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管理人室 英雄兼大家と四つ子  その6

 その5の続きです。

 灯火がフレームスと対峙してからすでに数十分が経っていた。

 特製水鉄砲は水が切れて使い物にならず、灯火はフレームスが投擲したナイフを拾って、嵐のような攻撃を受け流していた。

 だが、全てを捌くことが出来ずに灯火の全身は傷だらけで、息も上がっている。

 フレームスに殺されるまで時間がないことを灯火自身が一番わかっていた。

「今のお前には俺を殺せない」

 灯火の右腕を切りつけ、フレームスは嘲笑った。

「……ぐっ!それでも二度と逃げるわけにはいかないんだ!」

 痛みに顔を歪めながらも、灯火はカウンターにフレームスの左手首を狙うが、バックステップで距離を取られてしまった。

「ふん。下らない。退化したお前に俺は殺せない」

 対峙するフレームスはコートにすら傷一つなく、両手のナイフを玩んでいた。

「うるさい!俺は退化していない!」

 開いた距離を詰めるように灯火はフレームスの懐に踏みこみ、下から上へ切り上げるが、彼の動きはフレームスに完全に読まれ、上体を逸らして回避された。

「そんな事をいっている時点でお前は退化している」

 死角になっていた足元からフレームスの膝蹴りが飛び、灯火の脇腹を捕えた。

「うぁっ!」

 肋骨が折れる音が聞こえ、灯火はそのまま数メートル飛ばされた。

 干し草のように何度も地面を転がり、ようやく止まる。

「灯火くん!」

 二人から少し離れた場所に隠れていた清水が飛び出し、灯火の元へ走ってこようとした。

「来るな!」

 普段のおどおどした彼からは想像できない大声で清水を止めた。

 清水はその場に立ち止まった。

 灯火は脇腹を押さえながら立ち上がり、手放さなかったナイフをフレームスに向ける。

 彼の視界は歪み、ナイフの先が震えていた。

「このままだとお前は死ぬぞ?その女を助けたいのなら俺を殺すつもりで来い」

 フレームスも灯火にナイフを向けた。

 熱を感じさせない冷たい視線が灯火を突き刺した。

「……いや、だ。僕はもう兄さん達とは違うんだ。もう誰も殺さない」

 何度いわれてもそれが灯火の答えだった。

 “殺人鬼”は四方山久遠に拾われた日に死んだのだ。

「そうか。残念だ。なら死ぬがいい」

 フレームスは大きく足を踏み出し、瞬く間に灯火との距離を詰めた。

 次の瞬間には目の前でナイフが振り上げられた。

 このままでは振り下ろされるとわかっていたが、フレームスの本気の動きについて行く体力が残されていなかった。

 全ての動作がやけに遅く感じる時間の中で、灯火は清水の声だけがはっきりと聞こえた。

「灯火くんっ!?お願い!もう止めて!何でもするから!これ以上灯火くんを傷つけないで!」

 清水の願いも虚しく、フレームスの鋭いナイフが灯火の右肩から斜めに切り裂いた。

「うぐっ」

 灯火はその場に膝から崩れ落ちた。

 彼の傷口から流れ落ちた血が、地面を赤く染める。

「灯火くん!」

 悲痛な清水の声が灯火を呼んだ。

 僕なんかのためにそんなことをいわないほしい。

 君が逃げ出した意味がなくないよ。

 僕のことは気にしないで。

 これは今まで人を殺して続けた罰が当たったんだ。

 清水だけが殺人鬼を受け入れてくれた。

 僕の正体を知っても態度は変わらなかった。

 こんな僕にも笑いかけてくれた。

 君に会えてよかった。

 ありがとう。心から君に感謝してる。

 灯火はそういいたかったが、喋る気力さえももうなかった。

 限界を超えた体は指先一つも動かせない。

 傷の痛みが全身に広がり、感覚が麻痺していく。

 視界さえも不明瞭になり、正常に機能していたのは聴覚くらいだった。

「心配するな。次はお前だ。体が死なないのならその心を殺してやろう」

 フレームスは灯火の血が滴るナイフを片手に、次の標的を本来の目的である清水へと変えた。

「……っ!」

