管理人室 英雄兼大家と四つ子 その2
その1の続きです
十二月二十四日、クリスマスイブ当日。
灯火と清水は映画を観に行き、その足でショピング。
リョーヘイは颯太を連れ、当日発売の新作書籍のサイン会。
千秋と新は『ビーム動画』のクリスマス特別コンサートにゲストとして出演。
トマは夕方まで睡眠。
日向と自由は高校の友人と遊びに。
フェイトは喫茶店『黒猫』で夕方から行われるパーティの準備。
未来は四つ子達とショッピングモールに遊びに。
ヴェルは聖歌を歌いに教会へ。
二葉荘の住人は夕方に喫茶店『黒猫』で行なうクリスマスパーティまでの時間を、思い思いに過ごしていた。
映画を見て、ショッピングを終えた二人は喫茶店『黒猫』に向かっていた。
「猫さんもフェイトさんも働いてたのに僕だけ休みで本当に良かったのかな?」
灯火は自分が出かけている間に唄田猫とフェイトがパーティの準備をしていた後ろめたさからそんなことばかり考えていた。
「灯火くん、まだそんなこといっているんですか?猫さんもフェイトさんも気にしなくていいっていってくださったじゃないですか!」
うじうじと過ぎたことをいう灯火を聖生清水は怒る。
「そうだけど。でもやっぱり申し訳ないよ」
「だから二人にもプレゼントを買って、早めに帰っているんじゃないですか!」
灯火と清水は皆に細やかながらプレゼントを用意していた。
「僕達の選んだプレゼントで本当に喜んでくれるかな?」
「二人とも優しいですから大丈夫です!きっと喜んで」
灯火は背後から殺気を感じ、とっさに清水を抱きかかえてその場を飛ぶ。
先程まで清水のいた場所に鋭く光るナイフが突き刺さっていた。
あと数秒反応が遅れていたら清水にナイフが突き刺さっていただろう。
「いきなりなんですか!?」
灯火の腕の中で清水が叫んだ。
だが、タイミングの悪いことに周りには誰もいなかった。
灯火にはそれが出来る人間に心当たりがあり、清水を抱く手が震えた。
「弱くなったな、ランプライト」
聞こえた声に灯火はゆっくりと振り返る。
出来れば死ぬまで会いたくなかった人がそこにいた。
「……兄さん」
呟いた声が震えてしまったのは、この人に植えつけられた恐怖を思い出したからだ。
『デッドライン一家』の長男にして『最悪の殺し屋』といわれる男“フレームス”が目の前に立っていた。
灯火と同じ赤髪で、頭一つ大きい身長、黒いコートを風になびかせる姿は最後に別れた日と同じだった。
「実に嘆かわしい。今のお前は五歳児にも劣る」
切れ長の冷たい青い目が灯火から清水に移った
「君が弟をたぶらかしている女か」
その目はまるでウジ虫でも見ているようだった。
恐怖の中にわずかな怒りが湧いた。
「止めて、兄さん。この人は関係ないよ。僕は僕の意思で家を出たんだ」
清水を降ろして、フレームスの視線から庇うように背中に隠した。
だが、情けなくも全身が震えてしまう。
灯火は三年間家族から離れ、恐怖を完全に忘れていると思っていた。
だが、現実は違った。
灯火は今にも泣きそうな顔でフレームスと対峙している。
正直なところ灯火は土下座でもして、泣いて喚いきながら今までの勝手なことをしていた許しを乞いたいと心の端で思った。
それをしなかったのは後ろに清水がいたからだ。
自分がいなくなった後なら優しい久遠さんやアパートの皆さんが清水を助けてくれるだろう。
でも、この場にいるのは灯火だけだ。
彼女を守れるのもまた灯火しかいない。
清水が不死身だということは知っている。
だけど、痛くないわけでも、体の傷はすぐ治っても、殺されかけたことに対しての心の傷は簡単に治らない。
何よりも灯火は自分を受け入れてくれた清水が好きだった。
だから灯火は彼女を守ることを選んだ。
それで死ぬことになってもいい。
時間稼ぎになればいいと願って、灯火はフレームスに立ち向かう。
「ランプライト、お前は騙されているだけだ。お前は幻想に惑わされているだけだ」
フレームスが殺しによく使う磨かれたナイフのように冷たい視線が全身を突き刺す。
「違う。この気持ちは幻想じゃない」
臆病で、泣き虫で、ネガティブな灯火にも譲れない思いがあった。
「一族の中でお前は誰よりも殺す事に長けていると同時に一族の中で最も殺人衝動が強い。だからお前は我が家の灯で誇りだ。まさかそれを忘れたわけではないな?」
