始まりの惑星にて・2
初回の分を改定してヒロインの口調をクール系からババア系に変えました。
スペースなど空けてみました(1/14)
「待ったが、何かあるのか?」
タクシーが動き出したのを確認すると、ココはフィリオに対して問いかける。後部座席に体重を移しきらぬうちのその言葉に、フィリオは内心の怒りを抑制しきれぬ声で文句をつけた。
「いや、待ってないだろ」
「心外じゃな。確かに、命令の受領と実行の間に多少のタイムラグはあったが、この程度のことでとやかく言うとは、それでも男性器を所有しておるのか?」
目の前の見知らぬ女の妙な言い回しにも気力をそがれず、フィリオが口を開いたのと同時に、後ろから大きな爆発音が響いた。見ると、二人が先ほどまでいた定食屋から冗談のような黒々とした煙が上がっている。
「来たか」
ココは後方を確認もせずに淡々と言葉をもらす。
「何だよ、あれ」
「カモッラを知っておるじゃろ?」
「知ってるも何も、銀河最大規模の犯罪者集団だろ」
「それは正確ではないな。カモッラの最大の収入源は惑星間交易における有形無形の安全保障の代価じゃ。きゃつらがいなければ、現在の規模の交易網の構築など不可能じゃっただろう。いわばユニオンと双璧をなす銀河経済の立役──」
ココの講釈を遮るように、不快な音が響いた。いつの間にか後ろについてきた黒塗りの車から発射された銃弾が狙いを外して道端を走っていたゴミ収拾ロボに命中したのだ。
「確かに、ときに犯罪行為を厭わないのも真実じゃが」
「それで、そんな大層な奴らが何の用だっていうんだ。俺には何の関係もないだろ」
不出来な生徒を哀れむように、ココは小さく、だが同乗者に確実に聞こえるようにため息をついた。
「見ていたでじゃろう。関係はある。ぬしはナインボール最後の搭乗者じゃからの。きゃつらはナインボールに関係する賭博の大元締めじゃ。そして、きゃつらはここに来ての掛け率の変更を好ましく思っておらん」
おぬしの死を厭わない程度には。ココは確かな声でそう付け加える。
「それがそもそも間違いだって話だろうが」
「わしとて間違いかもしれぬと思い始めたところじゃよ。だが少なくとも、後ろのはそうは信じておらぬようじゃが」
その言葉を裏付けるように、一発の銃弾がリアスクリーンを打ち抜いた。
万事休す。
フィリオは瞬間的に隣のココに覆いかぶさろうとしたが、それは物理的に不可能だった。何故なら、彼女の髪が生き物のようにうねったかと思うと、彼らをそれぞれ半円で覆うように透明な壁を作り出していたからだ。
「安心せい。この程度の弾の大きさならたとえ炸裂弾だとしても、わしだけで処理できる」
命を賭して守ろうとした相手の冷静な態度に、フィリオは髪の壁に寄りかかる形になっていた姿勢を直すと、やっけぱっち気味に疑問を口にした。
「第一、発表されたのはついさっきだろ。どうやって、奴らはこんなど田舎まで来たっていうんだ」
「それは簡単な話じゃ。エミリアは超高速通信網に加入しておらぬのからの。この星にいる内は気にならんじゃろうが、おぬしの星は銀河標準時の現在から半日ほど遅れておる。ついさっきまで、ぬしの所在情報には200億クレジットの価格がついておったぞ」
安全な弾丸がいまだ降り注ぐ中、フィリオが自分の星の政策にあらん限りの口汚い文句を叩きつけた。ココは一分経っても尽きること彼の罵倒を適当に聞き流していた。だが、どんな卑猥な文句にも崩れなかった彼女の丹精な顔立ちが急に歪んだ。
「信じられん。この星の交通制御システムは標準規格を満たしておらんのか」
「それば馬鹿にし過ぎだろ。今時、どんな辺境でも、そんなわけ──」
フィリオはそれ以上言葉を続けることが出来なかった。突然、対向車線を走っていたはずの車がこちらの車の鼻先を横断して側壁に激突したからだ。
あまりの出来事にフィリオの口からはうめき声が漏れた。彼が人より小心であるからではない。これが惑星エミリアの歴史で初となる交通事なのだ。