 清水はフレームスの視線を受けて、その場に固まった。

 不死身とはいえ、中身はまだ十八歳の少女である。

 直接、殺意を向けられたことはなく、たった今目の前で好意を持っている灯火を切られたのだ。

 衝撃から立ち直れないのも当然といえる。

 だが、そんなことはフレームスには関係なく、むしろ相手が動かないのであれば仕事がしやすくていいとすら思っていた。

「この、くそ野郎が!」

 灯火は怒りに満ちた顔で兄に吐き捨てることしかできなかった。

 守りきれなかった自分を責めながら、後悔した。

 だが、清水を切り裂くと思ったナイフは動きを止めた。

 そして、フレームスは振り返り、視線の先の人物に憤怒と嫌悪が入り混じった表情を向けた。

 相手を見下すような態度を取ることの多い兄の初めて見る激情に灯火は驚きつつも、視線の先を追う。

 その先にいたのはアパートの大家、四方山久遠だった。

「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!なーんつって!あ?このネタ知ってるか?知らない?そうか。ならジョジョネタの方がよかったか?まあどっちにしろ通じなかっただろうけどな。ならいうなって?久しぶりの再会ならカッコつけねえとだめだろ?つまりとにかく俺がいいたいのは久しぶりだな、フレームス!元気にしてたか?」

 やけに長い挨拶のほとんどが灯火の耳を通り過ぎた。

 なぜ久遠さんがここに?

「相変わらずお前はふざけたことをいうのだな」

 フレームスは激情を隠そうとしない。

 ナイフの切っ先は清水から久遠に移っていた。

「ひでえ!俺の挨拶は無視か、コノヤロウー!そんなんだから友達いねえんだ!自慢じゃねえが俺は友達百人以上いるんだぜ!すごいだろ!羨ましいだろ!欲しくてもやんねえぞ?俺のだからな」

 久遠は子供のように怒った。

 何かが切れるような音が聞こえ、フレームスはナイフを投げた。

「ちょっ!?あっぶな!いきなりナイフを投げるなよ!刺さったらどうすんだ!え?まさか刺すつもりで投げた?あのことをまだ根に持ってんの?過ぎたことじゃねえか。はっ!まさか俺のことを忘れられなくて激しい恋心が疼くとか!?わ、悪い、フレームス。俺はノンケだ。俺の恋愛対象は世界で一人だけ、お前の気持ちには答えられない」

 情けないほど慌ただしく避けた久遠は何を勘違いしたのか、優しい顔でフレームスを諭すようにいった。

「何を気持ち悪い想像している」

 フレームスが新たに取り出したナイフは怒りで震えていた。

「違うのか!よかった……。お前から貞操を狙われて守りきれる自信はないからな。違うならいいんだ。そうだ!せっかくだから別のやつ紹介しようか?例えば俺の秘書とか?」

 灯火は兄と顔も知らない久遠の秘書が愛し合う姿を想像し、吐き気をもようした。

「人を勝手に同性愛者にするな。それよりなぜお前がここにいる?この町は封鎖したはずだが?」

「やっぱりあの武装集団はお前の差金かよ!帰ってくる国を間違えたかと思ったぜ!驚かせんなよ!親切な元F1レーサーのタクシー運転手に送ってもらわなかったら今夜のパーティに間に合わないところだったぞ!あれに参加できないとか死ねる!つーか死ぬ!生きる意味すらなくなるわ!」

 久遠はよほど大変だったのか、髪を掻きむしったり、手足をバタつかせたり、と怒りを体全身で表した。

「どうせ参加できん。今から俺がお前達を殺すからな」

 激情が漲っているフレームスの瞳が久遠に突き刺さる。

「出来ると思うか?お前はあの日の未熟な俺にすら敵わなかったんだぜ?あの日から変わった俺に敵うと思うか?」

 灯火と清水は二人のやり取りを呆然と見ていた。

 久遠の登場により、先程まで二人を追い詰めていたフレームスの意識が完全に移っている。

 派手な登場もこのためだったのだろう。

「何が変わっただ。お前のハッタリには見切っている」

「あちゃー。全然信用されてねえの。むしろ棒付きキャンディよりもなめられてる気がするわ。そんなになめられたら俺の威厳とかなくなるぜ。いやお前は甘党じゃないのは知ってるけどな」

