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302号室  見習い天使  その3

 その2の続きです。

 喫茶店『黒猫』でアルバイトを始めて、早くも二週間が過ぎた。

 悪魔のように厳しいフェイトさんの指導のおかげで仕事もかなり様になった。

 最初に二、三回だけ注文を間違えたり、会計を失敗したりしたが、今やそういったミスもしなくなった。

 俺はシフトが同じか、用事がない場合は灯火かフェイトのどちらかと一緒に帰ることになっていた。

 監視は家を出てから帰るまで続けられている。

 灯火は監視しているつもりはないようで普通に一緒に帰ることを楽しんでいる。

 俺を友達とでも勘違いしているようだ。

 だが、今日は灯火と一緒に帰る予定が急用が入って帰れなくなり、フェイトは仕事が残っていた。

 だからといって、フェイトを待つのも面倒で珍しく一人で帰っていた。

 道がわからないわけではない。

 一人で歩く道は二人との会話が思い出され、アパートまでの道がやけにの遠く感じた。

 胸が締めつけられ、何かが足りないような感覚がする。

 それが寂しいという気持ちだろうか。

 これまで気づかなかったが、灯火とフェイトは俺に大きな影響を与えている。

 忙しい大天使候補としての生活で忘れていた感情が溢れ出ているようだった。

 無意識に変わっていく自分に戸惑う。

 どれだけ彼らを大切に思ってもいつか俺はここからいなくなる。 

 それなら辛くなる前に離れた方がお互いのためになる。

 その未来を選択できないのは 灯火と入れ替わっているからか?

 それとも無意識に俺自身が拒んでいるからか?

 不意に背後から視線を感じ、振り返った。

 家路につく老若男女に混じり、若い柄の悪い男達がちらほらと見えた。

 場違いな彼らに嫌な予感がして足を早めた。

 それがよくなかったのか、最初からそうするつもりだったのか。

 アルバイトからの帰り道で唯一、「気をつけるように」と灯火に口酸っぱくいわれた少ない場所で、柄の悪そうな男達に囲まれた。

 アパートまで数十分だからと油断していた。

 最近感じていた視線はこいつらの物らしい。

 ギリギリ非行少年といえる年齢だが、実際は軽犯罪者集団。

 何をするつもりか想像はつく。

「俺に何か用でも?」

 男達の人数は五、六人程度で灯火と同世代くらいに見える。 

 心当たりがあり過ぎてわからないが、灯火が恐れていた家族ではなさそうだ。

 見るからに堅気から裏に少しだけ足を突っこんだだけで、大して強くないように見える。

「半年前、お前につけられた傷を忘れたとはいわせねえぞ!」

 やはり灯火の厄介ごとに巻き込まれようとしている。

 人間界に来たばかりの俺がそうそう人に恨まれるわけもないか。

 知り合いも数える程しかいない。

 無駄だと思うが一応、誤解を解く努力はしておくか。

「俺はお前を知らない。人違いだ。他を当たってくれ」

「んなわけあるか!この辺りで赤髪なんてお前しかいねえよ!」

 俺も赤髪なのだが、この男達は存在を知らないらしい。

 いや髪の長さしか変わらない俺と灯火を同一人物だと思ったか。  

 もしそうだとしたらずいぶんと杜撰(ずさん)な調査だ。

 日本では赤髪が少ないから思いこむのもわからなくもない。

 男達は傷を負っていたらしいが、今まで入院でもしていたのだろうか。  

 だとしたらそもそも調査をしていないんじゃないか?

「やられたら三倍にしてやり返すっていうのが俺らの信条なんだわ。だから大人しく殴られろ!」

 治るのに半年かかった怪我の三倍となると、死ぬ可能性の方が高いと思う。

 男達は殺人がどれだけ重い罪か知っているのだろうか?

 死後の転生規則なら二回は人に転生できないんだぞ?

