僕を責めたてた。
颯太くんのことで頭がいっぱいになっていたようだ。
「……返す言葉もございません」
「いつまで学校をサボるつもりだ?」
完全に嘘がばれていた。
野生の勘か?
隣に立っている新に視線で問いかける。
「僕達と違って真面目で体調管理もばっちりなリョーヘイがいつまでも休むなんておかしいと思ってね」
肩をすくめて、あっさりと白状する。
新の入れ知恵だった。
わかってるなら黙ってて欲しかった。
こうなることは予想できただろう。
ぽそっと千秋に聞き取れないように呟く。
「ん?何かいったか?」
「何でもないよ。それじゃ体調が悪いから今日は帰って」
これ以上、僕と仲良くして被害者候補を増やしたくない。
「休んでいた分のノート」
「ちょっと散らかってるけどどうぞ」
素早く僕は二人が通りやすいように、体を脇に寄せた。
学生にとって休んだ分のノートは何物に代えがたい。
特に大学は一日は教科書数十ページ進むこともざらにある。
例えそれが千秋のノートではなく、新のノートでもだ。
「いつものことだろ」
千秋は鋭い言葉の刃を僕に突き立て、横を通り過ぎた。
玄関の扉を閉め、振り返ったところで、千秋とぶつかった。
「どうしたの?ゴキブリでも――」
千秋の視線の先には、物陰から怯えた目でこちらを見る颯太くんがいた。
「あ、ああ、あの子は?」
僕を見る千秋の顔は、幽霊でも見たように青白く、大量の冷や汗を流していた。
珍しく新も戸惑っていた。
「一昨日、道に倒れていてね。今、ご両親が家にいないらしくて、一時的に僕が預かっているだよ」
「あ、そ、そうか。てっきり隠し子的なことかと……」
千秋と新は安心したように溜め息を吐いた。
二人は俺をなんだと思っているんだ。
彼女なんてできたことがないのはお前らが一番知っているだろう。
「僕はまだ二十二だ。仮にいたとしたら退学してる」
「それもそうか。それでいつ迎えが来るんだ?」
「知らない」
僕の言葉に千秋と新の笑顔が停止ボタンを押したように固まった。
「知らないって何!?もしかして本当は……!」
「違う。捜索中だ」
再び千秋の顔が青白くなる前に僕はいった。
「連絡がつかないってことか?旅行じゃねえの?」
「子供を置いて?まあ……ないことではないと思うけど納得はできないね。普通はこのくらいなら一緒に連れて行くか、親戚の人とかに預けるよ」
新が冷静に千秋の意見を否定する。
さすが新。鋭いところを突いてくる。
レポート作成では助かるが今は困る。
事件に二人を巻きこみたくない。
「じゃあ仕事とか?」
「そうかも知れないね。ともかく理由はわからないけれど、行き倒れるくらい重症の子供をそのまま誰もいない家に帰すわけにはいかないよ」
「なるほどね。あの子の名前はなんていうの?」
「三神颯太くん。小学二年生だよ」
「えっ!?男か?髪が長いからてっきり女の子だと思ったぞ」
千秋は少々大げさなリアクションで驚いた。
「僕も最初は驚いたよ。アキと新、そろそろ早く奥に行ってくれないかな?玄関は寒い」
「外で二時間も待っている方が寒い!」
千秋は鬼のような形相で僕を睨んだ。
新はにこにこしているが、目が笑っていない。
「……本当にごめん」
僕は小さく頭を下げた。
二人は呆れたように溜め息を吐いて、奥の部屋に進む。
僕も鍵を閉めて後に続く。
「もういいぜ。夕飯はもう食べたか?」
千秋はあっさりと話題を変えた。
相変わらず感情の波が激しい。
「僕はまだ食べてないよ」
「お前じゃねえよ。颯太くんだ!」
案外もう許してもらったかと思ったが、まだ僕は許してもらえていないらしい。
しかし、まあ冬の寒空で二時間も待たせたのだ。
完全に僕が悪いし、そんな簡単に許せることでもないだろう。
「三神くんもまだ食べてないよ」
「じゃあ俺が作ってやるぜ!」
一瞬、自分の耳を疑った。
千秋が料理をするだって?
目玉焼きを作ろうとして、真っ黒い炭のような謎の物体を作り出した千秋が……?
新も同じことを思い出したのか、笑顔が引きつっていた。
「いやいいよ。僕が作るよ。外で何時間も待たせておいて、作ってもらうなんて図々しいから」
僕らの身の危険を予知し、やる気満々の千秋からエプロンをさりげなく奪った。
「夕飯くらいいいぜ。それともなんだ?俺の料理は食べられねえっていうのか?」
「いや……ほら、颯太くんも待ってるし、お客のアキと新に作らせるのも悪いから、アキの料理は……また今度、時間がある時にゆっくり味わって食べたいんだ」
正直にいいたい気持ちを別の言葉にいい換えて、説得を試みる。
これが失敗すれば颯太くんの症状に腹痛が追加されてしまう。
「わかった。でも本当にそう思ってんのか?」
千秋は探るような目で僕を見た。
「思っているよ。あっそうだ。アキと新、ちょっと颯太くんを見ててくれない?」
「分かった」
そういって千秋はそうたくんのいる寝室へ行った。
心なしか千秋の機嫌がとても良くなったような気がした。
新にはすれ違いざまに、「ナイス、リョーヘイ。助かった」といわれた。
愛があっても越えられないものは存在するんだな。
僕は決して広いとはいえない台所で冷蔵庫を開けた。
中にはうどんが三玉と長葱、牛乳に冷凍したご飯、卵が三つ、そして昨日買ってきた物が入っていた。
颯太くんはまだ本調子じゃないから、おかゆか。
いや、おかゆよりうどんの方が好きなのかも知れない。
そもそも食欲はあるのだろうか?
「大変だ!颯太くんがいねえ!」
「えっ?」
「布団の中にいなかったんだ。そういえばベランダの扉が開いててよ!もしかしたら外に行ったのかも知れねぇ!」
新が指差した先でカーテンが寒風にあおられていた。
寒かったのは玄関が空いていたからじゃなかったのか!
「探しに行ってくる!」
僕はコートとマフラーを着て、玄関の扉に手をかけた。
「俺も行く!」
後ろから千秋の声が追いかけてきた。
「二人は颯太くんが戻ってくるかもしれないから留守番してほしい。あと誰が来ても鍵を開けるな!」
二人にいい残して、僕は大嫌いな寒空の下を走り出した。
最悪の状況ばかりが浮かんで、僕の頭の中をかき乱した。
どうか無事で!
リョーヘイが颯太くんにメロメロになってます。
逆に山本さんへの好感度がマイナスですね(笑)
その4で102号室は終わりです(多分)。
明日更新できたらいいなぁ。