始まりの惑星にて
献辞は考えてあるのですが、この場で仰々しく捧げてエタるとか目も当てられないので第三レースが終わったくらいで改めて書きたいかなと思います。
惑星エミリアが発見され、居住可能になるまでには多くのドラマがあった。涙があり、血があり、笑顔があった。開拓者ドミニクの栄光と挫折を紐解くなら、そこには数え切れないほどの人生の教訓をくみ出すことが出来るだろう。
しかし、今までにそんなことをした人間は千人といなかった。何故なら、ドミニクの人生は人類が宇宙に飛び出してから幾京とつむぎ出してきた人々の軌跡からすれば、ありふれたものの一つに過ぎないからだ。
つまり、エミリアは現在の銀河文明では珍しくもない普通の居住惑星だった。
その普通の惑星の第四都市、銀河規模で見れば億の位に残れるかも怪しい片田舎で、フィリオ・ロッソは同僚たちと昼飯を食べていた。
「俺は断然、ケーコちゃんだな」
「そうかな、セルバンデス卿だって悪くないと思うけど」
「やっぱ、フィリオはアームストロングなんだろ?」
フィリオの勤める星船整備工場の同僚たちが口々に言った。彼らが主に扱うのは太陽系内の移動を主とする小型の星船だが、今話題になっているのは、開催を間近に控えた太陽系間を移動する中規模の星船を用いた大レース「ナインボール」だった。
フィリオは作業着の前を軽くはだけさせながら、同僚の言葉に軽く頷いた。
「けど、「王者」なんて倍率一,七倍だぜ。賭けても何にも面白くないだろ。せっかくの二十年ぶりのお祭だぜ」
「確実に一,七倍なら、そんなに悪くないさ」
その口ぶりが面白かったのか、同僚の一人が天丼をかき込み終えると、苦笑しながら口を開いた。
「しかしなぁ。一,七倍じゃ。星船を買うなんて夢もまた夢の夢じゃねえか。またマキナに大法螺吹いてないで現実見ろって尻叩かれるぞ」
フィリオは口の端をグイっ上げて、力強く笑ってみせた。
「馬鹿言うなよ。夢は自分の力で見るもんだ。他人様のケツに乗って見る夢なんぞ、こっちから願いさげだね」
「それを本気で言ってるから、お前はすげぇよ」
天丼の男の言葉に他の二人も首を小さく縦に振った。彼らの顔には少しばかりの羨望とそれ以上の呆れが浮かんでいた。
かつて酒の席でフィリオがその夢を口にしたとき、彼ら三人は大いに笑ったものだ。
個人で星船を所有することは決して不可能なことではない。だがそれは一部の恵まれた人々の中だけの話。彼らのようなしがない労働者が一生働いても、せいぜい中古船の頭金を揃えたところで足がついてしまう。
そう指摘されたとき、フィリオは笑いながらこう返した。
「船が手元にあるなら逃げればいい」
男たちは誰一人として、フィリオのその言葉を冗談以上には受け取らなかった。
しかし、二年の歳月を共に働けば分かってしまう。
この誰よりも働き者の気のいい青年が、本気であるということが。真面目に日々に過ごしながら、同時に犯罪すらも厭わない覚悟が出来ているということが。痛いほど分かってしまうものなのだ。
男たちの視線にむずがゆいものをを感じて、フィリオは話題をナインボールに戻した。
「そろそろ、最後の一人が判明する時間じゃないか。結局、誰なんだろうな。噂の無銘は」
「「魔女」に「歌姫」と来てるんだ。「喪失后」ってのが順当じゃないか」
「それを言うなら、「第二次巡礼始祖」と「冒険卿」だぜ。もう一人が星追いでスリーセブンだってアリだろうよ」
「「七教皇」さまがいるんだ。この際、「神様」が出てきたって、俺は驚かないね」
フィリオたちは無責任にまだ見ぬ九人目の参加者を予想し合う。そもそも、今回のナインボールは分からないことばかりなのだ。
「しかし、なんで、今開催なんだろうな?」
銀河中で何億と言葉にされた疑問を口にしたのは、フィリオたちの隣でラーメンを食べていた男だった。
「そいつは俺が知りたいくらいだね」
誰かの知り合いなのだろうと思い、フィリオは気軽に言葉を継いだ。
かつて名前とかけて九年毎に行われていたこの大会が、百七回目の途中で急に取りやめになってからはや二十年。規模を縮小してでも次こそは大会を開催しようという動きも現実味をおびてきた中での、この大会開催の知らせである。首をかしげた人間は多いのだ。
「銀河首長連盟の非難声明は笑ったけどな。気持ちは分かるけど。二年前にあれだけバッサリ断られてんだから」
「結果めでたく、惑星政府の寄り合い所帯と銀河経済の覇者じゃ、喧嘩にもならないことが証明されました、と」