「いい加減その煩い口を閉じてもらおう」

「かつて幼馴染に(まぐろ)ってあだ名をつけられた俺を止めることかが出来ると思うなよ?死ぬ瞬間まで喋り続けてやるわ!」

 久遠は腰に手を当てて、大声で笑った。

「ならば死ね」

 隙だらけの久遠にフレームスは全力でナイフを投擲した。

 先程のナイフよりも数倍は速いそれが吸い込まれるように久遠の心臓へ向かっていく。

「久遠さん!」

 動き一つしない久遠に灯火は叫んでいた。

 それを避ける才能一つないにも関わらず、彼は不敵に笑い、こういった。


「お前はもう死んでいる」


 銃声が轟き、甲高い音が広場に広がった。

 それはナイフが弾かれた音であり、フレームスは驚愕を露わにする。

「遅いぞ、咲楽」

 久遠は背後を振り返ることもなく、その人物の名を呼んだ。

「無茶をいうな」

 無表情の咲楽はフレームスに銃口を突きつけて、意識のないハズヒートを背負っていた。

「またまた~。本気出してねえくせに。生け捕りは得意だろ?」 

「暗殺の方が得意だ」

「そうだったな」

 久遠は何かを思い出したように遠い目をして笑ったが、咲楽の表情は変わらない。 

 気心の知れた関係のようで、殺伐とした状況にも関わらず、余裕すら見えた。

「お前らはまた俺の邪魔をするのか?それにお前は変わらず自分の手を汚さないのだな」

 穏やかな雰囲気で話す久遠と咲楽にフレームスは激情をぶつけた。

 久遠と咲楽とフレームスの過去に一体何があったのだろうか。

「自分の手を汚さないなんて人聞きの悪いことをいうなよ。お前が俺の暗殺に失敗した頃から俺は他力本願だっただろう?」

 フレームスのこめかみに青筋が浮かぶ。

 久遠の言葉に灯火は兄が今までで唯一失敗した暗殺があったことを思い出した。

 その後、灯火は盛大な八つ当たりを受けたのも一緒に思い出して、体が震える。

『まさか久遠さんってあの世界的企業の社長“四方山久遠”だったの!?』

 同姓同名の他人だと思っていた人物が、自身の兄に狙われるほどの有力者と同一人物だと知り、灯火は声を殺して叫んだ。

「自慢げにいうことではないと思うぞ」

 フレームスの変化に気づきながらも、咲楽は動じなかった。

「そこつっこむなよ、咲楽!恥ずかしくなってくるだろ!かっこよくいえばそれっぽくなるって思惑ばればれじゃんか!」

「もう手遅れだ」

「お前、俺をそんな風に思ってたのか!?酷くねえ!?一応俺が雇い主でお前は従業員だろ!?」

 久遠は大げさに驚いて、咲楽の方へ振り返った。

 その隙を突くようにフレームスが久遠との距離を詰める。

 咲楽はその場にハズヒートを置き、また引き金を引くが、間にいる久遠を壁にされて狙うことが出来ず、全てが届かなかった。

 今度こそ久遠の全身が切り裂かれる、と灯火は思った。

 次の瞬間にはフレームスの凶刃が久遠に触れる場所にまできていた。

 それでも彼の余裕は崩れない。

「だからもうお前は終わってるって」

 フレームスのナイフは見えない壁に阻まれ、はじき返された。

 何が起こったのかわからない彼に久遠は上空を指差す。

 その先で不自然な風の動きがした。

「状況がよくわからなかったので静観していましたが、目の前で殺人が行われそうだったので止めさせてもらいました」

 背中のあたりから虫の羽のような向こうが透けて見えるほど薄く赤色の羽を生やしたヴェルが牧師のような服と赤いマフラーをなびかせて数メートル先の宙に浮かんでいた。

 見えない壁はヴェルが魔法で生み出した風の壁だ。

 ゆっくりと降下し、羽を消して久遠の隣に立つ。

「よう!パーヴェル=アウリオンくん。こうして直接会うのは初めてだな。俺の名前は四方山久遠だ。話は咲楽から聞いてるぜ。いつも俺の娘達が世話になってるみたいだな。ありがとな。あとこれからもよろしくな」

