102号室 小説家と天才少年 その5
その4の続きです。
一方、数時間前の『黒猫』。
良平との電話を終えた猫は胸元のリボンを解き、前髪をかき上げ全ての髪を後ろで一つにリボンでまとめた。
動物の猫のような目を怪しく輝かせる。
「さてと。二十年振りに本気を出そうかな」
猫は机の引き出しからナイフを掴み、店の扉に手をかける。
その足取りに迷いは全くない。
「まだ後片付けが残っていますが?」
フェイトの呟きは立ち去る猫の耳に入らなかった。
重力を無視するように猫は音もなく、数十メートルを飛び上がり、ビルの屋上を越えていく。
ビルとビルの間は数十メートル以上、高さも同じくらいあり、足を滑らせればひとたまりもない。
そんなことをおくびにも出さず、猫は進んでいく。
闇夜を背にしなやかに駆けるその姿は本物の“猫”のようだ。
猫はとあるビルの屋上に音もなく着地する。
数十メートル先には青年が狙撃銃で誰かを狙っていた。
猫は青年を睨みつけながら、一歩踏み出した。
「佐藤良平と三神颯太を狙っているのは君かな?」
「お前!まさか魔法使いか!?」
青年は背後からの声にその場を飛び退り、距離をとった。
振り返り際に銃口を猫に定める。
その動きは堅気のそれではない。
暗殺を生業にする者の動きだ。
「質問しているのは私なのだけどまあいい。そうだ。私が魔法使いだ」
猫は堂々と自分の正体を明かした。
「なぜそんな奴がこの町に」
狙撃銃を持った青年と何も持たない猫。
どちらが優勢かはっきりしているにも関わらず、青年は動揺を隠せていなかった。
猫は彼が主犯ではないことを悟った。
背後に彼を使って何かをしようとする黒幕がいる。
「君に教えるつもりはない。それで目的は何だい?デッド家の次男ハズヒート」
猫の体から殺気が漏れ出した。
細い体躯の後ろに大きな豹がいるような威圧感が場を支配する。
「へぇ。気づいていたのか」
口では余裕ぶっているが額に冷や汗が浮かんでいる。
猫は自分の予感を確信に変えた。
「君の殺し方は有名だからね。標的を安全な場所からじわじわといたぶって殺すだったかな?でも今回は調査不足だったね。私がこの町にいなければ君はあの子を殺せただろうに」
猫は白々しい口調でハズヒートを責めたてる。
情緒酌量なんて気はさらさらないようだ。
「まあ君の殺し方なんてどうでもいい。誰を殺そうが君の勝手だし好きにすればいいよ。だけど今回はだめだ。あの子達は殺させない」
「はっ!何だよ?もしかしてあいつらはお前のお気に入りか?」
ハズヒートは強がりの笑みを浮かべ、猫を挑発する。
「そうだよ。私の息子みたいな者さ」
「だったら尚更殺したくなったぜ!」
「そうか。なら君にはしばらく動けない体になって貰おう」
いい切ると同時に猫は動いた。
ハズヒートは冷静に引き金を引いた。
音速を越える三発の弾が至近距離で猫に襲い掛かる。
だが、猫はそれを予測していた。
「風よ、我を守れ(フェザーウォール)!」
すんでの所で弾は目に見えない壁にぶつかり弾き返される。
次の瞬間には猫の両手にナイフが握られていた。
「走れ雷!」
電気が蛇の様に絡みついたナイフをハズヒートに投げつけた。
銃弾と変わらない速度のそれをハズヒートは後ろに倒れることで間一髪避け、そのまま後転を繰り返し距離を取った。
「お前まさか本当に魔法使いだったのか?」
ハズヒートの顔から余裕が完全に消え、無表情に変わる。
「何だ、知らなかったのかい?私は皆に夢を与える素敵でカッコイイ魔法使いさ」
猫は懐からナイフを取り出し、胸元で構えた。
抜き身のそれが月光を浴びて、鋭く光る。
「悪い冗談だと思ってたぜ」
凶悪な笑みを浮かべ、ハズヒートは一歩後ろに下がった。
もう一歩先は何も存在しなかった。
嵌められたことに気づくも、すでに遅かった。
