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日常の先

掲載日:2026/04/14

長い廊下を歩いている。

横には、等間隔に並ぶシャッター。

どれも閉じられていて、中は見えない。

こういう時、自己紹介をするのが普通なのかもしれない。

だが、すまない。私はそれを知らない。

そもそも——

私は、誰だ?

なぜここにいる?

ここはどこだ?

何も分からない。

記憶がない。

だが、不思議と「開けるべきだ」と思った。

最初のシャッターに手をかける。

重い音とともに開いた。

中には、映像があった。

男が誰かに怒鳴っている。

些細なことだ。

だがその数分後、取り返しのつかないことになる。

映像はそこで終わった。

「……後悔、か?」

そう思った。

次のシャッター。

今度は、言えなかった言葉。

選ばなかった選択。

見て見ぬふりをした瞬間。

どれも、よくある話だった。

三つ目。四つ目。五つ目。

同じだ。

誰かが選び、間違え、

そして取り返しがつかなくなる。

だが、奇妙だった。

胸が痛まない。

悲しくもない。

怖くもない。

ただ、「そういうものだ」と理解しているだけだった。

歩き続ける。

どれだけ見ても、同じものしかない。

特別な罪も、劇的な悲劇もない。

ただの、ありふれた失敗。

いや——

失敗ですらない。

それでも、歩き続けた。

理由はない。

止まる理由も、戻る理由もないからだ。

やがて、ひとつだけ違うシャッターが現れた。

少しだけ古く、少しだけ重そうなそれ。

なぜか分からないが、

ここだけは開けてはいけない気がした。

それでも、手をかけた。

理由はない。

開けない理由も、なかったからだ。

開ける。

そこには、人がいた。

映像ではない。

こちらを見ている。

「やぁ、こんばんは」

男は笑った。

「君はいろいろ見てきたんだね」

「……ああ」

気づけば、そう答えていた。

「そうだな、君たちの言葉で言うなら——閻魔、かな」

男は軽くそう言った。

まるで大したことではないように。

「今から貴様を裁く」

その言葉に、不思議と納得した。

「ああ、そうか」

口が勝手に動く。

「俺は裁くべき人間だな」

見てきたものを思い出す。

あれだけの“後悔”。

あれだけの“間違い”。

記憶はない。

だが、確信だけはあった。

「きっと、酷いことをしたんだろうな」

少しの沈黙。

そして、男は笑い出した。

「あは、アハハハハ」

「君を裁くべき人間?」

笑いながら、こちらを見る。

「面白い冗談だ」

空気が、少しだけ冷える。

「君は裁くべき人間じゃない」

一瞬、軽くなる。

だが次の言葉で、すべてが落ちた。

「裁かれて当然の人間だ」

言葉の意味を考える前に、続けられる。

「君の見たのは“後悔”じゃない」

「——日常だ」

思考が止まる。

「君のする“こうすればよかった”は後悔じゃない」

男はゆっくりと歩く。

「ただの結果だ」

「選んだわけでもない。

深く考えたわけでもない。

ただ流れて、そうなっただけ」

「それが君だ」

言葉が出ない。

「まぁいい」

男は肩をすくめる。

「罪の意識があるのは評価しよう」

「もっとも——」

少しだけ間を置く。

「“君じゃないこと”は残念だがね」

意味が分からない。

だが、聞き返す前に言われた。

「ここまで聞いて、何か言うことは?」

しばらく考える。

いや、考えていない。

ただ、浮かんだ。

「……俺と変わんねーな」

男の眉が、わずかに動く。

「閻魔」

一歩、近づく。

「地獄に落ちろ」

その瞬間、すべてのシャッターが開いた。

映像。映像。映像。

無数の“日常”。

無数の“どうでもいい選択”。

どれも、特別じゃない。

そして気づく。

どれ一つとして、

“選んでいない”。

全部、流れだ。

男の姿が歪む。

廊下も、音も、すべてが崩れていく。

最後に聞こえたのは、声だった。

「だからこそ——終わらない」

気づけば、また歩いていた。

長い廊下。

閉じられたシャッター。

違うのは、一つだけ。

今度は、開ける理由がある。

だが——

閉じる理由は、やはりなかった。

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