エミリア内での移動車両の運行は、他の多くの星々と同じように、全面的にコンピューターによる制御に委ねられている。かつては車一台毎に制御装置を置いていた時代もあったが、全ての車両の動きを統合的に把握できるコンピューターによる制御の方が効率的で安全だというのが全銀河の常識だからである。
その証拠に、車中からの炸裂弾の発射という暴挙を行ったカモッラの車も、フィリオたちのタクシーの2メートル後方という距離を先ほどからずっと保っていた。銃火器の利用許可は袖の下でどうにでもなっても、車間距離を司る交通制御システムに鼻薬をかがせることは出来ないからだ。
交通制御システムを疑うくらいなら、死んだ方がマシだ(生活が成り立たないから)。そんな慣用句を覆す事態がフィリオたちの前に広がっていた。
「何らかの理由で全ての車体への指示が失効しているようじゃの。しかし、こうなってはこの車も棺桶と代わりがないの」
ココの軽口に無言で返すと、フィリオは身体を後部座席から前の座席へと移動させた。
「何をしておる?」
「動力部はこっちに積んでるあるんだ。壊せば止められるかもしれないだろ」
「無駄じゃよ。慣性というものがある。とはいえ、この状況でそう動くか──とりあえずは、合格かの」
フィリオが首筋に痛みを覚えて後ろを振り返ると、そこには後部座席から身を乗り出したココの顔があった。フィリオが何か反応を返す前に、彼女の冷たい唇が彼の額を襲った。
瞬間、彼はココの力の一部を視た。
「そんなこと可能なのか?」
「ああ、おぬしがそれを望むならな」
「頼む」
「承った」
ココの髪が一瞬だけ金に染まった。
身体にココの髪が絡みついてくるのを感じながら、フィリオはこれから起こるだろう現象に想いをはせた。
同一化。
それが人間の意識を直接的に機械群と結びつけるココに備わった機能だった。本来であれば超高密度の情報群を人間の認識可能な範囲に翻訳し、更に人間の決定を機械へと再翻訳するのが同一化の仕組みだが、自動タクシーのような単純な機構にこの機能を用いれば、ココの演算能力を使って擬似的な操作系を構築することが出来る。
つまり、フィリオが自在にこの自動タクシーを動かせるのだ。
認識はまず鋭利にやってきた。フィリオは、動力炉の内部で衝突し合う分子の喜びを感じ、車の振動を殺し続けるサスペンションのいななきを聞き、大気をかき分ける車体の快楽を知り、最後に自分の目に映る光景へと戻った。
両手には彼がかつて何度となく夢見た|球状のコントロール装置が握られていた。彼がスフィアを右に切ると、その指示の通りにタクシーは動いた。
「問題は特に無さそうじゃの」
じゃが、どうにも遊ばれている感触があるの。カモッラとは別口か。ココは小声でそう呟いた。
そんな後部座席での思案も知らずに、フィリオは進行方向を覆うように停止していた車を、髪一重で回避する。
「くそ、これじゃ止まるに止まれねぇ」
次から次に狙い済ましたかのように突進してくる車体をいなしつつフィリオは悪態を吐いた。とっくに追跡していたカモッラの車は脱落している。後は車を停止すれば全ての問題が解決するはずなのに、次から次に襲ってくる車たちのせいでそれが叶わないのだ。
「確かにここで止まればいい的じゃの。次の十字路を右に曲がれ。あそこなら少なくとも対向車線の心配をする必要はないじゃろ」
フィリオはちらりと先にある標識を見て、ココの言っている意味を理解した。だが、理解と実行との間には往々にして深い幅があるものだ。
最初に目に入ったのは光だった。次いで轟音が響き渡り、振動が来た。
視覚及び聴覚の一時的な喪失、普通なら致命的な運転ミスを引き起こすに足る状況だが、同一化の渦中にあるフィリオに起こったのはその真逆だった。既存の感覚が一時的に利用できなくなったため、ココから流し込まれていた情報が意識化され、フィリオの運転はむしろ冴えを増した。
見るのではなく視るのであり、聞くのではなく聴くのである。彼は知らないことだが、これは星の海を行く船乗りにとって絶対に欠かすことの出来ない能力だった。
「恐ろしい偶然じゃの。まさか曲がろうとしていた十字路で大型輸送車同士の衝突事故とは」
