番外編 喫茶店の魔法使い その5
まさにその時だった。
轟音が鳴り響き、広場に穴が空いた。
音の中心には彼がいた。
「一人で勝手に死のうとしてじゃねえぞ!」
魔女が閉じていた目を開くと傷だらけのトマが大衆を前に、剣を片手に下げて立っている姿が映る。
彼は傷などないかのように魔女へ叫んでいた。
「この大馬鹿者が……!」
魔女は唇を噛みしめて、彼を睨んだ。
誰のためにこんな惨めな目に遭っていると思っている。
全てはお前のためだったというのに無駄になってしまったではないか。
「貴様ア!騎士の身でありながら国王を!この国を裏切るというのか!」
この処刑の全てを仕切っていた新騎士団長が青筋を立ててトマを怒鳴りつけた。
彼もまた国王や姫を妄信している男の一人だ。
そうでなくとも悪逆非道な魔女の処刑を中断するなど、謹慎中の騎士であっても許されることではない。
彼がやったことは国家反逆罪と同じことだった。
「それがどうした!愛する者と結ばれないどころか無実の罪を着せて殺そうとする国で騎士を続けるくらいならば、俺はこの国を出ていく!」
トマは負けじといい返した。
国内最強とまでいわれた騎士の暴言にそれまで黙っていた民衆達が騒ぎ出す。
小さなざわめきは大きな物となり、処刑台の上に立つ王族達へ不信感が募っていくのがわかった。
このままじゃまずい!
早く撤回させなくては!
魔女の焦りも虚しく国王は命じた。
「あやつを殺せ」
何の感情も浮かばない声と表情で娘の婚約者の殺害を命じた。
これに動じたのは騎士だけではない。
「お父様!何も殺さなくてもよろしいではありませんか!?彼はあの魔女の魔法で正気を失っているだけですわ!あの魔女を殺せば魔法も解けるはずです!」
今にも泣きそうな顔で姫が懇願する。
だが国王の表情は変わらない。
「魔法にかかっていたとはいえあやつは私とこの国を侮辱し、あまつさえ反逆した。お前の婚約者には相応しくない!国を裏切った罪は命を持って償うのが当然である!」
国王の言葉に各自の武器を片手に騎士達が動き出す。
姫の顔から血の気が引き、気を失い倒れた。
王宮という箱庭で甘やかされて育った姫には耐え難い光景だったようだ。
侍女数名によって王城へ運ばれる。
姫を横目に人食いの魔女が魔女の目の前に立った。
その顔に浮かぶのは歪んだ愉悦。
「深淵の魔女、目の前で大事な物が壊される気分はどう?」
狂気を瞳に覗かせる彼女は悪魔よりも邪悪な存在に見える。
いや悪魔では生ぬるい。
心は魔王と同じほど邪悪にして醜悪。
「ねえ、深淵の魔女。あなたは知っているかしら?男は時間制限のある方が燃えるらしいわ。折角の機会ですし、あなたで試してみましょう?」
彼女が何をするのか、いわれなくとわかってしまう。
人食いの魔女は近くにあった松明を手に取ると魔女の足元に投げた。
あっという間に松明から足元の薪や藁に燃え移る。
「うふふ。あなたの騎士は間に合うかしら?」
子どものように無邪気に笑う人食いの魔女に寒気を覚える。
どうしてこのようなことが平気で出来るのだろうか。
「……貴様には心があるのか?」
人食いの魔女はきょとんとした顔をした後、小さな笑い声を漏らした。
「あるのか、なんて初めて聞かれましたわ。人は心がないのかと聞かれますのに」
「同じことではないか」
「いいえ全く違いますわ。魔女も人も私には心がないと思うようなのです。酷いとは思いませんか?」
人食いの魔女は駄々をこねる子どものように唇を尖らせる。
初めて会った時から彼女の仕草のどれもが子どものように見えて仕方なかった。
その理由はようやくわかった。
「そうだな。貴様にも心がある。ただ貴様は子どもなだけだ」
「何をいっていますの?私は大人ですわよ?」
人食いの魔女は魔女を下から睨みつける。
ぱちぱちと音を立ててそれらは燃えていき、徐々に上ってきた。
素足に火が届き、皮膚が燃えるが魔女の表情は変わらない。
「貴様の心は子どもと同じだ。だからどんな残虐なことも出来る」
子どもは無邪気だが時として、虫の手足をむしり取るような残虐な一面を見せる。
人食いの魔女もまた子どもと同じだ。
彼女は邪悪ではなく、無邪気であるがゆえに残虐。
理性という物がどれだけ大切な物なのかよくわかる。
「……深淵の魔女はそんなにも早く死にたいのですね。それなら私が直々に殺して差し上げましょう」
にこりと愉悦に満ちた顔に戻った人食いの魔女が魔女に手の平を向け、呪文を唱えた。
それが彼女の魔法の発動条件らしい。
『我は力を求む。代償は目の前に。我の声に答え冥界から現れよ、冥界の番犬!』
