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302号室  見習い天使  その2

 その1の続きです。

 

 ※BL、暴力表現がありますので、苦手な方は注意してください。

 


 とりあえず詰んでいる現状を理解し、大天使様に(脳内で)怒りを発散したところで、俺は冷静になった。

 必要な物はたくさんあるが、先んず必要な物はやはり衣食住とお金だ。

 お金を得るためには職に就かなくてはならないが、俺には戸籍という身分証明書がない。

 何度考えても詰んでしまっている。

「どうやら何も考えていないかったみたいだね」

 俺が答えないことで気づいたらしく、唄田は呆れたように肩をすくめる。

「それなら道端に捨ておきましょう」

 フェイトはとんでもないことを笑顔で進言する。

 だが、それもありかも知れない。

 いっそこの人たちのいない場所で一度死んで怒られて、当面の生活資金と戸籍をもらって落とされた方がいいのかも知れない。

「いやその選択は出来ないよ。だってパーヴェルくんの今の体は灯火くんの体だからね」

 猫の発言に場の雰囲気が凍りついた。

 フェイトに至っては四川を抱き起こそうとしたままの体勢で固まっていた。

 俺の知らない事実を猫は告げた。

 いや、違う。

 俺が気づかないふりをしていた事実に目を向けされられた。

「主、何をいっているのですか?」

「二人は体と心が入れ替わっているんだよ。パーヴェルくんの話を聞く前から二人の反応がおかしいかったから疑っていたんだ。何より灯火くん、本来の君の体の怪我の回復が速すぎる。調べたみると強力な自律回復魔法がかけられていたよ。一度しか使えないけど即死じゃない限り回復するようにね」

 思い返せば、俺が落ちたのは数千メートルの場所からだった。

 普通の人間ならばまず助からなかったはず。

 なのに俺も巻きこまれた四川も命には別状はない。

「俺は即死に近いほどの怪我をしていたんですか?」

 正確には“俺の体”だ。

「数十箇所の骨折、特に手足が酷かったよ。後はいくつか内蔵破裂も起こしていた。幸いにも魔法の効果で綺麗に治っているようだね」

 自分が死ぬだけではなく、四川も死なせていた可能性を改めて示唆され、血の気が引いた。

 俺は意図せずに殺人を犯そうとしていた。

「大丈夫だよ。灯火くんはほとんど怪我していない。恐らく君は無意識に魔法でも使って、灯火くんを傷つけないように守ったのだと思うよ」

 唄田はまた俺の内心を見透かしたようだ。

 耳を澄ますと確かに体の中央から心臓の鼓動が聞こえた。 

「信じられませんがどうやらそのようです。死にかけた時に発動した魔法の後遺症か、私の精神が肉体に馴染んでいない状態だったからか、それとも他の理由なのかわかりません。可能性としては二つ目の理由が高いと思います」

