103号室 ネット歌手 その3
その2の続きです。
新を避けるように一週間を過ごした。
リョーヘイも、店長も、トマさんも、新も、誰も何もいわなかった。
メールも電話もツィッターも新とはしなかった。
それは新と出会って初めてのことだった。
だが、出会ってから二、三年ほどしか経っていないのに、まるで半身を失ったような喪失感があった。
そこでようやく自分の気持ちに気づいた。
俺は思っていたよりもずっと新に依存していた。 幼い頃からそばにいてくれたリョーヘイと同じ、いや、それ以上だ。
いつの間にそうなっていたんだろう。
じわじわと胸が苦しくなる。
今までと同じ関係でいたいのに、このままじゃ壊れてしまう。
困った時に決まって頼ってしまうのは、リョーヘイだ。
俺は部屋にリョーヘイを呼んだ。
「僕だからいいけど、他人を家に呼んだらダメだよ」
「新くらいしか呼ばねえよ。もし何かあっても倒せるしな」
「空手だけじゃどうしようもないこともあるんだよ。いっても無駄だろうけど」
呆れたようにため息を吐いた。
後半は何をいっていたのか。わからなかったが口ぶりからいいことではない。
「話って告白されたことでしょう。新から何をいわれたの?」
リョーヘイはずばりと核心を突く。
血の繋がった家族よりも家族の俺たちの間に遠慮はない。
「好きだっていわれた」
「それで?」
「それだけ」
リョーヘイの表情が固まる。
そんなに変なことをいったか?
「僕にはさんざんいっといてあのヘタレは」
「何をいわれたんだ?」
「色々だよ。本当に色々」
なぜかリョーヘイは遠い目をした。
新は何をいったんだ?
「僕の話は置いといて。アキはどうしたい?」
「どうしたいって?」
「大きく二つの道がある。一つは新と付き合う。もう一つは今まで通り友たちでいる。他にも色々あるけど、アキはどうしたい?」
新と付き合ったらきっと今まで以上に優しくしてくれる。
けど、今まで通り俺を男としてみてくれない可能性が高い。
今まで通り友だちでいるなら俺は幸せだ。
たけど、きっと新を傷つけ続ける。
「わからない」
どちらを選んでも俺か、新が傷つく。
だけど俺は他の道を思いつかないから選べない。
「そっか。これだけは忘れないでほしい」
不意にリョーヘイが頭を撫でた。
真剣な目の中に困った顔の俺がいた。
「今まで僕はアキを傷つける人を排除してきた。だけど新は信頼できると思えた。だからアキがどんな返事をしても新は受け入れるよ」
胸の苦しみが少しだけ楽になった。
そうだな。
新ならどんな返事をしてもきっと受け入れてくれる。
根拠はないが、俺も新を信じることにした。
二週間後、俺は新を河川敷に呼び出した。
「ずっと話しかけてこないしメールも来なかったから嫌われたかと思ったよ」
これから何をいわれるか、分かっているはずだ。
それにも関わらず、新はいつもと変わらない笑顔を俺に見せた。
「わりい。俺は男だからお前とは付き合えねえ」
俺は頭を下げた。
これが俺に出来る精一杯だった。
すると新は盛大に笑った。
好きだって告白は冗談だったのか。
俺は怒りがこみ上げてきた。
「何、笑ってんだよ!」
「ごめんごめん。まさかそんな理由で断られると思ってなくて」
新は目に溜まった涙を拭いた。
「他にそんな理由があんだよ?」
「僕が吸血鬼だからね。今は薬で我慢出来てるけどもしかしたらアキを襲うかも知れない。そうなればアキは僕から離れて行くと思う。けどそれでもアキを好きな気持ちは変わらなかったんだ」
新は穏やかに笑っている。
けど、長い付き合いだから分かる。
今、新は悲しんでいた。
「勝手だな」
俺と新の距離は二メートルもない。
俺もお前も互いに傷つけ合わないように距離を取っていたのにいつの間にかこんなにも近づいていた。
「うん。僕もそう思うよ」
新は嬉しそうにはにかんだ。
人間にはほとんど見られない銀髪が北風に吹かれた。
綺麗だと場違いにも思った。
「でもそれってアキも同じじゃない?」
「俺も同じ?」
頭に疑問符を並べた俺に新は言葉を続ける。
「アキは僕のこと嫌い?」
「嫌いじゃねえよ」
嫌いだったら最初から相手にしていない。
だいたい、こんなに悩まない。
「アキは僕が女だったら僕と付き合った?」
「わからない」
女の新が想像できない。
顔や性格が似ていてもそれは別人だ。
俺の目の前にいる新じゃない。
「アキは自分が女だったら僕と付き合った?」
「わからない」
以前に憧れて求めたフリルやスカートが好きな女友たちと一緒にいるおしとやかで自分を女だと思える自分。
仮になれたとしてもそれは俺じゃない。
「僕はアキが女だったら好きにならなかったと思う」
笑顔を消して、真剣な表情で新はいう。
ちょっと待て!
生物学上は女だけど俺は男で、お前も男だぞ!