フレームスの視線に殺気がこめられ、灯火は息をすることさえ難しくなる。
冷や汗が全身から滝のように流れ出す。
「僕はただの弱い人間だ。兄さん達が思っているような人間じゃない」
「いやお前は全てを燃やすように殺して灰のようになかったことにする。最初は小さな火種でも最後は地獄の業火になるように。だからお前の側には誰も残らない。帰ってこい、ランプライト。今ならまだ許してやる」
これはフレームスの最終通牒だ。
断れば灯火はもう家族ではなくなり殺されるだろう。
拒否したいのに体が凍りついたように動かない。
「違います。灯火くんには私がいます。灯火くんの側には猫さんもアパートのみんなもいます。だから何があっても灯火くんは一人じゃありません」
清水は灯火の隣に立ち、フレームスの視線を受け止めた。
凛とした姿と言葉に灯火は覚悟を決めた。
「くだらない小娘の戯言だ。ランプライト、もう我慢する事はない。今すぐそいつを殺せ」
「嫌だ」
灯火の体はもう震えていなかった。
「何?」
「清水は初めて僕を必要だっていってくれたんだ!殺し屋一家の三男じゃない!ただの灯火を!」
しゃんと背筋を伸ばし、灯火は真っ直ぐにフレームスの目を睨んだ。
そこに怯えていた姿は全くなかった。
「そうか。ならそいつと一緒に死ぬがいい」
フレームスは懐からナイフを取り出し灯火に放った。
同時に灯火は服の下に隠し持っていた特製水鉄砲を取り出し、それを撃ち抜く。
撃ち抜かれたナイフには三センチほどの穴が空き、アスフェルトに落ちて甲高い音をたてた。
フレームスは鼠を甚振る猫のように凶悪に笑った。
灯火がフレームスと対峙していた時、四つ子と未来は喫茶店『黒猫』の近くの公園で遊びながらで二人が来るのを待っていた。
四つ子と未来はショッピングモールで灯火と清水に出会い、二、三時間ほど一緒に行動したが、その後はお互いに用事があり、また後で会う約束をしていた。
だが、時間が過ぎても現れない二人に、遊び飽きた四つ子達は徐々に苛々していた。
「灯火兄ちゃん、遅い!何やってんだ!」
痺れを切らした雨が地団駄を踏みながら叫んだ。
「雨ちゃん、もう少し待ってみましょう。そしたらきっと来ますよ」
晴がやんわりと雨をなだめた。
「でも確かに遅いわね。何かあったのかも知れないわ」
雲は腕を組み考えこんだ。
「そんなことないよ、雲ちゃんっ!だって灯火さん絶対くるっていったよっ!」
四つ子より一つ年上な未来は落ち着かせようと声をかけた。
「でも来ないじゃない!」
「いつになったら来るんだ!」
雨と雲は中々やってこない灯火と清水にお腹が空いたこともあってかなり苛立っていた。
「……皆で……迎えに……行こう」
それまで黙って様子を見ていた雪がぽつりといった。
「それだ!」
雨は笑顔になり、雪を指差した。
「私も行きます。ここで待っているのは嫌です」
ついて行っても何も出来ず足手まといになるのがわかっていても、大切な人が危険な目に遭っているかも知れない状況で置いていかれることが晴は辛かった。
母の血を一番濃く受け継いだ晴は他の姉妹よりも病弱なことがコンプレックスだった。
それはやる気と自信を奪い、晴を卑屈にさせていた。
「晴、あなたは先に『黒猫』に行って猫さんとフェイトさんに事情を話して待機する係と連絡係よ。もし私達の帰りが遅かった時はお父様に連絡しなさい。それから咲楽さんに助けを求めなさい。いいわね?」
突き放すような雲の口調に晴は少しだけ悲しくなった。
また私は置いていかれるのか。
胸の奥に黒く淀んだ感情が広がっていく。
それは一言では表せないけれど、あまり綺麗な感情でないことは確かだった。
「……わかりました。先に行ってますね」
晴は胸の奥に感情を押し込んで、寂しげに笑い、四人を見送ることしか出来なかった。
四人は晴の笑顔の裏の感情に気づかずに来た道を遡るように走り出した。
灯火と清水を見つけたのはそれから数十分後だった。
やけに人がいない広場で金属がぶつかり合う音がして、その音の方へ行くと灯火と清水がいた。
物陰から様子をうかがっていた四人は恐る恐る近づいて行く。
広場で灯火は知らない男と戦っていた。
髪の色が同じで顔立ちも似ているから兄弟なのかもしれない。
だが、男は意地悪な笑顔で灯火にたくさんのナイフを向けていた。
