番外編 喫茶店の魔法使い その2
昔の“猫”の性格がかなり悪いので、本編の“猫”が好きな方はご注意ください。
今から数千年前の世界地図から消えたとある国と隣国の境界には深い森が広がっていた。
森には凶悪な動物や猛毒を持つ植物が繁殖していて、近くに住む人間は誰も近づかないような場所だ。
当然、森の中には整備された道などない。
そんな森の奥に『深淵の魔女』と呼ばれる女が一人で住んでいた。
彼女は国との契約で森の全権利を譲渡される代わりに、一年に一度王城へ行きその年を占っていた。
初めて深淵の魔女が後に運命の相手となる『トマ』と出逢ったのは王城へ行く日だった。
その日はどこまでも広がる澄み渡った青空で穏やかな風が草木を揺らす穏やかな日。
魔女は窓際のテーブルで両手よりも大きな分厚い魔術書を読んでいた。
ふいに手のひらサイズの鳥が窓際に止まり、小さな嘴で窓を叩いた。
「来たか。毎年毎年ご苦労なことだ」
魔女は嫌そうな顔で鳥が飛んで来た方向を睨んだ。
椅子から立ち上がった彼女は自身に魔法をかけ、白いシャツと黒い長パンツから、きらびやかな闇色のドレスにフード付きの黒いローブへと一瞬で着替えた。
フードを被れば顔半分以上と足首までが隠れる。
腰まで伸びた癖の強いミルクティー色の髪は何もせずにそのまま後ろに流す。
靴は変わらず、底の厚いブーツだ。
「こんなものか」
鏡で自分の姿を確認して呟く。
それに答えるモノはこの家にはいないが。
魔術書を棚の空いていた場所に収め、玄関の扉から外に出て、魔法をかけて鍵を閉めた。
ここまで来る人間は滅多にいないが、時々盗賊や動物が入ってくるのだ。
『転移』
魔術語からなる呪文を唱える。
本来ならば長い呪文が必要だが、魔法を極めた彼女は一言で終わる。
すると魔力を元に物理法則を無視した現象が、局地的に世界を創り替える。
人はそれを『魔法』と呼び、魔法を使える者が女しかいないため『魔女』と呼んだ。
魔女の呪文に体内の魔力が応え、景色が一変し、知っている場所へと変わる。
今回は王城に近い森の入り口だ。
突然現れた黒ずくめの女に迎えに来ていた騎士達は警戒した。
「貴様!何者だ!ここがどこだかわかっているのか!」
一人の十後半くらいの若い騎士が腰に下げた鞘から剣を引き抜き、彼女に突きつける。
彼女は騎士の視線に怯むどころか、それを冷めた目で見返した。
「やめろ、ジーン!この御方は深淵の魔女様であるぞ」
低い静かな声が若い騎士を止めた。
魔女は若い騎士から声の主の方へ視線を移す。
三十代くらいの男は他の騎士よりも装飾の多い服を着ており、一目でこの騎士隊長であるとわかった。
「貴様がこの騎士隊長か?」
女にしてはやや低い声が発せられた。
声は自信に満ちていて怯える様子は全くない。
「はい。申し遅れました。この度国王から騎士隊長を命じられました、レオニダス=アルバロと申します」
レオニダスは一回りも小柄な魔女へ頭を下げる。
「貴様らは魔女へ剣を向けるのが礼儀なのか?さらには止めるのも遅すぎる。あと一瞬遅ければ首を跳ねていたぞ」
魔女の唇から出てきたのは辛辣な言葉だった。
「申しわけございません。この者には後できつくいっておきます」
魔女の横暴とも思える態度に先ほどの若い騎士が噛みつく。
「貴様!たかが魔女ごときが隊長に対しなんて口を聞くのだ!」
「黙れ、ジーン!」
慌てて騎士隊長が引き止めるがもう遅い。
「ほう。この私をたかが呼ばわりか。面白い。もう一度いえたのならば貴様の願いを一つ叶えてやろう」
魔女は面白い物を見つけたと挑発的に笑った。
「貴様ァアア!」
ジーンは怒りのまま魔女へと向かっていく。
『拘束』
魔女は指先すら動かさずに騎士を空中へと縫い止めた。
「どうした?もう一度いってみよ」
たまたま吹いた風がフードを巻き上げ、魔女の顔が晒される。
二十代半ばにしか見えない百合のように白い肌に、新緑色の目、薔薇色の唇。
どれもが若々しく、とても千年近く生きているとは思えなかった。
だがその顔には魔女らしい無慈悲な笑みが浮かび、周りの雰囲気が凍りついた。
「深淵の魔女様!この者はまだ入隊してから間もなく礼儀を知りません!何卒何卒御許しください!」
騎士隊長は真っ青な顔で慈悲を求めた。
魔女は常人には理解できない強大な力を持っている者ばかり。
