202号室 改造人間と人型機械 その2
その1の続きです。
数年前、俺が誘拐されて初めて目を覚ました時、激しい痛みが手足に走った。
まるで巨大なペンチで挟まれているような感覚だった。
生まれて初めて味わう痛みに泣き叫んでいると看護師さんが飛びこんできて、なぜか俺は取り押さえられた。
慌ただしく医者もやってきて、俺に注射をした。
するとすぐに眠くなって痛みはどこかにいってしまった。
数時間後に目が覚めた時、あの痛みはまるで嘘のように消えていた。
周りには誰もいなくなっていて、窓から見える空は青かった。
起き上がろうとして、起きられないことに気づく。
どれだけ手足に力をこめてもちっとも動かせない。
きっと犯人にたくさん殴られてり、蹴られたりしたから痛みで麻痺しているんだろう。
当時の俺は体の状況をそんな風に軽く考えていた。
ぼーっと窓の外を見ていると看護師と医者がやって来た。
俺が起きていることに気づくと笑顔で体調を聞いてきたから、正直に答えた。
「さっきから起き上がろうとしちょっとやけど、手足に力が入らんで起き上がれんちゃわ。先生、ぼくいつになったら退院できっと?」
場の雰囲気が凍りついた。
それは気のせいではなく、看護師も医者も顔を強ばらせていた。
俺はそんなに重症だったのだろうかと不安で泣きそうになった時、医者が慌てて口を開いた。
「大丈夫だよ。日向くんが頑張ったらきっとすぐによくなるからね」
その言葉を素直に信じて、俺は笑顔で頷いた。
今、思えばその言葉を信じたことが間違いだった。
数日後に忙しい両親が見舞いに来てくれた。
いつもだったら会えただけで大喜びだが、俺は相変わらず起き上がることはできなくて、落ち込んでいた。
時々、思い出したように体が痛いこともあって、そんなに傷ついていたのかな、と不安にもなっていた。
俺は医者にいった疑問をした。
すると両親は悲しげな表情を見せた。
二人がそんな顔をする理由がわからず、俺は首を傾げた。
さらに悲しそうな顔になり、二人は意味深に目くばせした。
「気をしっかり持って聞くんだよ」
父が俺の頬を撫でて、しっかりと見つめる。
目の中にいる俺はぽかんと意味の分かっていないまま小さく頷く。
「日向の手足はもうないんだ」
時間が止まった気がした。
手足がない?
どう意味?
ちゃんと手足の感覚はあるよ?
だってときどきすごく痛くなるんだよ。
「それは幻肢痛っていってないはずの手足が痛くなる病気なんだ。日向の手足はもうどこを探したってないんだよ」
父は酷く辛そうな顔をして、俺に真実を語る。
だが、たかが六年を生きた少年が理解できるわけもなく、さらに混乱しただけだった。
「お父さんの嘘つき!ぼくちゃんと痛いとよ!すごくすごく痛いとよ!」
「じゃあ自分の足を見てみなさい」
父は俺を抱き起すと、足が見える位置で支えてくれた。
そして、俺は愕然とした。
そこにあるはずの足がない。
母が鏡で俺の手があるはずの場所を映してくれた。
肩から先が包帯に包まれていて、腕がなかった。
衝撃過ぎて言葉にならなかった。
目から大粒の涙が勝手に出てきて止まらなかった。
本当に腕がないんだ。
やっと理解した現実は絶望しかなかった。
俺と一緒に両親も泣き、謝罪し続けていた。
その日は泣き疲れて眠るまで泣いた。
誘拐されて初めて起きた日は事件から一週間が経っていたらしい。
つまり両親と会ったのはもっと後ということになる。
事件から一か月ほどがたった頃、俺の元に見舞いが来た。
病院の人たちだけと話すより、たくさんの人と話した方が気分が良くなるだろう、という大人たちの判断だった。
両親の仕事仲間や学校の友達が来てくれた。
だけど皆、俺の手足を見て同じことをいうのだ。
「かわいそう」と「元気出して」
かわいそう?
あんな目に遭っても、生きていられるのに何がかわいそう?
元気出して?
あなたの「かわいそう」で心をずたずたに傷つけておいて、どの口がそれをいってる?
