018 泥人形の奇襲と、砦の機転
炎のベールが、ゆっくりと、しかし確実に一行めがけて落ちてきていた。
その時間は一瞬で終わってほしいものだった。
彼らは腰を低く落とし、できるだけ無理のない低姿勢を保っている。
そのなかで、瑠フィーダだけは違った。
彼は、漆黒の大剣をかまえ、黄金の獣に向かって猛然と駆けだした。
瑠フィーダは、その巨体と体重を乗せ、素早く大剣を振り下ろした。
――だが、大剣は黄金の獣の頭の手前で止まってしまった!
それは、弧を描いた黄金の獣のサソリの尾が、瑠フィーダの首筋に正確に刺さっていたからだ。
彼の身体に打ち込まれた毒は、瞬時に全身にしびれをもたらし、瑠フィーダの行動を完全に止めていた。
その時、黄金の獣が流暢な言い方で喋った。
「見たところ、お前たちは冒険者のようだが、どうやら、そこの愚かな、やかましいコウモリたちを助けているようだな」
その声は、獣の容貌からは想像もできないほど、しっかりとした老齢な紳士のようだった。
その言葉、その知性に、みんなが驚いていた。
その傍らで、キィキィが何を言っているのかわからない鳴き声で、獣に向かって激しく文句を言っているようだった。
「見るものすべてを、敵だと思うものたちではないなら、話がわかるだろう。この洞窟を来たところへ戻るなら、この炎を消してやろう」
黄金の獣は、まるで救いの手を差し伸べるかのように提案した。
黄金の獣との交渉で嘘を使い、炎を消させることは、碧ラたちにとって簡単だっただろう。しかし、碧ラたちにその選択肢は最初からなかった。
それは、先ほど夢ムが唱えた魔法によって、この黄金の獣が生まれながらの邪悪だと判別できていたからだ。邪悪に満ちた存在との交渉は、常に罠であり、虚偽である。
碧ラが陣形の中央から動かず、瑠フィーダを助けにいかないのは、彼を信じているから――などという感情的な理由からくる戦術ではない。戦場における運や偶然の要素をなるべく排除し、全員が確実に生き残るための、非情なまでの論理だった。
「どうしたんだ?こいつの髪がもう燃え出すぞ」
瑠フィーダが毒で動けないため、その髪に落ちてきた炎が近づいている。
碧ラたちは、待っていた。黄金の獣が使う『プレッシャー』を。
その能力は強力だ。瞬時に身体を動かなくさせ、大きな隙を生み出す。夢ムや美カナの詠唱も途中で止められてしまう、広範囲の制圧技だ。
そして、そのプレッシャーの発動タイミングで、黄金の獣が次の行動に移るはずだった。それは、最も弱い後衛へ致命的な攻撃を与えるための助走である。
碧ラたちの目的は、そのプレッシャーの発動後をいかに素早く立て直すか。そのための火傷は、あえて受けると決めていた。
碧ラが気づいたのは、黄金の獣の後ろから影が飛びついた時だった。
まさか! と碧ラは思ったが、すぐそれが、泥だらけになったル礼ルだとわかった。
ル礼ルは、影となって後ろから接近していたのだ。ル礼ルは短剣を力の限り振るい上げ、黄金の獣の首筋に突き刺した。
黄金の獣は、驚きからか、すぐさまル礼ルを乱暴に払い除けると、瞬時に『プレッシャー』を発動した。
老人の顔をもつその獣の体は小刻みに震え、口から発せられる声は、それを聞いたすべての生物に極度の緊張を強いられた。
その瞬間、天井から落ちてきていた炎のベールが、まるで強風に煽られるように激しく舞い上がった。炎は勢いを失い、ちりぢりとなって消滅した。
辺りは、一瞬にして灼熱の明るさから漆黒の暗闇へと戻った。