「だけど、その烏合の衆に誰よりもおべっかを使ってきたのがユニオンなんだぜ。きっと裏に何かあるのさ」
「無銘が絡んでるって噂も聞いたがな」
「どっちにしても、俺たちに分かるはずもない話だな。そろそろニュースが始まるぜ」
フィリオがそう言って四方山話を切り上げると、五人は定食屋の中央に投影された情報球の方へと視線をやった。
「──付近では、「狂星」の接近が確認されており、惑星庁長官からは太陽系内における──」
フィリオはローカルニュースを聞き流しながら、もうすぐ始まるユニバーサルニュースを待った。
主催者がこれまでに明かした情報は二つしかない。
一つは、大会の開催が一ヶ月後であること。
もう一つは、これが百七回目の「ナインボール」であり、二十年前と同等の九組によって開催するため、予選ではなく主催者側の指定によって参加者を選別するということだ。
この全銀河を揺るがす宣託を受けて、マスコミの多くが参加者探しに全力を注いだが、開催の三日前にして未だに最後の一人、無銘と称される参加者の情報が明らかになっていなかった。
しかし、今日のエントリー発表によって、その最後の一人が明らかになるのだ。
正午の時報ともに情報球に映りこんだのは、一人の男の顔だった。
そこにいたのは銅色の髪を短く刈り上げ、人懐っこい笑顔を浮かべた青年だった。目は青色で、肌は平均的な白人種より少し黄色に近い。映像では胸部までしか分からないが、なかなかに鍛えられた体をしているように見受けられる。
時間が経つにつれて、定食屋のざわめきが増していった。その反対にフィリオたちは波一つ立たない完璧な沈黙が続いていた。その静寂を破ったのは、途中から会話に加わってきた男だった。
「あれ、あんただよな?」
男は笑いを抑えたような声で、フィリオ・ロッソに問いかけた。定食屋のざわめきが止まった。この中にいる人間で、その問いの答えを知りたくない者は誰もいなかったからだ。
フィリオがその答えを口にしようとしたとき、タイミング悪く、店の入口が開いた。
新しい入店者は透けるような長い髪をした自動人形であった。髪の色は強いて分類するなら白色だが透明という表現が一番近い。毛先に行くほど透明度を増していくその髪は、頭の周辺でこそ毛たちが幾重にも光を屈折させて白を出したが、首の少し下からは完全に風景を透かしていたからだ。
140強の華奢な体を黒いバイクスーツで包み込んだその自動人形──ココは、一歩歩くごとにフィリオを向けられた視線を全て自分の方へと絡め取っていった。
理由は即物的なものだ。ココの容姿があまりに卓越したものだったからである。
彼女はギロチンのように美しい。
後にココを謳ったバイオ・ゴシック派の詩人の言葉である。この詩的と取るか微妙な表現に、記者や読者は深い共感を示した。
それは例えるなら、不吉さと機能美のマリアージュ。
そこには鋭さしかない。そこには優しさがない。ただただ受け入れるしかない。
一度向かい合ってしまえば、こちらの意志を圧倒してしまうような美。
ココが持っていたのは、そういった類の魅力だった。十歩の内に、店にいた人間は一人の例外を除いて彼女をただじっと見つめていた。
「迎えにあがったぞ、フィリオ・ロッソ。わしと共にきてほしいのじゃが?」
口調こそ質問だったが、自分の顔に呆ける者の意志など斟酌するに値しないという風に、ココは青年の腕を引くと、そのまま入口へと先導していく。
「ちょっと待て」
我に返ったフィリオが強引に腕を引き戻そうとするが、彼女の歩みに何の影響を与えることも出来ない。
「ふむ、別にかまわんが」
ココがそう言ったとき、彼らは既に無人タクシーの後部座席に腰かけていた。先に命令を受けていたのか、タクシーはすみやかに出発する。
「残念、残念。質問には答えてもらえなかったか」
ココの魅力にやられなかった唯一の人間、フィリオに話しかけてきた五人目の男は、満面の笑みで両手をすり合わせた。彼は未だ呆然とする定食屋の人々を尻目に、フィリオの食べ残しを胃の中に回収すると、どさくさに紛れて姿を消した。
立派な無銭飲食であった。
主人公の名前は一文字モジりですね。いっそ、マルコにしようかとも思ったのですが、フィリオ(息子)という含意に惹かれたので残しました。全く別の話を書くつもりなのでオリジナルということにしましたが、大ネタ元は猫玉ということになります。
スペースなど空けてみました。(1/14)