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203号室  異世界人  その3

 その2の続きです。

 この世界では滅多に見ることのないピンク色の髪、中性的な端正な顔、私より少し高い身長に長い手足、それら全てが揃ったフェイトはまるでモデルか、芸能人のように見える。

 道行く人がフェイトの美貌に振り返るが、本人は新しい世界の風景に夢中で気づいていない。

 ナンパに声をかけられるのも時間の問題だ。

 予測通り、家を出て間もなく声をかけられた。

 フェイトから笑顔が消え、眉にしわが寄った。

 瞬間的にこのままではまずいと思った。

 やんわりと断りを入れて、去ろうとしたが相手は極上の得物を逃す気がなかったらしい。

 しつこく誘い、フェイトの体に触れていた。

「止めろ。趣味の悪い香水の匂いが服につくだろう」

 私と話していた時とは違う、嫌悪感がむき出しの低い声に女はひるんだ。

 その隙に体に触れた相手を乱暴に引き剥がし、視線に殺気をこめた。

 慌てて二人の間に入り、その場から逃げた。

 そのままあの場所にいては、フェイトが暴力を振るうことが目に見えていた。

 暴力を振るおうとしたことを注意すると、謝りはするが、反省をしていなかった。

 これではまた同じ目に遭ったら繰り返すだろう。

 外に連れ出すには早かったかと後悔するが、今日はフェイトの側から離れなければ大丈夫か、と考え直した。

 せっかくだから買い物を楽しもう。

 前向きに考え、当初の目的を果たすため、目についた店に片っ端から入った。

 誰かの服を買うのは数年ぶりのことだったため、ナンパされたことも忘れて、はしゃぎすぎてしまった。

 買った服は必要な分だけ持ち帰り、残りは郵送してもらう。

 帰る頃にはフェイトが真っ白な顔をして、ぐったりとしていた。

 このまま家に帰るには辛そうで、近くにあった公園で一休みしてから帰ることにした。

 椅子にもたれかかって座る姿に申し訳無さを感じ、自動販売機に飲み物を買いに行く。

 一人にしてしまうが他に人はいないし、フェイトは疲れきっている。

 予想外の出来事がなければ、問題はないだろう。

 なんて。

 甘い考えをしていた過去の自分にいいたい。

 何があってもフェイトを絶対に一人にするな、と。

 来た道を戻って、フェイトの元へ急いだ。

 コーヒーにするか、紅茶にするか悩み、少し時間をとってしまった。

 けっきょく私が淹れた紅茶を気に入っていたから、微糖の紅茶にした。

 初めて紅茶を飲ませた時、耳がぴくぴくと動き、まとう雰囲気がわずかに柔らかくなった姿は小さな子供のようで、微笑ましく思った。

 何も知らないに等しい世界で、突然一人にされては大人でも不安になるだろう。

 自然と足取りは速くなり、最後には駆け足になっていた。

 フェイトの元に辿り着いた時、手にしていた缶を落としそうになった。

 死屍累々(ししるいるい)。

 まず頭に浮かんだのはその言葉だった。

「遅かったですね。そんなに遠かったんですか?」

 私に気づいたフェイトが倒れている男達を踏みつけながら、近づいてくる。

 その表情は晴れ晴れとした笑顔だった。

 猫はそこでようやくフェイトがどんな人間かを悟った。

 フェイトが目の奥に隠しているそれはアジアの貧しい地方の人間が浮かべるものと同じだ。

 自分が生きるためならば、他人を傷つけることも殺すことも(いと)わないどころか、率先してやる。

 それで他人が不幸になろうが、死んでしまおうが気にしない。

 フェイトが生まれ育った世界についてはしっかりと話したが、自身のことについてはほとんどぼかして話していた。

 おそらく私にいいづらいことだっただろう。