 人間界でも少なくとも数十年間は刑務所に入るだろう。

 もちろん、俺は大人しく殴られるつもりは毛頭ない。

 灯火の体に傷をつけられてはたまらない。

 辺りにいた人はいなくなっていた。

 人払いか、面倒に巻き込まれないように逃げたのだろう。

 助ける人がいない危険な状況だが、恐怖はなかった。

 フェイトに脅迫された時の方がずっと怖かった。

 伸びてきた拳を避け、腕を掴み引き寄せて投げ飛ばした。

 幸いなことに上手く技が決まり、投げた男は地面に伸びている。

「だから人違いだといっている」

「てめえ!?」

 俺の話を聞くつもりはないらしい。

 残りの男達が武器を持ってまとめて襲いかかってくる。

 相手の暴力を避けて、お返しする視界の端に映る髪を見て、髪を切った理由を思い出した。

 大天使様に「ヴェルの髪はウリエル様のように綺麗じゃな。折角だから伸ばしてみるのはどうじゃ?」といわれ髪を伸ばすと、話を盗み聞きしていた天使にすれ違いざまに髪を切られたのだ。

 それ以来、俺が髪を伸ばしたことはない。 

 適当な嘘で誤魔化した時の大天使様の寂しげな顔は今でも鮮明に思い出せる。

「人間も天使もやることは変わらない」

 自然と嘲笑が漏れた。

 一人でいる者を強い者と思いこんでいる者達が甚振いたぶり、奪う。

 そんなことをしている暇があるのなら、上を向いて努力をすればいいというのに、何かにがむしゃらに取り組んだこともない者が、くだらない感情で他人の足を引っ張る。

 どうして俺はこんなに頑張っていたんだろう?

 甚振られて、奪われて、傷だらけになってまで、大天使になることは本当に俺が望んだことか?

 天使には相応しくないと抑えこんでいた暗い感情が浮かび上がる。

 この体は殺すことにかけては一級品だった。

 他人を殺せるということは、急所を知っていると同じだ。

 だから相手を殺さぬように急所を外すことにさえ気をつければ、相手を殺さずかつ体は望むままに動き、何も考えずとも勝手に効率よく倒していく。

 今の俺は天使じゃない。

 枷を外し、感情のおもむくまま男達へ与えようとした分の暴力を返した。

 それだけで骨が砕け、血飛沫ちしぶきが飛び、アスファルトで固められた道へ倒れ、動かなくなる。

 ああ、もう何もかもが面倒だ。

 どうして俺ばかりがこんな目に遭わなくてはならないんだ。

 いっそ大天使様も、天使も、人間も、中途半端な自分も全て壊してしまいたい。

 一つの考えが頭に浮かんだ。

 殺人を犯す。

 ただそれだけで俺は次期ウリエル大天使候補から外される。

 そしたら二度とこんな状況に(とら)われなくてもいいだろう。

「それはとても素晴らしいな」

 大天使様からの過度の期待も、他の天使からの嫉妬の視線、俺を貶めるための根も葉もない噂、いわれのない暴力もない、一人の警備天使として一生を終える自分を想像し、笑みが浮かんだ。

 その考えは甘美な毒のように俺の中に広がる。

 そうだ。こんな人間界のためにならない奴らなら殺しても問題ないだろう。

 俺は落ちていたナイフを拾い、目の前から向かってきた男の心臓へ、殺人の一手を伸ばした。

  