「悪いけど手加減はしないよ」
「最っ初から期待してない」
ハズヒートに向かってナイフを投げる猫と発射される弾丸。
交わる金属の音。
全ての決着は一瞬でついた
「か、はっ!」
ハズヒートはその場に膝をついて、後ろに倒れた。
腹部に深々3本のナイフが刺さっていた。
器用にどのナイフも致命傷を避けている。
手にしていた狙撃銃を猫が空へと蹴飛ばす。
狙撃銃は重力に従って、コンクリートで舗装された地面に落ちて粉々になった。
腕のいい職人でも修復は不可能だ。
「だからいっただろう。手加減しな」
続く猫の言葉は自身の血を吐く声に遮られる。
口元を押さえた指の隙間から漏れた赤い液体が屋上の床に新たな染みを作った。
「な、んで、おま、えが?」
「何をやっているのですか、主?」
制服姿のフェイトは最初からそこにいたような気配でそこに立っていた。
だが、主と呼びながらその声に尊敬の念は全くといっていいほどない。
むしろ、無様だと嘲笑っているように感じられる。
「何って殺しあいだよ」
口元や手を自身の血で汚しながら、猫は苦笑する。
いたずらがばれた子どものようだ。
「あなたはこの程度の力なのですか?あなたにはもっと力があると思っていたのですが、私の思い込みだったようですね。いやはや残念でなりません」
額に手を当ててフェイトは肩をすくめて、頭を振った。
「あんた何者だ?まさかあんたも魔術師か?」
そんなフェイトをハズヒートはいぶかし気に眺める。
「魔術をかじっていた事もありましたが専門は武術です」
心外だ、とでもいうように不機嫌をさらに露わにする。
「なるほどな。2対1じゃ分が悪い。また出直す」
「みすみす逃がすと思いますか?」
「思うね!」
ハズヒートは隠し持っていた煙幕を使った。
辺り一面を煙が覆い、何も見えなくなる。
風が煙を流した後には誰もいない。
「おやおや?これでは追いかけられませんね。仕方ない諦めますか」
フェイトはやけに芝居かかった仕草で肩をすくめた。
最初から追うつもりはなかったようだ。
「君に気を使わせてしまって悪いね」
「何のことですか?さあ帰りますよ」
猫の腕をとり、見た目は細いが実はたくましい肩に乗せる。
「ありがとう、フェイト」
困ったように笑う猫をフェイトは嫌そうに眉を寄せた。
笑顔の裏で猫は黒幕をどんな目に遭わせるか考える。
これだけのことが出来る人間は限られている。
特に一般人を巻きこむほどの規模は一人では難しい。
だからおそらく黒幕は一人ではない。
さしあたって、久遠に連絡し、住人の日常生活の安全を保障させる。
黒幕への報復はゆっくりと行おう。
猫に歩調を合わせながら、二人は『黒猫』に帰った。
今日もまた不快なインターフォンに僕の睡眠を妨害された。
時間は九時を回ったところだ。
先に目を覚まし、顔を強ばらせる颯太くんの頭を撫でて安心させてから、僕は玄関に向かう。
のぞき窓から見えたのは、山本さんと木之元さんだった。
鍵を開けて二人と対面する。
「何しに来たんですか?」
二人にかけた声が不機嫌だったのは、寝起きだったからだけではない。
「朝、早くからすみません。起きて」
「何しに来たんですか?」
山本さんの言葉を途中で遮る。
何の用件で来たか、簡単に想像がつく。
いいわけなんて聞きたくない。
知りたいのは事実だ。
「すみませんでした」
二人は僕に深く頭を下げた。
酷く滑稽に見えて、僕の怒りはさらに募った。
「なんのことですか?心当たりが多すぎて何のことかわかりません」
「昨夜、お二人の警備が甘くなった隙を何者かにつかれ、危険にさらしてしまいました。謝罪だけでは済まいことと存じておりますが、最初に私が出来ることはそれしかございません」
殊勝な態度を見せれば、僕が許すとでも思っているのだろうか?