それも深淵の魔女ならば若い騎士を殺すことなど赤子の手を捻るよりも簡単なことだ。
「心配しなくとも命までは取らぬ。だが再び同じ過ちをする者には容赦しない」
魔法を解くとジーンは重力に従い、地面に落ちた。
「寛大な御心に感謝いたします」
騎士隊長は魔女へ深く頭を下げた。
「わざわざ蟻を潰す趣味はないのでな。それよりも」
魔女の言葉は別の騎士に遮られた。
「美の女神よりも美しい貴方様の名前はなんとおっしゃるのですか?」
ジーンと同じ年ほどの騎士が先ほどのことなどなかったかのように彼女の傍らに膝を付き、熱のこもった視線で見上げる。
彼女はその男を先ほどよりも冷めた目で見下ろした。
「騎士隊長。貴様の隊には無礼な騎士しかいないのか?」
「重ね重ね申しわけございません!」
騎士隊長は白色にまでなった顔で頭を下げた。
ここで深淵の魔女の機嫌を損ねて登城を拒否されれば、彼は国王に首を刎ねられかねないからだ。
「二度とこの者達を迎えに寄越すな」
幸いなことに魔女は寛大だった。
騎士隊長はほっと安堵の溜め息を吐く。
「深淵の魔女様!お待ちください!私は貴方様に恋をしました。この気持ちは嘘でも夢のように忘れてしまう軽いものではございません!」
しかしすぐに先ほどの騎士が声を上げた。
彼は別の騎士隊長が見つけてきた庶民から騎士になった者だ。
出発前に魔女の危険性を説いたにも関わらず、彼は熱に浮かされたように魔女に迫る。
まさか魔女に色欲の魔法でもかけられたのか?
他の隊員が勘ぐったが、すぐにそれが誤解だと知る。
「貴様の気持ちなどどうでもいい。目障りだ。騎士隊長、二度とこの者達を私の視界に入れさせるな」
魔女は嫌悪に満ちており、言葉通り視界にすら入れていない。
「はっ!ただちに」
騎士隊長は他の騎士に取り押さえさせて距離を取らせた。
その後は何事もなく王城へと辿りつき、魔女は騎士達と別れた。
騎士達へ感慨などなく、また国の技術を集めて作り上げた壮大で歴史ある王城に怯えや緊張の色も見せず、淡々とした態度で登城した。
魔女が王城へついた後は客室で一泊し、占いをしてからようやく開放された。
王族や貴族達に夜会やお茶会に呼ばれたが、すべて一蹴した。
魔法を使わなくとも欲にまみれた顔を見れば何を考えているのかわかる。
どうせろくでもないことをさせようとしたのだろう。
それか薬でも盛って孕ませようとでも思ったか。
深淵の魔女ほどではないにしろ魔力を持つ子供が生まれれば、政治の道具になる。
幾千もの月日が経とうとも権力を持つ人間の考えていることはさほど変わらない。
そんな些事に関わっているくらいなら家に帰りたい。
そもそもあの森は我が一族の物であり、国王の許可など必要ないのだ。
ただ今は亡き父の遺言を守るために年に一度登城しているだけである。
全くくだらない。
この国の権力者も。
膨大な魔力ゆえに長すぎる命を持ち、ただ尽きる日を待つ私自身も。
『深淵の魔女』という二つ名は案外的を得ている。
誰も立ち入れぬ魔法の深みにいる孤独な女。
それが私だ。
もはや人間らしい感情さえも薄れてしまっている。
魔女は魔力の流れで進行方向から十にもならない子どもが近づいてくるのがわかった。
さらにその後ろを二十代の男達が追いかけている。
おそらく人さらいだ。
王城のある王都は比較的犯罪が少ないといわれている。
だが実際は大通り一つ外れれば、途端に犯罪に巻きこまれやすくなる。
どちらにせよ、私には関係のない話だ。
勝手にしてくれればいい。
そう思い、魔女は関わらないように道の端を歩きながら子どもと男達の方へと足を進めた。
すれ違うその時、子どもが魔女に縋りついてきた。
「お兄ちゃん、助けて!」
ドレス姿では目立つために白いシャツと黒い長パンツと長いローブ姿になっていたせいか、男だと勘違いしたらしい。
子どもらしい素早さで魔女の後ろに回りこみ、男達の盾にする。
「なんだ?てめえはそいつの知り合いか?」
男達は魔女をいぶかし気に見る。
旅人のような服の魔女とみずぼらしい服の子どもの接点がわからなかったのだろう。
彼女は親切にも自分の正体を教えてやることにした。
「知らない」
子どもが絶望したような顔で魔女を見上げるが知ったことではない。
勝手に助けを求めて来ただけであり、魔女がそれに答えるとはいっていないし、必要もない。
「ならそいつを渡せばお前は見逃してやる」
見逃してやるだと?