 長期休みに甥っ子に会った叔父のように気さくにヴェルの肩を叩き、久遠は自己紹介をした。

「はあ。こちらそこよろしくお願いします。あと私のことはヴェルでいいです」

 久遠の態度に戸惑いつつも、ヴェルは律儀に対応する。

「ならお前も久遠って呼べよ。敬語も無しな。はいコレ決定!異論は認めなっ……っぐえ!咲楽、暴力反対!」

 追いついた咲楽が久遠の襟を左手で掴み、強引に後ろに引いた。

 急に気道が狭くなった久遠は変な叫び声を上げる。

 久遠が立っていた場所をナイフが通り過ぎ、フレームスは忌々しそうに舌打ちをした。 

 いつの間にか壁の効果が切れていたようだ。

「わざと隙を見せるな。油断するな。喋るな」

 追撃をされる前に咲楽は引き金を引く。

 ほぼゼロ距離だったにも関わらず、フレームスには当たらず距離を取られる。

「最後のは無理だな。十秒以上黙ったら俺は死ねる気がする」

「え?この世界にはそんな病気があるのか?」

 久遠の発言を真に受けたヴェルは真剣な表情で呟いた。

 ある意味では間違っていない。

「久遠だけがかかる病気だ。感染することはないから安心していい」

「おいコラ!何二人して病人扱いしてんだよ!俺は病気じゃ……って俺を投げるんじゃない!」

 咲楽は久遠をヴェルに投げるように押しつけ、フレームスのナイフを銃身で受け止めた。

 金属同士がすれる耳障りな音が鳴る。

 ヴェルは久遠を受け止めきれず、たたらを踏んだ。

「フレームス=デットライン、降参しろ」

 咲楽はナイフを弾き、フレームスの心臓へ銃口を向ける。

 弾丸が放たれる前に軌道から離れ、フレームスは別のナイフで咲楽の右手首を狙う。

「こんなふざけた奴らに邪魔されてなるものかっ!」

 フレームスは鋭く光るナイフを下から上へ切り上げる。

 咲楽は無言で後ろに下がり、左手に取り出した銃で二・三発放った。

 逃がさないといわんばかりにフレームスは弾丸をかわしながら、距離を詰める。

 瞬く間もなく突き出される本気のフレームスの猛攻を咲楽は機械のような正確さで両手の銃で捌き、弾丸を放つ。

 二人の攻防は激しく速すぎて久遠の目には捕らえきれない。

 一際、大きく距離を取った咲楽にフレームスはさらに踏みこんだ。

氷檻アイスゲージ

 魔力をこめた静かな声が魔法を生み出した。

 魔法の効果でフレームスの周囲の水分が瞬時に凍りつき、彼を文字通り氷の檻に閉じこめた。

 突然現れた氷の檻は夕日を反射し、芸術品のように輝く。

 魔法で出来た美しい檻はマグマでやっと溶ける不思議な氷だ。

 フレームスは目の前の氷にナイフを突き立てるも、氷の強度は高く欠けることすらない。

「魔法使いの仕業か……っ!」

 フレームスは目の前の檻越しに久遠を睨みつけた。

「いえ。私がやりました」

 憎たらしくなるほど清々しい笑みを浮かべたフェイトが広場の入り口に猫と並んで立っていた。

 背負っていたスリートは邪魔な荷物のように乱暴に地面に降ろされる。

「今、君の家族は私達の手の内にある。降参してくれるなら命までは奪うつもりはないけどどうするかい?」

 口元を吊り上げた猫がフレームスに問いかけた。

 彼の答え次第では手を汚すことも考慮に入れていた。

 七人の視線がフレームスに向けられる。

 フレームスにとっては長い長い、久遠達にとっては短い沈黙が場を支配した。

 灯火はフレームスの合理的で冷酷な行動から誤解していたが、彼にとっては家族とは絶対に裏切らな駒であり、唯一心が許せる大事な存在だ。

 だからそう簡単に捨てられる存在ではなかった。

 特に今回は彼が成果を焦った上に、久遠達の戦力を甘く見ていたことが大きな敗因だ。

 長男として生まれた以上、自身のプライドを捨てて家族を守らなければならない、とすら彼は考えている。

 “家族”

 偶然にも久遠と同じそれがフレームスのたった一つの弱点だった。

「……わかった。条件はなんだ?」

 ここまでやって無償で許されるわけがないことをフレームスが一番よく分かっている。 

 最悪、一生を奴隷のように久遠達に尽くさなければならないかもしれない可能性を考えると、命を奪わないだけましだとはいい切れない。

 フレームスは静かにその答えを待った。

「二度と俺達に関わるな」

 久遠の予想外の答えにフレームスは理解に時間を要した。

「……それだけ、か?」

 殺されそうな目に遭った者が出すにはあまりに軽い罰だった。

「あ!それはやっぱりいいや。関わらないのは無理そうだし。代わりに俺と俺のアパートの住人を狙わないことが条件な。あと一年間でいいから誰かを貸してくれねえか?この間俺のSPが『この社長の護衛やるくらいならマフィアの用心棒の方がずっとましだ』って辞めまったからSPが欲しかったんだ。ちゃんと人権は保障するし、給料だって出すぞ?」

 破格の条件にフレームスは理解が全く追いつかなかった。

 砂糖を千倍にしたよりも甘い条件である。

「なぜそんな条件なんだ?命知らずにもお前を狙った俺を殺すことも奴隷のように従わせることもできるはずだ」

 フレームスは久遠の考えが本気で理解できなかった。

 真意の見えない条件は簡単に足元をすくわれる。

 甘い条件手間あるならなおさら警戒しなければならない。

「いやお前を殺したら二度と笑えねえじゃん。お前が今まで何をしたか知ってるけど、お前に贖罪されたところで俺の気は晴れないし。だったら笑ってくれよ。人生一秒でも笑ったもん勝ちだぜ」