「どうやったら元に戻れるんですか?」

「うーん。原因がわからない以上、元に戻る方法もわからないね」

 訓練中に大天使様に巨石で頭を殴られた時と同じ衝撃を受けた。

 このまま戻れなければ一生灯火の体で生きなくてはならない。

「灯火くんとパーヴェルさんはこれからどうなっちゃうんですか?」

 それまで黙っていた聖生が口を開いた。

 原因となった俺を責めることはなく、純粋に解決方法を気にしているように見えた。

「そうだね。とりあえず二人の体が戻るまで灯火くんたちも住んでいる二葉荘で暮らして、昼間はここでアルバイトでもしてもらおうか。パーヴェルくんもそれでいい?」

 唄田は俺を目の届く場所に置いて、監視したいのだろう。

 俺も住むところも職も得られるから何も不満はない。 

 互いにそれぞれデメリットとメリットがある。

 何より唄田は俺と灯火が戻れると考え、サポートしてくれるようだ。

「はい。わかりました」

 俺は一、二もなく頷いた。

「では私が彼を教育しましょう」

 誰かが発言する前にフェイトはにっこりと見惚れてしまいそうになる悪魔の笑顔で宣言した。

 ああ、もう一つだけ条件をつければよかった。

 すぐに俺は自分の選択を少しだけ後悔した。




 唄田が二葉荘に連絡を入れ、入居許可を得たところで俺はフェイトに連れて行かれた。

 聖生はフェイトの隣に並び、倒れたきり目覚めずにフェイトに背負われる灯火をしきりに気にしていた。

 二葉荘は築数十年以上ありそうなほど古い四階建てのアパートだった。

 強風で今にも倒壊しそうだ。

 郵便受けの前でフェイトが立ち止る。

 十一個の少し錆びた金属製の郵便受けはどれも空っぽだった。

「三〇二号室の中に鍵が入っているので取り出してください。それがあなたの部屋の鍵になりますので、失くすと中へ入れなくなりますよ」

 郵便受けには掌サイズの金属製の鍵が入っていた。

 灯火と聖生は一緒に暮らしているようだ。

 聖生は家の鍵を取り出し、一〇一号室のプレートがはめられた扉を開け、フェイトと共に中に入っていった。 

 俺は部屋の外でフェイトの帰りを待った。

 数分後にフェイトが帰ったきた。

「おや?私にあんな目に遭わされたのに逃げずに待っていたですか。殊勝ですね」

 蔑むような視線で見下された。

 だが、その視線も天使界で嫌というほど味わった。

 今さらほとんど苦痛はない。

 あんな目とは首を刺されたことだろう。

 天使界では大天使様の目を盗んで、殺されそうになったことも多々あった。

 それに比べればフェイトがやったことは、許せないというほどではない。

 むしろ、突然現れた知り合いを傷つけた者をそう簡単に許せず、警戒するだろう。

 ただ、過剰な反応だとは思ったが。

「あれは当然の対応だったと思います」

 俺の反応が予想外だったのか。

 一瞬だけ目を見開き、フェイトはすぐに余裕のある笑みを取り繕った。

「あなたの部屋は三階です」

 フェイトはついてこいとはいわなかった。

 わざとか、それとも無意識か?

 俺には前者のように思えた。

 素直に俺はフェイトの後をついていく。

 階段を昇り、三階で曲がり、三〇二号室のプレートがはめられた部屋の前でフェイトは立ち止った。

「今日からここがあなたの部屋です。鍵の使い方はわかりますね?」

「はい」

 手に持っていた鍵を鍵穴に差しこみ、時計回りに捻った。

 カチャリと鍵が開く手ごたえがあり、鍵を引き抜き、扉を開くと背中を突きとばされた。

 正面から玄関に倒れこんだ俺の背中をフェイトが踏みつける。

 扉が完全に閉まってから、フェイトは俺に跨り、髪を掴んで無理やり顔をあげさせた。

「灯火の体を奪って何が目的ですか?」

 俺の耳に唇を寄せ、フェイトは低く冷たい声で呟いた。

「目的なんてありません。私はただ……っ!」

 髪を掴む手に力がこめられた。

「それが本心ではないでしょう?それとも気持ちいい方法で甚振られる方がお好みですか?」

 尻の形を確かめるように撫でられ、あまりの気持ち悪さに背筋が震えた。

 暴力を振るわれることはあっても、貞操を狙われたことはなかった。

 かつてない危機に頭の中で警鐘が鳴り響く。

「や、やめてください。四川さんには本当に申し訳のないことをしたと、償いたいと思っています。私は四川さんや皆さんを害そうと思っていません。ただ見習いとして勉強しに来ただけです」

