番外編 喫茶店の魔法使い その3
深淵の魔女に惚れこんだ騎士の名前は『トマ』。
庶民出身なので、苗字はない。
貧民街で当時の騎士隊長(現在は王の近衛隊長)を襲おうとし、返り討ちにされた上になぜか気に入られ、騎士になったという経歴を持っている。
もちろん理由を聞いた。
『絶対に将来俺を超える騎士になるから』と断言されてしまい、傷一つつけられなかったこともあって、なんともいえない気持ちになった。
深緑色の髪は短髪に切りそろえられ、鋭い目つきは凛々しく、筋肉質な体は騎士服からも見て取れる。
性格も直情的なところはあるが、困っている者に手を差し伸べるほどに優しく、自身の剣におごることはなく謙虚さも持っている。
騎士隊長に気に入られていることもあって、トマは町娘から貴族令嬢まで幅広くモテていた。
そんな選り取り見取りな彼が惚れたのは、人々から畏敬を受ける『深淵の魔女』だった。
誰も予想だにしなかっただろう。
ここ数十日の彼は誰が見ても落ちこんでいるのがわかった。
剣にもいつもの覇気がない。
それを見た女達に憂いた顔もいいとか、私が慰めるとか、思われているのだが、当の本人が考えているのは魔女のことだけだった。
「あ!深淵の魔女様が歩いてる!」
トマの幼馴染みで悪友のエヴィは窓の外を見て声を張り上げる。
彼はトマが騎士になることを知ってついてきた奇特な人間であった。
エヴィは平均的な身長に筋肉の薄い体でおしゃべりで交渉上手であり、騎士よりも文官や商人が向いてるんじゃないかとトマは思っていた。
「本当か!?どこにいる!?」
トマはさっきまでぼんやりしていたのが嘘のような勢いで椅子から立ち上がり、窓の外を見た。
「嘘だっつーの!このやり取り何回目だよ!」
エヴィはトマらしくない態度に腹を抱えて笑った。
「てめえ!俺をまた騙しやがったな!?」
トマはエヴィの頭に容赦なく拳を振り下ろした。
彼は親しい者や怒りが一定以上になると口調が崩れるのだ。
今回は両方である。
朝から何度も騙されていては怒るのも無理はない。
「いってえ!」
エヴィは大げさな叫び声を上げて、殴られた箇所を押さえた。
トマはその姿を見て、少しだけ怒りが収まった。
また椅子に座り直し、ぼんやりと魔女のことを考え始めた。
その顔は初めて魔女と会った日の嬉しそうな顔とは違い、苦痛そうだ。
何十回目になるかわからない溜息が漏れる。
エヴィは一日二日目こそトマの滅多に見れない弱った姿を面白がっていた。
しかし以降も回復しないトマに同室の身としてはいい加減うんざりしてきた。
風の噂でトマと魔女が騒ぎを起こしたことは知っているが、さすがに内容までは知らない。
この態度からは相当に厳しいことをいわれたのは想像できる。
深淵の魔女は人嫌いとして有名だからだ。
それにこりて新しい女にいけばいいのに、何がいいのか未だトマの心は魔女に向けられている。
一度や二度フラれたくらいで諦めるような男ではないが、いつまでもウジウジと悩まれてはイライラする。
だからエヴィは思いついたことをそのままいってみた。
「つーかさそんなに会いたんなら会いに行けばいいじゃん。家は知ってんだろ?」
エヴィの言葉にトマは自嘲する。
「二度と関わるなといわれたのにか?」
やや攻撃的な口調だったが、エヴィは気にしない。
「じゃあその程度の気持ちだったってことだろ?なら他の女にいけばいいじゃん。トマの恋人になりたい女なんていくらでもいるだろ」
トマはエヴィの言葉に怒りが沸いた。
その程度の気持ちだと?
彼は衝動的に立ち上がり、エヴィに掴みかかった。
「この数日間、俺がどれだけ悩み苦しんだのか一番側で見てきたお前がそれをいうか!?」
エヴィは拳を握ってトマの右頬を全力で殴った。
彼の反撃にトマは三歩ほど後ろに下がる。
「俺はフラレて泣いて引きこもる女と大差ないと思うけど?」
息を整えながらもエヴィは毒を吐く。
トマは反論もできない。
「誰に何をいわれても諦められないくらい好きになんだろ?だったらしつこく追いかけて捕まえちまえ!細かいことは二人で考えりゃいいさ!」
エヴィはにっこりと笑顔を浮かべて友の背中を押した。
トマは力が抜けたように笑い出す。
「確かにお前のいう通りだな。あれは俺の女だ。誰にも譲らねえ」
笑いを収めたトマは以前と同じ、いやそれ以上に強い目をしている。
エヴィは誰も深淵の魔女を欲しくないと思ったが空気を読んでいわなかった。
「でもまあ一発は一発だよな?」
トマはにやりと人の悪い笑顔を浮かべて、エヴィと距離を詰める。
エヴィは身の危険を察知し、部屋から逃げようとするがトマの方が早かった。
トマの拳がエヴィの右頬に深く入る。
衝撃でエヴィは吹き飛ばされ、壁に激突してそのまま気絶した。
罰の悪そうな顔でトマはいった。
「……しまった。ちょっとやりすぎた」
深淵の魔女が王都から帰ってから数ヶ月が経つ。
だがあの騎士は一緒に街で買い物して以来会ったことはない。
何度か街に行ってはいるが、タイミングが悪いのだろう。
会えない日が続くほど、魔女は彼のことを考えた。
それは例えば朝目が覚めた時、食事をとっている時などに彼は今何をしているのだろうか、この味付けは好きそうだとか、まるで嫁入り前の娘のようだ。
「この私がなぜあんな奴のことを考えなければならない!」
と真っ赤な顔で怒鳴るのだ。
それから自分が彼にしてしまったことやいったことを思い出し、自己嫌悪した。
魔女は心がここまでかき乱される理由に見当がついている。
おそらくこれはあれだ。人恋しさなのだ。
深淵の魔女といわれる前から恐れられていた。
だから今は亡き家族の他に、下心なしに彼女に触れようとした者はいない。
だけどあの騎士は違った。
下心が全くないとはいわないが、それは前に感じたものとは違う。
本当にただ手を繋ぐだけで満足し、その先を求めていなかった。
握られた手を閉じたり開いたりする。
騎士の温もりはとうにないが、感触は覚えている。
剣を握るからか固くなった皮膚は頼もしく私の手を包んでくれた。
「……私は寂しいのか?」
ぽつりとつぶやいた声に答えるモノはいない。
いつものことだがやけに虚しく聞こえた。
「今日は一段と森が騒がしいな」
実は数ヶ月前から森に侵入者がいた。
森には薬草もあるからたまに侵入者が来ることがある。
しかし今回は採取をした痕跡がない。
ならば動物の毛皮かと思ったが、動物達が減っているわけでもない。
ならば私が目的か?
