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201号室  取り立て屋 その1

 暴力に浸った少年は魔法使いに助けられる。

 住宅街にひっそりと存在するどこにでもありそうな隠れ家のような喫茶店『黒猫』。

 準備中の看板を無視して、黒猫の看板を潜って俺は店内に入る。

 店長の唄田猫がカウンターでコップを拭いていた。

 猫の従者のフェイトの姿はない。

 俺に気づいた猫がゆっくりと顔をあげた。

 癖毛なのか、ただ手入れを怠ってぼさぼさしているだけなのかよく分からない、ミルクティー色の腰辺りまで伸びたとても長い髪が揺れる。

 顔の半分を覆う長い前髪は今日も表情が読めない。

 細い体躯に、長い手足なのに華奢には見えない。

 いつもと同じ制服の白いワイシャツ、黒いベスト、同じ色のパンツ姿だった。

 私服姿はここ数年見たことがない。

「やあ、トマ」

 にこりと微笑む口元。

 店で客に見せる商売用のそれはとは違う、本当の笑みだ。

 作った笑みとそうでない笑みがわかるほどに俺と猫の付き合いは長い。

 猫の目の前、カウンター席に座る。

 そこは俺の特等席だ。

「コーヒー」

 短く猫に注文をする。

 準備中だったのは俺が来ることがわかっていたからだ。

 手際よくコーヒーメイカーでコーヒーを入れる。

 独特の香りが広がり、俺の鼻腔をくすぐる。

 口に含んでいたセロリを咀嚼して胃へ流し込んだ。

「はい」

 数分も待たずにコーヒーが目の前に出された。

 ふわりと湯気が昇り、消えていった。

 一口含むと柔らかな苦味とすっきりとした酸味、豊かなコクに気品ある香り、爽やかな甘みがバランスよく広がった。

 思わず、吐息が漏れそうになるのを二口目のコーヒーと一緒に飲みこむ。

 店で出しているコーヒーは猫が自分でブレンドしている。

 これほど美味しいと思えるコーヒーは他にはない。

 冷え切っていた体が温まるのを感じる。

「そんなに美味しそうに飲んでくれて、ほんと淹れた甲斐があるね」

 猫は嬉しそうに頬を緩ませる。

 心を読まれるのはいつものことだ。

 実際には読めているわけではなく相手の言動から察しているだけらしい。

 だが今さらどちらでも気にならない。

 猫の顔を眺めながら、もう二十年になる出会いを思い出す。

 初めて会ったのは今日と同じように寒い中学三年の冬だった。




 俺は常に苛々(いらいら)していて、それを手当たり次第にぶつけていた。

 毎日のように喧嘩に明け暮れ、気がつけば仲の良かった友人はいなくなり、俺の周りは敵と柄の悪い連中だらけになっていた。

 親さえも俺を見捨てた。

 しかし、唯一幼馴染みの四方山(よもやま)久遠(くおん)だけは俺の隣にいた。

「これはまたずいぶんとやられているね。手を貸してあげようか?」

 冷たく誰もいない路地裏で聞こえた声に驚いて声の方を見た。

 黒いコートとスーツに身を包んた細身で整った中性的な顔をした男がそこにいた。

 後ろで一つにまとめられた長い癖の強いミルクティー色の髪が風に揺れた。 

 男にしてはやや高くハスキーな声だ。

屋斎十真十やさいとまと。年齢は一五歳で中学三年生。君が不良になってしまったのは、校舎裏で虐められていた同級生を助けてあげたことで、虐めていた不良に恨みを買われてしまったからかな」