 必死に弁解にもならない言葉を連ねる俺の反応に気をよくしたのか、フェイトはさらに唇を近づけた。

 近過ぎる距離にフェイトの吐息すら感じる。

「今回はそういうことにしておきましょうか。ですが、もし灯火たちを傷つけることがあれば元の体に戻ったあなたを心身ともに殺します」

 だから頭に刻みつけておいてくださいね。

 フェイトは殺気を濃厚に含ませた声で、俺に忠告した。

「わか、り、ま、した」

 情けなくも俺の声は震えていた。

 いや声だけではなく、体中が震えている。

 俺の返事に満足したフェイトは掴んでいた髪を離し、立ち上がった。

「物わかりのいい方で助かりました。それではまた明日九時からよろしくお願いします」

 フェイトは何事もなかったかのように扉を開け、部屋を後にした。

 扉が完全に閉まるまで俺はその場から動くことが出来なかった。

「絶対に元に体に戻ろう」

 衣食住を得て切実に思った。

 その後は部屋の構造を確認し、部屋に唯一あった布団を敷き、眠りについた。

 フェイトから与えられた恐怖を少しでも忘れよう。

 寝る前に鍵をかけたか三回確認した。




 扉を叩く音に目が覚めた。

 鈍い動きで体を起こし、玄関に向かう。

 少しだけ眠気の残った頭は玄関の覗き窓を覗くことを忘れ、無警戒な心で扉を開いた。

「おはようございます」

 恐怖の権化(ピンクの髪をした猫耳男)が目の前に現れ、完全に目が覚めた。

 だが、扉を開けた体制で固まり、動くことが出来ない。

 声すら出ない状況に久しぶりに泣きそうになった。

「そんな怯えた顔をしないでください。あなたが灯火たちを傷つけない限り、私もあなたに危害をくわえるつもりはありませんよ。あなたが望むなら別ですが?」

 怯える俺をフェイトは冗談のような口調で誘う。

 昨日の今日でまともな対応が出来るほど、俺は肝が据わっていない。

 俺は全力で首を横に振った。

「それは残念ですね。新しい世界には興味がありませんか?」

 新しい世界を詳しく聞こうと思い、昨日の出来事を思い出し止めた。

 全く持って興味をそそられない。

 そもそも俺は恋愛にほとんど興味が持てない。

「まあ、あなたの性癖はどうでもいいです。私のお古ですみませんが、着替えです。今からお風呂に行きますので、鍵を持ってついてきてください」

 フェイトから震える手で紙袋を受け取った。

 紙袋には数日分の服が入っていた。

 下着を見つけ固まる俺をフェイトは声を上げて笑った。

「さすがに下着は新品ですよ。コンビニで買ってきました」

 心を読まれ、俺は恥ずかしくなった。

 唄田もフェイトもどうして俺の考えていることがわかるのだろう。

「あなたは顔に出ますからね。大変わかりやすいですよ」

 赤くなっているだろう顔を俯ける。

 再び、笑い声が上から落ちてきて、いたたまれない気分になった。

「それでは行きますよ」

 俺を置いて先に行くフェイトの纏っている雰囲気は昨日よりも少しだけ柔らかくなっていた。

 油断をしようものならば、再び脅迫されそうだが。

 慌てて気替えを持って鍵を閉め、後を追った。

 お風呂場は隣の建物で入居者共同のようだ。

 男と書かれた扉を開けて中に入る。

 中は思ったよりも広く、同時に五、六人は入れそうだった。

 フェイトに使い方を教えてもらい、風呂に入った。

 ……フェイトも一緒に。

「男同士なのに緊張したのですか?」

 ぐったりとした俺を見て、フェイトはにやにやと頬を緩めた。

 フェイトが隣にいるだけで俺は気疲れしていた。

 風呂上りのフェイトは妖艶な色気があり、しっとりと濡れた長い髪と細身も相まって、妙齢の女のようにも見えた。

「フェイトさんと一緒でなければここまで疲れません」

 俺だけ緊張しているのが馬鹿らしくなり、嫌味を一つ口にした。

 するとフェイトさんはにやりと笑みを深くする。

 まずいことをいったかと、背筋が寒くなった。

「そんなに私が魅力的ですか?」

 口元に手をやり、首を傾げた。

 動きに合わせてさらさらと髪が流れる。

 普通の女ならばさぞ絵になった行動だろうが、俺にとっては恐怖を煽るだけだった。

「すみませんでした!」

 俺は荷物を持って、部屋まで帰った。

 後ろからフェイトさんの笑い声が追って来て、さらに泣きそうになった。




「おはよう。フェイト、パーヴェルくん」

 唄田が爽やかな声でカウンター越しに挨拶する。

 昨日と変わらぬ態度に安堵した。