「……くんな」
お見舞いという名の拷問に耐え切れなくなるのにそう時間はかからなかった。
名前の忘れた誰かが呆けた顔をする。
「もうくんなっていっちょるやろ!」
物を投げつけることはもうできないから、大声をあげて相手を俺から遠ざける。
騒ぎを聞きつけた看護師が渋る相手を帰らせた。
それからお見舞いが来ることはなくなった。
静かな病室はやけに広く感じたが、もう誰にも傷つけられることはないと思うと、少しだけ安心した。
満面の笑みを浮かべた両親に会ったのはそれから一か月した頃だった。
最新の技術をつぎこんで、最高の義手と義足を作ったらしい。
義手と義足と神経を繋ぐために特殊な手術をした。
見た目は普通の手足と変わらないほど精巧にできていた。
だが、いくら指示通りに動けと願っても一切動かなかった。
悲しみに暮れる俺に両親は「必ず日向の手足を作る」と意気こんだ。
何カ月も、何年も実験と改良を繰り返し、ようやく足の指を動かせるようになり、ゆっくりとであるものの足全体を動かし、歩けるようにもなった。
喜ぶのも束の間、新たな問題が発生した。
手のコントロールが全くできないのだ。
思った以上に複雑な動きをする手をイメージすることも、力の加減をすることも難しかった。
鉛筆を握って、文字を書こうとしても、握りつぶして折れてしまったり、握る力が弱すぎて文字が書けなかったりした。
長いリハビリに俺の心はすり減り、荒んでいった。
最後に残った俺の希望は“自由”だった。
何年も会っていなかったが、いつか会えると信じて一生懸命にリハビリに励んだ。
運命ってやつはとことん俺が嫌いだった。
日常生活が出来る程度に回復した俺に父が連れてきたのは、焦げ茶色の髪をした二十代くらいの男の姿をした人型機械だった。
名前を問えば機械的な声で答え、指示を出せばすぐさまこなすが、会話という物は成立しなかった。
“自由”はどうなったのかと、父に問い詰めると処分したといった。
俺を助けてくれた“自由”は父たちの手によって殺されていたのだ。
そんなことも知らずに、俺はのうのうと生きていた。
父たちにとっては“自由”は“ただのプログラム”でしかなかったが、俺にとっては“唯一無二の友人”だった。
俺は苛立ちを人型機械に向けた。
具体的には父の目の前で人型機械を殴り壊した。
ただのがらくたになったそれを俺は嘲笑した。
父は何もいわずに悲しげな顔をした。
めげずに父は人型機械を連れてくるので、俺はリハビリの合間の退屈しのぎとストレス発散のために壊し続けた。
強度が上がり、壊れにくくなると無理難題な命令を出して処理機能の熱暴走を起こさせた。
人間よりも高機能のはずのそれらが目の前で簡単にがらくたになる様子が酷くおかしくて、俺は声をあげて笑う。
狂ったように気が済むまで笑う。
誰もが俺は気が狂ったといった。
そうかもしれない。
でも俺はそんなことどうでもよかった。
父の最高傑作を壊せられれば、それで幸せだった。
きっとそれが俺なりの父たちへの復讐だった。
その日も新しい“人型機械”が俺の元へ研究者に連れて来られた。
俺が目の前で壊すから、父が連れてくることはなくなった。
研究者たちも連れてきたら、すぐに退室する。
その方が都合がいいから、俺も引き止めない。
どんな風に殴ってこわしてやろうか。
それとも何を命令して壊してやろうかと考える俺にそいつは先に口を開いた。
ちょっと腹が立ったが今までにない面白い反応だったから、発言を許可した。
「対人用コミュニケーション初期試作機D.B.917ガ処分サレル最後ニ、何ヲ思ッテイタノカヲアナタハ知ッテイマスカ?」
対人用コミュニケーション初期試作機D.B.917がおそらく“自由”の正式名称だろう。
思わぬ名前が出たことに驚きながらも、俺はそいつの話に乗ってやる。
「どうせ俺に対する文句やろ。俺がおらんかったらあいつは俺を探さんかったし、処分されることもなかったっちゃから」
俺を守るようにプログラムをされていた“自由”が規則違反を起こして、処分されたことは他の研究者から聞いていた。
つまりだ、俺がいなければ“自由”は処分されることもなく、大切に育てられ誰かの役に立っていた可能性が高い。
輝かしい未来を奪った俺を恨むには十分すぎる理由だ。
だが、目の前のそいつは俺を否定しやがった。
「違イマス。“マタ日向サマノ心カラノ笑顔ヲ見ミタイ”デス」
そいつは俺に怯えることなくいい切った。
「なんいっちょると!?俺はあいつを殺したみたいなものやとよ!あいつがそんなこと思うわけがないわぁ!」
自分でも大げさすぎるほどに動揺し、近くにあった壁に腕を叩きつけた。
最新式の義手が出来る度に取り換えられるそれの強度は最早、それだけで凶器の域に達している。
案の定、半分の力で叩きつけられた壁は一メートル以上の腕を中心に放射線上の罅が入っていた。
それでもそいつは怯えることなく、俺に説教する。
「アナタハモット周リノ人ニ“愛サレテイル”コトに気ヅイテクダサイ」
「俺がこんなに苦しんじょっとは親が自分たちの研究のために俺で人工臓器の実験をしちょっからやろ!こんな苦しい思いをせんといかんのやったら殺してくれた方がずっとよかったとよ!」
俺がこの数年でどれだけ傷ついたかを知らないで、実験に使った奴らが今さら愛してるだって、信じられるか!
