Episode03 不安はいつも突然に
「よ、藤井!」
いま一番聞きたくなかった声が……。
「蒲田くん!?」
前からやって来た自転車の集団の中に混じって、蒲田くんが私に手を振ってきたんだ。
「誰……ですか?」
真香ちゃんが尋ねてくる。この可愛い後輩は、蒲田くんのことをまだ知らないんだ。
そういえば、どう答えたらいいんだろう。私と蒲田くんの関係って。
「うーん……友達以上、恋人より超下、って感じかな」
超、の部分は強調した。そこ、すごく大事だもん。
そう私が言った途端、蒲田くんと友達の会話が聞こえてきた。
「え、藤井? 彼女候補彼女候補」
「マジ? 何だよ、お前もリア充予備軍かよー」
!?
「ちょっ……! なに言って…………!」
慌てて私は割って入った。何だか顔が火照って熱いけど、たぶん気のせい。気のせいです。
他方、蒲田くんはというと、
「え、じゃあ俺たちってどんな関係なの?」
だから言ったじゃない友達以上恋人超未満だって──って言おうとして、やっぱり思い止まる。もしかしたら蒲田くんの概念分布図には、友達か恋人しかいないのかもしれないじゃない……。
「……少なくともまだ、違うからね」
小さな声で、私は反論した。
「じゃあな、お疲れ!」
「ああ! 鹿島田も平間も、お疲れー! ゆっくり休めよ!」
蒲田くんの友達が、手を振って走っていく。
追いかけなくていいのかな。声に出してもいないのに、蒲田くんはニッと笑った。
「ああ、平気だよ。俺、ここ曲がって河川敷を走ってく方が近いからさ」
私の心を透かしたようなタイミングに、思わず戦慄を覚える。ほんと、変なところで勘がいいんだから。
「蒲田さんは、何をしてらっしゃるんですか?」
「お、きみ藤井の後輩?」
「はい。大井です」
オレンジに染まった私の背中で、二人が話してるのが聞こえる。蒲田くんから見えないように、私はカバンを動かして壊れたキーホルダーを上手く隠した。ほんとは蒲田くんが先に帰ってくれたら一番いいんだけど、そんなこと私の口からはとても言えないよ。
「俺は野球。さっき、俺たちの代の引退試合だったんだ」
「へえ、どうだったんですか?」
「負けちゃった」
たはは、と蒲田くんは苦笑いする。「練習不足が響いてさー、サードとレフトの連携がぜんぜん取れてなかったんだよね。俺はセンターだからフォローに回る余裕はなかったし」
「そっか……」
そうだよね。小説じゃあるまいし、引退試合だからって上手くいく保証なんかないんだから。仄暗い西の空を見上げながら、私は呟いた。
「藤井と大井ちゃんも帰るとこ?」
さっそくちゃん付けで呼ばれて戸惑ってるのか、探るように真香ちゃんは私を見た。うん、と私も頷く。
「この辺で、引き返そうか」
武蔵小杉の高層マンション群が、彼方の川向こうに突っ立っている。
「藤井は、いつ部活引退?」
さっきよりも少しだけ温くなった風の音の合間に、蒲田くんの声が届いた。
「私も、今日。ついでに自転車通学も今日でお仕舞いなんだ」
「へえー、塾かなにか?」
「……よく分かったね」
言葉の少ない私の返事に、違和感でも感じたんだろうか。蒲田くんは問いかけてきた。
「……藤井、機嫌悪い?」
「そうですよ。センパイ、なんだか今日口数少ないです」
真香ちゃんまで……。
「ううん、別にそんなことないよ」
「嘘、ぜったい機嫌悪いって」
「だから違うの!」
あ、しまった叫んじゃった。
でもホントなんだ。機嫌なんて悪いわけじゃないの。ただその……キーホルダーの事があるから、何となく話しかけづらかっただけなの。
カゴが揺れてカバンの向きが少しずつ変わってく。キーホルダーが見られないように、私はスピードを少し上げた。
ああ、こういうところが誤解を生んでるのに。見えないけど、きっと蒲田くん悲しそうな顔をしてるんだろうなあ……。