 唄田は今日から働く喫茶店『黒猫』の店長らしい。

「おはようございます、主」

 やけにつやつやした顔のフェイトが挨拶を返した。

 おそらく朝から俺に様々な意地悪をして、溜まっていたストレスが発散されたからだろう。

「おはようございます、唄田さん」

 仕事を始める前から疲れきっている俺を見て、事情を察したらしい。

 厳しい視線をフェイトさんに送る。

「フェイト、パーヴェルくんに何をした?」

「教育です。そうですよね、パーヴェル?」

 俺を見るフェイトの視線が「否定するなら昨日からのことを話してもいいんですよ?」と訴えていた。

 冗談ではなく、本気のようだ。

 俺のわずかなプライドが唄田へ報告することを諦めた。

「はい。その通りです」

 納得がいかないようだったが俺が何もいわないため、唄田はそれ以上、何もいわなかった。

 フェイトだけが満足そうに笑う。

「今日の君の仕事はお客様を席に案内する、注文を取る、出来た料理を運ぶことだよ。詳しいことはフェイトか、灯火くんに聞いてね」

 タイミングよく喫茶店の扉が開き、四川がやってきた。

「お、ひっ!?」

 挨拶をしようとしていた四川は俺を見つけると変な悲鳴をあげ、机の後ろに隠れた。

 なぜ、そこまで怯えられるのだろうか?

 唄田はやれやれと肩をすくめる。

 もしかすると俺だけではなく、他の人にも怯えたことがあるのかもしれない。

 たが、このまま怯えられては困る。

 フェイトは厳しく教育してくるので、俺は四川から仕事を教わりたかった。

 仲良くなるためにはこちらから歩み寄ることも大切だ、と何かの本で見たこともある。

 四川の隠れた机の側にいき、屈んで視線を合わせた。

「おはようございます、四川先輩。今日から後輩としてよろしくお願いします」

 はっきりとした口調と明るい声に気をつけて挨拶をする。

 四川は驚いたように俺を見つめる。

「おはようございます。パーヴェル?さん、こちらこそよろしくお願いします」

 遠慮がちな挨拶に俺は溜息をつく。

 まだ嫌われてはいないようだ。

「ヴェルでいいです。後、先輩なんですから敬語もなしでお願いします」

「わかりま、わかった。僕のことは灯火って呼んでほしいな。あとヴェルも敬語はなしで話してよ」

 顔を真っ赤にして、だけど嬉しそうにはにかむ灯火は庇護欲をそそった。

 フェイトがあそこまでして、守ろうとした理由がわかった気がする。

「二人が仲良くなれたみたいで安心したよ。急かして悪いんだけど、三人とも着替えてくれるかな?」

 



 二人にロッカー付きの部屋(おそらく休憩室)に連れられ、制服を渡された。

 制服のデザインは唄田と同じだ。

 フェイトと灯火も同じだが、着る人によって、印象が異なる。

「そんなに見つめられてはさすがに困りますね」

 全く困った様子のないフェイトのわざとらしい声に俺はずっと二人を見ていたことに気づいた。

 灯火は照れて、服の裾を握り締め、火が出るのではないかと思うほど、顔を赤くしていた。

 自分の体なのに気持ち悪いと思わないのは、精神が灯火だからだろう。

 俺ならあんな顔を絶対にしない。

「同じデザインの服でも着る人によって印象が変わると思っただけです」

「そうですか。それでは仕事を始めましょう。私はヴェルに仕事を教えるので、灯火は先に仕事に入ってください」

「わかりました」 

 灯火は俺を一瞥して、部屋を出ていった。

 猫がいたフロアに戻ったのだろう。

「それでは基本的な挨拶から始めます。出来るまで何度も付き合ってあげますから安心してください」

 マニュアルらしきものを片手に微笑むフェイは悪魔にしか見えなかった。

 それから一時間ほど俺はフェイトのいう通り、みっちりと仕事を叩きこまれた。

 やっとの思いでフロアで働く許可をもらうと、安堵する暇もなく、フロアに出され、泣き言をいうことも、失敗することも許されず、遠慮なく働かされた。

 もしかすると俺には上司の運がないのかもしれない。

 必死にフロアを早足で歩き(走ったらフェイトに怒られた)、仕事をやりながら、切実に思った。

 フェイトさんがますます腹黒く残酷になりました。

 どうしてこうなった(汗)


 なぜか話を進めるごとにヴェルが不憫な子になっていきます。

 どうし(ry)

 

 その3に続きます。

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