002 アルゼフィスと三つの影
「二人とも、目の下にクマがすごいよ。こんな所で、何か出たの?」
その言葉は、まるで固く閉ざされた堰に開いた、小さな亀裂のようだった。
碧ラと瑠フィーダは、その一言をきっかけに、堰を切ったかのように昨夜の出来事を語り始めた。
「あいつらはバードマンで間違いないだろう」
碧ラは、話しながらも手を動かし、出発の準備を続ける。
「まさか、カーダ国深く、王都まで飛んでくるなんてただ事じゃない。いいか、手を止めるな。すぐに出発するぞ」
「兄貴、バードマンって、タイマンじゃ騎士でもやばいって奴だよな? 気づかれなくて、本当によかった……」
瑠フィーダは、大げさに胸をなでおろすジェスチャーをした。
「え、え、バードマンって? 何それ?」
ル礼ルは、そんな二人の様子を交互に何度も見つめ返していた。彼女の瞳は、好奇心で輝いている。
「で、バードマンって何なのさ?」
「歩きながら教えてやるから、さあ行くぞ」
「はーい、わかりました」
ル礼ルの元気な返事に、碧ラは少し微笑んだ。
「よし、ル礼ルはもう斥候はいいぞ。瑠フィーダ、荷物の半分は俺が持つ」
碧ラは、皆を鼓舞するように告げた。
王都はもうすぐそこだ。ここからは、もう斥候も強行軍も必要ない。彼は、斥候で走り回ったル礼ルと、重い荷物を背負い続けた瑠フィーダの疲労を気遣い、これまでの重責を解放するかのように、二人に少しでも楽をさせようとしていた。
「もう、この場所がテン遺跡だとわかったからな。この分なら、王都には昼には着くだろう」
碧ラの言葉に、二人は静かに頷いた。
「兄貴、これがテン遺跡だったのかよ。何もねぇじゃん」
瑠フィーダの問いに、碧ラは苦笑いを浮かべた。
「ああ。これだけ王都に近ければ、とっくに価値ある物は何も残っちゃいないさ。さあいこう」
準備を整えた三人は、夜明けの光の中、地面を強く踏みしめながら、王都へ向けて急いだ。
「王都キハンの中央で、売れる物は全て売る。食料と補充品を買って、ここまで戻ってくる予定だ。頑張れよ、二人とも」
そうは言ったものの、碧ラ自身の足も、少しずつその速さを落としていた。
「……兄ちゃん」
ル礼ルの声に、碧ラは疲労を隠すように顔を上げた。
「ん、ル礼ル、どうした?」
「あたし、馬でも盗んでくるよ。もう城の塔が見えているから、迷わない。すぐ戻るから――」
そう言い切るや否や、ル礼ルは王都目掛けて駆け出した。その小さな背中は、あっという間に遠ざかっていく。
「おい、ル礼ルちゃんよ!」
瑠フィーダが焦った声を上げる。碧ラは、そんな彼の肩に手を置いた。
「いいだろう。いつまでも甘やかしてはおけないからな。それに……馬があれば助かる」
ル礼ルは兄ちゃんの声を背で聞いた。
振り返らなかったし、疲労も感じなかった。
だって、いつも重い荷物を持ってもらって、どんな時でも、あたしを優先してくれる。だから、この脚はいくらでも走れる。あたしも、二人を助けたいから。役に立ちたいから。
王都の塔が、朝焼けの中にその姿をくっきりと見せ、城壁の模様が見えていた。
その光景は、ル礼ルに確かな希望を与えていた。
「はぁー、はぁー」やっと着いたよ、兄ちゃんたち。
行き交う通行人に「雨でも降っているのかい」などと冗談を言われるほど、ル礼ルは、汗でびしょ濡れだった。だけど、彼女は汗など気にもせず、門兵の視線を気にしながら、あたりを伺っていた。
いつもなら、城門の外には何頭も馬が繋がれ、時には持ち主がどこかへ行ってしまったのか、置き去りにされた馬さえいるものだ。しかし、今日の王都はどこかおかしかった。
何気なくまわりの行き交う人たちに聞き耳を立てると、どうやら王都で「すごい事件」が起きたらしい。その解決のため、全ての人が大騒ぎし、馬も全て連れていかれてしまったようだった。
王都へ入るには印が必要だ。しかし、ル礼ルはそんなもの持っていなかった。
それは、いつもなら特に問題ではなかった。人や馬車に紛れるか、城壁の「穴」から通り抜けるか、あるいは壁を登るか。彼女にはどれも可能だった。だが、走り抜いた疲労はまだ抜けていない。通行人を装うにも、まともな人影すらない。