 フェイトのいた世界で差別、いや卑下される“猫”として生まれたことから、どんな生活を送っていたか大体の予想はつく。

 生きることに(こだわ)ることを否定しない。

 人間の、いや生物の本能だ。

 だけど他人を(かえり)みないということは、認めない。

 この国ではそんな生き方じゃ生きられない。

 誰もが皆、さまざまな思惑がありながらも助け合って生きている。

 このままではフェイトは生きられない。

「何をしていたの?」

 男達は手加減を知らない子供が人形遊びをしたように手足がありえない方向に曲がったり、体の一部が千切れかかっていたり、切り裂かれたりしていた。

 辺りには男達が持っていただろう物騒な物がたくさん落ちていた。

 スタンガンまで持っていたのか。

 実際に状況を見ていなくてもフェイトが何をしていたわかったが、確かめるためにあえて聞く。

「邪魔だったので大人しくしてもらいました」

 フェイトは開き直るわけでもなく、全く悪びれる様子もなく、笑顔のままだった。

 ああ、やはりこのままじゃだめだ。

 極端な世界で育った彼の価値観は極端だ。

 自分を攻撃する者は敵。

 自分を生かしてくれる者は味方。

 そのどちらかしかない。

 きっと私がこの瞬間にフェイトを裏切っても、彼は私を敵とみなして男達と同じ目に遭わせるようとするだろう。

 フェイトにとって人との付き合いの長さも恩も立場も関係ないのだ。

 全ては自分が生きるため。

 だったら彼は何のために生きているのだろうか?

 彼に尋ねたらおそらく自分のためだというだろう。

 今の彼にとっては生きること、それだけが人生の目標だ。

 それだけでは彼が死んだ後、誰の記憶にすら残らない。

 そんなのあまりに寂しいではないか。

 フェイトの最低限の生活を保障するだけのつもりだったが止めた。

 残された時間はわずかだが、フェイトには私が持っている物を全てを与えよう。

 魔法も、それを使う技術も、経験も、知識も、料理も、人脈もフェイトに与えよう。

 私がいなくなっても彼が一人ではなく、誰かに囲まれて幸せに生きられるようにしよう。

 彼の死後、一人でも多くの記憶に残るように彼を変えよう。

 私は最大のお節介を君に焼く。

 フェイトにベンチに置いていた荷物を持たせ、男達の重傷を魔法で治療していく。

 背後でフェイトが不機嫌になっているのがわかったが、無視をした。

 フェイトは相手の気持ちを察する能力に長けているが、相手の気持ちを理解する能力はないに等しい。

 例えば、相手が泣きそうであることを察しても、なぜ泣きそうなのかが理解できない。

 つまり相手が何を思ったかわかっても、その気持ちを理解することが出来ない。

 なぜそうなっているのか?

 それはフェイトの感情が育っていないからだ。

 だから彼は私がどのような気持ちで男達を治療しているかも、フェイトをどう思っているかも全く分かっていない。

「フェイト、帰ったらお仕置きの時間だ」

 治療が終わるまで待っていたフェイトの手を取って、家へと向かう。

 足取りが荒々しいのは仕方ない。

 冷静ではあるが、私も少し怒っているのだ。




 声をかけてきた男達は思った以上に弱かった。

 なぜあんなに自信に満ちていたのだろうか?

 それともこの世界の人間は俺より弱い?

 戻ってきた猫は俺がやったことを見て、唖然あぜんとしていた。

 忠告を無視したことを反省していない。

 身の安全を守るために仕方なくやったことだ。

 男達が俺に触れようとしなければ、手を出す気はさらさらなかった。

 悪いのは男達で俺は何も悪くない。

 猫はしばらく考えて、何かを決心した目で俺を見つめた。

 俺にベンチに置いていた倒れていた(殺すと後が面倒なので生かしておいた)男達を治療する。

 なぜそんな奴らの治療をする?

