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402号室  掃除夫  その3

 その2の続きです。


 ※暴力表現があるので、苦手な方はご注意ください。

 いつの間に眠っていたのだろう。

 背筋の凍るような殺気にブラックマンバは目が覚めた。

 何も見えないほどの暗闇で、自分の上にいる何者かが鋭く光るものを振り下ろすのが見える。

 彼はとっさに体を横に転がし、それを避ける。

 次の攻撃の気配に彼は枕を投げつけ、襲撃者の視界を奪う。

 突然失われた視界に襲撃者は動揺する。

 機を逃さず、勘で襲撃者の腕を握り、武器を奪うと全力で床に叩き下ろし両腕を押さえつけるように、腹の上に馬乗りになる。

 襲撃者が呻き声をあげる。

 奪った武器を相手の喉元に突きつけ、彼はようやく暗闇に慣れた目が襲撃者の顔を見た。

 そして、言葉を失う。

 彼は人にいえないようなことをしてきた身だ。

 どこにいても命を狙われることは多々あった。

 例えば、それが軍の仮眠室であっても。

「なぜ、お前が……」

 襲撃者は先ほど去った男だった。

 いつもの穏やかな雰囲気はどこにもなく、憎々しげな顔でブラックマンバを睨んでいる。

 特別仲が良かったわけではない。

 だが、理由もなしに同じ軍人を襲うような男ではないことくらいは知っている。

「君を処分するように命じられた」

 何も聞かされていなかったブラックマンバを男は嘲笑う。

 振り返ると先ほどまで彼がいたベットには深々とナイフが刺さっていた。

 そこはちょうど心臓の真上だ。

 彼のいったことは事実なのだと否応にも理解させられた。

「俺は裏切っていない!何かの間違いだ!」

 ブラックマンバが自分の感情に気づいたのは数時間前。

 それなのにあまりに早すぎる対応だ。

「“任務をこなせない者に価値はない”あの方はそうおっしゃっていたよ。そして君の代わりに俺が選ばれた。礼をいうべきかな?君のおかげで俺は出世したんだから」

 激しい怒りと悲しみがブラックマンバの胸の奥から湧き上がってくる。

 完全に殺したと思っていた感情が今さら蘇ってきた。

 上官達は最初から俺を処分するつもりだったのか、それとも任務に失敗したからか。

 どちらにしてももうすべてが手遅れだ。

「君の方が実力は上だけど、俺は君と違って誰にも惑わされない。今回、君が失敗した任務からきっちり実行するよ。だから君は安心して眠るといい。一生、ね」

 男の言葉の意味を理解して、彼は目の前が真っ白になった。

 “久遠が危ない”

 外から数人の靴音が近づいてくるのが聞こえる。

「君の味方は最初からここにはいない」

 目の前にいる男は至極楽しそうに俺に吐き捨てた。

 男の一言が一番、俺を抉った。

 荒々しく扉を開けた仲間だと思っていた者達がブラックマンバに銃を向ける。

 反射的に彼は窓から逃げ出した。

 仮眠室が一階でよかった。

 背後から声と銃弾が追ってくる。

 俺は何のために生まれたんだ?

 こんな場所で死ぬためか?

 仲間だと思っていた者達には手柄欲しさに裏切られ、十数年従っていた国にはあっさりと捨てられた。

 俺にはもう何も残っていない。 

 彼の中に絶望が渦巻き、胸が締めつけられた。

 脳裏に一人の男の笑顔が浮かぶ。

「俺はもうどうしたらいいのかわからない……助けてくれ、久遠っ……!」

 絡まった感情のままに久遠の名前を呼んだ。 

 返事など期待していなかった。

「その言葉聞き届けた!」

 聞き覚えのある声に、彼は思わず立ち止まって声のした方を見た。

「頼られたからには全力で助けてやるよ。だから全部終わったら全力で笑えよ」

 いつの間にそこにいたのか。

 路地の影から現れた久遠は震える彼の手を引いて、誰もいない路地へと逃げる。

 未だに背後から声が聞こえるが、不思議ともう怖くはない。

 スラム街の間を縫うように久遠は走り続ける。

 次第に声が小さくなっていき、しばらくすると聞こえなくなった。

「あんたは仲間に裏切られたのか?」

 久遠は息を切らしながらも走り続ける。

「……っ!」

 思わず握られた手に力がこもった。

 そうだ。流されて久遠についてきているが、一つだけ持っていた軍人としての立場がなくなった。

 彼にはもう何もない。

 何もいわなくても久遠には分かったのだろう。

 立ち止まりそうになった彼を励ますように久遠は手を強く握り返した。

「だったら俺があんたの居場所ってやつを作ってやるから、それまであんたは俺を守ってくれ」

 久遠は一瞬だけ振り返り、信頼する親友に向けるような笑みを彼に見せた。

 全てを奉げていた国に見捨てられた俺を久遠は必要だといってくれるのか?