目の前で真っ赤に燃え盛る二台の車両を眺めつつ、ココは棒読みに近い調子でそう言った。もし殺そうとしているなら、もっと致命的なタイミングで事故を起こすこともできたはずだ。どうやら完全に試されているらしい。彼女はそう結論付けると、前方で少しは使えるようになったらしい男に視線をやった。
「あの車体を盾にするように停止すれば、とりあえずの問題は解決じゃの」
フィリオはココから流れ込んできた情報を視て、その提案に反発した。
「ふざけんなよ。向こう側の車には工業用エネルギー炉が積んであるんだぞ」
「爆発までの時間を考えれば、それが最も安全な策じゃ。安心せい。計算上、あの車体の陰に隠れてしまえば、わしの髪の力と合わせて爆発の影響は完全に防ぎきれる」
「だけど、それは最善策じゃない。そうだろ?」
フィリオの傲慢とも取れる物言いにココは身体の芯に火が点るのを感じた。確かに彼女の同一化を応用すれば、炉を爆発前に完全に制御することは可能だ。だが、その為にはココの髪が炉に届く距離まで接近しなければならない。爆発までの時間を考えれば、車を降りて徒歩で近づく時間はない。
「あの車高だ、タイヤの間を抜けていけば問題ないはずだろ」
「正気か?おぬしは今、時速140キロ超のスピードでドリフトしながら2センチの誤差しか許されないルートを通り抜けてみせると言っているの同じじゃぞ」
「そうしないと六百二十三人で死ぬんだ。そっちが出来ると思ってるのに、こっちが出来ないって尻込みしたんじゃ、流石にカッコが付かないだろ」
フィリオは十字路の一角に立てられた高層集合住宅を眺めて、ことなげにそう呟いた。
歓喜。ココが感じたものを人間のそれに直すとすれば、その表現が一番近いだろう。
彼女に寄りかかるのではなく、彼女の横に立とうとすること。それが現在のフィリオに可能であるかが問題なのではない。彼女の力の一端を視ながらまだそう意志できることこそが重要なのだ。同一化の渦中にあって、彼女には彼の言葉が何の偽りもないものであると十全に理解できた。
だから、ココは目覚めてから初となる笑みを浮かべてみせたのだった。
「何じゃ、その間抜け面は。そちらに流す情報量を上げる。呆けていると、意識を持っていかれるぞ」
自分の笑顔がバックミラー越しにさえ、どれほどの威力を発揮するかも自覚せずに、ココは短くそう言い捨てると、自分の髪に意識を集中させた。口ではああ言ったが、情報を一気に流し込み過ぎて相手を気絶させたとあれば、それは間違いなく彼女側のミスだからだ。
「言ってろ」
その言葉の通りに、フィリオはココも驚くほどのスムーズさで、増加した情報量に対応していく。360度を見渡す目、全ての音を聞き分ける耳、物理情報へと還元される鼻、思考の全てと信じれないような密度で接続された皮膚、自らの体調を唾から完全に把握する舌。その全てが突如彼を襲ったかと思うと、瞬時に無意識の領域へと追いやられる。今の彼にとってそれは何の特別なこともない当たり前のことだからだ。
六つのアングルから数億のシュミレーションを重ねた車の挙動が、フィリオの正確無比な挙動によって表現される。車は時速152キロのまま大型車両に突入していくと、芸術的とも言える弧を描きながら、一台目の車両の下を通過していく。
ゴリッとタクシーの車体の上に乗っていたランプが吹き飛んだ。それによって生じた反動を慌てもせずに無効化すると、フィリオは二台目の車両をしかと視た。
次の瞬間、爆発が起きていた。
ただし、その場にいるフィリオとココ以外には誰も感知できない規模に極めて小規模な爆発が。
フィリオたちの車は時計回りに二回転した後、ぴたりと進行方向を前にして止まった。
情報量が縮減する。フィリオは勢いよく後部座席へと振り返った。
「では行くとしよう」
ユニオン第二千四十六宇宙港直通トンネル。ニコりともしないままココが指さした電子掲示板にはそう書かれていた。
パワードスーツを出すという案もあったんですが、発表から半日程度の時間ではエメリアに持ってこれなさそうなので、変則カーチェイスとなりました。