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管理人室 英雄兼大家と四つ子 その9

 その8の続きです。

 久遠達は扉の外にいたリアンとクロエと再会し、会社を出て、行きと同じ車に乗り、アパートへと向かう。

 アパートに娘達を送ったら、久遠は本社のアメリカへ戻らなくてはならない。

 娘達は少しだけ、久遠はものすごく寂しがりながらも車は進んでいく。

 アパートにつくと駐車場にほとんどの住人が集まり、不安げな顔で何やら話しこんでいた。

 久遠達は車から降り、皆の元に行く。

「何かあったのか?」

「あ、久遠さん。実は役所の方からこの二葉荘の耐震強度に問題があるらしいんですけど心当たりありますか?」

 久遠に気づき、リョーヘイが振り返る。

「あー!そのことか。それなら大丈夫だ。もう手は打ってある!」

 久遠は自慢げに鼻を鳴らし、胸を張った。

「そのような話は私の耳に一切届いてないんですが?」

 リアンは氷よりも冷たい視線で久遠に説明を求める。

「だってリアンにいったら怒るじゃん?だから咲楽と直接連絡を取り合っていたんだ」

「それでどのように対処されました?」 

「驚くなよ。実は駅前にマンションを建てたぜ!ワンフロア二戸で広さは一戸が五十坪だ!」

「えぇええええ!?」

 アパートの住人の驚きの声が辺りに響いた。

「はあ……あなたって人はどうして予想の斜め上を行くんですか?」

 ただ一人、リアンだけは額に手を当て、深い溜息を吐いた。

 それだけで彼の苦労が見える。

「今の部屋の約十倍の広さだっていうことか!?」

「そんなに広いなら家賃も高いよね?今よりも高くなるなら新しい家を探さないとね、アキ」  

「えっ!あっ……そうですよね。僕は元々久遠さんの好意でここに住んでいたんでした」 

「じゃあ皆さんと過ごすことができなくなりますね」

 灯火と清美は先の見えない未来への不安からか、暗い顔を浮かべた。

「ここでの暮らしけっこう気に入ってたのになぁ」

「私……引っ越し……嫌。どこでも……ない。狭くたって……いい。皆がいる……二葉荘(ここ)……がいい。二葉荘……じゃなきゃ……嫌」

「お父さん、お願いします。考え直してください」

 晴は久遠の腕を掴み、涙目で懇願した。

「皆で何を勘違いしてんだよ。皆で一緒に新しいマンションへ引っ越すに決まってるだろ。お金に困ってないから管理費なんかも今までと一緒でいいしな。まあ、そこんとこの細かい話は後で個別にしようぜ。とりあえず晴達にはクリスマスの、リョーヘイ達には日頃晴達が世話になってる感謝として俺からのプレゼントだ!返品はできないからそのつもりでいてくれ!」