王都へどうやって入るか。思案を巡らせていたル礼ルは、突如として悲しみに襲われた。
時間がない。早く馬を見つけて戻らなければならないのに。そう焦るほど、彼女の心は限界を迎えていた。我慢していたものが堰を切ったかのように、自然と涙が頬を伝っていく。
「なぜ……急がないといけないのに……」
その時、背後から優しい声が聞こえた。
「嬢ちゃん、どうかしたのかい?」
ル礼ルが振り返ると、そこに一人の老人が立っていた。
***
「兄貴……やっぱり俺が持つってば。兄貴は持久力がないんだから、少し休んだらどうだ?」
「ああ、すまない」
瑠フィーダが荷物を肩代わりし、碧ラは息を整える。
「だけど休む必要はない。行こう」
荷物を持ってもらった碧ラが丘を上がると、もう二つ先にある丘の上で辺りをうかがうル礼ルの姿を見つけた。碧ラがマントを外して大きく振ると、ル礼ルはすぐに気づいた。
「おい、瑠フィーダ! ル礼ルが戻って来たぞ!」
その声には、安堵と喜びが入り混じっていた。
碧ラと瑠フィーダが丘を下りた頃、ル礼ルはすでに次の丘の頂上近くまで戻ってきていた。
「おーい!」
元気いっぱいに手を振るル礼ルの全身が見えてくると、その足元に碧ラは違和感を覚えた。馬に乗っている様子はない。
馬を盗めなかったにしては、あまりにも明るく、はしゃいでいる。
彼女の様子は、どう考えてもおかしい。
そして、ル礼ルの足元がはっきり見えてきた。
そこにいたのは、馬ではなかった。
巨大な、一頭の牛だった。
「もぉぉぉうー……!」
そのあまりの大きさに、大地が揺れるほどの鳴き声が響く。ル礼ルは、その巨牛の大きな背中に、誇らしげに立っていた。
そばまで寄れば、その威容はより明らかになる。碧ラよりも遥かに大きい。瑠フィーダでさえ、その高さにはとても敵わない。いや、三人束になっても、この巨獣に勝てる要素など、どこにも見つからなかった。
「ねぇ、ねぇ、早く乗ってよ。全然余裕だからね」
「だ、大丈夫なのかよ、こいつは……一体何なんだ?」
瑠フィーダの動揺した問いに、ル礼ルは誇らしげに答える。
「瑠フィーダ兄ちゃん、牛だよ。名前はアルゼフィス! ね、アルちゃん」
「もぉぉぉうー……!」
アルゼフィスの巨体から響く、重厚な鳴き声が答えだった。
「お、そうか。兄貴、いいよな?」
「問題ないだろう。さあ、荷物を渡せ」
ル礼ルが連れてきたのは、ただの牛ではなかった。その背には乗るための鐙が備え付けられ、分厚い絨毯と巨大な革製のバッグまで装備されていた。
碧ラは、その背に軽く飛び乗ると、瑠フィーダから荷物を受け取る。そして、続いて瑠フィーダの手を取り、その巨牛の背へと引っ張り上げた。
「それじゃ、出発だね!アルちゃん、いっけー!」
ル礼ルの元気な号令が響く。
「もぉぉぉうー……!」
また、巨牛の咆哮が大地を震わせた。その巨体は信じられないほどの速度で走り出し、三人を乗せてあっという間にいくつもの丘の向こうへと消えていった。
あとがき。
まだまだ、物語は始まったばかりです。ですが、アルちゃんのおかげで、少しは旅の速度が上がったかもしれません。
この物語は、王都を目指す三人の旅から始まりましたが、彼らは思いがけず世界の運命に関わる大きな事件に巻き込まれていきます。ル礼ル、碧ラ、瑠フィーダの三人は、これからどんな困難に立ち向かい、どんな仲間と出会うのでしょうか。そして、彼らが追う「百年の悲願」の行方は……。
キャラ紹介2
瑠フィーダ (るふぃーだ)
職業:戦士、闘士
性別:M(精神)/ F(肉体)
年齢:19歳
(性別は、男M:女F:中性N:がある。そして肉体と精神に別れているので、6種類あります。)
規格外の体躯を持つ、力自慢の青年。見た目に反して心優しく、常に仲間を気遣います。特に、ル礼ルにとっては頼れる兄のような存在です。考えるより先に体が動いてしまうこともありますが、その行動力と忠誠心は、碧ラにとってかけがえのないものです。