日に日に森の奥へ向かってきているからあながち間違いではないだろう。
深淵の魔女と恐れられている私の元へわざわざ訪れるような者にろくな者はいない。
私を捕まえるために奴隷を使ったものまでいた。
なめられたものである。
気分転換を兼ねて侵入者を追い払うことにした。
「……貴様は何をしている?」
人間というのは予想外の事態に弱い。
それは魔女も同じだった。
あんなに会いたかった男はなぜか森の主である熊と戦っている。
主とだけあって騎士よりも二周りも大きい。
騎士は動きやすいようにか、先週と同じような格好だった。
「こいつに勝てれば俺はこの森で二番目になれるからな。そうすれば今後は楽に森へ入れるだろう?」
何を当然のことをといわんばかりの騎士に、魔女は頭痛がした。
なぜ今後も森に入るつもりでいるんだ。
仮に主を倒しても危険だということには変わりないだろう。
騎士の服はボロボロで剣は欠けていた。
主も無傷ではない。
どちらが勝ってもおかしくない状況だ。
緊迫した雰囲気の中、一人と一匹はジリジリと距離を詰め、好機を待った。
先に動いたのは主だった。
焦れたように駆け寄り、大きく振り上げた丸太のような腕を横に薙ぐ。
トマは空中に飛び上がり、主の無防備な背中へと剣を突き立てた。
主は苦悶の声を上げ、その場に崩れ落ちた。
騎士が何人もの騎士を屠ってきた主を倒したことに魔女は目を見開く。
騎士は剣をふるい、血を飛ばすと鞘に収めた。
ポケットからハンカチを取り出して返り血を吹いた。
それから魔女の前に立ち、にやりと笑う。
「俺の名前はトマだ。お前を待ちきれずに会いに来た」
前にあったときとは違う、堂々とした態度に魔女は呆気にとられる。
口調と態度だけでこれほど印象が変わるとは思ってもみなかった。
さらにトマは一瞬で顔を近づくと魔女にキスをしようとした。
魔女は正気に戻り、風魔法で吹き飛ばした。
「……今、何しようとした?」
問う声が低くなるのは仕方ない。
トマは背中を木に強打したが、痛みを感じていないように立ち上がる。
「好きな女に会ったらキスの一つくらいしたくなるだろ?」
トマはやれやれと肩をすくめる。
魔女の目が一瞬で冷めた物へと変化した。
このナンパな男に会いたいなど勘違いだ。
なぜそんな勘違いをしたのかわからないが、誤解が溶けてよかった。
「私は貴様などなんとも思ってはいない!今すぐこの森から立ち去れ!」
魔女から魔力が溢れ、才能がないものでも魔力を感じさせた。
「わかった」
トマがあっさりと引いたことに驚く。
次の瞬間にいった言葉にさらに驚かされた。
「じゃあ、またな」
トマは満足げに帰っていった。
一人取り残された魔女はなんともいえない苦い気持ちが沸いた。
それからトマは毎日のように森に通い、十数年後には魔女を迎えに来る騎士団長になった。
そんな彼に魔女は次第に感情を取り戻し、自然に笑えるようになった。
しかし、幸せな二人の元に不幸の足音が音もなく近づいていた。
王宮の謁見室に一人の魔女が登城していた。
薄紅の髪に同色の瞳、陶磁器のような白い肌に男の欲を誘う凹凸の激しい体。
彼女は片膝を突き、恭しく頭を垂れている。
「ではお主のいうことは誠であるか?」
威厳に満ちた声で王は真偽を問うた。
当然ながら嘘を述べることは即首を跳ねることになる。
「はい、陛下。深淵の魔女は騎士団長を“魔法で操り、国を内部から崩壊”させるつもりです」
たが魔女は神妙な顔で“嘘”をついた。
「ではどうすればいいのだ?」
何も気づかない王は話を続ける。
魔女は内心にやりと笑って策を出す。
「反逆者である深淵の魔女を処刑し、姫を騎士団長に嫁がせるのです。騎士団長はあくまで魔法のせいで操られているだけです。魔法をかけた深淵の魔女が死ねば自然と魔法は解除されます」
王は大きく頷き、魔女のいうままに手はずした。
愚かにも王は知らなかった。
目の前の魔女が優しい顔をして、他国を貪り食い滅ぼす、他の魔女からすら忌み嫌われる『人食いの魔女』であることを。
エヴィは久遠のご先祖様です(笑)。