 久遠ははっきりとした口調で驚愕なことをいいきった。

 先ほどよりも大きな声が周囲に響き渡る。

「社長、何を勝手なことをいっているのですか。皆様の都合という物があるでしょう」

 リアンは眉間に深い皺を刻んだ。

「いえ、むしろ新しいマンションに住めて僕達には願ってもいないことです」

 同意を得るようにリョーヘイは皆の顔を見て、皆が大きく縦に頷いた。

 リアンは少しだけ安心した笑みを浮かべ、すぐに真剣な表情へ変える。

「我が社長が皆様に多大なご迷惑をおかけしました。せめてものお詫びとしてビームカンパニーから引っ越しなど皆様のフォローをさせていただきます」

「遠慮せずになんなりとビームカンパニーにいってください」

 リアンの言葉をクロエが引き継ぎ、二人揃って深く頭を下げた。

「そんなことないです!広いマンションに住まわせてくれるだけでありがたいくらいですよ!頭を上げてください!」

 灯火が慌てて二人に頭を上げるようにいうが、二人は中々頭を上げない。

 気まずい雰囲気を壊したのはヴェルの空気を読まない発言だった。

「リアンさん達は久遠さんと親しいようですがどういう関係なんですか?会社の部下ですか?」

 『このタイミングでそれを聞く?』とその場にいた者が同じことを思った。

 だが、本人だけが真面目な顔で二人を見つめている。

「申し遅れました。私はリアン=メイソン。四方山久遠社長の秘書をしております。そして隣にいるのが」

 リアンが隣に立つクロエに視線で自己紹介するように促す。

「クロエ=メイソンと申します。兄と同じく秘書をしてます」

 クロエは兄の視線を理解し、自己紹介をした。

「社長とお嬢様がいつもお世話になっております」

 二人で声を揃え、今度は軽く頭を下げた。

「そうなんですか。ご丁寧にありがとうございます。こちらこそ久遠さん達にはお世話になっております」

 ヴェルも二人にならって頭を下げた。

 先ほどまでの気まずい雰囲気はなくなり、今にも名刺交換を始めそうな堅苦しい会話は、久遠には商談のように見えた。

 彼はしばらくは笑いを堪えていたが、波打ち際の砂の城のようにあっさりと崩壊した。

 声を上げて笑い出した久遠を皆がそれぞれの表情で見つめる。

「お前ら仕事かよ!」

 皆の視線を無視して、久遠は三人を指差して、げらげらと少年にように笑った。

 リアンは不愉快そうに顔をしかめ、ヴェルとクロエは不思議そうに顔を見合わせる。

 それがさらに久遠の笑いを誘った。

 そんなカオスな状況にリョーヘイ達は苦笑した。

 いつまでも笑い終わらない久遠にリアンは咳払いを一つした。

「別れの挨拶も済んだことですし、本社へ戻りますよ。それでは皆様、失礼します」

「社長、お仕事が待ってます。皆様、さようなら」

 二人の言葉の意味に気づき、逃げようとした久遠をリアンが素早い動きで捕らえる。

 さらに抵抗する前にクロエが車の扉を開け、暴れる久遠を二人がかりで車内へと押しこんだ。

 車内では久遠が何やら騒いでいるが、二人はそのまま車を発進させた。

「……いつもこうなんですか?」

 ヴェルが誰にでもなくぽつりと零した。

 彼の表情は信じられないものを見た、といいたげだ。

「そうだよ。来るのも帰るのも突然で嵐みたいだよね」

 新は今まで久遠が帰ってくる度に起こった出来事を思い出して笑った。

 彼につられるように皆も笑い出す。

 久遠が去った場所は悲しみではなく、笑いに溢れていた。


 


 三日後の喫茶店『黒猫』の昼下がり。

 猫の正面にカウンターを挟み、トマが座っていた。

 毎日ではないが、たいていこの時間はいつからか猫とトマが一緒に過ごす時間になっている。

 だが、今日はいつもは買い出しに出掛けるフェイトが珍しく同席していた。

「そういえば、フェイト。引っ越しはいつに決まったんだい?はっきりとした日程がわからないとシフトが組めないんだけれど?」

 思い出したように猫は側にいたフェイトに問いかける。

「詳しい日程は私も聞いてませんね。ですが、荷物の梱包から全部業者がやるそうなので配置さえ指示しておけばその場にいなくてもいいそうですよ」

 フェイトは掃除の手を止め、猫の顔を見つめた。

「へえ、そうなんだ。今の運送業者はすごいね」

 引っ越しを業者に頼んだことのない猫は素直に感心した。

 フェイトは魔法であっという間に引っ越しが出来る方がすごいと思うが、わざわざいわない。

「なんだ、フェイト?お前は二葉荘から引っ越すのか?」

 黙ってコーヒーを飲んでいたトマが二人の会話に顔を上げた。

「おや?トマは知りませんでしか?てっきり未来辺りから聞いているとばかり思っていましたよ」

 フェイトは新しい玩具を見つけたように目の奥を光らせた。

「どういうことだ?」

「どうやら二葉荘は耐震強度に問題があるようでね。それならと久遠の会社で駅前にマンションを建てて、そこに皆で引っ越すことになったようだね」

 猫は苦笑しながらトマの疑問に答えた。

「久遠のやつ……また俺に一言もいねえで勝手に決めやがったな。昨日はもう一発殴っとくだったな」

 トマの眉に深いしわが寄り、目に獰猛な怒気が芽生えていた。 

 実はトマが二葉荘に住むきっかけは今回と同じく、前の大家から格安で二葉荘を買い取った久遠が勝手にトマの部屋を決めたからだ。

「いくら気のおけない仲だからといって、相談もなしに勝手に決めるのはよくないね。咲楽にしかいってなかったから皆も驚いたしたようだよ。でも新しいマンションは五十坪もあるからそれだけはよかったかな」