まるで私が男達が恐れを抱いているようではないか。
穏便に済ませてやろうと思ったが気が変わった。
魔女は呆れるほどに短気で、行動力があった。
「貴様は誰に物をいっている?貴様らごときに怯える私ではない。欲しければ勝手にすればいい」
「下手に出れば調子に乗りやがって!後悔させてやる!」
何を勘違いしたのか。
男達が刃物を取り出して魔女へと向かってきた。
その程度の動きと武器で魔女が傷つけられるわけがない。
人間の愚かさに溜め息を一つ吐いて、呪文を唱えた。
『砂埃』
砂を舞い上がらせるだけの魔法も深淵の魔女が使えば凶器なる。
全方位に向けられたそれらが男達へと襲いかかった。
砂と風が男達が巨大なヤスリで肌を撫でたように血塗れにする。
男達は大げさな叫び声を上げて、血に伏せった。
全身に激痛が走るが命には別状ない。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
愚かなのはこの子どもも同じだった。
自分を見捨てようとした魔女に感謝と笑顔を向けている。
「身の程を知れ。貴様のためにやってわけではない」
魔女は子どもから離れて踵を返そうとしたが、近づいてくる男に遮られた。
先ほどの男達の仲間か?
向かってくる方を警戒しながら現れるのを待つ。
道の角から現れたのは昨日、魔女を口説こうとした騎士だった。
今日は非番なのか黄色いシャツに焦げ茶の長ズボン姿のラフな格好だ。
しかし腰にはやや大きな短剣を下げている。
「深淵の魔女様がなぜここに!?」
一目で私だと気づくと男達を無視して魔女の目の前に立った。
しかも嬉しそうにらんらんと目を輝かせている。
王都内の警備と犯罪者の捕縛を担っている騎士が犯罪者を無視するとはこいつは馬鹿か?
「おい。貴様も騎士の端くれならば私よりもそこの誘拐犯を拘束するのが先だろう」
魔女の言葉に騎士はようやく男達の存在に気づいた。
「これは魔女様が?もしやこいつらは魔女様を誘拐しようとされたのですか!?」
なぜか騎士はそこで怒りを見せた。
魔女は確信する。
こいつはどうしようもない馬鹿だ。
『深淵の魔女』たる私が誘拐犯ごときに遅れをとるわけがないだろうが。
怒りとも呆れともつかない感情が胸に広がった。
「そんなわけがあるか。誘拐しようとしたのは私ではなくそこの子どもだ」
側にいた子どもを指差す。
子どもはひどく驚いた顔で魔女を見上げた。
まさかこの男に見える女が魔女だとは思ってもみなかったようだ。
「魔女様は心の美しさが容姿に現れているのですね」
騎士は熱のこもった視線を魔女へと向ける。
彼女は相変わらず暑苦しくうっとおしい男だとしか思わなかった。
「世辞はいいからさっさと誘拐犯を捕らえろ!」
男の態度に魔女は苛々してきて、騎士を怒鳴りつける。
「はい!」
騎士は慣れた手つきで男達をロープで拘束する。
馬鹿でも騎士らしい。
後はこいつに任せておけば勝手に処理するだろう。
深淵の魔女はそう判断して踵を返そうとした。
「魔女様、お待ちください!証人が必要ですので少しお時間をいただくことになります!」
思わず顔をしかめたのを咎める人はいないだろう。
「証人ならばそこの子どもがいる。私には関係」
「当事者よりも第三者の証言の方が信憑性があります!特に今回の件はそうです!深淵の魔女様の言葉を疑う者などおりません!仮にいたとしても私が切り捨てましょう!詰め所はあちらです!さあ行きましょう!」
魔女の言葉を途中で遮って、手を繋いで指を絡ませた。
当然のように行われたそれに一瞬呆気にとられ、騎士の顔を見上げた。
騎士はにやりと笑って、詰所の方へ歩き出す。
我に返って振り払おうとすると男は力をこめてそれを拒否した。
詰所につくと、魔女と恐れもなく嬉しそうに手を繋ぐ新人騎士の姿に、同僚や先輩達は自らの目を疑った。
数分、事情聴取のために拘束されたが、国を滅ぼすことさえも可能な『深淵の魔女』の怒りを恐れた騎士達により、普段よりもずっと早く解放された。