 絡まっていた彼の感情が解かれ、必要とされた喜びと未来への期待で心臓が高鳴る。

 封筒を片手に久遠とブラックマンバは迫りくる追手から隠れたり、応戦しながら、郊外の指定場所(届け先)へと走った。

 同時刻、別の場所でクーデターが起こっていたことを二人だけが知らない。 





 革命軍によるクーデターが成功し、数日が経った。

 元国軍との激しい戦闘で街も人も傷つき、誰もが疲れた顔をしている。

 内戦でこの国が得た物は一体何だったんだろうと、久遠は思った。

 どう見ても得た物よりも失った物の方が大きい。

 だが、戦争とはそういう物なのかもしれない。

 少々感傷的な気分で久遠は前首相が使っていた執務室にいた。

 首相席に座るのは反乱軍のリーダーをしていた男で、久遠に“偽の”機密文書を運ばせた張本人でもある。

 年齢は三十代くらいのまだまだ若い男だ。

「まさかあなたが反乱軍のトップだとは思わなかったですよ。もし俺がスパイだったらどうしたんです?」

 男の前に立つ久遠は肩をすくめて苦笑した。

 久遠もブラックマンバも。

 いやこの国の者達すらもこの男の掌の上だった。

 久遠は首相や政治家、高位の官僚達を引きつけるための囮。

 本当の目的は注意が久遠に向いている間に本物の機密文書を入手し、クーデターを起こすこと。

 だからわざわざ目立つ海外慣れしていない日本人を選んだ。

 下手をすればこの場にいなかった可能性もあり、選ばれた久遠にとっては災難としかいいようがない。

 久遠がここにいられるのは、彼の心変わりのおかげだ。

 彼がいつものように任務を実行していたら、久遠は痛みすら感じずに死んでいただろう。

 大人びていた少年も心のどこかで、止めてほしかったのかもしれない。

「うちの情報網を舐めないでもらおうか?それくらいの情報はすぐに手に入るよ」

「それもそうか。それくらい出来なきゃ国を変えようなんて思えないですからね。それで?わざわざ俺を呼び出した理由ワケは何ですか?報酬を渡すためってわけじゃないんでしょ?」