 猫は冗談めかした口調で、いたずらっぽく笑った。 

「他の奴らにはちょうどいいかもしれねえが独り身の俺には広すぎるだろ。この機会にお前が一緒に住んでくれるなら話は別だけどな?」

 トマは大人の男の野性的な色香を漂わせ、猫を見上げた。

「せっかくのお誘いだけど私にはこの『黒猫』があるからお断りさせてもらうよ」

 猫はきっぱりと断った。

「一世一代のアプローチも断られましたね、トマ」

 フェイトは二人のやり取りに、にやにやと嫌な笑みを浮かべる。

「フェイト、笑うってんじゃねえよ。ったく人事だと思ってよ。少しくらい手伝う気はねえのか?」

 トマは眉をしかめ、フェイトを睨みつけた。

「すみません。あまりに面白くて堪えられませんでした。本人の前で私に手伝いを要求するなんてなんてヘタレにもほどがありませんか?」

「冗談に決まってるだろ」

 フェイトの冗談めかした問にトマは真剣に、否定することを許さないように断言した。

「だと思いました。そうでなければとっくに見限られていたでしょうね」

「私には一体なんの話かわからないけど……フェイト、あまりトマをからかうんじゃない」

 猫は兄弟喧嘩を見守る母親のようなの口調で、フェイトを注意した。

「わからないなんて白々しいですね、主。嘘つきもほどほどになさらないと、主の方が見限られてしまいますよ?」

 たがフェイトはそれを無視し、猫を煽るようなことをいった。

 猫の穏やかな雰囲気が消え、瞳の奥が冷たい怒りに研ぎ澄まされる。

「失礼な口を聞くのはこの口か?余計な口が聞けないように魔法で一生開かないように縫いつけてあげようか?」

 普段の穏やかな猫から想像出来ない氷よりも冷たい声が言葉を紡いた。

「大変ありがたい提案ですが、それには及びませんので遠慮します。それよりもトマ。そろそろ仕事に戻る時間ではないですか?」

フェイトはそんな言動に慣れているようで、特に怖がることもなく軽く受け流した。

「もうそんな時間か。それじゃ、また来る」

 トマは机の上に千円札を置き、ゆっくりと立ちあがると笑みを浮かべて喫茶店を後にする。

「営業中じゃないからお金はいらないよ」

 いつも通りの穏やかな雰囲気に戻った猫はお決まりの台詞を口にする。

「美味いコーヒーを飲ませてくれた礼だ。それより同棲の件を前向きに考えてといてくれ」

「それはさっき断ったはずだよ」

「もう一度だけ時間をかけて真剣に考えてくれないか?」

 そういったトマの表情は先ほどよりも真剣で、熱がこもっていた。

 少しの間の後、猫は口を開いた。

「……わかった。考えておくよ。でも返事は期待しないでくれるかな?」

 しぶしぶといって口調だったが、猫は了承の返事をした。

「十分だ。今までだったら考えることだってしなかっただろ?返事は引っ越す日が決まるまでにくれるか?」

 猫は苦笑しながら、首を縦に振った。

「ありがとう」

 トマは大人になった顔で笑って、喫茶店を後にした。

「どうする返事するつもりですか?」

 トマの去ったドアを見つめ続ける猫にフェイトはそっと声をかけた。

「さっきと変わらないよ。……もう私に残された時間はないからね」

 猫は寂しげな表情でそういった。

 前髪に隠された見えない瞳には諦めに似た感情が移っている。

「そうですか。本当にトマは報われませんね。なぜそこまで主が好きか私には理解できません」

 想像通りの猫の言葉にフェイトは大げさに肩をすくめた。

「私もそう思う。さあ、仕事に戻るよ」 

 猫はカウンターのコーヒーカップを手に取り、洗い始め、フェイトは掃除に戻った。

 それから閉店時間まで二人は働き続けた。

 猫がトマへ返事をしたのは一か月後のことだ。




 リアンとクロエによって強制的に本社へ帰る道中で久遠はかなり不機嫌だった。

 車の窓枠に肘をつき、頬杖をつきながら窓を外を見つめ続ける。

 その表情は眉をしかめ、口を一文字に閉じて、いつもは一方的に話し続ける彼が何も話さない。

 だが、それは久遠がクリスマスから帰ってくる時にはいつものことだった。

 二人は気にせず、今度のスケジュールを確認する。

 本社に着いてもそれは変わらず、何も知らない社員を怯えさせていた。

 それも最上階の社長室と面会室しかないフロアに辿りついた時に終わる。

「なんだこれ……?」

 呆然と呟いた久遠の視線の先、社長室の前には大量のダンボールが成人男性の身長を越えるほど、高く積まれていた。

 驚きのあまりに声すら出ない久遠にさらなる追い打ちがかかる。

「社長が溜め込んだ書類(しごと)です。中にもありますよ」 

 リアンは想定内のことだったようで、動揺していなかったが、久遠は目眩がした。

「兄様達と一緒にならすぐに終わります。頑張りましょう」

 クロエのやる気に満ちた瞳に、今さらながら罪悪感がやってきた久遠は言葉をつまらせた。

 二人は逃さないといわんばかりにしっかりと久遠の手首を掴み、社長室へと連行する。 

 部屋の中はもっと酷かった。 

 大量の書類によって、学校の教室ほどある部屋が埋め尽くされ、足の踏み場もない。

 これからやってくるでやろう激務に久遠の顔は青ざめていく。

 彼の肩を誰かが優しく叩いた。

 うつむいていた顔を上げると、リアンが立っていた。

「社長、しばらく休日はありませんから、そのつもりで」

 リアンは目を細め、悪魔のように美しい笑みを浮べた。

 本気で怒ったリアンが久遠に見せる表情だ。

「こんな生活もう嫌だ!俺は日本に帰る!」

 久遠は身を震わせ、涙目で叫んだ。

 彼の泣き言が世界経済の中心地に響き渡る。

 この二日で殺されかかったり、気のおけないアパートの住人達とパーティをしてハメを外し過ぎたり、愛する女の墓参りをしたり、久しぶりに会った娘達との別れを惜しんだこともあった。

 だが、そんな突飛で無茶苦茶な彼は今日も今日とて、善悪に関わらず、知り合った者を巻きこみながらこの世界で生きていく。

 今さらながら久遠は英雄らしいことを何一つしていないですね(笑)


 今回で通算44話になりました。(第一部が設定なので、実質的には43話ですが)

 今回のその9と合わさって、偶然にも不吉な数字が並びました(笑)


 笑顔を運ぶ英雄兼大家とその娘達の四つ子達の次は、402号室掃除夫です。

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