 苛立ちを視線にこめて送るが、猫は無視した。

「フェイト、帰ったらお仕置きの時間だ」

 初めて聞いた猫の低く氷よりもずっと冷たい苛立ちの声に全身が震えた。 

 そんなことはお構いなしに俺の手を取って、猫は家へと向かう。

 足取りが荒々しく、俺を見ようともしない。 

 家に着くと空いた手で俺の荷物を奪って、乱暴に床に置いた。

 中には壊れるようなものは入っていない。

 靴を脱いで地下へと俺を引きずる。

 そこでようやく繋いでいた手を、まるで放り投げるように離した。

「なんで私が怒っているかわかる?」

 やっと猫は俺の目をまっすぐに見る。

 目には明らかな怒りがあった。

「私が怪我をさせたからですか?」

「それもある。でも一番は武器を持っている相手に一人で向かっていったことだよ。君はこの世界を何も知らない。そんな世界で致命傷を負ったらどうするつもりだったんだ?」

 確かに俺の行動は軽率だった。

 いくら弱そうでも武器を持っている相手に素手で向かっていく行為は殺されに行くようなものだ。

 だがあのままいつ帰ってくるかわからない猫を待つことはできなかった。

 俺は何も知らないから猫があの男達の仲間ではない保証もどこにもない。

「生きたいのならもっと考えて行動しなさい。それが出来ないなら君は死ぬだけだ」

 取り繕っていた笑顔が歪んでいく。

「安全な世界で生きるお前に俺の何がわかる」

 自分でも驚くような低く無感情な声がした。

 どす黒い感情が胸の中で熱く煮えたぎる。

 ここまで感情がたかぶったのはいつのことだったか。

「安全な世界?世界に安全なんてない。それは君の勘違いだ。それを今から君に教えてあげよう。胸を貸してあげるから全力で攻撃しなさい。それでも君は私を傷つけられないから」

 何が安全がないだ。

 そこにいるだけで襲われ、奪われる世界と、与えられ満たされたこの世界はあまりに違い過ぎるだろう。

 どちらが安全な世界かは幼児でもわかる。

 なら売られた喧嘩は買ってやるまでだ。

 足に力をこめて駆ける。

 それだけで拳が届く間合いに入る。

 猫が驚いたように目を見開き、俺は固めた拳を振り上げた。

「足の速さには驚いたけどこの程度か」

 今度は俺が驚く番だった。

 猫は指一本で俺の拳を防いでいた。

 どれだけ力をこめてもそれ以上先に進むことはない。

 一体どういう風に力を使ったのだろう。

「どうした?これで終わりか?」

 猫は俺を見下げながらいう。

 お前も俺を“猫”だからって見下すのか!?

 目の前が真っ白になり、体の中も外も熱くなった。

 猫から距離をとって、もう一度駆ける。

 先ほどと同じように拳を振り上げる。

 猫はうんざりした顔でそれを受け止め、俺はもう片方の拳を死角から振るった。

 だが、それも受け止められる。

 だったらと背後に回りこんで伸びた爪で首を狙った。

 それすらも見抜かれ、振り向きもしないまま俺の手首を取り、足をひっかけ俺を投げ飛ばし、背中から地面へ叩きつけた。

 肺から空気が全て吐き出され、全身に激痛が走った。

「まだやる?」

 立ち上がることのできない俺は猫を睨みつけることしかできない。

 胸の奥が苦しくなり、目が痛くなった。

 視界がおぼろげになり、何かが頬を伝う。

 涙を流すのは一体何年ぶりのことだろう。

 猫の顔を見ることが出来なくて、重い腕で顔を隠した。

「私はこんなやり方でしか君に生き方を教えることしかできない。それでも君は私についてくる?」

 俺を腕をとった猫の酷く厳しい声が頭上から降ってくる。

 断れば猫は俺を解放してくれるだろうか?

 解放されたところで俺はどうなる?