勘違いも甚だしい。
大学生だと見下しているのだろうか。
「警備が甘くなった理由はわかっているんですよね?」
「それは守秘義務に値しますのでお答えしかねます」
謝罪はするが理由は教えない。
なんだそれは。
誠意というものがまるで感じられない。
無理やり捜査に参加させて、その責任を問えばごまかす。
それがあなたのやり方か。
「守秘義務ですか。なら半年前の事件や颯太くんのお父様の件は守秘義務に値しないんですね」
「そ、それはあなたが被害者だったからです」
実例をあげて守秘義務を問えば、露骨に狼狽える。
できる人に見えて実際は違うのか。
「被害者?僕は颯太くんを保護しただけです。犯人の顔すら見ていない僕のどこが被害者なんですか」
今回の件で一番危険だったのは颯太くんだ。
警察で保護すべきなのに他人の僕に預けた。
こんな古いアパートじゃセキリュティなんて、あってもないようなものだ。
そんな場所に颯太くんを預ける意味は犯人を誘き出すことだ。
疑惑は確信に変わる。
「山本さん、あなたは本当に“警察官”ですか?」
隣で木之元さんが目を見開いた。
山本さんはにやりと凶悪な笑みを見せた。
次の瞬間、木之元さんがその場に倒れた。
まるで糸が切れた人形だ。
「いつからわかっていたんです?完璧な変装だと自負していたんですか?」
なんでもなかったように僕に問いかける。
速すぎて何も見えなかった。
「最初からです」
山本さんの容姿と雰囲気が違っていた。
職業柄、人を観察することの多い僕にはとても不自然に思えた。
例えるなら精巧に作られた着ぐるみと会っているようだった。
「最初からですか。私も修行が足りませんね」
やれやれと肩をすくめるその仕草も違和感がある。
「それであなたは誰なんですか?」
「いわなくともその内わかりますよ」
「なら目的はなんです?」
「人を探しています。それよりもあなたのその観察力は素晴らしいです。私と一緒に来ませんか?歓迎しますよ」
瞳の奥に剣呑な色が見えた。
言葉のままに受け取るのは危険だ。
「遠慮させていただきます」
「残念ですね」
山本さん(仮)は足元に横たわる木之元さんを片手で持ち上げ、肩に乗せた。
「それではまた会いましょう」
温和な笑顔だが、目は僕を射抜くように細められていた。
去っていく二人を見て、僕はどっと冷や汗をかいた。
山本与次郎と名乗ったあの人は多分、黒幕の一人だ。
本当の山本与次郎さんは恐らく殺されている。
僕はなんて人と出会ってしまったんだろう。
服の裾を引かれて振り返ると颯太くんが不満そうな目で僕を見上げた。
「リョーヘイ、大丈夫?」
「大丈夫だよ。それより朝ご飯何にしようか?」
自分にいいきかせながら、颯太くんの頭を撫でる。
ふにゃりと笑う颯太くんにささくれだった心が洗われた。
あの人とはもう二度と会いたくない。
だが、また会うような嫌な予感がする。
手遅れになる前に対抗策にを練っておこう。
とりあえず、久遠さんに相談して颯太くんはもちろん、アパートの住人も安全を保障してもらうことが先決だ。
僕も成人するまで颯太くんの面倒を見ると決めたからそれまで何があっても死ねない。
颯太くんを守るためならどんな手段も選ばない。
綺麗事だけじゃ生きていけないのは僕自身が一番理解している
颯太くんは何も知らずに僕の隣で笑って健やかに成長してくれればいい。
犯人が変装してましたって推理物とかのテンプレですよね
この話は推理物じゃないですか(笑)
リョーヘイがヤンデレ化?父親化?してますね。
これからますますパワーアップしそうで恐ろしいですね。
とりあえず、これでこの二人の話は終わりです。
次は103号室、ネット歌手のお話です。