魔女と彼女の間に直径三メートルほどの五芒星ごぼうせいを中心に現在使われているどの文字でもない魔法文字の魔法陣が現れ、三つ首の犬のような獣がその上に立つ。
ケルベロスは口から涎を垂れ流し、今にも襲いかかってきそうだ。
『あの魔女を食らいつくせ!』
人食いの魔女の命に従い、ケルベロスは魔女に向かって飛びこんできた。
だが魔女が焦ることはない。
冷静に最後までとっていた切り札を使う。
『炎魔人』
炎が不自然なほど激しさを増し、魔女の全身を包みこみ、ケルベロスや十字架を巻きこんで巨大な火柱へと変わる。
数秒のうちに起きた信じられない現象に誰かが息を飲む音が聞こえた。
だが次の瞬間。
火柱が消えると魔女の他に一人の男が現れる。
『久しぶりだな~、深淵の魔女。相変わらず愉快な展開になってるな。お前さんは被虐趣味なのか?』
燃えるように赤い腰辺りまである癖の強い髪、同じ色をした目、褐色の肌、筋肉質な体、南国の露出の多い服、にやにやと酒の入った中年と同じような顔をしている存在は炎魔法において最上といわれる存在『炎魔人』だ。
こいつも普段はケルベロスと同じ冥界に住む存在である。
『そんなわけあるか!』
召喚されてそうそう魔女をからかうイフリートを怒鳴りつけた。
「う、そ……なんでイフリートがここにいますの!?」
人食いの魔女はそれまでの余裕が消え、驚きに染まった顔を見せる。
『誰だこいつ?お前さんの知り合いか?』
『人食いの魔女だ。今回の騒ぎは全てこいつの仕業だ』
『ああ!思い出した。前に何度も俺を召喚しようとして失敗していた女だ』
性格はともかく、彼持つ力は絶大であり一夜で小国を滅ぼすほどの力がある。
だから、炎魔法に適性がある魔女ならば誰でも召喚したくなる存在だ。
人食いの魔女もその中の一人だったらしい。
「どうしてあなたにイフリートの召喚ができるのです!?貴方の適正は土でしょう!?」
『この女はお前の適性を知らんらしいな』
『教えるつもりはなかったからな。まあこれからも教えるつもりはない』
『なんだ。つまらん。教えてやればよかったのに。そうすればこうして舐められることもなくなるぞ?』
『貴様に唆されて私の適性を教えてどうなったのか忘れたとはいわせないぞ?』
昔のように貴族に担がれ、王族と結婚させられそうになってはたまらない。
自由になった手で髪を後ろに流す。
「私は最強の魔女とまでいわれる深淵の魔女だぞ?貴様が出来ないことをなぜ私も出来ないと思う?」
人食いの魔女は自分の不利を悟り、真っ白な顔になり、腰が抜けたのかその場に座りこんだ。
冥界の番犬であっても炎魔人にとっては愛玩動物以下の存在。
力の差は歴然であった。
魔女は鋭い視線で周りと見渡した。
恐怖に駆られた人間は大きく分けて三つの行動を起こす。
一つは人食いの魔女のように動けなくなるもの。
一つは集まった民衆のように逃げ出すもの。
一つは恐怖の根源を断とうとするもの。
「こやつも殺せぇええええ!」
国王は最後の人間だった。
恐怖で固まっていた騎士達が魔女の元へ向かってくる。
『おいおい敵さんが増えちまったがどうすんだ?今のお前さんの魔力じゃ俺は直に消えちまうぞ?』
強さと時間と召喚に使う魔力は比例する。
つまり召喚する物が強ければ強いほど、そして時間が長いほど多くの魔力を消費するのだ。
今の魔女は万全な状態の十分の一の魔力も残っていない。
炎を媒介にしたため少しは魔力の消費を押さえられたが、数分と持たないだろう。
出来れば最後まで使いたくなかった手段だが、出し惜しみしている場合ではなかった。
『少しだけ時間を稼いでくれ。その間にトマを探し出して転移魔法で飛ぶ』
『なるほどね~。いや~若いっていいねえ。お前さんもやっと恋を知ったか』
軟派な見た目通りイフリートは色好きの男である。
『うるさい!貴様は適当にこいつらの相手をしていろ!』
赤くなっているだろう顔を隠すように魔女やは前へと視線を移した。
視線の遥か先には騎士達により傷ついたトマがいる。
自分の不甲斐なさに泣きそうになった。
泣いている場合ではないと鼓舞し、唇を噛んで涙をこらえる。
『お前さん変わったな』
やけに真剣な口調でイフリートが何かをいった。
『何かいったか?』
『いやなんでもない。そいじゃあお若い恋人たちのために一肌脱ぐか!』
『止めろ!見苦しい!』
イフリートの裸など見ても何も思わない。
むしろ暑苦しい。
トマだったら恥ずかしくてたまらないが少しだけ見た……って私はこの状況で何を考えているのだ!