 同時刻の喫茶店『黒猫』の店内には猫とフェイトの二人しかいなかった。

 営業時間は一時間以上前に終了し、店内の清掃、翌日の仕込みもほぼ終わり、残っている仕事はわずかな物だった。

「一緒に帰らなくてよかったの?」

 カウンター越しに尋ねてきた猫の声にフェイトはは今日の売上を計算する手を止めた。

「主、そのいい方ですと、まるでヴェルが道もわからない幼い子供のようですよ」

 パーヴェルの姿を思い出しながら、さもおかしそうにフェイトは笑みを溢す。

「その通りだと思うよ。私には彼が子供のように周りに流されるまま生きているように見える」

「確かにそうですね。推測でしかありませんが、彼が自分の能力の高さを自覚していないことも原因の一つかと」

「そういえば賢い新くんでさえ一週間かかったマニュアルを一日で覚えていたね。フェイトのスパルタ教育のおかげもあっただろうけど」

「調きょ、教育のしがいがあって楽しかったですよ」

「……詳しいことは聞かないけど、手は出してないよね?」

 猫はフェイトを疑う眼差しを送った。

「灯火を傷つけない限り、といって多少脅したくらいですが、ヴェルの怯えた顔はなかなかにそそられる物がありましたね」

「むやみやたらに暴力を使わないって教えたよね?」

 猫の目が細められ、まとう雰囲気が鋭くなった。

 灯火がいたならば涙目になっていただろう。

「冗談です。本気にしないでくださいませ、主」

 だが、フェイトは猫の視線をさらりと受け流す。

「全く。どこで育て方を間違えたことやら」

 猫は初めて会った時とすっかり変わってしまったフェイトを嘆いた。 

 恨まれるか、嫌悪されるとばかりおもっていたが、まさか一応の主人である猫をからかうような青年に育つとは思っていなかった。

 フェイトにどんな心変わりがあったのだろうか。

「最初からではないですか?」

 心当たりがあったようで、猫はフェイトから顔を背けた。

 フェイトは満足そうな顔をする。

「……とにかく絶対にヴェルくんに手を出さないでよ」

「善処します」

 にっこりという効果音がつきそうな笑顔を見せるフェイトに、猫はぐったりと肩を落した。

 フェイトが素直にそういう顔をする時は必ずといっていいほど、約束を破るからだ。

 

 


「ちょっと待って!」

 後一センチで皮膚を貫くというところで、見覚えのある手に止められていた。

「なぜ灯火がここにいる?急用ができたんじゃなかったのか?」

 それは思ったよりも低い声だった。 

 自分でも思っていた以上に苛立っていたようだ。

 いつもの灯火ならそれだけで泣きそうな顔をして、俺の手を離しただろう。

 だが、今回は違った。

 怯えるどころか、握る手に力を増した。

「用事はもう済んだよ。それよりもどうしてヴェルが人を殺そうとしているの?それが天使の仕事?」

「うるさい。殺人鬼が殺人に口を出すのか?」

 手の力が抜けた瞬間、手を払い、振り返った。

 灯火の顔は少しだけ青ざめていた。

「やっぱり僕が殺人鬼だって知っていたんだね。ヴェルは僕を裁くために降りてきたの?」

 今にも泣きそうな声に、かすかに震える全身。

 まるで俺が灯火をしいたげているようだ。

「違う。自意識過剰もほどほどにしろ」

 灯火のせいで苛立ちが最高潮に達しようとしている。

 自分の罪を理解しながら、のうのうと平和を享受できる。

 同じ顔でも育った環境が変わればこうも違う性格になれるのか。

「ごめんなさい」

 灯火は目を潤ませて、許しをう。

 俺の顔でそんな顔をするな。

「お前は誰に何を謝っている?罪を理解しながらも償うこともなく生きていることか?それなら安心しろ。死んだら嫌でも償うことになる。それともあの設計ミスに対してか?」

「設計ミスってなんのこと?」

「聖生清美のことだ。聖生は『不死身』という生物が持ってはいけない特性を持っている。恐らく神様が悪戯半分に人間の設計を」

 続く言葉は灯火に頬を殴られていえなかった。

 男達の拳は簡単に避けたが、なぜか灯火の拳は避けられなかった。

「清美のことをよく知りもせずに設計ミスなんて呼ぶな!」

 目の前の投下に頼りない雰囲気はどこにもなく、親しい人を馬鹿にされ、激しい怒りを露わにしていた。

 丈夫な灯火の体は倒れることなく、受け止めた。

 じわりじわりと痛みが広がっていく。

 苛立つが頂点を越えた。

「設計ミスではないというのなら人外だな!」

 灯火がそうしたように俺も右ストレートをお返しした。

 柔らかい肉の感触の後に、骨を殴る感覚がした。

 灯火も倒れることなく、地面に足を踏ん張る。

「清美はちゃんと人間だ!」

 灯火の二発目の拳が向かってくる。

 軌道がわかれば避けることは簡単だ。

 だが、この拳を避けることは灯火から逃げているように思え、避けることが出来なかった。

 覚悟を決めていた分、痛みは最小限で済んだ。

「お前の玩具の間違いじゃないか?不死身なら何度殺しても死なないからちょうどいいだろう?」

 また、同じように殴り返した。

 俺の拳を受け止めた灯火はいつになく激情に満ちた目で俺を睨みつける。 

「清美はそんな存在じゃない!もっと大切でかけがえのない存在だ!」

 当たりどころが悪く口の中を切ったらしく、鉄の味が広がった。

 溜まった血を唾とともに吐き捨てる。

「どうだが。口ではそんなことをいって()ることは()っているんだろ?」

 瞬時に顔を赤くした灯火に下から上へすくい上げるように、拳を突き上げる。

 足元がふらついたが、それでも灯火は倒れなかった。

「ヴェルのわかりずや!」

「灯火の頑固者!」

 それから俺達はひたすらお互いを罵り合いながら殴りあった。

 どちらがどちらの体であるかなど、その時の俺と灯火にはどうでも良かった。


 