「まさか。君と話をしたくてね。これからのことは他言無用でお願いしてもいいかな?」

 久遠の背後に立っていた二人の男が後頭部に銃口を突きつける。

 返答次第では放たれた弾丸が久遠の頭を風船のように吹き飛ばすだろう。

「安心してください。最初からそのつもりですよ。だから後ろの物騒なのをしまってくれませんか?怖くておちおち話も出来やしないです」

「話の分かる人で良かった」

 男は片手をあげて、背後に立つ男達の武装を解除した。

 久遠は心の中でほっと息を吐く。

「それで話っていうのは君が連れていた“彼”のことなんだ」

 やはりか、と久遠は思った。

 直前に裏切られたとはいえ元は国の軍人だ。

 信用できないのは当然で、かといって殺すには惜しい実力を持っている。

 だが、彼はもうこの国に尽くす気持ちはない。

 俺は考えていたことを提案する。

「報酬はいいから一つ俺の頼みを聞いてくれませんか?」

「頼みにもよる。無理難題は叶えられないけど、何を頼むつもりだ?」

 男の目が細められる。

 下手な頼みは聞いてくれなさそうだ。

「あいつを一緒に日本に連れて帰りたいんです。その代わりにこの国には二度と帰りません。それじゃダメですか?」

 一瞬だけ場の空気が凍りついた。

 当然のことだろう。

 久遠が約束を守るとは限らないし、彼が長年苦しめた国に復讐をしないともいいきれない。

「なぜそこまで彼に肩入れする?」

「居場所を作るって約束したからです。それ以上の理由はありませんよ。信用できないっていうのなら俺の命と引き換えに正式な文章を作成したっていいです」

 久遠は自分の命と多少の金程度で、国の安全や彼と引き換えになるとは思えなかった。

 それでも彼との約束を破りたくない一心で言葉を続ける。

 もしかしたら、国に捨てられ、居場所を失くした彼に久遠自身を重ねたのかもしれない。

「……いいでしょう。その頼みを報酬にするよ。出来れば速やかにこの国を出ていただけると助かる」

 苦い顔をしながらも男が首を縦に振ったことに、久遠は安堵した。

 命と金以外に久遠が交渉に使える物はない。

「なら飛行機はいつ飛びますか?」

「この国はしばらく荒れる。隣の国からなら日本への便も出ているよ。隣の国の飛行場まででよければ手配しよう」

「ありがとうございます。お言葉に甘えて、明日の朝にでも国を出ます。それで構いませんか?」

「わかった。手配してくよ。案内しろ」

 後ろの男に目配せをして、久遠を部屋の外へと導く。

 久遠は途中で思い出したように振り返る。

「わがままを聞いてもらって悪かったですね。また会いましょう」

 久遠は自身の言葉を信じて疑わないようで、男へ笑顔を見せて、部屋を出て行った。

 それが実現するのはそれから七年後のことだが、後にこの国の首相になる男はその言葉を全く信じていなかった。




 俺は久遠と引き離され、地下牢に閉じ込められた。

 抵抗しなかったためあまり外傷はないが、見張り番の突き刺すような視線が常に向けられる。

 反乱直前、仲間に裏切られたが、革命軍にとっては俺も憎い元国軍の一員なのだろう。

 手足に繋がれた鎖がやけに重く感じて、身動き一つ出来なかった。

 牢屋の奥の壁に背をつけて、体を預けた。

 手の届かないほど高い場所にある鉄格子の窓から見える景色は空だけだ。

 やけに澄み切ったどこまでも広がる青空に国のためという免罪符の元に罪のない人々を殺し続けた俺の心も、わずかに澄んでいくような気がする。

 先に捕らえられた人間がいないことから考えて、国軍に属していた者は皆殺しになったか、革命軍に入ったようだ。

 もし前者ならば俺に残された時間はさほど長くないだろう。

 人を殺すことしかできない俺を生かす理由などない。

 むしろ今後の平和になっていくこの国に必要なく、殺してしまった方がいい。

 俺は国民の前で絞首刑で殺されるだろうか?

 それとも毒ガスで殺されるか?

 できれば銃殺で急所を一発で撃ち抜いてほしい。

 わがままだといわれるかもしれないが、もう苦しいことも痛いことも嫌だ。

 久遠は無事にこの国を出られただろうか。

 いや、あいつのことだ。

 得意の口八丁で相手を丸めこんでいるだろう。

 もしかしたら、俺を生け捕りにしたことが評価されて、さらに報酬をもらっているのかもしれない。

 不思議と久遠に対しては怒りが湧かなかった。

 久遠だけが俺を人間に戻してくれたからかもしれない。

 もう起こる力さえないのかと思ったが、それにしては穏やかな気持ちだ。

 複数の足音が地下牢に響く。

 どうやら迎えが来たようだ。

 窓の外から目の前で止まった足音に視線を向けた。

 俺は息をすることも忘れて、ここにいるはずのない男を見上げる。

「よっ!久しぶりだな」

 檻の向こうから久遠が長らく会っていなかった親友に会ったように嬉しそうな笑顔を見せた。

 やめてくれ。

 俺にそんな笑みを向けられる資格はない。

 そう思うが、なぜか俺の両目からは涙が流れた。

 


 その後、ブラックマンバは二度とこの国に帰らないことを条件に開放された。

 あまりに軽い罰に、聞き間違いだと思った。

 そんな都合の良いことがあるはずないと。

 だが、何度確認しても答えは同じだった。

 予想外の事態が続き、驚くことしかできない彼を引きずるように、久遠は借りていた宿に連れて行った。

 久遠はベット、彼は椅子に座り向き合う。

 最初に口を開いたのは久遠だ。

「ありがとうな。お前のおかげで俺はこうして生きていられる」

 久遠は優しい笑顔を彼に向けた。

 そんな顔を向けられたことのなかった彼は困惑する。

「それは俺の方だ。俺はお前がいなければ今ごろ死んでいた」

 久遠があの場所にいなければ。

 手を引いて助けてくれなければ。

 あの日、バス停で出会わなければ。

 国軍の一員として内戦に参加し、命を散らしていただろう。

「違う。そういう意味じゃねえんだ」

 久遠は眉を下げ、彼の言葉を否定した。

「前に娘がいるって話したろ?でも俺は結婚してねぇんだよ。あいつは籍を……結婚する前に娘達を産んで死んじまった。俺にはもったいないくらいのいい女だった。優しくて器が大きくて、こんなろくでもない俺を受け入れてくれた、ただ一人の女。死んだ後もこうやって俺を支えてくれるし、俺が腑抜けないように置き土産を残してくれた」