詰所にいた騎士達が魔女を連れてきた新人騎士を恨んだのはいうまでもない。
結果的に助けた少年は身寄りのない子ども達がいる教会に引き取られることになった。
詰所から出た魔女は目的の店に向かう。
つまらないことに時間をとられてしまった。
急がなくては帰りが遅くなってしまう。
やや速足の彼女の隣を騎士が当然のように歩く。
しばらくは無視して自分の買い物をしていたが、店主の恋人達を見るような生暖かい視線に耐えかね、三件目の店での買い物を終えた時に足を止めた。
「なぜ私についてくる。用件は済んだだろう?」
魔女は不機嫌を隠さずに騎士を見上げる。
「せっかくの機会ですので魔女様とデートがしたかったのです」
騎士は人好きのする笑顔で嘯く。
砂糖と蜂蜜を混ぜたような言葉に魔女は鳥肌が立った。
「貴様とデートをするつもりはない。目障りだ。今すぐに消えろ」
「面白いことをいいますね。私達はもうすでにデートをしていますよ?」
「これのどこかデートだ!」
魔女が騎士を睨みつけてもどこ吹く風。
「誰がどう見ても買い物を楽しむ恋人同士にしか見えません。その証拠に道行く店員がおまけをしてくれるじゃないですか」
騎士が魔女に見えるように布袋から中身を取り出して見せた。
「それはお前が店の者と知り合いだったからだろうが!おまけも断ったはずだ!にも関わらず貴様はいつの間に受け取った!?」
「やっぱり本当は欲しかったんですね。素直じゃないんですから」
「貴様の耳は節穴か!私は対等な取引でないと気持ち悪いだけだ!それ以下も以上も認めない!」
「魔女様のお考えは立派ですが、他人の好意を無視するのは褒められた行為ではありませんよ」
騎士の論を魔女は鼻で笑った。
「他人の好意など知ったことか。短い時しか生きらぬ矮小な存在になぜ私が気を砕かねばならない」
「……魔女様は寂しいお方なのですね」
騎士は笑顔を悲しげなものに変えて、魔女を見つめる。
その優しげな瞳に魔女はどうしようもない怒りを感じた。
「貴様は私を愚弄するつもりか?そのようなつまらぬ感情はとうにない」
騎士はますます悲しげな顔をして、魔女の手を取ってどこかへ向かった。
いくら魔女とはいえ、不意打ちと体格の差もあって引きずられるように後に続く。
「貴様!一度ならず二度までも私に触れるなど不敬にもほどがある!今すぐに離せ!」
魔女は魔力を練りながら最終警告を出した。
だが騎士は手を離さない。
「魔女様が寂しいという感情すら忘れたというのなら俺が思い出させてやります!」
「……やめろ」
魔女は本能的な恐怖を感じ、騎士へ制止するよう声をあげた。
「他の感情も忘れたっていうのなら全部思い出させてやります!」
「やめろ!」
先ほどよりも強く制止の声を上げた。
「好きになってくれとはいいません!だから俺と過ごしたことを忘れないでください!」
「やめろといっているのがわからないのか!貴様がいくら努力したところで私の感情は戻らぬ!貴様のこともすぐに忘れる!私に二度と関わるな!」
魔女は風魔法を唱えて強風を起こし、騎士を吹き飛ばした。
騎士は近くにあった食堂屋の壁に背中を強打し、そのままずるずるとしゃがみこんだ。
小さいとはいいがたい騒ぎにざわざわと野次馬が集まり、大きくなっていく。
騎士を吹き飛ばしたとなっては、それがどんな理由があっても魔女が不利な物であることは変わらない。
国民を守る清廉潔白、実質剛健といわれている騎士に手を出すということは疾しいことがあるといっているようなものだ。
魔女はフードを深く被り直すとまだそれほどいない人混みをかき分け、急いでその場を後にした。
こうなってはしばらくこの街で買い物をできないだろう。
焦る魔女は気づかなかった。
騎士が魔女を引き止めるように手を伸ばしていたことを。
すみません!
連日投稿が出来ませんでした!
編集中に寝てしまい、そのまま朝を迎えていました……。
布団の魔力って恐ろしいです。
明日こそは……!