灯火は清水を守るように立ち、ナイフをはじき返し続けていたが、疲れが見えてきている。
「みーつけた!おーい、灯…っ!?」
「馬鹿!状況考えなさいよ!」
雲は大声をあげて灯火を呼ぼうとした雨の口を塞ぎ、小声で叱る。
文句をいおうとした雨だったが、銃声のような乾いた音に阻まれた。
よく見れば二人の目の前に立つ男は拳銃によく似た黒い塊を灯火に向けていた。
「い、い、今!撃たなかったか!?」
驚きで雲の手が離れていたために雨は声が出せた。
初めて見る凶器に雨の顔が真っ青になる。
「落ち着きなさい!とりあえず警察に電話するのよ!」
震えながらも雲は指示を飛ばした。
「……110」
「そうそれよ!」
鞄からスマートフォンを取り出し、震える手で何とか電話をかけた。
「もしもし今人が撃たれて……住所!?分かるわけないじゃない!とにかく早くパトカーを連れてきなさいよ!」
雲は完全にパニック状態に陥っていた。
初めて見る拳銃という人を殺せる凶器が知り合いに向けられているのだ。
大人でも冷静を欠く状況で、,まだ子供の雲にそれを求めるのも酷な話だった。
相手の方も子どもの悪戯だと思ったのか、冷たい対応だ。
「……貸して」
見かねて雪が変わった。
「…××町××通り××丁目路地裏で女の人が銃で打たれました…具合は遠いのでよくわかりません…近くに犯人らしき人が二人います…はい。分かりました…出来るだけ早く来て下さい…宜しくお願いします」
普段の話からは想像もつかないほど雪は長い言葉をすらすらといった。
電話を終えるとスマフォを雲に返した。
心なしがとても疲れているように見える。
「……後ろから……誰か来る」
雲の背後の路地から少女が四人に猛スピードで向かってきていた。
「えっ!こっち来るよっ!早く逃げなくちゃっ!」
雪の視線を辿った未来も追いかけてくる存在に気づいたようだ。
「でも灯火と清水があそこにいるんだぞ!」
逃げようとした未来と雲と雪を雨が引き止めた。
「……私達まで捕まったら警察を呼べない」
「雪のいう通りよ、雨、未来!早く逃げるわよ!」
四人は駆けだしたが、もう遅かった。
「行く、ダメ」
灯火と同じ髪色をした十四、十五歳くらいの水色の目をした少女が先頭にいた雲の前に立ちふさがった。
スピードが出ていなかったことが幸いし、少女にぶつかる前に止まる。
「あなたたち、誰?灯火、知り合い?」
少女は日本語があまり得意ではないようで片言だった。
「てめぇから名乗れよ!」
雨が強気に問う。
ここで怖がっても、強がっても雨は同じだと思ったのだろう。
その態度が少女の気に障ったらしい。
雨との距離を一気に詰めると同時に袖から銃を取りだし、雨の額に銃口を突きつけた。
「三秒以内答える」
恐怖のカウントダウンが始まった。
普段の雨なら冗談だろうと思い、一笑しただろう。
「一」
だが少女は普通とは違った。
引き金に指をかけ、いつでも雨を殺す準備が出来ている。
「二」
答えなくてはと思いながらも恐怖に捕らわれた体はゆうことを聞いてくれない。
三、を告げようする少女が雨には死神に見えた。
「……たまたまここを通ったら銃の音が聞こえて……怖かったけど……気になって見に来たらあなたがいた」
雨を救ったのは雪だった。
雨の隣に立ち、少女の視線を自分に集めた。
「っ!?」
少女は空いた手で雪の細い首を捕らえ、どこにそんな力があるのか雪の体を持ち上げた。
「嘘。本当、理由、教える」
息苦しさに雪は体をばたつかせ、首を掴む腕に指をひっかけても力が入らず、少女の手を離すことが出来なかった。
「雪ちゃんを離してっ!」
「そうよ!雪は嘘なんかついてないんだからさっさと離しなさい!」
未来と雲は泣きながら少女に懇願した。
「お前、沈黙、殺す。騙す、殺す。最期、殺す。他、後で、殺す。理解?」
少女はそれを無視して、掴む腕に力をこめた。
雪の顔から血の気が引き、青白くなる。
雨は自分の考え無しの行動で、雪が死にそうなほど辛い目に遭っていることに罪悪感と無気力感に苛まれていた。
うちのせいでこのままじゃあ雪が死んでしまう。
いつも一緒にいた存在がいなくなることを想像し、足元が崩れるような恐怖を感じた。
「うっ……う。助けてくれよ、誰でもいい。助けて…っ!誰でもいいから雪を助けてくれ!」
雨に出来たのは涙と鼻水に濡れたぐちゃっぐちゃな顔で、自分たちを助けてくれる誰かを呼ぶことだった。