 久遠はシンプルなデザインのロケットペンダントを服の上から握りしめた。

 ペンダントの中には笑美と四人の娘の写真が入っている。

「だけど、俺は死ぬつもりだった。この国に来る前に俺は生まれたばかりの娘達が借金を背負わないようにってだけを考えて自分に多額の保険金をかけた。後を追うようなことをしないでくれっていわれていたけど、俺はあいつがいない世界が耐えられなかった。俺が死んでも娘達は生きていかなきゃいけねえのにな。最低な父親だろ?」

 久遠は俯いて話すから、どんな顔をしているのか彼には分らなかった。

 彼は家族を知らない。

 誘拐されたか、それとも人攫いに売られたか。

 彼が物心が付く頃には銃を手にしていた。

 ただ一つ思った。

「……俺はそうは思わない」

 いや、違う。そうではない。

 彼が久遠にいいたいのは違う言葉だ。

「俺はお前が思うほど久遠・四方山は非情な人間ではないと知っている」

 そうだ。

 短い間だったが、彼は久遠という人物を観察していた。

 だからこそ彼のことを知っている。

「それはお前の方だぜ?本当のお前は誰よりも優しい。だからこそ感情を殺して生きてきた。そうしなければ罪悪感で生きていられなかった。ほんと俺達は正反対だったんだな」 

 生きているふりをしながら他人に殺されてでも死にたい男と、死んだふりをしながら手段を選べなくても生きたい男。

 確かに久遠のいう通りだ。

 俺達は正反対。全く違う方向に貪欲だった。

 だからこそお互いの欠点がわかる。

 だったら俺が久遠にいうべきことはただ一つ。

 彼は心の中でかすかに笑った。

「お前が何の気兼ねもなく死ねるようになるまで生かすから、俺が何の負い目もなく生きられるようなるまで殺してくれ」

 死にたがりと生きたがり。

 互いに暴走しがちな言動を互いに手綱を握り、抑えることが出来る。

 これ以上に相性のいい関係があるだろうか?

 彼は久遠に同意を求めて手を差し出す。

 もし仮に引き際があるのならここだ。

 今ならまだなかったことに出来るし、久遠が手を取らなくても、彼は恨まない。

「……咲楽さくら。日本語で楽しく咲くで今日からお前は咲楽だ。改めてこれからよろしくな」

 久遠は彼の手を固く握り、本音を隠して、いつものように笑う。

 だから彼こと咲楽は笑わずに強気に彼を見返す。

 きっと俺達は他人には理解されない歪んだ関係だろう。

 だが、それでいい。

 俺達のことは俺達がわかっていればいいのだから。

 静かに目を閉じて、深呼吸を一つして彼は目を開けた。

「こちらこそ、よろしく。久遠」

 二人の歪な関係はこの日から始まった。




 体内時計で咲楽は目を覚ました。

 十年近く同じ時間に起きて寝ていると自然に目が覚めるようになる。

 咲楽は体を起こして、伸びをする。

 懐かしい夢を見た。

 自分も久遠も辛くて、苦しくて、悲しくて、何より若かった、自分のことすら手一杯だった余裕のなかった時期。

 今ならこうしていたのに、と過去を振り返り苦笑する。

 俺はわがままになってしまったようだ、と。

 かつての咲楽なら今の状況を信じられないだろう。

 今でも咲楽は時々思う。

 人の未来を奪ってきた俺がこんなに平和でいいのか、と。

 そして、その度に、未来を守る人間になろう、と。

 咲楽の犯した罪は消えない。 

 償いにもならないとわかっている。

 それでも咲楽は止めない。

 暴力を使って誰かを守ることが咲楽に出来ることだから。

 そうして今日も咲楽は自分の体を鍛えぬき、町の平和を守っている。

 

 今さらですが、コードネームの『ブラックマンバ』は世界第二位の長さの毒蛇の名前です。

 アフリカ大陸に生息しているらしいですね。

 個人的にかなり怖い蛇です。


 

 402号室掃除夫を持ちまして、アパートの物語は完結です。


 が、番外編として『季節ネタ』と『喫茶店の魔法使い』を更新予定ですので、もう少しお付き合いいただけたらと思います。

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