「あんた何者だ?なぜ俺のことを知っている?」

 体中に傷を負って動けない。

 しぶしぶ顔だけを動かして、睨みつけた。

「私は唄田猫。猫って呼んでくれ。君のことは知り合いにたまたま聞いただけだよ」

 どこを見ても胡散臭い男だ。

 二人の拮抗を割くように、ぐぅううと唸るような腹のなる音が響いた。

 そこで昼から何も口にしていなかったことを思い出す。

 恥ずかしさに俯く俺の目の前に包装されたサンドイッチが差し出された。

「そこのコンビニで買ったんだ。よかったら食べるかい?」

「金はねえぞ」

「中学生からもらうほど私は金に困ってないよ。成長期なんだからしっかり食べなさい。じゃないと大きくなれないぞ」

「これ以上大きくならなくていい」

 こんな怪しい奴から食べ物を貰うなんて、何か裏がありそうで受け取れない。

「まあまあ遠慮せずに食べなさい」

 猫と名乗る男は俺の手に無理矢理サンドイッチを持たせた。

 お節介な奴だ。

 でも渡されたからにはもらってやる。

「……いただきます」

 ぽつりと俺はいって、包装を()いでサンドイッチをかじった。

 猫はきょとんとした顔で俺を見ていた。

「なんだよ。いいたいことがあんならはっきりいえよ」

「君はいただきますがいえる子なんだね」

 猫は春の陽だまりのように暖かく笑った。

 時間が止まり、心臓が高鳴る音がする。

「子ども扱いすんな」

 俺は慌ててサンドイッチへ視線を移した。

 男の笑顔にドキドキするなんてどうかしている。

 顔に集まった熱は中々引いてくれなかった。

「怪我を治してあげよう」

 食べ終わった俺にそう告げて、傷の側に手を当てた。

快勢キュア

 ゲームや小説のように淡く光り全身にあった俺の傷が消えた。

「これでもう大丈夫だ」

 猫はゆっくりと立ち上がる。

 どこかへ行くらしい。

 俺はその姿を見ていることしかできない。

「あ、そうそう。このことは私と君の秘密だよ」

 唇に人差し指を当てて、子どものように猫は悪戯っぽく笑った。

 静まりかけていた心臓がまた高鳴る。

 それは猫が去ってからもしばらく続いた。


   


 翌日、俺は一週間ぶりに学校に行くとクラス中の視線が突き刺さった。

 俺への敵意があからさまで、何度も見られても慣れることはなかった。

 入って来たばかりの教室を出ようと踵を返した。

 だが、そこで一つ年下の幼馴染み、四方山久遠よもやまくおんを見つけてしまった。

 相手も俺を見つけ、怒りを露わに俺に近づいてくる。

 奴は無駄に足が速く、逃げ切れる距離はとうにない。

 俺は盛大に舌打ちをした。

「トマ先輩!昨日、俺に嘘ついでしょう!」

 開口一番、俺を指差しながら怒鳴る。

 そんなことが出来るのはこいつだけだ。

 大抵の者は面倒を避けて俺を避けるか、力試しに喧嘩を売ってくる。

「うるせえ」

「ひどっ!俺と先輩の仲でしょう!水くさいっすよ!」

 低い声で拒絶してもこいつには効かない。

 ほとんどの奴はこれで逃げる。

「黙れ。殴るぞ?」

「すみませんでした」

 最終通牒を出すと久遠は素早く俺に道を譲った。

 周りの人間がひそひそと騒ぎ立てるが今さら何をいわれようが知ったことじゃねえ。

 いわれていることもだいたい想像がつく。

「怪我してねえからいいっすけど、次に喧嘩する時は俺も呼んでくださいよ」

 家に向かっている俺の半歩後ろを久遠はついて来た。

 黙れといったのに喋るのを止めない久遠は喋らなければ死ぬ病気に罹っていると思う。

「お前、弱いだろ。足手まといだ」

「バカ野郎!警察くらい呼べるっすよ」

 久遠は胸を張って自慢げな顔をした。

 少しだけ期待した俺が馬鹿だった。

「お前がバカだ」

「しゅんましぇん」

 どうしようもなく腹が立ったから久遠に腹部に拳を打ちこんだ。

 もちろん手加減をした。

 本気でやったら久遠の骨が折れるか、内臓にダメージが残る。

 だが、久遠は苦しそうに息を乱して、その場にうずくまった。

 これでやっと静かになる。

「先輩、本当に鬼籍っす!厚顔無恥っすよ!」

 それでも黙らないのが久遠だ。

「お前、意味わかってねえだろ。あと先輩っていうな。普通に話せ」

 多分、鬼籍じゃなくて鬼畜だろ。

 俺に死ねっていいたいのか?