魔女は赤くなった頬を片手で押さえた。
『なになに~。お前さん顔を赤くなんてしちゃっていやらしいことでも考えたのか?』
一発殴ろうとした拳はあっさりと避けられ、荷物のように脇に抱えられた。
『何をする!私に対して無礼だぞ!さっさと降ろせ!』
手足を動かして拘束を逃れようとするが無駄だった。
『無茶するなよ。その足じゃ走るどころか歩くことさえ出来ないだろ?本当はお姫様抱っこをしたいところなんだが、それをやっちゃうとお前さんの恋人に殺されそうだからな』
両足は先ほどの火でふくらはぎのあたりまで火傷し、立っているだけで辛い。
それでも魔法で治さないのは少しでも長くイフリートを召喚するためだ。
イフリートはいるだけで騎士への牽制にもなる。
『ふん。貴様の好きにするがいい』
『それじゃあ跳ばすぜ?』
イフリートは片手に魔女を抱えたまま文字通り一直線に跳んだ。
途中で邪魔をした者は彼の魔法で燃やされていたが、殺しはしていなかった。
魔女のために魔力の消費を抑えてくれているのだろう。
おかげで一分も経たずにトマの元に辿りついた。
トマを斬りつけようとした騎士を風魔法で吹き飛ばす。
あまり知られていないことだが、イフリートは炎魔法ほどではないが他の魔法も使えるのだ。
「大丈夫か!?」
イフリートのことを無視し、トマは私に駆け寄る。
彼をここまで綺麗に意識しない人間がどれだけいるのだろうか?
「私は大丈夫だ。それよりも貴様の方が重傷ではないか!?」
『お互いの心配をするのは後でもいいだろ。それよりも早くここから逃げろ』
「あんたは……?」
『炎魔人イフリートだ。恋人さん、さっきの啖呵はかっこよかったぜ?あんたにならうちの魔女さんをやってもいい』
『イフリート!何を勝手なことをいっている!』
『俺の出番もここまでだな。後は若いお二人でってなー。恋人さん、うちの魔女さんは素直じゃなくて意地っ張りで口が悪いけど根はいい娘だから末永く仲良くしてやってくれよ』
『余計なことをいってないでさっさと還れ!』
『そう怒らなくてもいいだろ?結婚式には俺も出るから呼んでくれ。あと子どもが出来たら見せてくれよ』
とんでもないことをいい捨ててイフリートは冥界へと帰って行った。
還るまで騒がしいやつだ。
「さっきの男はなんていってたんだ?」
「なんでもない!ここから逃げるぞ!私に掴まれ!」
「わかった」
手を差し出すとなぜか手を引かれ、トマに抱き上げられた。
「な、な、なぜ抱きしめる!?私は掴まれといったのだ!」
「同じことじゃねえか。ほら急がねえと騎士が来るぞ」
「くっ!仕方ない!」
脳裏に森の奥にある家を思い浮かべ、呪文を唱える。
『転移』
体が浮遊感に包まれ、景色が変わる。
トマから体を離し、魔女は目の前の景色に愕然とした。
魔女の家が森と共に燃えていたのだ。
恐らく犯人は人食いの魔女だろう。
「おい。こんな状況で何をっ!?どうした?」
「……どうやら俺に毒を盛っていた奴がいたらしい。国一番の騎士がなさけねえな」
トマは力尽きたようにその場に崩れ落ちた。
「なぜそこまでしたんだ!私にそんな価値はないぞ!」
「価値ならある。お前は俺の命よりも大事なんだ」
「嫌だ!私をもう一人にするな!私はお前だけがいれば後は何もいらぬ!そうでなければ私は狂ってしまう」
王や人食いの魔女達から侮蔑的な言動を受けても動じなかった魔女の両目から、大粒の涙が止めどなく流れ落ち、トマの頬を濡らした。
トマは手を伸ばして魔女の涙を拭う。
それでも涙は止まらない。
「なあ、マリー。最後に一つだけ願っていいか?」
「なんだ?」
「これから何度死んでもいいからお前が死ぬその時まで俺を隣にいさせてくれないか?」
トマは言葉とは正反対な穏やかな笑みを浮かべた。
「……どういう意味だ?」
「俺は独占欲が強いからよ。お前の隣に俺じゃない男が隣にいるなんて許せねえ。ずっとお前に俺だけを見て思ってほしい。お前の魔法で俺の願いを叶えてくれないか?」
トマの真意に気づいた魔女は首を横に振る。
それは人間に許されることではない。
「わざわざいわれなくとも私は貴様しか好きになならない」