「はあ!?ちょっ、何?お前ゲイ?」
「違うよ。僕はアキだから好きなんだ」
「意味わかんねえよ」
真剣な目が眩しすぎて俺は目をそらした。
「初めてネットでアキの声を聞いたとき心の底から感動したんだ。それでネットで話しかけて何度も話しているうちにアキに会いたいって思うようになったんだ。初めて会ってみたらイメージと違って、アキはどの曲に対しても一生懸命だった。その時にアキのこと好きになったんだ」
新と初めて会ったのはネットの世界だった。
俺はまだ歌い始めたばかりの今と比べたらずっとへたくそで、それでも歌うことが好きだったから歌い続けた。
けれど、俺の歌は否定されてばっかで辛くて一度止めた。
でもそれでも歌うことが好きだったから、今度はほそぼそとやろうと思った。
そんなとき、新が話しかけてくれた。
顔も本当の名前も知らなかったけど、俺を励ましてくれた。
今でも一番側で、励まし続けてくれている。
「それにね。アキは僕が吸血鬼だって分かっても何も変わらなかった。ただの一人の友達として接してくれた」
「新も同じだっただろ。アキも俺が性同一障害って分かっても、態度を変えなかったじゃねえか」
気味悪い物を見るような目で見なかった。
俺を理解しようとしてくれた。
思い出して胸が熱くなる。
「アキは僕のこと好き?」
「好き、だ」
あまりに熱くて言葉にならないんだよ。
「どのくらい?」
「好きで好きで仕方なくてお前のことしか考えられねえくらい好きだ!」
俺は何をいってんだ。
断りにきたんだろう。
新には俺よりも、もっと相応しいやつがいるんだ。
なのにどうして俺は。
目から涙が零れ、地面をほんの少し濡らした。
「僕はね。アキとずっと一緒にいたい。ずーっとずーっとどちらかが死ぬまで一緒にいたい」
「俺もずっと一緒にいたい。けど俺と俺と一緒にいたらお前まで変な目で見られるじゃねえか!」
新に本音をぶつけた。
俺と一緒にいたリョーヘイも俺のせいで気味悪い物を見るような目で見られた。
俺だけならいい。
でも新までそんな目で見られるのは耐えられない。
「僕は気にしないよ。そんなこと慣れてる」
「けど俺は」
「性別のせいにしないでよ!それはいいわけだよ!アキはただ傷つくのが怖いだけだよ!」
俺の言葉を遮って新は怒鳴った。
新に怒鳴られたのは始めてのことだった。
新はいつだって穏やかで腹が立つようなことがあっても困ったように笑うようなやつなのに。
「いいわけじゃねえよ!大事なことだろう!俺はお前のことを思っていってんだ!」
お前のことを考えていっているのにどうして理解してくれないんだよ!
「僕はそんなに弱くない!よく怪我するけど僕のアキへの気持ちは弱くない!」
「俺はわからねえんだよ!男のくせに男と付き合うのか?俺はお前から見てどっちなんだよ」
「アキはアキだよ。性別なんて僕にはどうでもいいんだよ。だから気にしなくていいんだよ」
新は優しい言葉を俺にかけてくれた。
けど。
「俺はその言葉を素直に受け止められねえ」
「じゃあアキも吸血鬼になればいいよ」
「はあ?冗談だろ?」
「吸血鬼にはいろんな能力があるんだよ。その中に体を変形させる能力もあるんだ。吸血鬼になれば……」
「お前は俺を吸血鬼にしてえのか?」
俺は新を睨みつけた。
それくらいで新は揺らがなかった。
「可能性をいったまでだよ。本当に今の体が嫌なら吸血鬼になって体を変形させるのもありなんじゃないかな」
「それは違う。俺はそんな理由で男になりたくねえ。第一それをやっちまったらお前を苦しめることになるじゃねえか」
「僕はアキが幸せならそれでいいよ」
「俺は幸せじゃねえ!新に辛いことをさせといて幸せだとかいえねえよ」
「アキ」
いつの間にか距離が頬に触れられるほど近くなっていた。
近付いていく新の顔と距離。
そして、頬に柔らかい感触。
唇はすぐに離れた。
状況を理解した脳がゆっくりと動き始めた。
バチィイイイイ!
俺の反射を超えるスピードで繰り出された平手が新の頬を叩いた。
「何すんだてめえは!」
「愛してるよ、アキ。これで僕を信頼してくれる?」
新は頬を赤く腫らしながら、にっこりと笑った。
そこで初めて知った。
新は口先だけじゃなくて、本当に心から、俺のことを思ってくれている。
俺を縛っていた何かが解けた気がした。
ずっとあった苛々も吐き気も嘘のようにない。
「俺は」
いいかけて止めた。
新に、リョーヘイに、何より自分にいいわけすることを止めた。
そして自分から逃げることを止めた。
だから新からの告白を本音で素直に答えた。
「俺も愛してんよ!」
玄関のチャイムが鳴った。
「おはようアキ」
扉を開けるとそこには新がいた。
付き合い始めてから、新は休日だろうと、平日だろうと、祝日だろうと、俺の家へやってくるようになった。
泊りに来ることもあった。
「ああ。おはよう、新」
「目覚めのキス」
目を閉じて俺の方へ唇を近づいてくる。
バチィイイイイイ!
「近付くんじゃねえ、変態!」
「変態じゃないよ。僕はただアキのことが好きなだけだよ」
新は叩かれた頬を押さえ、嬉しそうに笑った。
もしかしたら、こいつはただの変態なのかも知れない。
けど、俺はなんだかんだいって、こいつのことが大好きだ。
離れていたって、心いつだって新のことを考えてる。
きっとそれを人は“愛してる”っていうんだろう。
「ほら早く歌うぞ、新」
そういえば、新はとびきりの笑顔を見せて、頷く。
俺は今が一番幸せだ。
千秋が新に対してバイオレンス(照れ隠し)
時期は殺人鬼、小説家の三年前くらいの話です。
千秋は暴漢くらいなら一人で簡単に撃退できます。
その技を受けても無事な新はかなり頑丈な体をしています。
リョーヘイは親友だと思っているので、新に対してのみかなり毒を吐きます。
歌うカップルの次は201号室取り立て屋です。