 まあ、厚顔無恥なのは自覚している。

「先輩って何か青春っぽくていいじゃないっすか」

 あっさりとダメージから回復した久遠がまたついてくる。

 いい加減ウザったい。

「青春したいなら部活入れよ」

「上下関係めんどくさいっす」

「お前みたいな人間ほど部活して根性鍛え直してもらえよ」

 俺ほどじゃないがこいつの性格も酷い。

 刹那的に生き過ぎて、いつか誰かに刺されそうだ。

「それもう俺じゃないっすよ!」

「確かにそうだな」

 真面目に学校に通う久遠を想像しようとして出来なかった。

 それだけ今の久遠が酷いのだ。

「先輩は卒業したらどうするんすか?」

 唐突に久遠がいう。

 中学三年生。

 本来ならとっくに進路を決めている時期だ。

 二年生もそろそろ考え出す時期か。

「適当な高校に進学して卒業したら就職する」

 今のご時世、中卒ではまともな職に就けない。

 もっとも素行不良の俺が通える高校があるかわからない。

「やっぱそうっすよね」

「お前は考えているのか?」

「世界中に支店を持つような会社の社長になって飛び回りたい」

 とても突飛で小学生が考える将来の夢よりも酷い。

「そうだな。お前がサラリーマンしてる姿は浮かばないな」

「俺もそう思うっす。協調性なんてくそくらえッす!」

「お前なら社長になれるかもな」

 なぜだが、自然とそう思える俺がいた。

 いやただの勘違いだろう。

「やっぱり先輩は優しいっすね。なんで皆先輩の優しさに気づかないんすかね?」

 久遠は俺の言葉を勘違いしたらしい。

 どうでもいいが、不本意だから訂正しておく。

「俺は優しくなんかない」

「またまたそんなこといって。俺は知ってるんすよ」

 久遠がにやにやと嫌な笑みを浮かべる。

 この顔は嫌いだ。

「一昨日コンビニで絡まれてた女の子助けてたっすよね」

「邪魔だっただけだ」

 コンビニの前で同じ年くらいの女が男たちに囲まれていた。

 邪魔だからどけ、といったら殴りかかって来たから、全力でやり返した。

 正当防衛だ。

 なぜかその後、女とコンビニの店員に感謝され、コンビニの客に賞賛されたな。

「昨日の喧嘩だって前に苛めをしてること注意されて逆ギレして先輩に病院送りにされた奴の復讐っすよね」

 気に入っている誰も来ない校舎裏で寝ていたら騒がしくされて、腹が立って注意したら襟を掴まれたから掴んだ手首を折って、腹に一発入れた。

 それで怒った仲間みたいな奴らが俺に殴りかかって来たから、返り討ちにしただけだ。

 それも正当防衛だ。

 気づいたら教師に生徒指導室に連れられて、延々と説教されたな。

「先輩はいつだって自分から手を出してない。いつも誰かのために傷つく。そんな幼なじみを俺は昔から尊敬してる」

 久遠は澄んだキラキラした目で俺を見る。

 やめろ、それはお前の勘違いだ。

「俺はお前が思っているようなできた人間じゃない。喧嘩しか知らない大馬鹿野郎だ」

 校門で教師と他校の生徒らしき人が何やら揉めていた。

 他校の生徒らしい人は昨日、俺を不意打ちしてきたやつらと同じ制服だった。

「これを見てもお前は俺を尊敬できるのか?」

 にやりと口元を浮かべて問えば、久遠は口を閉じた。

 そうだ。それが正しい反応だ。

 俺は校門へ歩いて行く。

 俺に気づいた人達が道を開ける。

「トマ!」

 久遠の声が聞こえた気がしたが無視した。

 問題の場所に着いた。

 俺は高校生くらいの他校生達(五、六人)と対峙する。

 隣で髪の薄い樽のような教師が教室に帰れだの、お前に何が出来るだの、うるさくわめく。

「唾が飛ぶから黙ってろよ、先生」

 教師は顔を真っ赤にして、何かいいたげに俺を睨む。

「やるなら別の場所だ。ここじゃ狭すぎる」

 そういってやればそいつらは同じように口を歪める。

「ついてきな」

 他校生の中で一番強そうなやつが口を開き、先に進む。

 金魚の糞たちが逃げるなよ、と俺をあざ笑う。

「逃げる?それはそっちの台詞だろ?」

 笑い返してやれば、膨らむ殺気。

 連れて来られた場所はどこかのさびれた広場だった。

 人払いがされているのか昼間なのに誰もいない。

 助けが来ることはなさそうだ。

 広場の中心に迎えに来た人数の倍ほどの人数がいた。

 平日の昼間にわざわざご苦労なことだ。

 こいつらはよほど暇なのか?

「悪く思うなよ」

 鉄パイプを持った男がそう嘯いて俺を見下す。

「そっくりそのまま返す」

 この程度の人数に怯える俺じゃない。

 弱者が何人揃おうが俺には敵わないからだ。

「生意気なガキだな。ヤレ」

 人の中心にいたやけに偉そうなやつが命令した。

 それが開始の合図だった。

 一斉に俺に向かって拳やら、鉄パイプやら、スタンガンやらが向けられる。

「死んでも後悔すんなよ」

 “てき”がわざわざ向かってきてくれる。

 俺は凶悪な笑顔を浮かべる。

 ストレス発散の時間だ。

 一時間後、広場には人が塵のように倒れていた。

 俺の体もボロボロだったが、歩けないほどの怪我はしていない。

 血の混じった唾を吐き出す。

 口調の割に大したことのない連中だった。

 俺は落ちた鞄を拾って、その場を立ち去った。

 血と傷と暴力にどっぷりと浸かったそれが俺の日常だった。

 201号室、屋斎十真十の少年時代の話です。

 荒んだ生活で荒れてます。


 猫さんの素顔が晒されていた貴重な時期です(笑)


 次回(その2)に続きます。

 

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