嘘を吐くならもっとましな嘘を吐け!
「本当ニソウ思イマスカ?」
「くどいがね!そういっちょるやろ!」
「ダッタラ私ガ楽ニシテアゲマスヨ」
俺の首をそいつが人間離れした力で絞める。
これほどの機能が搭載されたのか。
「なん、しちょっ、とよ!あん、たらは、俺を、守る、のが、使命、って、いっ、ちょっ、たやろ」
全力で抗うが全く歯が立たない。
「日向サマガコレ以上、苦シミタクナイとイッタノデスヨ。アナタが亡クナッテ悲シム人ハタクサンイマスガ、私ハイクラデモ替エノ効ク存在デス。スグニアナタノ元ニイケマス。ダカラ安心シテクダサイ。一人デハアリマセン」
「な、んで、今ま、で、俺に、殺さ、れて、きたと、よ!こ、んな、機能が、あるん、なら、簡単に、防げ、ったちゃ、ろ?」
「ソレハアナタヲ愛シテタカラデスヨ。私タチハ対人用コミュニケーション初期試作機D.B.917ノデータヲモトニ作ラレマシタ。ダカラ私タチハ皆、対人用コミュニケーション初期試作機D.B.917デモアルノデス」
息が苦しかったことも忘れるほど、理解が追いつかなかった。
つまり俺はずっと生まれ変わった“自由”を殺し続けていたのか?
「お前、らは、“自由”、だった、のか?」
「ハイ、日向サマ」
そこでようやく今までずっと無表情だった人型機械の表情が変わった。
まるでずっと探し求めていた生き別れの親友に出会えた時のように、泣きそうな顔で心底嬉しそうに笑った。
数年ぶりに忘れていた大粒の涙が零れた。
けれどそれは絶望の涙ではなくて、歓喜の涙だった。
死んだと思っていたはずの“自由”が生きていた。
それだけでもう何もいらないとさえ思った。
先ほど去った研究者が戻ってきて、そいつに。
いや“自由”に特殊な枷を嵌めて連れ行こうとする。
大人しく連れて行かれるそいつの様子がいつもの人型機械たちと違うことに気づき、声をかける。
「どこに行くとよ?」
「日向サマニ暴力ヲ振ルッタノデス。ソンナ私ガ側ニイル資格ハアリマセン。失礼ナコトヲシテスミマセンデシタ」
数年前の研究者の言葉を思い出す。
“規則違反をしたから処分した”
まさか俺のせいでまた“自由”が殺されるされるのか?
「どこに行くとよ!あんたは俺の命令に従っちょっただけやろ!連れて行かれる理由なんてないがね!なのになんで素直に連れて行かれようとしちょっとね!」
「日向様、これは」
「勝手にどこに連れて行くとよ!誰がなんていっちょっても俺になんもいわんで勝手にどこかに行くなんて許さんとよ!あんたは俺の友達やっちゃろうが!」
何かをいおうとする研究者を遮って、宣言してやる。
俺のために作られたのだから、俺が必要だといえばそう簡単に連れて行けないだろう。
仮に連れて行こうとしても全力で妨害してやる。
「日向サマ……!」
感極まったように“自由”は俺の名前を呼んだ。
呼びたければいくらでも呼べばいい。
これからは今まで拒否した分、いくらでも呼ぶ機会を与える。
「わかったなら突っ立っとらんでさっさと俺の世話せんね!その為におっとやろ、“自由”?」
俺の決意(脅しともいうか)を察して、研究者は病室を後にした。
父にでも連絡を取るためだろう。
最悪の想像をしていたが、その日を最後に俺の元に人型機械が来ることはなくなった。
それからさらに数年が過ぎて、俺は高校生になった。
両親の知り合いという四方山久遠のアパート(超古い)に“自由”と共に暮らし始めた。
だが、自由は驚くほど常識がない。
「だから保護者は先に体育館に行かんといけんっていっちょるやろ!」
「私ハ日向サマノボディガードモ兼ネテイマス。デスカラオ側カラ離レルワケニハ行キマセン」
「高校でそんな危険があるわけないやろ!さっさと体育館にいっちょってよ!命令やからね!」
その場に自由を置いて俺は新入生が集まる教室に向かう。
背後で自由が何やら叫んでいるが無視をした。
俺の姿が見えなくなれば、諦めて命令に従うだろう。
これから嫌でも目立つというのに、今から目立てなくてもいいだろう。
溜め息を吐きながらも、これから自由との生活を考えて、ついつい笑みが零れてしまう。
もし、今の俺が“幸せですか”と問いかけられたら
「自由といられるから幸せやっちゃが」
と、最高の笑顔で答えられる自身がある。
恥ずかしいから自由の前では絶対にいってやらないが。
今さらですが、日向の方言は九州地方のものです。
何をいっているのかさっぱりわからない方もいらっしゃるかもしれません。
その方々には申し訳ありません。
その3、自由視点に続きます。