絶句
幸盛の高校時代は新聞部に所属していた。二年生の四月に宇佐美という新一年生が入部してきたのだが、こいつがまた、頭を抱えたくなる文章を書くどうしようもない男だった。入部の理由が、「ラブレターをうまく書けるようになりたいから」というのだから、推して知るべし。
不人気の部にあってこの年度だけは豊作で、じつは宇佐美の他に三人ものカワイイ女子が入部してきた。それなのに、学校図書館が発行する機関紙に載っていた幸盛の『草枕』の読後感想文を読んで気に入った宇佐美が、「先輩、先輩」と妙になついて金魚の糞みたいにくっついて回るので、幸盛がしぶしぶ一年半もの間面倒をみるハメに陥ったのだ。
しかし、宇佐美は幸盛の『名指導のおかげ』でめきめき腕を上げていき、幸盛が卒業する頃にはラブレターどころか「今の小説はおもしろくないから、写真を撮って貼り付けて、それに物語をつける前衛作に挑戦しています」などとワケの分からない生意気な口を叩くまでになっていた。
高校卒業後は宇佐美との交流はぷっつり途絶えていたが、今回の芥川賞候補者の中に、宇佐美と同姓同名があったのでまさかと思いながら当時の新聞部部長だった清水に電話して確かめると、まぎれもなくご当人ということが判明したので度肝を抜かれた。
その際に、清水が宇佐美の携帯の番号を知っていて幸盛に教えてくれた。いにしえの先輩後輩不滅の間柄とはいえ、当然の礼儀としてその候補作を熟読し、感想を箇条書きにメモしてから宇佐美に電話をかけてみた。
宇佐美は昔のままのボソボソとした語り口で、幸盛の問いかけにいちいち丁寧に答えてくれた。
「それにしても芥川賞候補になること自体がすごいよな」
「ありがとうございます」
「しかし惜しかったなあ。候補作を読んでみたけど、なかなか面白かったぞ。とくに、人間を固定的にとらえるのは誤りで、人間は時として悪人にもなれば善人にもなるし、『真実の愛』ですらその瞬間だけは真実であり得るというくだりは全く同感だね」
「多くの文学が、1たす1は2だと決めつけていますからね。実際はそうではなく、たとえばテーブルの上に2個の林檎を並べて放置しておけば、やがて林檎は腐敗して風で飛び散って0になるという側面を無視しているんです」
「1たす1が0ってことだな」
「西洋文学の多くはオール・オア・ナッシング、イエス・ノーで展開していきますが、日本文学の場合は読者側の美感覚や精神の教養を要求していて、作者と読者の一座同心という調和のうえに文学美を築こう、という発想が潜んでいるんです。むやみに西洋流の分析や、多彩な表現を『押し売り』するんじゃなくて、読者に対して作者側は、心を深く、謙虚に、慎ましく控えて相対するという心的姿勢からの作風がうかがわれます。 そこには、おたがいに心を清め合おうという無言の呼びかけがあります」
「む、む、難しいことを言うなあ、さすが、純文学をやるだけあるよ。それにしてもよくもまあ、あの小説が候補までいったよなあ。受賞作よりは断然おもしろかったけどな」
「ありがとうございます」
「まったく、選考委員の目を疑いたくなるね」
「僕もそう思います」
「構成がまずかったのかなあ」
「そうでもないと思いますけど」
「登場人物が多すぎたのかもしれないな」
「どうだか」
「しかしそれぞれの個性はしっかり描けていたぞ」
「………」
「プロットに比重を置きすぎて、主人公の言動が少し不自然に感じたな」
「………」
「説教くさいし、科学的に正しいことを訴えたいあまりに専門書の引用が多過ぎたのかも」
「………」
「芥川賞はプロットよりも情景描写だから、すこし物足りない感じがしたな。わるいけど、くっきり目に浮かんできた情景は一カ所だけだったぞ。大都会の公園のビオトープで子どもたちと一緒に暗くなるまでザリガニやメダカをとり続けているうちに、螢が一匹二匹と舞って光の線を描くシーンな、あれは良かった」
「………」
「聞いたところによると、出版社の順番もあるみたいだな。結局は声の大きい選考委員が推す小説に決まるらしいから、しょせん、どの世界も一緒だな」
「………」
「とにかく、次の作品で絶対に芥川賞獲れよ」
「ありがとうございます。先輩も、同人誌の『北斗』に載ったショートショートくらいで満足しないで頑張ってください」
「ウン、ま、俺は直木賞ねらいだけどな」
「………」
*文芸同人誌「北斗」第558号(平成21年6月号)に掲載
*「妻は宇宙人」/ウェブリブログ http://12393912.at.webry.info/