碧ラにとって、ル礼ルの行動は完全に予定外だった。――と同時に、黄金の獣にとっても思いがけない奇襲を受けたため、本能的に『プレッシャー』を使った。その焦りから、すぐそばで動けずにいたはずの瑠フィーダのことを気にしていなかった。毒によって動けないだろうという過信もあったのかもしれない。
しかし、瑠フィーダは肌に刷り込んだ軟膏によって、毒は思ったよりも早く回復していた。ただの火傷を防ぐだけの薬ではなかったようだ。
黄金の獣の『プレッシャー』を一番そばで受けたが、瑠フィーダは、わずかに大剣を動かし、それを獣の口の中へ突き込んだ。
どうやら『プレッシャー』は、魔法の詠唱中断のように、肉体の動きにも強い制約を課すような効果が切れるようだった。瑠フィーダは、完全に動く体を取り戻し、大剣を黄金の獣の頭に叩きつけた。
黄金の獣はその大剣をかわそうとしたが、間に合わなかった。体重が残った足が、大剣に深く切り裂かれ、大量の鮮血が流れた。
「グォォォオ!」
黄金の獣は、それまで見せなかった激しい苦痛の咆哮を上げた。
身体は三倍、体重で五倍はあるだろう、その巨体が、瑠フィーダめがけて猛然と突撃した。
瑠フィーダはなすすべもなく跳ね飛ばされた。
黄金の獣はそのまま止まらず、次に碧ラへと狙いを変え突撃をした。しかし碧ラは、衝突する寸前に素早く身をかわすと、同時に切れ味のいい長剣で、黄金の獣の後ろ脚に深く切り込んだ。
黄金の獣がそのまま、夢ムや美カナ、翠コのいる後衛へ向かったなら、そのケガで遅くなりわかりやすい行動で倒すことはできただろう。だが手負いのなか跳躍をして高くにあった洞窟へと入り込んだ。唸り声が小さくなっていき、そして何も聞こえなくなった。
碧ラたちは、しばらく何もせず聞き耳を立てていた。
瑠フィーダとル礼ルが、ゆっくりと地面から立ち上がった。彼らは、暗闇の中を碧ラのいる隊列の中央へと戻ってきた。
碧ラは、先ほどの戦闘で消えてしまったランタンを点け直した。オレンジ色の光が再び空間を照らす。
「ごめんなさい。危ないことして……」
ル礼ルは、泥にまみれた顔で、そう謝った。しかし、ル礼ルを責める者はいなかった。この子の予想外の奇襲が、この強敵に初めて有効な一撃を与え、炎の危機をも払拭したのだから。
「何だよその泥だらけは」
瑠フィーダが笑い出すと、他のみんなもつられて笑い出した。
今のル礼ルは、まさに泥人形だ。これなら先ほどの炎のベールが直撃したとしても、火傷はしなかっただろう。
だが、碧ラが思ったのは、そこではない。彼が注目したのは、ル礼ルが自分からも気配を完璧に隠していた、そのステルスのスキルだった。ル礼ルは、碧ラの予測すら超える動きで、敵の真後ろに潜り込んでいたのだ。
「そういえば短剣が刺さってそのままだ……高かったのに」
ル礼ルは、唐突に、黄金の獣の首に残してきた愛用の短剣を惜しんだ。
「ふふ、ならこれをあげるよ。ル礼ル、がんばったね」
そう、めったに他人を褒めない夢ムが、不思議な紋様が刻まれた魔法装飾の短剣を差し出した。
碧ラが、このまま負傷した敵を無視して洞窟を出るかと考えている、まさにその時だった。
キィキィが、碧ラたちの元に音もなく近寄ってきた。
「アイツ・ニガサナイ」
キィキィがそう告げた直後、いつの間にか飛んできた大量の巨大コウモリたちが、洞窟の奥へと黄金の獣を追いかけて行く。キィキィは、この機を逃してはならないと感じているのか、まるで息巻ながら「キィキィ」と甲高く鳴き、自らも群れと一緒に闇へと飛んで行った。
それを見ていた一行は、それぞれ、今から始まる決戦の予感に覚悟を決めていた。