銃を向けられることよりも雪を失うことの方が、雨は怖かったのだ。
そんな雨の声に答えるかのように一人の人間が現れた。
「てめぇ!俺の妹達に何してんだ!」
黒野原千秋は叫びながら、少女へ向かって駆けた。
「目撃者、殺す」
少女の銃口が雨から千秋に移った。
「うわっ!あぶねぇな!」
頭を狙ったそれを千秋は身を屈めることで避けた。
「……避けた?偶然?」
少女は避けられるとは思っていなかったようで、呆然と呟いた。
「人の話は最後まで聞けっての!」
その隙に千秋は少女の懐に入りこんで、下から上へ突き上げるように肋骨に拳を叩きこんだ。
骨の折れる感触があったが、千秋は手加減をする余裕がなかった。
「がふっ!」
少女はうめき声をあげ、その場に倒れこんだ。
急所へ綺麗に拳が入ったからしばらくは起きないだろう。
殴られたことで手が離れ、雪は解放された。
「全く。何者だこいつ?いきなり銃をぶっ放そうするとか。ありえねぇな。ここ本当に日本か?」
仰向けに横たわる少女を確認して、千秋は銃を少女の手の届かない場所に蹴飛ばした。
銃はコンクリートを滑り、道路の端にぶつかり、ようやく止まる。
「大丈夫だったか、雪と雨?」
雪は首を縦に振って、肯定した。
首元には手の痕が痣になっていた。
雨もそれに気づき、ばつが悪そうに顔を俯かせた。
痛々しい姿に千秋は巻いていたマフラーを雪の首に巻く。
「これでよし!」
満足げに笑って、雪と雨の頭を撫でた。
幼い頃に千秋が泣いたり、泣きそうになる度にリョーヘイがしてくれたことの真似だ。
「アキ、後ろよ!」
雲の声に千秋は振り返るが遅かった。
「油断大敵」
少女は何事もなかったかのように起き上がっていて、どこかに隠し持っていた銃を千秋に突きつけていた。
すでに人差し指が引き金にかかっており、後は弾丸が千秋へ発射されるだけだった。
もはや着弾を避けることが出来る距離ではなかった。
千秋に出来るのは銃身から弾丸の軌道を予測し、雲と雨に着弾しないように盾になることしかない。
「っ!」
両手を広げ、来る衝撃に千秋は目を閉じる。
真っ暗な視界の中で隣で何かが凄まじい速さで通り過ぎる感覚があった。
「大丈夫、アキ?」
優しい新の声に恐る恐る目を開けると、コンビニに置いてきた新が千秋と少女の間に立っていた。
千秋の方へ顔だけ向けていた。
彼は三人には背中で見えていないが、銃を素手で掴んでいた。
発射された弾丸は彼の掌に着弾したが、彼は少女に対しての怒りが強く、痛みを感じていなかった。
少女はそれまで無表情だったが、新を化け物でも見たような顔をして見ていた。
「……無事でよかった。本当に無事でよかった」
千秋が無事であることがわかると新の強ばっていた顔が緩んだ。
新の心配ももっともだった。
あの状況で下手をすれば千秋は死んでいた。
とっさに判断し、行動した自分の浅はかさに千秋は深く反省する。
「もう二度とこんなことはしないでね」
新に泣きそうな顔でいわれてしまえば、千秋は頷くことしかできない。
それを見て新は破顔し、少女へと視線を移した。
千秋は目の奥で激しくたぎる怒りに気づいた。
「お前、何者?」
少女は突然、現れた新を警戒しているようだ。
新は声に振り返り、笑顔を消し、無表情で睨みつけた。
その目に残っていたのはわずかな理性だけだった。
「今、君はアキに銃口を向けてあろうことか撃ったよね?つまり君はアキを殺そうとしたんだよね?」
全身から漏れる殺気は近くにいる千秋さえも震えあがらせた。
千秋はまるで新が別人のようになってしまったように感じた。
「邪魔者、殺す。当然」
少女は銃の引き金を引く指に力をこめた。
「君のいいたいことはよくわかったよ。姉さん以外の人で始めて殺したいと思ったな。だから」
新は握っていた銃をむしり取ると、アルミ缶のように握りつぶし、地面に捨てた。
残像が見えるほどの速度で、ばらばらになったそれに新の足が叩きつけられる。
軽く足がコンクリートにめり込み、銃はもやは原型をとどめていなかった。
「殺す」
新の目から完全に理性が吹き飛んだ。
彼の全身から息をすることさえも辛くなる殺気が溢れ出る。
千秋の目の前にいるそれは“多福新”ではなく、気の遠くなるほど昔に暴力の化身とまで謳われた“初代吸血鬼” だった。
その3に続きます。