 きっとまた前の世界のように死にかけるだろう。

 だけどその時は猫のように俺を助けてくれる存在はいない。

 猫と契約して時点で俺に選択肢なんて最初からなかった。

 今さらそのことに気づいた俺は馬鹿だ。

 小さく縦に頷いた俺の腕を離して、猫は棚からタオルを取りだして投げた。

 タオルは優しく広がり、俺の顔を隠すように落ちた。

「気が済んだら風呂に入りなさい。それから夕飯にする」

 猫は俺を置いて、地下の扉を閉めた。

 一人取り残された俺は無様に地面に横たわったまま、タオルを濡らし続けた。




 泣かせるつもりなんてなかった。

 なんていいわけにもならない。

 フェイトが“猫”として生まれたから、異常なほどに見下されることを気にしているのを知りながら、物理的ではあったが見下ろしてしまった。

 大粒の涙を流す顔を隠すフェイトの腕を剥ぎ、私を見つめさせる。

 とても見ていられなかったが、逸らすことはできなかった。

「私はこんなやり方でしか君に生き方を教えることしかできない。それでも君は私についてくる?」

 罪悪感を押し殺して、厳しい口調でフェイトに最終確認をとる。

 これで私から離れるというのなら、無責任だけど契約から解放しようと思っていた。

 やり方さえ選ばなければフェイトはどこでだって生きていける。

 私のエゴでフェイトを縛りつけようとしながら、都合が悪くなったら放り出そうとしていることに先ほど決心が揺らぐ。

 私は弱くて最低な人間だ。

 賢いフェイトはおそらく自身にとって最善の答えを出す。

 感情を殺すことで生きてきたフェイトは自身の感情を入れず、危険性と効率だけを計算に入れた合理的な思考をしている。

 だけどフェイトは感情が死んでいるわけでも、非情になりきれているわけではないことを自覚していないから、自身の出した答えに苦しむ。

 予測通り、フェイトは縦に頷いた。

 その顔は絶望しかなくて、見ていられなかった。

 腕を離して、タオルを投げ渡した。

 幸せにするつもりが、彼を傷つけてさらに遠ざけてしまった。

 今までそうだったように私は近づく者を傷つけるばかりで、誰も幸せにすることが出来ない。

 約束通りフェイトには生き方を教えよう。ただし、これからは傷つけないように距離をとる。

 地下への扉を閉めて、一階にある電話をとって、四方山久遠よもやまくおんにかける。

「忙しいところごめんね。久遠が持っているアパートはまだ空室があったよね?」

「例の古いとこっすか?空いてますけど住人でも紹介してくれるんすか?」

 嬉しさを隠そうともしない明るい声に苛立っていた気持ちが落ち着く。

「そうだよ。訳ありの人なんだけど一部屋、どこでもいいから準備してくれないかな?家賃は私が払う」

「猫さんの紹介ならどんな人でも大丈夫っすよ。いつから入るんっすか?」

 私が苛立っていることに気づいていたらしい、久遠がからからと笑う。

「一か月後くらいかな。詳しいことはまた連絡するよ」

「じゃあ一応一か月後で咲楽さくらに連絡してるっすよ」

「ありがとう。助かるよ」

「よっぽど手のかかる人を拾ったんですね」

 久遠が目の前にいたのなら珍しい物を見たとでもいうような顔をしていただろう。

「そうだね。とても手のかかる人だ」

「それは会うのが楽しみっすね!」

 子供のようにはしゃぐ久遠がおかしくて、思わず笑ってしまう。

 それではフェイトはアイドルか何かみたいだ。

 自分でアイドル姿のフェイトを想像し、似合いすぎて噴き出してしまう。

「本当にありがとう。またね」

「またっすね!」

 受話器を置いて、電話を終える。

 久遠のおかげで暗くじめじめしていた感情が薄らいだ。

 私がフェイトを傷つけ、フェイトが生きる術を求めた事実は変わらない。

 これからは傷つけないように精神的にも物理的にも距離をとる。

 幸い、フェイトは賢いから生きる術を覚えるのにそれほど時間はかからないだろう。

 私が必要なくなるのに時間はかからないはずだ。

 陰で見守り、助けを求められても、もう二度と私自身は隣に誰も求めない。

 他人とかけがえのない人との最後の境界線は“愛しい人”であっても越えさせない。

 この決心だけは今度こそ死ぬまで果たす。

 頭を切り替えて、風呂の準備と夕飯の支度を始める。

 フェイトがリビングに来たのはそれから二時間後だった。

 自分で書いておきながら話がややこしくなってしまいました。

 すみません。

 

 一言でいうなら二人とも寂しがり屋の癖に不器用だから強がってしまうようです。


 その4に続きます。

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