 だが、久遠はまるでフレームスが殺そうとしたことなどなかったかのように、言葉通りに笑った。

 久遠が“英雄”といわれる由縁。

 それは最小限の犠牲で絶望的な状況を希望に変え、自身にどんなに酷いことをした相手でも許し、笑顔で相手を受け入れることから来ている。

 聖人のように広い心を持つ彼に、敵対していた者のほとんどが堕ちて、彼の意図に関わらず熱狂的な信者になる。

 そしてその例に漏れず、フレームスも彼に堕ちた。

「“それが貴方様の願いであれば従いましょう”」

 自身の矜持をあっさりと捨てて、檻の中で片膝をついたフレームスは狂信的な熱を帯びた眼差しで久遠を見上げた。

 今ならば死ねといわれれば、喜んで自害するだろう。

「……またか」

 雰囲気も態度も変えてひざまずくフレームスに、久遠は珍しく盛大な溜め息を吐いた。

 何度経験しても、久遠は熱狂的な目で見られることに慣れなかった。

 先ほどまで敵対していた人物が、まるで別人のように自分に従順になる様は恐怖ですらあった。

 自分を認めた相手を思い通りに従わせることは長年の経験によって生まれた久遠の才能だが、質の悪いことに本人は全く気づいていなかった。

 命拾いしたことからくる吊り橋効果みたいなものだろう、としか考えていない。

「殺すことも出来たでしょうにあなたは猫以上に甘いですねえ」

 フェイトは久遠に冷たい目で笑いかけた。

 久遠はこの後に怒られることが容易に想像が付き、全身が震えた。

 フレームスの変化を見慣れているフェイトと猫と咲楽は全く動じていなかった。

 この場で一番驚いていたのは灯火であった。

 孤高と思うほど、どんな権力者にも靡かなかった兄が久遠に膝をついているのだ。

 驚くなという方が無理だろう。

 灯火が考えこんでいる間に猫が近づき、彼の傷を癒した。

「さあ帰ろうか。皆待ってるよ」

 猫が立ち上がり、灯火を立たせた。

 灯火はふらつくことなく立ち上がる。

「あ、ありがとうございます!」

 灯火は猫に慌ててお礼をいった。

「どういたしまして」

 猫は笑って彼の手を離し、喫茶店へと向かった。

「フレームス、詳しい話は後日こっちから連絡するからって!ちょっとフェイト!マジで離してくれ!自分で歩かせて!ぜってえ逃げねえから!お前との身長差で首締まる!窒息する!助けてくれ、咲楽!」

 フェイトは久遠が逃げないように襟を掴んで、猫の後に続いた。

「今回は自業自得だ」

 窒息の危機に助けを叫ぶ雇い主を咲楽は無表情で無視した。

 心配そうな顔をしながらヴェルも続いて行く。

 続こうとした灯火をフレームスが引き止めた。

「ランプライト」

 久遠に向けていた熱狂的な何かは消え、立ち上がったフレームスの切れ長の冷たい青い目が灯火を見据えた。

 久遠に出された条件によって、もう何もされるわけがないとわかっていても、条件反射で体が震えてしまう。

「お前は本当に“家”へ帰るつもりはないのか?」

 透き通った泉のように静かな声だった。

 怒りも悲しみも感情といった物が何も感じられない。

「はい。今までありがとうございました」

 灯火はしっかりとフレームスの視線を受け止めて告げた。

 決意はすでに固めてある。

 誰に何といわれようともう二度とあの家に、裏の世界に戻ることはない。

 視線にこめてフレームスを見返した。

「……そうか。わかった」

 少しだけ間があって、フレームスはそれだけをいった。

 やけに寂しげに見えて、灯火は言葉を詰まらせたが、それ以上何もいえない。

 しばしの無言の後、灯火は広場を去った。

 背中を清水がついて来る。

「本当にあんな別れ方でよかったんですか?」

 喫茶店に向かう途中で清水が灯火に尋ねた。

「いいよ。いつかはああいう風に別れていたと思う」

 普通に言葉を重ねるだけでは伝わらない。

 本気のナイフを交えてやっと伝わる。

 不器用な家族()に灯火は苦笑して、もう二度と会わないことが少しだけ寂しくなった。


 ただ喋っているだけなのに人望が厚いために無敵な久遠(笑) 

 

 久遠がその場に存在するだけでコメディーもシリアスも、味方も敵も混ざって、収拾がつかなくなります。

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