「未来はいくらでも変わるんだ。お前の心だって変わるかもしれねえだろ?」
「私は貴様の信頼がないのか?」
「俺を見捨てて死のうとした前科があるからな」
トマは意地悪な笑みを浮かべる。
しかしその目は強い覚悟を持っていた。
「わかった。貴様の願いを叶えよう」
魔法は魔力だけで生まれるわけじゃない。
一番大事なことは代償と想像力だ。
「すまない、トマ……」
「お前に殺されるなら本望だ。むしろ俺が謝らなくちゃな。お前がどれだけ傷つくことになっても解放してやれないんだから。それにこれで最後じゃねえ。これは最初だ。お前が俺を思う限り何度でも逢える。だから笑おうぜ」
「確かに貴様のいう通りだな」
お互いに見つめ合い、どちらともなく軽く触れるだけのキスをする。
生まれて初めてのキスは涙と血の味がした。
「またな、俺だけの女」
「ああ。しばしの別れだ、私のトマ」
私は手にしたナイフをトマの心臓に全力で振り下ろす。
殺らなくてはならないなら、せめて彼が苦しまないように一瞬で終わらせる。
私の気持ちを知ってか知らずか、トマは身動き一つせずに笑顔でそれを受け入れた。
震える唇を叱咤して私は呪文を唱える。
『我は神の理に干渉する。我の魔力を代償にこの者の魂をこの地に縛り、生と死を繰り返す永続の環を創造しろ』
私の中に眠っていた膨大な魔力が抜けていき、トマのまだ温かい血が地面に魔法陣を描く。
魔力の器である体が軋み壊れていく音がする。
もう二度と魔法が使えなくなるかもしれない。
魔法が使えない私はただの人間にも劣る。
だがそれでもいいと思えた。
再びトマと出会えるなら、もう私は何もいらない。
そして、後に最初の永久使用禁止魔術となる時空魔法『転生』が創り出された。
「以上で昔話は終わりだよ。人から聞いた話や私の憶測もいくつか混じっているから全てが事実だとはいえない。さすがに私以外の当事者たちは皆亡くなっていて確認をとれないからね」
「大変興味深い話でした。トマが特に傾国の美姫よりも主を選んだことが驚きですね。姫と結婚すれば生涯を約束されたも同然だったでしょうに」
フェイトらしい意見に猫は苦笑する。
だが、彼のように愛よりもお金や身分などを選ぶ人間も多いだろう。
トマの意見の方が稀である。
「確かにそうだね。でも庶民であったトマが騎士団の団長になっただけでも、貴族から結構いわれていたようだよ。結婚していたらもっといわれていたから、安易に姫と結婚しなかったのは正解だったのかもしれないね」
「そういわれればデメリットもそれなりにありますね。それを踏まえて考えると主を選んだことも悪くない選択でしたね」
「いや、私を選んだことは最悪だと思うよ。死んでしまったらもう会うことはできないからね。最善の選択は身分の吊り合う家柄の女と結婚することだった」
彼は本当に馬鹿な人だ。
私ではなく、適当な家柄の女と結婚すれば死ぬことも、何度も転生することもなかった。
それなりに裕福な暮らしもできただろう。
猫はかつて愛した男を思い浮かべて、胸が締めつけられる。
確かにあの時の魔法は果たされた。
しかしそれは私達の望む形で成されなかった。
彼は転生するたびに記憶を失うのだ。
魂が同じだから姿も性格も変わらないが、それは私が愛した『トマ』ではない。
愛した『トマ』はあの日、他の誰でもない私の手で死んだのだ。
これはきっと私への罰だ。
恵まれた環境にいたくせに、さらに“変わらぬ永遠の愛”を望んであまりに強欲だった。
“愛されること”を望むということは奪うことだ。
他人から時間も、心も、果てには命までも奪ってしまうのだから。
だからもう私は愛されることを望んではいけない。
人の魂を弄ぶ魔女だと罵倒されても、いつか死ぬその日まで、私は仮面を着け続けなくてはならない。
店の扉が開き、“彼”の来店を知らせる。
「やあ、トマ」
今日もまた私は仮面の笑顔をかつて愛した人と同じ姿の彼へと見せる。
何も知らない彼はただ嬉しそうに笑い返してくれた。
胸の奥を鋭い痛みが貫くのに気づかないふりをして、今日も私は朽ちる日を待ち望んでいる。
遅くなってすみません!
今年もよろしくお願いします!