 俺と灯火の喧嘩は近所の人が通報し、やってきた警察官に署へ連行されたことにより、強制的に終了した。

 だが、現場状況から男達へ一方的に暴行を行ったと誤解され、恐喝まがいの取り調べを受けた。

 俺は全く怖くなかったが、灯火は怖かったようだ。

 とっくに日付が変わり、夜空に星が輝いている。

「二人とも本当に反省してますか?わかっていないのでしたらわかるまでじっくりとお仕置きしてもいいんですよ?」

 俺と灯火を引き取りに来たのはフェイトだった。

 猫はあの容姿で怪しまれやすく、トマは別の事件で逮捕される可能性が高く、掃除夫の佐久間は激しい人見知りで外に出られない。

 それ故の人選だった。

 嵐の前のように静かに怒るフェイトに俺と灯火は顔を青ざめ、揃って頭を大きく左右に振った。

 灯火もフェイトの恐ろしさを知っていたようだ。

「「は、反省してます!もう二度としません!」」

 不本意ながら俺と灯火で声を揃え、腰を九十度以上、折り曲げた。

 双子のような言動の二人にフェイトはくつりと笑う。

「ならいいです。もしもう一度、襲われた場合はことが大きくならないようにうまくやってください」

 注意としてはおかしな言葉が飛び出したが、指摘できる者はここにはいない。

 俺と灯火は仲良く縦に頷くことしかできなかった。

 だが、素直な俺と灯火にフェイトは気をよくする。

「それじゃ帰りますよ。二人には明日も働いていただかなくてはなりませんからね」

 フェイトは二人の背中を押して、アパートへ帰りを促した。

 警察署の前で立ち止っていた俺と灯火は傷だらけの体でアパートへと足を進める。

 だが俺と灯火の間に会話はなかった。

 お互いに顔を逸らして、フェイトを挟んで、距離をとった。 

 殺しの邪魔をされた挙句に俺までフェイトに怒られてしまった。

 絡まれたことも元々は灯火のせいだ。

 側にいるだけで殴りたくなるほど苛立つ。

 フェイトがいなければもう一度同じことを繰り返しただろう。

 だから灯火の顔を見たくもなければ、口も聞きたくなかった。

「本当に子どもみたいですね」

 フェイトは肩をすくめて溜め息を吐くが、俺と灯火はなんの反応も示さない。

 それはアパートに辿りついても同じだった。

 もう一度、フェイトに次から注意するように念を押され、素直に返事をした。

 濡れ衣を着せられそうになった警察にお世話になるつもりはない。  

 先に階段へと戻ろう。

 俺は二人を置いて自分の部屋へと向かう。

 喧嘩と取り調べで精神的にも肉体的にも疲れ、早く休みたい気分だった。

「待ちなさい、ヴェル。まだ話は終わっていませんよ」

 一階と二階を繋ぐ、階段の中頃に差し掛かった時、フェイトの厳しい声が背中越しに届いた。

 これ以上、怒られるのは耐えられそうになかったが、後が恐ろしくて逃げられられそうにもない。

 まだ帰れそうにないな、と諦めにも似た感情が浮かんだ。

 振り返ろうとして、膝の力が抜けた。

 思っていた以上に体にダメージがあったようだ。

 そのまま背中から一階へと倒れていくる。

 人間界に来た時と同じ浮遊感が俺を包んだ。

 大した高さではないが、疲れ切った体では受け身も取れそうにない。

 すぐにくる衝撃に心構えだけして、目を閉じた。

「ヴェル!?」

 灯火の焦る声が聞こえた気がするが、幻聴だろう。

 やけに遅くなった時間にうんざりした頃、ようやく衝撃が来た。

 打ち所が悪かったらしく、硬い物に頭を強打し、俺はそのまま意識を飛ばした。

 


 

 殺人鬼の拳を受け止め続けたヴェルの体の強度が高すぎて作者自身驚きです(笑)

 普通の人間なら入院コースですね。


 次回その4に続きます。

 今日中に投稿する予定です。

 

 

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